第69話 大奥様の見立て
「どうやら、今度は私の勝ちのようですわね」
セレフィナはそう言うと、何事もなかったようにカップへ手を伸ばした。
けれど、向かいに座っているエリオは動かなかった。
ついさっきまでなら、どんな質問をされても何かしら言葉を返していた。困れば笑って誤魔化し、答えたくないことを聞かれれば別の話へ逃げ、それでもセレフィナに追いかけられれば、また次の言い訳を探していた。
そのエリオが、「どこの騎士ですの?」と聞かれた途端、本当に何も言わなくなってしまった。
アリアには、セレフィナがどうしてエリオを騎士だと思ったのか、その全部はまだよく分からない。手の硬い場所や、部屋へ入った時にどこを見たのかまで覚えているなんて、自分にはとてもできそうになかった。
それでも、さっきまで何とか言い返していたエリオが黙ったままでいるのを見ているうちに、アリアにもだんだん分かってきた。
たぶん、セレフィナおばあちゃんの言ったことは当たっている。
「エリオお兄ちゃん?」
「なんだ?」
ようやく返事はしたものの、いつもの軽い調子とは少し違っていた。
アリアは確かめるように首を傾げる。
「騎士なの?」
「…………」
「違うの?」
もう一度聞かれると、エリオは一度だけ天井を見上げた。
ここまで来れば、何を言っても同じだと思ったのかもしれない。しばらく黙ったあと、諦めたように息を吐いた。
「……騎士だよ」
「ほんと!?」
その瞬間、アリアの中に残っていた妙な緊張は全部どこかへ飛んでいった。
騎士と聞いて最初に頭へ浮かんだのは、シリルだった。
剣を持って、馬にも乗って、危ない時には誰かを守る。アリアにとって騎士というのは、そういう人だった。
それなら、エリオお兄ちゃんもそうなのだ。
「すごい!」
「何が?」
「騎士!」
「だから、何がすごいんだよ」
「だって騎士だよ!?」
それだけで十分だと思うのに、どうして伝わらないのだろう。
隣で聞いていたルカが、小さく笑った。
「アリアは騎士って聞いただけで喜んでるんだよ」
「だって騎士だよ?」
「分かったって」
一度そうだと分かってしまうと、今まで気にも留めていなかったことまで、急に知りたくなってきた。
「じゃあ、剣使えるの?」
「使える」
「馬も?」
「乗れる」
「鎧も着る?」
「着る時はな」
「悪い人捕まえる?」
「場合による」
「強い?」
「それは……」
「アリア」
質問がまだまだ続きそうなところで、ルカに名前を呼ばれた。
「なに?」
「一個ずつって言われる前に、そろそろやめた方がいいよ」
「あ」
言われてみれば、さっきから自分ばかり聞いている。
アリアは慌てて口を閉じた。
「ごめんなさい」
「いや。もうだいたい聞かれたあとだけどな」
「全部聞いたもんね」
「そうだよ」
知りたかったことを一通り聞けたアリアは満足したけれど、その隣で、ルカはまだエリオを見つめていた。
「……だからか」
「ん?」
「なんでもない」
「そうか?」
ルカはそれ以上言わなかった。
けれど、アリアにも少しだけ分かる気がした。
エリオは旅をしている間、いつも周りをよく見ていた。
何か変わったことがあれば誰より早く気づき、自分たちが先へ行きすぎれば、いつの間にか追いついてくる。知らない町でも道に迷うことはほとんどなかったし、危ない時には考えるより先に身体が動いていることもあった。
今までは、ずっと旅をしてきた行商人だから慣れているのだと思っていた。
けれど、あれもこれも。
騎士だったからなのかもしれない。
今まで知っていたエリオお兄ちゃんが、急に別の人になったわけではない。それなのに、「騎士」という言葉が一つ加わっただけで、これまで一緒に歩いてきた中で見てきたことが、少しずつ別の意味へつながっていくのが不思議だった。
「それで」
アリアがそんなことを考えている間にも、セレフィナの質問は終わっていなかった。
静かにカップを置き、エリオを見る。
「どこの騎士ですの?」
せっかく少し緩んだエリオの顔が、またわずかに引きつった。
「そこまで言わないと駄目ですか?」
「あら。言えない理由でも?」
「ありますよ」
「任務?」
「…………」
ほんの一瞬だった。
けれど、エリオは確かに黙った。
それを見たセレフィナの太い眉が、わずかに上がる。
「今のは、答えと同じですわね」
「……ほんとにやりにくいな、この人」
「何か?」
「いえ」
エリオは困ったように口元を歪めた。
騎士であることまでは、もう隠せないとしても、その先をどこまで話していいのかは別なのだろう。
しばらく考えてから、ようやく腹を決めたように姿勢を戻した。
「西方騎士団です」
「西方騎士団」
「はい」
「なるほど」
セレフィナは静かに頷いた。
あまりにも普通の反応だったので、今度はエリオの方が怪訝そうな顔になる。
「……そこまで分かってたんですか?」
「いいえ」
「え?」
「騎士だとは思っていましたけれど、所属までは分かりませんでした」
「…………」
エリオが止まった。
「じゃあ、今のは」
「聞いただけです」
「…………」
しばらく黙っていたルカが、小さな声で言った。
「エリオお兄ちゃん」
「なんだ」
「負けたね」
「言うな」
向かいでは、セレフィナが何事もなかったようにお茶を飲んでいる。
「セレフィナおばあちゃん、すごい!」
「ありがとう、アリア」
「褒めるなよ……」
エリオはとうとう額へ手を当てた。
◇
「では、西方騎士団の騎士が、なぜ行商人の姿で旅をしているの?」
セレフィナがさらに尋ねると、今度のエリオはほとんど迷わなかった。
「それは話せません。任務に関わることなので」
「そう」
返ってきたのは、それだけだった。
さっきまであれほど細かなことまで確かめていた人が、今度はあまりにも簡単に引いたので、むしろエリオの方が驚いたらしい。
「……聞かないんですか?」
「話せないものを無理に聞いて、答えていただけるの?」
「答えませんね」
「でしょう?」
「はい」
「それに、騎士が任務の内容を誰にでも話してしまうようでは困ります」
エリオが少しだけ目を瞬いた。
「何です?」
「いや……さっきまでの尋問を聞いたあとだと、あんまり信じられないんですけど」
「あれは必要でしたから」
「必要?」
「ええ」
セレフィナはそう答えると、アリアたちへ目を向けた。
「あなたが何のために騎士の身分を隠しているのか、それ自体を知りたいわけではありません。ただ、この子たちと一緒に旅をしている以上、あなたが危険な人間ではないのか。それだけは確かめておきたかったのです」
アリアは、その言葉を聞きながらセレフィナを見た。
さっきまで、どうしてこんなにエリオへたくさん質問するのだろうと思っていた。
何を売っているのか。
どこへ行くのか。
部屋へ入った時に何を見たのか。
手のどこが硬いのか。
エリオが困っているのに、セレフィナおばあちゃんは全然やめてくれなかった。
けれど、今なら少し分かる。
困らせたかったのではない。
自分たちと一緒にいる人が、本当に大丈夫な人なのかを知ろうとしていたのだ。
昨日出会ったばかりなのに。
それに気づくと、さっきまで少し怖く見えていた質問の一つ一つが、アリアの中で少し違うものに変わった。
「ただし」
セレフィナの視線が、もう一度エリオへ戻る。
「この子たちを利用するために近づいたのであれば、話は別です」
「それは違います」
返事はすぐだった。
その速さに、アリアも思わず顔を上げた。
「少なくとも、今この子たちを利用するつもりはありません」
「最初から?」
今度は、ほんの少しだけ間があった。
「……最初は、仕事の都合もありました」
「お仕事?」
アリアが聞く。
「ああ」
「わたしたちと?」
「まあな」
「どんな?」
「それは言えない」
「そっか」
アリアはそのまま頷いた。
エリオの方が、少し拍子抜けしたようにこちらを見る。
「聞かないの?」
「だって、言えないんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、聞いても教えてくれないよ?」
「……そうだけど」
「ならいいよ」
アリアにとっては、とても簡単なことだった。
言えないなら、今は聞けない。
さっきセレフィナも言っていた。騎士のお仕事には、誰にでも話してはいけないことがあるらしい。
だったら、いつか話してもいい時が来たら、その時に聞けばいい。
「アリアだからね」
ルカが笑う。
「そうだな」
エリオも困ったように笑った。
すると、それまで静かに話を聞いていたノルンが口を開いた。
「やはり、何かありましたか」
エリオが振り返る。
「……ノルン?」
「はい」
「お前も気づいてたのか?」
「確信はありませんでした。ただ、普通の行商人ではないのかもしれないとは思っていました」
「いつから?」
「最初の頃からです」
「…………」
エリオは今度こそ額を押さえた。
「俺、そんなに分かりやすい?」
「普通の商人にしては、少し」
「少し?」
「はい」
「それ絶対、少しじゃないだろ」
ルカが笑い、アリアもつられて笑った。
どうやら、エリオだけがずっと、自分は上手に隠せていると思っていたらしい。
騎士だと分かってからも、結局こうしてみんなにからかわれている。
それを見ていると、やっぱり何も変わっていないのだと、アリアは少し安心した。
◇
ひとしきり笑ったあと、セレフィナがもう一つ尋ねた。
「あなたの上官は、この子たちと一緒にいることを知っているの?」
「知っています」
今度はエリオも隠そうとはしなかった。
「では、今の状況も?」
「いや。そこまではまだ」
「今の状況?」
アリアが聞き返すと、エリオは何とも言えない顔になった。
「元グランヴェル辺境伯夫人の馬車に拾われて、ミレア湖へ向かってるところまでだよ」
「拾われてはいませんよ」
すぐにセレフィナが訂正する。
「似たようなものでしょう」
「助けていただいたのはこちらです」
「それで、そのお礼に全員まとめて馬車に乗せたんでしょう?」
「ええ」
「十分拾われてますよ」
「そうかしら」
「そうですよ」
アリアは二人を見比べた。
話を聞いているうちに、自分まで少し気になってきた。
「助けたの、わたしたちだよ?」
「分かってるって」
「じゃあ、拾われてないよ?」
「アリアまでそっちにつくのか?」
「だって拾われてないもん」
「……はいはい」
どうやら、アリアまで加わったことで勝ち目がなくなったと思ったらしい。エリオは諦めたように手を上げた。
けれど、その表情はすぐに少し真面目なものへ戻った。
「まあ、どっちにしても報告は必要ですね」
「今夜?」
「できれば。この町から出せるなら、明日の出発前に確認します」
「必要なら、私の者を使っても構いませんよ」
「それは駄目です」
あまりにも早い返事だったので、アリアまでエリオを見た。
「あら」
「絶対駄目です」
「なぜ?」
「俺の上官宛ての報告が、グランヴェル家の使いで届いたらどうなると思います?」
セレフィナは少しだけ考えた。
「早く届きますね」
「そういう問題じゃないんですよ!」
ルカが吹き出した。
「セレフィナおばあちゃん、分かってて言ってるでしょ」
「さて」
「絶対そうだ」
エリオが深く息を吐く。
「普通に送ります。普通の騎士団の連絡網で」
「分かりました」
「本当に?」
「ええ」
「勝手に早馬を出したりしません?」
「しませんよ」
「…………」
「何です?」
「信用していいのかなと思って」
「失礼ですわね」
「今日一日で学習したんです」
とうとうセレフィナが声を上げて笑い、ルカも一緒になって笑った。
アリアも笑いながら、さっきまでとは少し違う気持ちでエリオを見ていた。
エリオは騎士で、西方騎士団の人だった。
どうして自分たちと一緒に旅をしているのか、その全部はまだ教えてもらえないけれど、それを知ったからといって、エリオお兄ちゃんがエリオお兄ちゃんでなくなるわけではない。
騎士だと分かる前から一緒に歩いてきたし、危ない時には守ってくれた。知らない町では少し離れたところから見ていてくれたし、困れば手を貸してくれた。
時々頼りないことを言うし、アリアやルカにからかわれることもある。それなのに、本当に危ない時には必ずそばにいる。
今まで、それを全部「エリオお兄ちゃんだから」と思っていた。
そこへ今日、「騎士だから」という理由が一つ増えただけなのかもしれない。
それなら、アリアには何も困ることはなかった。
◇
その夜。
アリアたちが休む部屋へ戻ったあと、エリオは宿の主人に騎士団へ送る連絡について確認していた。
「明日の朝には出せます」
「助かります」
「お急ぎで?」
「まあ、それなりに」
必要なことを聞き終えると、主人は一礼して部屋を出ていった。
エリオは用意してもらった小さな机へ向かい、紙を広げてペンを取った。
あとは書くだけだ。
報告しなければならないこと自体は、それほど多くない。
アリアたちは無事で、旅程にも大きな問題はなく、目的地も変わらずミレア湖。そこだけ書けば、いつもと大して変わらない報告になるはずだった。
問題は、その間に起きたことだった。
本来なら昨日、予定していた路線馬車へ乗って町を出ているはずだった。
ところが街道で倒れている御者を見つけたため、一度町へ戻ることになった。
その御者が乗せていたのが、元グランヴェル辺境伯夫人だった。
そして、その結果。
現在、自分たちはグランヴェル家の馬車へ乗せてもらい、元辺境伯夫人本人と一緒にミレア湖へ向かっている。
「…………」
そこまで頭の中で並べたところで、エリオはペンを持ったまま額を押さえた。
「絶対、何やってるって言われるな……」
自分は何もしていない。
御者を見つけたのは偶然だし、助けようと言ったのもアリアたちだ。セレフィナの馬車へ乗ることを決めたのだって、エリオではない。
それなのに、こうして順番に並べると、どうしてこんなことになったのか自分でも少し分からなくなる。
けれど、どこをどう書き換えても事実は変わらない。
エリオは諦めてペンを動かし、まず現在地とアリアたちに異常がないことを書いた。それから、予定より一日遅れて宿場町を出たこと、その後はグランヴェル家の一行と同行していること、目的地は変わらずミレア湖であることを、できるだけ余計な説明を入れずに記していく。
書けば書くほど、簡潔な報告になった。
けれど、その簡潔な文章の中に「グランヴェル家の一行と同行中」という一文が入っているだけで、どうにも普通の報告には見えない。
最後まで書き終えたエリオは一度紙を置き、最初から読み返した。
間違っているところはない。
大げさに書いたところもなく、もちろん嘘など一つも書いていない。
「……俺、何もしてないんだけどな」
それなのに、紙を見れば見るほど、どうしてこうなった、という言葉だけが頭へ浮かんでくる。
エリオはもう考えるのをやめ、手紙を折って封をした。
最後に宛先を書く。
シリル・ローウェル。
そこまで書いてから、エリオはしばらくその名前を眺めた。
団長なら、読めば事情は分かってくれるだろう。
たぶん。
「……まあ、読めば分かるか」
そう呟いたものの、シリルがこの報告を読んだ時の顔を想像すると、なぜか急に自信がなくなってきた。
「……たぶん」
自分で書いた報告なのに、その一言だけは最後まで確信が持てなかった。
★お読みいただきありがとうございます★
お盆休みも終わりますね。皆様どの様にお過ごしでしたでしょうか?
私の職場ではお盆休みが無いのでちょっとだけ羨ましい。
明日からは1日1話更新になります。
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