第64話 予定のない一日
倒れた御者を宿場町まで運び終えた頃には、朝から続いていた慌ただしさも、ようやく少し落ち着いていた。
御者はそのまま、昨夜アリアたちが泊まった宿の一室で休むことになった。医者からは、今日は絶対に馬車を操わないこと。食事をきちんと取り、何よりよく眠ること、と念を押されている。
アリアが部屋を覗くと、さっきまで街道で意識を失っていた男は、もう寝台へ身体を起こせるくらいには回復していた。
「今日はお休みなんだね」
安心してそう言うと、御者はどこか申し訳なさそうに笑った。
「面目ありません。皆様の予定を遅らせてしまいました」
「なんで?」
アリアには、その謝る理由の方が分からなかった。
「だって、おじさん具合悪いんでしょ?」
「ええ」
「じゃあ、寝てないとだめだよ」
「ですが……」
「また倒れたら、もっと困るよ?」
言われた御者が、一瞬黙った。
アリアとしては、ごく当たり前のことを言ったつもりだった。具合が悪いなら休む。元気になってから動けばいい。それだけの話だ。
「ちゃんと寝てね」
「……分かりました」
ようやく返事が返ってきて、アリアは満足そうにうなずいた。
そのやり取りを少し後ろから見ていた赤髪の女性が、口元へ手を添えて小さく笑う。
「では、私からもお願いしましょう。今日は何も考えずにお休みなさい」
「奥様……」
「明日のことは、明日考えればよろしいのです」
「ですが、代わりの御者がまだ……」
「もう手配させています」
あまりにも迷いのない返事だったため、御者の方が言葉を止めた。
「……早いですね」
「あなたが心配することではありません」
「はい」
それだけで話が終わった。
アリアは目を瞬きながら、御者と赤髪の女性を交互に見る。
「おばあちゃん」
「なあに?」
「強いね」
「まあ」
女性の太い眉が、少しだけ持ち上がった。
「どのあたりが?」
アリアは少し考えた。
「おばあちゃんが言ったら、みんな『分かりました』って言う」
「…………」
ルカがさっと顔を背けた。
エリオも咳払いをしながら口元を押さえている。
ノルンだけは、いつもと変わらない顔で立っていた。
「そうかしら?」
「うん!」
「アリア」
隣からルカに小声で呼ばれる。
「なに?」
「たぶん、それ以上は言わない方がいいよ」
「なんで?」
「……なんとなく」
「またなんとなく?」
アリアが不思議そうに首を傾げたところで、赤髪の女性がとうとう声を上げて笑った。
◇
御者の部屋を出ると、アリアは廊下で大きく伸びをした。
朝起きた時には、いつものように飛行訓練をして、宿へ戻ったら八時の路線馬車へ乗り、夕方にはまた別の町へ着くつもりだった。
ところが今、その八時の馬車はとっくに自分たちを置いて出てしまっている。
明日の朝までは、もう乗る馬車もない。
アリアはしばらく廊下に立ったまま、そのことを考えた。
「……今日は、どこにも行かないんだね」
「そうだね」
ルカが答える。
「じゃあ、お部屋戻ろっか」
「うん」
それなら少しくらい、ゆっくりしてもいいかもしれない。
昨日は町へ着くなり宿を探すことばかり考えていたし、今朝からはずっと走り回っていた。お昼まで部屋でごろごろするのも、何だか少し楽しそうだ。
「じゃあ、おばあちゃん。また明日ね!」
アリアが手を振って歩き出しかける。
「どちらへ行くの?」
すぐ後ろから声がした。
「?」
振り返る。
「お部屋」
「なぜ?」
「……?」
今度はアリアが首を傾げた。
「お部屋だから?」
「そうではなくて」
女性は少しおかしそうに笑った。
「もうすぐお昼でしょう?」
「あ」
言われて初めて、アリアはお腹の辺りへ意識を向けた。
朝から走り回っていたせいか、確かに少し空いている。
「でしたら、ご一緒しましょう」
「お昼?」
「ええ」
アリアはルカを見る。
ルカもアリアを見る。
「……ごはんだって」
「聞こえてたよ」
「食べる?」
「まあ、食べるけど」
「じゃあ食べよう!」
「決まるの早いなぁ」
アリアの中では、それで話は終わった。
けれど少し離れたところにいたエリオが、自分の荷物へ手を伸ばそうとしたところで、アリアが気づく。
「エリオお兄ちゃんも!」
「俺も?」
「もちろんです」
答えたのは赤髪の女性だった。
エリオが、ほんの少し困った顔をする。
「いや、俺は自分で適当に食べますから」
「私がお礼をしたいのです」
「でも」
「何かご予定が?」
「……ないですけど」
「では問題ありませんね」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間、アリアは妙な既視感を覚えた。
さっきも聞いた。
昨日も聞いた気がする。
では問題ありませんね。
どういうわけか、このおばあちゃんがそう言うと、そこで本当に話が決まる。
「エリオお兄ちゃん」
「なんだ」
「ごはんだよ」
「分かってるよ」
どこか諦めたような返事が返ってきた。
◇
昼食は宿の食堂ではなく、別の小さな部屋へ用意されていた。
昨日までなら気にも留めなかっただろうけれど、初めて宿屋へ泊まったばかりのアリアには、それも不思議だった。
「ここで食べるの?」
「ええ」
「昨日はあっちだったよ?」
アリアが食堂の方を指すと、女性は卓へ着きながら答えた。
「今日は少し人数が多いでしょう? 落ち着いて食べられるよう、こちらへお願いしたの」
「そっか」
それなら分かる。
アリアも椅子へ座った。
ところが、そのあと料理が運ばれてくるたび、今度は別の意味で目を丸くすることになった。
焼いた肉や温かな野菜のスープ、大きな籠へ入ったパンに魚料理、じっくり煮込まれた野菜が次々と卓へ並び、最後には色とりどりの果物まで運ばれてきた。
アリアは皿から皿へ忙しく視線を動かした。
「……多い」
「足りないかしら?」
「逆!」
思わず両手を振る。
「お昼って、こんなに食べるの?」
「好きなものをお食べなさい」
「全部好きだったら?」
「全部お食べなさい」
「!」
アリアの顔が輝いた。
「おばあちゃん、すごい!」
「アリア……」
隣でルカが額を押さえる。
「なに?」
「いや。もういい」
その向こうでは、マルルがまったく別のものへ集中していた。
魚料理だ。
長い耳がぴんと立ち、視線が皿から一度も離れない。
「お魚なの……」
「マルル」
「見るだけなの」
「ほんと?」
「…………食べてもいいなの?」
「聞いてみたら?」
マルルは少しだけ姿勢を正し、赤髪の女性を見る。
「お魚、食べてもいいなの?」
「もちろん」
「大好きなの!」
一瞬で耳が跳ねた。
「まあ。あなたはお魚が好きなのね」
「大好きなの!」
「そう」
女性は近くに控えていた従者へ視線を向ける。
「この子にも魚を」
「かしこまりました」
「…………!」
マルルが固まった。
「マルル」
アリアが小声で呼ぶ。
「なになの?」
「お魚くれるって」
「聞こえたなの……」
「よかったね」
「……このおばあちゃん、すごいなの」
「でしょ?」
二人で顔を寄せてこそこそ話していると。
「聞こえていますよ」
「!」
アリアとマルルが同時に顔を上げた。
赤髪の女性は、楽しそうに笑っていた。
◇
食事が始まってしばらくすると、女性はパンを一口大に切りながら、向かいに座っているアリアへ目を向けた。
「ところで、アリア」
「ん?」
「今朝のあれは、いつからできるの?」
「あれ?」
「空を飛んでいたでしょう?」
「ああ!」
アリアは持っていたパンを皿へ戻した。
「まだそんなに上手じゃないよ」
「十分に飛んでいたように見えましたけれど」
「真っ直ぐなら飛べるよ!」
「曲がるのは?」
「練習中!」
「止まるのは?」
「できる!」
「高く飛ぶのは?」
「まだだめ」
「なぜ?」
「危ないから」
「まあ」
女性が少し意外そうに目を瞬いた。
「ちゃんと危ないことは分かっているのね」
「分かってるよ!」
アリアは胸を張る。
「ノルンが教えてくれるもん」
「そう」
今度はノルンへ視線が移る。
「あなたが先生なのね」
「一応は」
「一応?」
女性が聞き返すと、ノルンは少しだけ考えてから答えた。
「アリアは時々、教えた以上のことを自分で試そうとしますので」
「しないよ!」
「します」
「ちょっとだけ!」
「それを、すると言うのです」
「…………」
反論できなくなったアリアは、何も言わずパンをちぎった。
その様子が面白かったのか、女性の目元がまた少し柔らかくなる。
「では、ルカは?」
「僕?」
「あなたはどうして猫になれるの?」
ルカの眉がぴくりと動いた。
「猫じゃなくて、ラグドールです」
「あら。種類があるの?」
「ありますよ!」
そこはどうやら譲れないらしい。
「ラグドールなんです」
「分かりました。ラグドールね」
「はい」
「それで、どうしてラグドールになれるの?」
「…………」
今度はルカが止まった。
考えてみれば、自分がどうして変身できるのかを人へ説明したことなどほとんどない。
「どうしてって言われても……」
その横で、アリアまで首を傾げた。
「ルカだから?」
「アリアまでノルンみたいなこと言わないでよ!」
「だってルカだもん」
「説明になってないよ!」
「でも、なるよ?」
「なるけど!」
とうとう赤髪の女性が声を上げて笑った。
最初に会った時には、少し近寄りがたい人なのかと思った。
けれど一緒にいるうちに、アリアは少しずつ印象を変えていた。
このおばあちゃんは、よく笑う。
しかも、アリアたちがいつも通りに話しているだけなのに、なぜかとても楽しそうに笑う人だった。
「それで」
今度はアリアの方から尋ねた。
「おばあちゃんは、なんでミレア湖に行くの?」
「私?」
「うん」
女性は少しだけ考えたあと、ふっと表情を和らげた。
「好きだからよ」
「湖が?」
「ええ」
「そんなに?」
「とても」
その答えだけは、今までとは少し声が違った。
「湖のほとりに、私の家の別邸があるの。そこから見る景色が、とても綺麗なのよ」
「どんな?」
「朝は湖の水面に空が映るの。風のない日は、水と空の境目がどこなのか分からなくなるくらい」
アリアは目を大きくした。
「水に空があるの?」
「そう見えるの」
「見たい!」
「見られますよ」
「ほんと?」
「あなたもミレア湖へ行くのでしょう?」
「あ」
そこでようやく気づいた。
「そっか!」
自分もそこへ行くのだ。
欠片を探すために。
まだ名前しか知らない湖へ。
「じゃあ見られる!」
「ええ」
「楽しみ!」
アリアが嬉しそうに笑うと、女性もなぜかそれ以上に嬉しそうな顔をした。
◇
昼食を食べ終え、宿の入口まで戻る頃には、アリアのお腹はすっかりいっぱいになっていた。
「ふぅ……」
小さな手でお腹を撫でる。
「食べすぎなんだよ」
「ルカも食べてたよ」
「アリアほどじゃない」
「マルルもいっぱい食べたなの」
「マルルは魚ばっかりだったじゃん」
「お魚は別なの」
「何が別なの?」
「お魚なの」
「答えになってないよ」
いつものやり取りをしながら外を見ると、まだ昼を少し回ったばかりだった。
今日は馬車に乗らない。
宿へ戻って寝るには、まだ早すぎる。
「ねえ、ルカ」
「なに?」
「町、見に行かない?」
「いいけど」
「昨日、全然見てないもん」
「そうだね」
昨日この町へ着いた時には、宿を取ることしか考えていなかった。
今日は急ぐ必要もない。
「ノルンも行こう!」
「はい」
話がまとまり、アリアが扉へ向かおうとすると。
「では、私も参りましょう」
足が止まった。
「おばあちゃんも?」
「ええ」
「町見るの?」
「少し歩きたくなりました」
「じゃあ一緒!」
「ええ」
アリアにとっては、それで何の問題もなかった。
けれどルカは少しだけ女性とアリアを見比べ、小声で呟く。
「……ずっと一緒だね」
「うん!」
アリアはまったく気にしていなかった。
そして少し離れた場所で、今日は自分の時間にしようとしていたエリオへ、女性が当然のように顔を向ける。
「あなたも行くでしょう?」
「……俺もですか」
「何かご予定が?」
「…………ありません」
「では問題ありませんね」
「またそれか……」
「何か?」
「いえ」
結局、全員で宿場町へ出ることになった。
◇
急ぐ必要のない目で見ると、昨日の宿場町はまるで別の場所のようだった。
昨日は宿の看板と空き部屋のことしか頭に入ってこなかったのに、今日は通りの両側に並ぶ店がいくつも目に入る。
「あれ何?」
「道具屋じゃない?」
「こっちは?」
「布屋さんですね」
「あ!」
アリアが急に立ち止まった。
「お菓子!」
「見つけるの早いなぁ」
店先に並んだ焼き菓子を、アリアはじっと見つめる。
「…………」
「食べるの?」
「お腹いっぱい」
「じゃあ、なんで見てるの」
「見てもいいでしょ?」
「いいけど」
そこへ赤髪の女性も並んだ。
「欲しいの?」
「今はいらない」
「あら」
「お腹いっぱいだから」
「あとで食べればいいでしょう?」
「!」
アリアは勢いよく女性を見た。
そんな方法があるとは思わなかった。
「おばあちゃん、頭いい!」
「そうでしょう?」
「いや、普通だから」
ルカが横からすぐに突っ込む。
結局アリアは、小さな焼き菓子を一つだけ買うことにした。
女性が代金を払おうとしたが、アリアはすぐに首を振る。
「これは、わたしが買う!」
「どうして?」
「自分で買えるもん」
アリアは小さな巾着を取り出した。
昨日、自分で串焼きを買った時と同じ財布だ。
店の人から値段を聞き、銅貨を一枚ずつ掌へ並べる。
「ひとつ……ふたつ……」
間違えないよう、昨日よりも少しだけ慎重に数えていく。
女性は何も言わず、その様子を見ていた。
「これで合ってる?」
「うん。ちょうどだよ」
「やった!」
焼き菓子を受け取ると、アリアは自分で買ったそれを大事そうに白いポシェットへしまった。
「あとで食べる!」
「そう」
赤髪の女性は、そんなアリアを眺めながら微笑んだ。
「自分で買ったものは、きっと美味しいでしょうね」
「うん!」
まだ食べてもいないのに、アリアは自信いっぱいに答えた。
◇
町を歩いているうちに、アリアは少しずつ妙なことへ気づき始めた。
赤髪の女性が歩いていると、向こうから来た人がほんの少し早めに脇へ寄る。店へ入れば、さっきまで客と気軽に話していた店主が急に背筋を伸ばし、彼女が何かを頼むより先に従者が動くこともあった。
一度や二度なら気のせいだと思ったかもしれない。
けれど何軒か店を見て歩く間にも同じことが続き、ときには女性の顔を見た町の人が、一瞬驚いたような顔をしてから丁寧に頭を下げる。
さすがのアリアにも、それが少し気になった。
「ねえ、ルカ」
「なに?」
少し声を落とす。
「おばあちゃんって、有名なのかな」
「……僕も思ってた」
「やっぱり?」
「うん」
二人は少し前を歩いている女性の背中を見る。
きれいにまとめられた赤い髪。
太い眉。
年齢を感じさせない、しゃんと伸びた背筋。
「聞いてみる?」
「やめた方がいいんじゃない?」
「なんで?」
「なんとなく」
「また、なんとなく?」
「こういう時のなんとなくは大事なんだよ」
「そうなの?」
「たぶん」
「ルカも分かってないじゃん」
「分かってなくても大事な時はあるんだよ」
そんな二人より少し後ろで、エリオは別の意味で女性を見ていた。
朝から何度も感じていた違和感が、町を歩くうちに少しずつ一つにつながり始めている。
上品な話し方だけではない。何人もの従者を連れ、立派な馬車で旅をし、湖畔に別邸を持っている。しかも、この辺りの人間は彼女を見ると自然に道を譲り、店主まで姿勢を正す。
そして、あの赤い髪と特徴的な眉。
エリオは記憶の中にある人物を思い浮かべかけ、すぐに打ち消した。
「……まさかな」
思わず漏れた声を、アリアが聞きつけた。
「エリオお兄ちゃん?」
「ん?」
「何か言った?」
「いや」
「そう?」
「ああ」
まだ確信はない。
エリオはそれ以上、何も言わなかった。
◇
夕方になって宿へ戻る頃には、アリアはすっかり歩き疲れていた。
「じゃあ、また明日ね!」
赤髪の女性へ元気よく手を振る。
けれど。
「何を言っているの?」
「え?」
「夕食がまだでしょう?」
「…………」
アリアがルカを見る。
ルカもアリアを見る。
「一緒?」
「もちろん」
女性は当たり前のように答えた。
「エリオお兄ちゃんも?」
「もちろんです」
今度は誰もエリオを見なかった。
少し間があって。
「……はい」
本人だけが静かに答えた。
アリアは首を傾げる。
「エリオお兄ちゃん」
「なんだ」
「諦めた?」
「何を?」
「分かんない」
「じゃあ聞くなよ」
赤髪の女性が、また楽しそうに笑った。
◇
その夜。
ようやく自分たちの部屋へ戻ると、アリアは寝台へ身体を倒した。
「ふぅー」
朝は、いつものように飛行訓練へ行っただけだった。
そのあと宿へ戻って、八時の馬車へ乗るはずだったのに。
気づけば人を助けるために町と街道を往復し、路線馬車には乗り遅れ、名前も知らないおばあちゃんと昼も夜も一緒にごはんを食べ、町まで歩き回っていた。
思い返すと、本当に朝考えていたことが一つもその通りになっていない。
ルカも隣の寝台へ腰を下ろし、靴を脱ぎながらアリアを見る。
「アリア」
「なに?」
「今日さ」
「うん」
「ほとんど、あのおばあさんと一緒だったね」
「うん!」
元気よく返事が返ってきた。
「明日から馬車も一緒なんだよね」
「うん!」
「……アリア」
「なに?」
ルカは少し考えてから、ようやく聞いた。
「あのおばあさんに、すごく気に入られてない?」
アリアが寝台から顔を上げる。
「わたしが?」
「うん」
「なんで?」
「なんでって……」
今度はルカが困った。
「ずっと一緒だったし、ごはんも一緒だったし、町も一緒に歩いたし」
「ルカも一緒だったよ?」
「そうだけど」
「ノルンも」
「うん」
「マルルも」
「なの!」
「エリオお兄ちゃんも」
「それはそうなんだけど……」
説明しようとするほど、自分でもよく分からなくなってくる。
アリアには、もっと分からなかった。
ただ。
「わたしも、おばあちゃん好きだよ」
そう言って笑った。
「面白いもん」
「そこなんだ……」
「あと、ごはんいっぱいくれる」
「そこもなんだ……」
「マルルも好きなの!」
「魚もらったからでしょ」
「大好きなの!」
少し離れた寝台から、ノルンの笑う声が聞こえた。
アリアは毛布の中へ身体を潜り込ませる。
本当なら、今頃はもう別の町にいたはずだった。
名前も知らないおばあちゃんとも、朝の街道ですれ違っただけだったかもしれない。
それなのに今は。
明日の朝、あの人の大きな馬車へ乗ることになっている。
アリアは毛布の中で少しだけ目を開けた。
「……へんなの」
「何が?」
「朝は路線馬車に乗ると思ってたのに、明日はおばあちゃんの馬車だよ」
「そうだね」
「全然違うね」
「うん」
アリアはしばらく天井を見ていた。
予定通りにはならなかった。
それでも、今日一日が嫌だったかと聞かれたら、そんなことはない。
御者のおじさんは元気になったし。
おばあちゃんとたくさん話した。
自分で焼き菓子も買えた。
ミレア湖の綺麗な景色の話も聞いた。
「楽しかったね」
ぽつりと言うと、ルカも少し笑った。
「まあね」
「明日は、あの大きい馬車!」
「やっぱり楽しみなんだ」
「うん!」
アリアは今度こそ目を閉じた。
明日はどんなふうに走るのだろう。
中はどれくらい広いのだろう。
おばあちゃんは、また一緒にごはんを食べるのだろうか。
考えているうちに、眠気が少しずつ近づいてくる。
朝にはなかった予定が、今では明日の楽しみになっていた。
そんなこともあるんだな、とぼんやり思いながら。
アリアは、いつの間にか眠りへ落ちていった。




