第89話 お手紙が届いたら
次の日の午後。
アリアは昨日と同じ書庫の机へ向かうと、椅子へ座るより先に、卓の端へ重ねられていた便箋へ目を留めた。
いつもの文字練習用のノートと鉛筆。その隣には、セレフィナが用意してくれた真っ白な便箋と封筒が何枚かずつ、きれいに揃えて置かれている。
昨日までなら、何も書かれていない紙を前にしただけで、何を書こうかとずいぶん悩んだ。
シスターへ伝えたいことはたくさんあったはずなのに、一番最初の言葉を決めるまで鉛筆を持ったまま考え込み、書き始めてからも何度も手を止めた。
けれど、今日は違った。
アリアは便箋の束へ手を伸ばすと、端を指先で揃えながら、その厚みを確かめるように眺めた。
「ノルン」
「はい」
「これ、全部使っていい?」
少し離れたところで本を読んでいたノルンが顔を上げ、アリアの指先にある便箋へ目を向けた。
「必要なら構いませんよ」
「必要!」
「まだ誰に書くのかも聞いていませんが」
「いっぱい書くの!」
あまりにも迷いのない返事に、向かいで本を読んでいたルカまで顔を上げた。
「昨日、一通書いたばかりでしょう?」
「だから、もう書けるもん」
「書けるようになったから、また書くの?」
「うん!」
アリアにとっては、それで十分な理由だった。
昨日、シスターへの手紙を書き終えてから、ずっと頭の中に残っていることがある。
手紙は、自分が行けないところへ、自分の代わりに行ってくれる。
遠く離れた人にも、今どこにいるのか、元気にしているのか、どんなものを見たのかを伝えられる。
そう分かってしまったら、旅の途中で別れた人たちの顔が、次々と思い浮かんできた。
「エッダにも書きたいでしょ。トアにも。それからロザとヴァンとフィンとモーリにも」
「商隊のみんなに?」
「うん!」
「少し前まで一緒に旅してたのに?」
「今はいないよ?」
「まあ、そうだけど」
「それからコルにも書く。ルルにも!」
「ルルは、まだ一人で読めないんじゃない?」
「コルに読んでもらうの」
「なるほど」
「ガンツさんにも書く」
「どんどん増えてるね」
ルカが半分呆れたように言っても、アリアの指は止まらなかった。
「シリルおじちゃんにも!」
「騎士団まで送れば、届きそうだね」
「じゃあ書く!」
どうやら、何通必要になるのかまでは考えていないらしい。
けれどアリアの頭の中には、もう手紙を受け取った人たちの顔が浮かんでいるのだろう。
少し離れた長椅子では、リオネルがそのやり取りを聞きながら楽しそうに笑っていた。
このところ、リオネルやエミールが別邸へ顔を出すことも珍しくなくなっている。乗馬の帰りに立ち寄る日もあれば、セレフィナへ挨拶をしに来たついでだったり、何か届ける物があったりと理由はいろいろだったけれど、二人とも別邸へ来ると、いつの間にかアリアたちのいる場所まで顔を出すようになっていた。
今日も、リオネルは書庫の長椅子に腰を下ろし、エミールは床へ座ってマルルの長い耳を撫でている。
「ほかには?」
リオネルが面白そうに尋ねた。
「まだあるよ」
「誰?」
アリアは指を折りながら少し考え、やがてぱっと顔を上げた。
「エレノアおばあちゃん!」
「エレノア伯爵夫人?」
「うん!」
それにはリオネルも少し意外そうな顔をした。
「伯爵夫人にも書くの?」
「書いたらだめ?」
「いや、だめじゃないけど」
リオネルは笑いながら首を振った。
「ずいぶん手紙が好きになったなと思って」
「好き!」
そこにも迷いはなかった。
「お手紙、楽しいもん」
「昨日、最初はずっと困ってなかった?」
「最初だけ!」
「間違えて、きれいじゃなくなったって落ち込んでたよね」
「でも最後まで書けたからいいの」
「強くなったね」
「文字が?」
「そっちじゃない」
アリアにはよく分からなかったらしい。
けれど、それ以上気にすることもなく、新しい便箋を一枚、自分の前へ引き寄せた。
「エレノアおばあちゃんには何を書こうかな」
「近況を書けばよいのではありませんか」
ノルンが言う。
「きんきょう?」
「今どこにいて、何をしているのかです」
「ああ!」
それなら、書きたいことはいくらでもあった。
アリアは鉛筆を握ると、まず一番上へ宛名を書き始めた。
『エレノアおばあちゃんへ』
書き終えたところで、ノルンが静かに手元を覗き込む。
「アリア」
「なあに?」
「お手紙では、エレノア伯爵夫人には『さま』を付けましょう」
「どうして?」
「目上の方へ送る手紙ですから」
アリアは自分の書いた宛名を見て、それから少し離れたところにいるセレフィナを振り返った。
「セレフィナおばあちゃんにも?」
「セレフィナ様が、普段通りでよいとおっしゃるなら構いませんよ」
「エレノアおばあちゃんは?」
「今回は『エレノアさま』にしておきましょう」
「むずかしい……」
普段呼ぶ時と、手紙に書く時では違う。
アリアには、それが少し不思議だった。
「少しずつ覚えればよいのですよ」
「はぁい」
アリアは書いた文字へ細い線を引き、その隣へもう一度、今度は教えられた通りに書き直した。
『エレノアさまへ』
「できた」
少し得意そうに読み返してから、その下へ本文を書き始める。
『わたしはげんきです』
これはもう、ほとんど迷わなかった。
昨日、シスターへ一番最初に書いた言葉だ。
続いて、
『いまミレアこにいます』
と書いたところで、アリアはふと顔を上げた。
「エレノアおばあちゃん、ミレア湖にいるの知ってるかな」
「来たことは知っていると思うよ」
リオネルが答えた。
「じゃあ、いつまでいるかも書く」
「それも近況ですね」
ノルンが頷く。
「うん!」
アリアはそのまま続きを書いた。
『つぎのまんげつまでいます』
最後まで書き終えると、口の中で一度読み直す。
「次の満月までいます」
ちゃんと読めた。
それだけで少し嬉しくなり、次の行へ進む。
『まいあさそらをとぶれんしゅうをしています』
少し長かった。
途中で一度だけノルンへ知らない文字を尋ね、それでも昨日のように何度も鉛筆が止まることはなかった。
さらに、
『まほうのれんしゅうもしています』
『ほんをひとりでよめるようになりました』
と続けていく。
一つ書き終えるたび、次に何を書こうかが自然と浮かんできた。
昨日は一文書くたびに、その先へ進むために考える時間が必要だった。
けれど今日は、頭の中にある出来事を紙へ移していくことそのものが面白い。
文字を書いている間にも、次の言葉が待ちきれないように浮かんでくる。
「そうだ!」
突然、アリアが顔を上げた。
「赤ちゃん!」
「何?」
ルカが驚いて振り向く。
「アデリーヌお姉ちゃんのお腹の赤ちゃんのことも書く!」
「それも?」
「動いたんだよ?」
「知ってるよ。一緒にいたから」
「でも、エレノアおばあちゃんは見てないでしょ?」
「まあ、それはそうだけど」
「じゃあ書く!」
アリアにとっては、とても大切な報告だった。
便箋へ顔を戻し、あの日のことを思い出しながら続きを書いていく。
アデリーヌお姉ちゃんのお腹へ手を当てたら、赤ちゃんがぽこんと動いたこと。
もう一度触ったら、また動いたこと。
マルルには、赤ちゃんが嬉しいと感じていることが少し分かったこと。
「マルルも書くなの?」
自分の名前を聞きつけ、エミールのそばにいたマルルが顔を上げた。
「書いてるよ」
「かわいく書くなの」
「字は同じだよ?」
「丸く書くなの」
「読みにくくなるよ」
ルカが横から言うと、マルルは少し考えた。
「じゃあ、『マルルはかわいいです』って書くなの」
「自分で言うの?」
「ほんとのことなの」
エミールがマルルの頭を撫でながら、小さく笑った。
「そこは否定しにくいな」
「エミールは分かってるなの」
褒められたと思ったらしく、マルルが満足そうに胸を張る。
アリアも笑いながら便箋へ戻り、そのまま続きを書いていった。
◇
一枚目が文字でいっぱいになる頃には、アリアはすっかり夢中になっていた。
「ノルン、もうない」
「何がですか?」
「書くところ」
「二枚目を使ってください」
「いいの?」
「そのために置いてあるのですよ」
「やった!」
一枚目を丁寧に横へ寄せると、すぐに二枚目が始まった。
「まだ書くの?」
長椅子からリオネルが覗き込もうとする。
「まだあるもん」
「何を書いてるの?」
「ひみつ!」
「エレノア伯爵夫人への手紙なのに、僕にも秘密なの?」
「届くまで秘密」
「そういう決まり?」
「アリアの決まり」
「昨日から、ずいぶん決まりが増えたね」
リオネルが面白そうに笑っても、アリアはもう手を止めなかった。
セレフィナおばあちゃんと一緒に湖を眺めたこと。
次の満月には、その湖へ赤い月が映るかもしれないこと。
ノルンが、とても古い文字を読めたこと。
今朝も魔法の練習をして、作った花を前より長く残しておけたこと。
一つを書けば、その時一緒に起きた別のことを思い出す。
それを書けば、また次の出来事が浮かんでくる。
旅をしている間、一日は一日ずつ過ぎていったはずなのに、こうして文字へしようとすると、その中には思っていたよりずっとたくさんのことが入っていた。
「お手紙って終わらないね」
アリアが鉛筆を動かしたまま呟いた。
「終わらせるものだよ」
ルカが答える。
「でも、書いたら次のこと思い出すよ?」
「全部書こうとするからだよ」
「全部書きたいもん」
「じゃあ終わらないね」
「でしょ?」
「僕が間違ってるみたいに言わないで」
そんなやり取りをしているうちにも、二枚目は少しずつ文字で埋まっていった。
そして最後に、アリアは少しだけ考えてから、
『こんどあそびにきてね』
と書いた。
その下には、もう迷わず自分の名前を書く。
『アリア』
「できた!」
鉛筆を置き、二枚の便箋を並べる。
昨日のシスターへの手紙より、ずっと早く書けた。
文字の大きさはまだ完全には揃っていないし、途中には書き直した跡もある。それでも、昨日より少しだけ一つ一つの文字がまとまり、行も追いやすくなっている。
「昨日より上手?」
アリアが二枚の便箋を持ち上げる。
ルカが少し離れたところから眺めた。
「昨日より読みやすいよ」
「ほんと?」
「うん」
「じゃあ、明日はもっと上手?」
「明日も書くの?」
「うん!」
「誰に?」
アリアは少しだけ考えた。
「トア!」
「やっぱり、まだいるんだ」
「いっぱい!」
「本当にハマったね」
「はまった!」
「意味分かってる?」
「好きってこと!」
「それなら、まあ合ってる」
アリアは嬉しそうに二枚の便箋を揃えた。
昨日は、一人で一通の手紙を書けたことそのものが嬉しかった。
けれど今日は、それとは少し違う。
誰に書こう。
何を知らせよう。
このことを書いたら、どんな顔をするだろう。
相手のことを考えながら言葉を選ぶことまで、楽しくなっていた。
自分の中にある出来事が文字になり、その文字を遠くにいる誰かが読む。
そう思うと、まだ書いていないことまで、次々に届けたくなってくる。
「ノルン」
「はい」
「便箋、またもらえる?」
「今ある分を使い終えてからです」
「全部使ったら?」
「その時は考えます」
「いっぱいある?」
「アリアがどれだけ書くかによります」
「じゃあ、いっぱいお願いする!」
ノルンは返事をせず、机の上に残っている便箋の束へ静かに目を落とした。
まだ何枚もある。
けれど、今のアリアを見ていると、それが何日もつのかは少し怪しい。
その表情を見て、ルカが小さく笑った。
◇
数日後。
エレノア伯爵夫人の屋敷へ、一通の封書が届けられた。
「奥様。ミレア湖の別邸からでございます」
「別邸から?」
午後のお茶を終えたばかりだったエレノアは、侍女から封筒を受け取った。
セレフィナからだろうか。
そう思いながら表へ目を落とし、そのまま手を止める。
そこには、まだ少し不揃いな文字で、
『エレノアさまへ』
と書かれていた。
その横には、最初に別の文字を書いたらしい跡へ細い線が引かれ、改めて宛名を書き直した形跡まで残っている。
それを見ただけで、誰から届いたのか分かってしまった。
「アリアね」
自然と口元が緩んだ。
封を開き、中の便箋を取り出す。
一枚ではなかった。
「まあ」
二枚。
どちらにも、小さな文字が隙間なく並んでいる。
「ずいぶん書いたのね」
エレノアは笑いながら、一枚目の最初へ目を落とした。
『エレノアさまへ
わたしはげんきです』
「ふふ」
文字を追っただけなのに、あの明るい声まで一緒に聞こえてくるような気がした。
一文字ずつ、一生懸命書いたのだろう。
まだ形の揃っていない文字もあるが、十分に読める。
『いまミレアこにいます』
「ええ。知っていますよ」
気づけば、紙へ返事をしていた。
そのまま次の行へ目を移したところで、エレノアの視線が止まる。
『つぎのまんげつまでいます』
「…………」
もう一度読む。
やはり同じだ。
「次の満月まで?」
「どうかなさいましたか?」
控えていた侍女が尋ねる。
エレノアはすぐには答えず、窓の外へ目を向けた。
今の月齢なら、次の満月まではまだずいぶんある。
「まだ三週間ほど先ではありませんか」
「次の満月でございますか?」
「ええ」
アリアたちがミレア湖へ向かったことは聞いていた。
セレフィナと一緒に過ごしていることも知っている。
けれど、滞在するのはせいぜい数日。長くても一週間ほどだと思っていた。
それが。
「そんなに長く滞在するとは聞いていないわ」
もう一度、便箋へ目を落とす。
紙の上のアリアは、自分が思いのほか大きな情報を知らせてしまったことなど、少しも気づいていないらしい。
その次には、
『まいあさそらをとぶれんしゅうをしています』
と続いている。
「毎朝、飛んでいるの?」
さらに、
『まほうのれんしゅうもしています』
「魔法まで」
そして。
『ほんをひとりでよめるようになりました』
「まあ」
今度は、素直に感心した。
前に会った時には、ようやく自分の名前を書けるようになったばかりだった。
それが今では、本を一人で読み、こうして二枚にもなる手紙を自分で書いている。
「子どもは早いわね」
エレノアは微笑みながら、そのまま続きを読み進めた。
アデリーヌのお腹の赤ちゃんが動いたこと。
触れたら、もう一度動いたこと。
マルルには、赤ちゃんが嬉しいと感じているのが少し分かったらしいこと。
リオネルとエミールも、よく別邸へ遊びに来ていること。
次の満月には、湖へ赤い月が映るかもしれないこと。
魔法で作った花も、前より長く残しておけるようになったこと。
一つ一つは短い文章だった。
けれど読み進めるほど、別邸で過ごしているアリアの姿が、エレノアの中へ少しずつ出来上がっていく。
庭で空を飛び。
書庫で本を読み。
知らなかった文字を覚え。
見つけたことを誰かへ話したくなれば、また紙へ書く。
きっとこの手紙も、思いついた順に書いたのだろう。
そして最後。
『こんどあそびにきてね』
その一文で、エレノアの手が止まった。
「…………」
「奥様?」
「招待されてしまいました」
「まあ」
「しかも」
エレノアは一枚目へ戻った。
『つぎのまんげつまでいます』
「こんなに長く滞在していることまで、教えられてしまったわ」
侍女が口元へ手を添える。
「それでは……」
「ええ」
ほんの数日しかいないのであれば、都合が合わなかったと諦めることもできた。
けれど、まだ三週間ほどいる。
そのうえ本人から、
『こんどあそびにきてね』
とまで書かれている。
エレノアは二枚の便箋をもう一度見下ろし、楽しそうに目を細めた。
「行かない理由がなくなってしまったでしょう?」
「ご予定を確認いたしましょうか」
「ええ。見せてください」
返事は早かった。
「数日以内に空けられる日があるでしょう」
「お泊まりのご用意もいたしますか?」
そこでエレノアは少しだけ考えた。
日帰りで顔を見て、そのまま戻ることもできる。
けれど、せっかくミレア湖まで行くのだ。
久しぶりにセレフィナともゆっくり話したい。
それに、手紙の中でこれほど楽しそうに過ごしている少女が、実際にはどんな毎日を送っているのかも見てみたくなった。
「そうね。何日か泊まれるようにしておきましょう」
「承知しました」
「先に別邸へ知らせておいてください」
「はい」
「アリアには……」
一度だけ言葉を止める。
けれど、すぐに笑った。
「いいえ。普通に先触れを出してください」
「よろしいのですか?」
「その方が面白そうでしょう?」
エレノアはもう一度、便箋の最後へ目を落とした。
『こんどあそびにきてね』
「招待した本人が、どんな顔をするのか見てみたいもの」
◇
翌日の午後。
ミレア湖の別邸では、そんなこととは知らないアリアが、また新しい便箋へ向かっていた。
「今日はトア!」
椅子へ座るなり宣言する。
「予告通りだね」
ルカが隣へ腰を下ろした。
「トアには、いっぱいあるよ」
「一緒に旅してたのに?」
「今のことも書くもん」
「今のこと?」
「ミレア湖とか、文字とか、魔法とか!」
「それなら知らないね」
「でしょ?」
アリアは嬉しそうに鉛筆を握った。
数日前、エレノアおばあちゃんへ書いた手紙を出したばかりなのに、もう次の相手へ話したいことがいくつもある。
旅は止まっているようで、毎日少しずつ何かが増えているのだ。
新しい言葉を覚えた。
魔法が少し上手になった。
昨日できなかったことが、今日はできた。
それなら、少し前に別れたトアにも教えたかった。
「最初は……」
アリアは便箋の一番上へ、
『トアへ』
と書いた。
その時だった。
廊下の向こうから、いつもより少し速い足音が近づいてくる。
ルカの猫耳が、すぐにそちらへ向いた。
「誰か来た?」
「まだ馬車の音はしてないけど」
アリアも顔を上げる。
ほどなくして、一人の使用人が書庫へ姿を見せた。
「大奥様はいらっしゃいますか?」
「テラスですよ」
ノルンが答えると、使用人は一礼し、そのまま足早にそちらへ向かっていった。
「なんだろう」
「お仕事じゃない?」
ルカはそう言ったものの、アリアは少し気になったらしい。
鉛筆を置き、あとを追うように立ち上がる。
結局ルカたちも一緒にテラスへ出ると、セレフィナはちょうど、使用人から一通の小さな書状を受け取ったところだった。
「先触れ?」
「はい」
「どなたからです?」
セレフィナが封を確かめる。
使用人が答えた。
「エレノア伯爵夫人でございます」
「エレノアおばあちゃん!」
その名前を聞いた瞬間、アリアの顔がぱっと明るくなった。
「お手紙届いた?」
まだ誰も、届いたとも返事が来たとも言っていない。
けれどアリアの中では、もう昨日書いた便箋と目の前の書状がつながっていた。
セレフィナが先触れへ目を通す。
「まあ」
「なに?」
アリアがすぐそばへ寄った。
「エレノア伯爵夫人が、三日後にこちらへいらっしゃるそうですよ」
アリアの目が大きくなる。
「ほんと!?」
「ええ」
「遊びに来るの!?」
「数日、滞在されるようですね」
「やった!」
嬉しさのまま、両手が上がった。
その隣でルカだけが、すぐには一緒に喜ばなかった。
少し考えるように、アリアの顔を見ている。
「アリア」
「なあに?」
「エレノアさんへの手紙に、何を書いたの?」
「いっぱい!」
「それは知ってるけど」
ルカは少し間を置いた。
「ここに、いつまでいるかも書いた?」
「書いたよ?」
「なんて?」
「次の満月まで!」
「…………」
ルカは一度、ゆっくりと目を閉じた。
「それだ」
「なにが?」
アリアには、まだ分からない。
セレフィナも二人のやり取りを聞いていたらしく、手元の書状から顔を上げた。
「アリア」
「はい?」
「エレノア伯爵夫人は、あなたたちが次の満月までここへ滞在すると知っていたのですか?」
「知らなかったの?」
「少なくとも、わたしからは知らせていませんね」
「じゃあ……」
アリアは少しだけ考えた。
昨日書いた便箋。
『つぎのまんげつまでいます』
それから最後に。
『こんどあそびにきてね』
そこまで思い出したところで、ぱっと顔を上げた。
「お手紙に書いた!」
「そういうことですね」
セレフィナの口元が、ゆっくり緩んだ。
ルカは小さく息を吐く。
「手紙って、何でも届くんだね」
「うん!」
「そういう意味じゃないんだけど」
「でも届いたよ!」
アリアは嬉しそうに笑った。
昨日まで、紙へ書いた言葉が本当に遠くまで届くということは、まだどこか不思議だった。
シスターへの手紙だって、今頃どこを旅しているのか分からない。
読んでもらえるのは、きっとまだ先だ。
けれど今度は違った。
エレノアおばあちゃんは、アリアが書いた手紙を読んだ。
元気だということも。
今、ミレア湖にいることも。
次の満月まで滞在することも。
遊びに来てほしいと思っていることも。
全部、紙の上に書いた言葉から知った。
そして、その言葉を読んだエレノアおばあちゃんが、今度は本当にこちらへやって来る。
「お手紙って、すごいね」
アリアは胸の前で両手を合わせた。
手紙は、自分の代わりに遠くまで行くだけではなかった。
書いた言葉が誰かへ届けば、その人が笑うこともある。
驚くこともある。
そして時には。
本当に、会いに来てくれることまである。
「トアにもいっぱい書こう!」
「そこから減らす方向には行かないんだね」
「だって、いっぱい知らせたいもん!」
アリアはすっかり嬉しくなり、書きかけの手紙を思い出して書庫へ戻っていった。
その背中を見送りながら、ルカはしばらく黙っていた。
「……これ、ほかの手紙も大丈夫かな」
その呟きを聞いたセレフィナが、楽しそうに笑う。
三日後。
自分の一通の手紙が客人を呼んだことを、ようやく少しだけ理解し始めたアリアのもとへ。
今度は、エレノアおばあちゃんがやって来る。




