第63話 乗り遅れた馬車
それから一日、アリアたちはまた路線馬車に揺られて知らない町へ着き、今度は昨日ほど戸惑うこともなく、自分たちで今夜泊まる宿を探した。
宿へ入ったら、まず部屋が空いているか聞く。
泊まる場所が決まったら、明日の馬車が何時に出るのか確かめる。
休憩所では時間までに戻る。
昨日まで一つ一つ教えてもらわなければ分からなかったことが、少しずつ「旅をするときにすること」へ変わり始めていた。
そして翌朝。
朝食を済ませたアリアたちは、今日も宿場町の外へ出ていた。
「ほんとに今日もやるんだね」
まだ少し眠そうなルカの声を聞きながら、アリアは嬉しそうに空を見上げた。
「毎日やるって決めたもん!」
背中の小さな羽へ光が重なり、いつもより大きな翼へ広がっていく。
昨日とは違う町で、昨日とは違う空だった。
宿の周りに並ぶ建物も、少し離れた街道も、地面に生えている草も違う。何より、頬へ触れる朝の風が昨日より少し強かった。
アリアはすぐには飛び上がらず、ノルンに教えてもらった通り、髪の流れる向きや服へ当たる風を確かめてから地面を蹴った。
ふわりと身体が浮く。
横から風が押してきたものの、昨日のように慌てて力で戻そうとはしなかった。身体を少し傾け、流れていく風の中で自分の位置を探してみる。
「昨日より流されない!」
嬉しくなって下へ声を掛けると、ノルンがこちらを見上げていた。
「上手になっています。でも、まだ油断してはいけませんよ」
「分かってる!」
返事をしながら少し高度を下げる。
地上では、人の姿から大きなラグドールへ変わったルカが待っていた。
「行くよ、ルカ!」
『うん!』
アリアが低いところを飛び始めると、その下をルカが一気に駆け出した。
速くなれば、ルカも速くなる。
少し速度を落とせば、隣へ並ぶ。
今度はルカが先へ出て、アリアが追いかける。
グラナを離れ、知らない宿へ泊まり、毎日違う町を通るようになっても、朝になればこうして飛ぶ。
昨日覚えたことを、今日の風の中でも試してみる。
旅を始める前には考えたこともなかったけれど、場所が変わるたびに違う風の中で飛べることが、今では少し楽しくなっていた。
「アリア。そろそろ戻りましょう」
ノルンの声が聞こえ、アリアは空の上から顔を向けた。
「はーい!」
今日は八時の路線馬車に乗る。
時間になれば馬車は待ってくれない。それは、路線馬車に乗り始めた日に教わったばかりだった。
ちゃんと戻らなければ。
アリアはゆっくり地面へ降り、大きく広がっていた光の翼が、いつもの小さな羽へ戻っていくのを確かめた。
その隣ではルカも人の姿へ戻っている。
「今日も飛べた!」
「毎日飛んでるじゃん」
「でも、知らないところで飛んだよ!」
「昨日も知らないところだっただろ」
「あ」
言われて気づいたアリアは、それでも満足そうに笑った。
宿へ戻って荷物を受け取れば、今日も八時の路線馬車へ乗る。
また知らない町へ向かう。
少しずつ慣れてきた路線馬車の旅を、今日も同じように続ける。
そのはずだった。
◇
宿場町へ戻る街道を歩いている途中で、アリアはふと足を止めた。
「……あれ?」
「どうしました?」
ノルンに聞かれ、アリアは街道の先を指差した。
「あそこ」
少し先の道端に、一台の馬車が止まっている。
昨日から何台も路線馬車や荷馬車を見てきたけれど、それらとはずいぶん違う馬車だった。
車体は大きく、造りもしっかりしている。旅の埃こそついているものの、馬も馬具もよく手入れされ、積まれている荷物もきちんとまとめられていた。
けれど、アリアが気になったのは立派な馬車そのものではなかった。
宿場町は、もうすぐそこだ。
休むだけなら、わざわざ町の手前で止まる必要はない。
それなのに、馬車の周りでは何人もの人が慌ただしく動いていた。
「何かあったのかな」
気づけば、アリアの足はそちらへ向いていた。
「アリア」
後ろからルカに呼ばれたものの、立ち止まる気にはなれなかった。
「ちょっと見るだけ!」
近づくにつれて、人々の声がはっきり聞こえてくる。
「しっかりしてください!」
「水を持ってきて!」
「誰か町へ知らせに行けないか!」
その言葉を聞いた途端、アリアは歩くのをやめて駆け出した。
「どうしたの!?」
馬車の前へ回り込むと、一人の年配の男が地面へ横たわっていた。
目を閉じたまま動かない。
近くにいた人が肩を支え、別の者が濡らした布を額へ当てている。
さっきまで朝の空を飛んでいた時の楽しさが、一瞬で消えた。
「おじさん?」
アリアは少し近づいて呼んでみた。
返事はなかった。
「御者が突然倒れてしまったのです」
そばにいた女性が、不安そうな顔で答えた。
「少し前まで普通に馬車を操っていたのですが、急に具合が悪いと言い出して、そのまま……」
「お医者さんは?」
「この辺りにはいません。宿場町まで戻らなければ」
アリアはすぐに振り返った。
ついさっき自分たちが出てきた町が、街道の向こうに見えている。
遠くない。
歩いて戻るより。
「ルカ」
呼ぶと、ルカもすでに分かったように頷いた。
「うん」
「わたしたち、お医者さん呼んでくる!」
「え?」
馬車の人たちが驚いたようにこちらを見る。
けれどアリアはもう、ノルンへ顔を向けていた。
「ノルン、ここにいてくれる?」
「はい。こちらは任せてください」
「行こう、ルカ!」
「うん!」
アリアの背中で、さっき小さく戻ったばかりの羽へもう一度光が集まった。
白い光が重なり、大きな翼へ広がっていく。
その様子を見ていた馬車の人々の間から、戸惑ったような声が漏れた。
「……え?」
ほとんど同時に、ルカのチョーカーも金色に光った。
人の姿が白い光へ包まれ、身体の輪郭が大きく変わっていく。
光が消えた時、そこにはアリアが背へ乗れるほど大きなラグドールが立っていた。
「…………猫?」
誰かが呟いた。
けれどアリアにもルカにも、今はその反応を気にしている余裕がなかった。
「ルカ、行くよ!」
『分かってる! アリア、あんまり高く飛ばないでよ!』
「うん!」
「…………喋った?」
また誰かの声がした。
アリアはそのまま地面を蹴った。
高く上がる必要はない。
街道に沿って、道を見失わない高さを飛ぶ。
下ではルカが一気に駆け出した。
「ルカ、もっと速くても大丈夫!」
『アリアこそ前見て!』
「見てるよ!」
朝の練習では風を感じながら飛ぶことを考えていた。
けれど今は、そんなことを一つずつ考えている暇もない。
それでも身体は、さっきまで練習していたことを覚えていた。
横から風が来れば少し身体を傾ける。
速度が上がっても、慌てて力を入れすぎない。
街道から離れず、ルカの位置を確かめながら飛ぶ。
毎朝続けてきたことが、誰かのために急いでいる今も役に立っている。
アリアはそんなことを考える余裕さえないまま、ルカと並んで宿場町へ向かって飛んでいった。
その姿があっという間に遠ざかっていくのを、馬車の一行はしばらく呆然と見送っていた。
その中に、一人の年配の女性がいた。
きれいにまとめられた赤い髪に、上品な旅装。年齢を重ねてはいるものの背筋は真っ直ぐに伸び、何より意志の強さを感じさせる太い眉が印象的な女性だった。
女性は街道の先へ小さくなっていくアリアとルカを眺めたあと、ゆっくりノルンへ顔を向ける。
「……あの子、飛びましたわね?」
「はい」
「それから、もう一人は猫になりましたわね?」
「はい」
「その猫が、喋りましたわね?」
「ルカですから」
「…………そう」
女性はしばらくノルンを見つめた。
説明されたような、何も説明されていないような気がする。
けれどノルンがあまりにも普通に答えるので、これ以上何を聞けばいいのか分からなくなったらしい。
女性はもう一度、アリアたちが消えた街道へ目を向けた。
「ずいぶん不思議な子たちね」
そう呟いた声には、心配の中にもほんの少しだけ楽しそうな響きが混じっていた。
◇
「エリオお兄ちゃーん!」
宿場町へ戻るなり、アリアは空から大きな声で呼んだ。
宿の前に立っていたエリオが、何事かと顔を上げる。
「ん?」
「エリオお兄ちゃん!」
「アリア?」
すでに旅支度を終え、そろそろ乗り場へ向かおうとしていたのだろう。
その目の前へアリアが降り立ち、少し遅れて大きなラグドール姿のルカも駆け込んでくる。
「どうした?」
「大変なの!」
『人が倒れた!』
ルカも言いながら人の姿へ戻る。
さっきまで少し驚いていたエリオの表情が、すぐに変わった。
「どこだ?」
「街道! ここからそんなに遠くないところ!」
「大きな馬車の御者さんが倒れたんだ。呼んでも返事がなくて」
「医者は?」
「だから呼びに来たの!」
「分かった」
それだけ聞くと、エリオはすぐに宿へ戻った。
アリアたちもあとを追い、宿の主人へ事情を話す。
町に医者がいることは分かった。
場所を聞いたエリオが先に動き、アリアとルカも一緒に走る。
朝の馬車の時間が近づいていることを、この時のアリアはすっかり忘れていた。
頭の中にあるのは、道端へ倒れていた御者の顔だけだった。
◇
医者を連れて街道へ戻ると、ノルンはまだ御者のそばにいた。
アリアはすぐに駆け寄りたくなったけれど、診察の邪魔をしてはいけないと思い直し、少し離れた場所で止まった。
医者が御者の身体を診ている。
脈を確認し、呼びかけ、周囲の人たちから倒れる前の様子を聞いている。
アリアは黙って待っていた。
けれど、じっとしているつもりなのに、何度もそちらへ目が向いてしまう。
「大丈夫かな」
小さく呟くと、隣にいたルカも同じ方を見た。
「お医者さんが来たんだから、今は待とう」
「うん……」
そうするしかない。
分かっているけれど、返事をしなかった御者の顔を思い出すたび、胸の奥が落ち着かなかった。
ノルンもアリアのそばへ戻り、エリオも少し離れたところから黙って様子を見ている。
やがて診察を終えた医者が立ち上がった。
「命に関わるような状態ではありません」
「ほんと!?」
考えるより先に声が出た。
「ああ。ただ、かなり疲れが溜まっているようだ。今日はもう馬車を操らせない方がいい。しっかり休ませてやってください」
「よかったぁ……」
その言葉を聞いた途端、アリアはようやく肩の力を抜いた。
倒れていた御者にも少しずつ意識が戻り、周りの人たちの表情にも安堵が広がっている。
これなら大丈夫。
そう思っていた時だった。
「ありがとう」
すぐ近くから声を掛けられ、アリアは顔を上げた。
そこにいたのは、先ほどノルンと話していた赤い髪の女性だった。
「あなたたちのおかげで、すぐにお医者様へ診ていただくことができました」
「わたしたちだけじゃないよ」
アリアは反射的に首を横へ振った。
「ノルンがずっとおじさんのところにいてくれたし、ルカも一緒に町まで戻ってくれたの。それからエリオお兄ちゃんがお医者さんにちゃんと話してくれたよ」
「そう」
女性はアリアの言葉を聞き終えると、ノルンとルカへ順番に目を向けた。
それから最後にエリオを見る。
「あなたも、ありがとうございました」
きちんと頭まで下げられ、エリオの方が少し戸惑った。
「いや。俺は大したことしてませんよ」
「大したことかどうかは、助けられた側が決めるものです」
「…………」
エリオが珍しく言葉に詰まった。
アリアはそんな二人を交互に見上げた。
優しそうな人だと思う。
笑うと柔らかい。
でも、何となく。
言われたら逆らいにくそうな人でもあった。
どうしてそんな感じがするのか分からず、アリアは少しだけ首を傾げた。
◇
御者は宿場町まで運び、今日はそのまま休ませることになった。
馬車の人たちも一緒に町へ戻ることが決まり、アリアはようやく、これで大丈夫なのだと安心した。
そして。
そこで初めて。
「あれ?」
何かを忘れている気がした。
「どうしたの?」
ルカに聞かれ、アリアは町の方を見る。
さっきまで、何か大事なことがあった。
朝。
宿。
荷物。
それから。
「ルカ」
「なに?」
「馬車は?」
「…………」
ルカの表情も止まった。
二人はしばらく顔を見合わせる。
その横で、エリオが小さく息を吐いた。
「もう出たよ」
「…………え?」
「八時の路線馬車」
アリアの目が大きくなった。
「出たの!?」
「出た」
「待ってくれなかったの!?」
「路線馬車に乗り始めた日に、自分で聞いただろ。時間になったら出るって」
「…………ほんとに出るんだ」
「だから路線馬車なんだよ」
あの時は、乗客から教えてもらっただけだった。
時間になったら出る。
待ってくれない。
分かったつもりでいた。
けれど今、乗り場にはもう馬車がいない。
本当に自分たちを置いたまま行ってしまったのだと思うと、アリアは呆然と町の方を見つめた。
そこで、もう一つ気づく。
「エリオお兄ちゃんは?」
「乗ってない」
「なんで?」
「お前らが戻ってこなかったから」
「…………」
アリアは瞬きをした。
自分たちは御者を助けるために走っていた。
けれどエリオは、そのせいで馬車に乗れなかったわけではない。
乗ろうと思えば、乗れたはずだ。
「待っててくれたの?」
「まあな」
「でも、お仕事は?」
「……それは何とかする」
その返事を聞くと、さっき馬車へ乗り遅れたと知った時よりも、胸がきゅっとした。
「ごめんなさい」
「だから謝るなって」
エリオの手が伸び、アリアの頭へ軽く触れる。
「人が倒れてたんだ。放ってこられなかったんだろ?」
「うん」
「だったら、それでいい」
アリアは少し俯いた。
御者を助けに行ったことは、少しも後悔していない。
もし同じことがあったら、たぶんまた走る。
けれど自分が走ったことで、エリオまで予定を変えることになった。
自分だけのことではないのだ。
そう思うと、これまでとは少し違う重さがあった。
「明日の馬車に乗れるかな」
「今日はもう長距離便がないから、それしかないだろうな」
「今度こそ遅れない」
「頼むよ」
「絶対!」
今度は本当に時間を忘れない。
アリアがそう決めた、その時だった。
「ちょっとお待ちなさい」
赤い髪の女性が、会話へ入ってきた。
アリアが顔を上げる。
「?」
「今のお話ですけれど」
女性はアリアたちを順番に見た。
「あなたたち、私どもを助けるために、乗るはずだった馬車へ乗り遅れたの?」
「うん。たぶん」
「たぶんじゃないよ」
すぐにルカから訂正される。
「まあ……」
女性の太い眉が、きゅっと寄った。
「それでは困ります」
「困る?」
「ええ。大変困ります」
ぴしゃりと言われたものの、アリアには何が困るのか分からなかった。
「でも、明日の馬車に乗るよ?」
「そういう問題ではありません」
「違うの?」
「違います」
迷いのない返事だった。
やっぱり何となく逆らいにくい。
アリアが首を傾げていると、女性は少し考えるようにこちらを見た。
「あなたたちは、どちらへ向かっているの?」
「ミレア湖!」
今度はアリアが迷わず答えた。
すると、それまで少し厳しそうだった女性の顔が変わった。
「ミレア湖?」
「うん。探し物があるの!」
「まあ」
女性の表情が、ぱっと明るくなる。
「それはちょうどいいわ」
「?」
「私もミレア湖へ参りますのよ」
「ほんと!?」
「ええ。湖畔に別邸がありましてね。毎年この時期は、そこでしばらく過ごすことにしていますの」
「別邸?」
初めて聞く言葉にアリアがノルンを見ると、ノルンが小さな声で教えてくれた。
「普段暮らしているところとは別に持っているお屋敷のことです」
「もう一つのおうち?」
「まあ、そう考えていただいてもいいですわ」
女性が答える。
「おうち二つあるの?」
「ええ」
「すごい!」
あまりにも素直に驚かれ、女性が思わず笑った。
「御者は今日はもう休ませます。代わりの者を手配して、私どもの出発も明日にいたしましょう」
「じゃあ、おばあちゃんも今日はここに泊まるの?」
「…………おばあちゃん」
女性の顔が一瞬だけ止まった。
アリアは心配になった。
「違うの?」
「いえ」
ほんの少しの間を置いて、女性はふっと笑った。
「間違ってはいませんわね」
怒られなかった。
アリアがほっとしていると、女性は改めてアリア、ルカ、ノルン、そしてエリオまで見回した。
「でしたら、話は簡単です」
「?」
「明日から、あなたたちも私の馬車に乗りなさい」
「…………」
一瞬、誰も意味を理解できなかった。
「え?」
アリアとルカの声が重なる。
「おばあちゃんの馬車に?」
「ええ」
「ミレア湖まで?」
「もちろん」
その言葉を聞いた途端、アリアの顔がぱっと明るくなった。
今日の馬車には乗り遅れた。
明日までここで待たなければいけないと思っていた。
それが、この人も同じミレア湖へ向かうという。
けれど喜ぶ前に、アリアは大事なことへ気づいた。
「エリオお兄ちゃんは?」
「もちろん、その方もです」
「俺も?」
今度はエリオが聞き返した。
女性は、なぜそんなことを聞くのか分からないという顔をした。
「あなた、この子たちが戻ってこないのを心配して、ご自分も馬車へ乗らなかったのでしょう?」
「まあ……そうですけど」
「ならば、あなたも同じです」
「いや、俺は行商人ですし」
「それが何か?」
「……いえ」
「行き先は?」
「南です」
「では問題ありませんね」
「いや、問題がないこともないような……」
「荷物は多いの?」
「少ないですけど」
「では決まりね」
「…………」
エリオが黙った。
アリアは隣からその顔を見上げた。
どう見ても、いつものように素直に喜んでいる顔ではない。
「エリオお兄ちゃん」
「なんだ」
「一緒に乗れるって!」
「聞いてたよ」
「よかった!」
「……そうだな」
返事はしたものの、やっぱり少し困っている。
どうしてなのかアリアには分からなかった。
でも、自分にとっては嬉しいことだった。
今日乗るはずだった路線馬車には乗れなかった。
覚えたばかりの「時間までに戻る」という決まりも守れなかった。
予定していた通りには、何一つ進まなかった。
それなのに明日になれば、またみんなで南へ向かえる。
しかも今度は。
アリアは少し離れたところに止まっている大きな馬車へ目を向けた。
路線馬車よりずっと立派で、窓も大きい。
中がどうなっているのかは、ここからでは見えなかった。
「……中、広いのかな」
「そこ?」
ルカが呆れた声を出した。
「だって気になるもん!」
「マルルも気になるなの!」
腕の中から、いつの間にか目を輝かせていたマルルまで加わる。
「ほら!」
「マルルを味方にするなよ!」
二人のやり取りを聞いていた赤い髪の女性が、とうとう声を上げて笑った。
アリアはまだ、その女性の名前さえ知らない。
湖畔に別邸を持っていること以外、何者なのかも知らなかった。
ただ街道で困っている人を見つけたから、足を止めた。
御者が倒れていたから、ルカと一緒に町まで走った。
それだけだった。
路線馬車には乗り遅れてしまったし、エリオまで巻き込んでしまった。
朝、宿を出た時に思い描いていた一日とは、すっかり違うものになっている。
それでも。
その小さな寄り道の先で出会った人が。
これからアリアたちを、三つ目の欠片が待つミレア湖まで連れていくことになる。
予定通りに進めなかった一日が。
アリアたちの旅を、思いもしなかった方向へ動かし始めていた。




