第55話 最後の道
古い井戸へ続く道を、アリアたちは急いでいた。
先頭を歩くのは、第三層から知らせを持ってきた整備士。その後ろをアリアとルカ、ノルンが続き、アリアの腕の中ではマルルが揺れに合わせて長い耳を小さく動かしている。最後尾にはシリルがつき、ときどき周囲へ目を配りながら歩いていた。
水路の脇を走る古い伝導路には、地上でみんなから集めた魔力の光がまだ残っている。第一層へ届き、第二層へ届き、第三層の「芽吹くもの」まで満たした光は、そこで消えてしまったわけではなかった。こうして自分たちの足元を照らしながら、古い井戸の方へと続いている。
「本当に、井戸のすぐ近くまで来てるの?」
歩きながら尋ねると、整備士は足を緩めないままうなずいた。
「ああ。親方たちと光を追ったんだ。『芽吹くもの』から先も伝導路は生きてるし、光も古い井戸の方へちゃんと走っていった」
「じゃあ、大精霊さんまで……」
もう届いているのかもしれない。
アリアの顔が明るくなりかけたところで、整備士は苦い顔をして首を振った。
「それが、止まったんだ。井戸の手前でな」
「……手前?」
「ああ。本当にあと少しだ。道が切れてるわけでもねえし、金属板だってその先まで続いてる。それなのに、光だけがそこから先へ行かねえ」
「どうして?」
「それが分かれば苦労しねえよ。だから親方が、お前たちにも知らせろって言ったんだ」
整備士は困ったように頭を掻いたが、アリアはそれ以上何も聞かなかった。
胸の中に残ったのは、あと少し、という言葉だった。
地上から始まった光は、たくさんの人の手を伝ってここまで来た。自分たちが声を掛けた人も、その人たちに呼ばれて来てくれた人も、第一層や第二層、第三層で待っていてくれた人たちも、みんながほんの少しずつ魔力を分けてくれた。
あれほど遠い場所から、いくつもの光が一つにつながったのだ。それなのに、最後のほんの少しだけが届かない。
「……変なの」
思わず声に出すと、隣を歩いていたルカがアリアを見た。
「何が?」
「だって、ここまで来られたんだよ? すっごく遠いところから、みんなでずっとつないできたのに」
アリアは腕の中のマルルを少し抱き直しながら、足元の光へ目を落とした。
「どうして最後のちょっとだけ、行けないんだろう」
ルカも答えなかった。
魔力が足りないのなら、もっと集めればいい。道が壊れているのなら、ガンツたちが直してくれるかもしれない。けれど今回は、魔力もあるし、道そのものも続いているという。
それなら、いったい何が邪魔をしているのか。
「だから、それを確かめに行くんです」
ノルンの静かな声に、アリアは顔を上げた。
「……うん」
あと少しなら、きっと何かできる。
本当に少しだけなら、その場所まで行けば何か分かるはずだ。
そう思いながら、アリアはまた前を向いた。
◇
「親方!」
知らせを持ってきた整備士の声に、水路のそばへしゃがみ込んでいたガンツが振り返った。
「来たか」
「ガンツさん!」
アリアたちが近づくと、その周りでは何人もの整備士が古い図面を広げたり、床近くの伝導路を調べたりしていた。けれどアリアの目は、すぐに別のものへ引きつけられた。
「……わぁ」
水路の脇を走る古い金属板。その内側を、淡い光が流れている。
地上で見送った光と同じものだ。
ここまで来てもまだ消えていない。
「ちゃんとある……」
「ああ」
ガンツも光へ目を落とした。
「『芽吹くもの』も光ったままだ。上からも連絡が来てる。ほかの三つも、まだ消えてねえ」
「じゃあ、みんなの魔力は大丈夫なんだね」
「今のところはな。ただ、問題はこの先だ」
そう答えたガンツの表情には、少しも安心した様子がない。その視線を追って、アリアも井戸へ続く奥の道を見た。
「井戸まで行ったの?」
「ああ」
「トカゲさん、いた?」
「トカゲ?」
ガンツの眉が寄った。
「あ……」
アリアはそこでようやく思い出した。
ガンツは古い井戸までは一緒に来てくれたけれど、大地の精霊がいる井戸の奥へ入った時にはいなかったのだ。
「大地の精霊なの」
腕の中からマルルが説明する。
「ものすごく大きいよ!」
アリアも大きさを見せようと両手を広げかけ、マルルを抱いていることに気づいて途中でやめた。
「井戸の奥にいるの」
「……そういうことは先に言え」
「言ってなかったっけ?」
「聞いてねえ」
「ごめんなさい」
ガンツは大きく息を吐いたものの、それ以上は何も言わなかった。
そのやり取りを黙って聞いていたシリルが、一歩前へ出る。
「その大地の精霊は、大精霊のそばにいるのか?」
「うん。ずっと大精霊さんを起こそうとしてるの」
アリアが答えると、シリルの表情がわずかに変わった。
「なら、その精霊にも今の状況を聞いた方がいい」
「ああ。俺たちが分かるのは設備までだ。この先のことは、お前たちの方が詳しそうだな」
ガンツは一度周囲の整備士たちを見回した。
「俺たちはここに残る。揺れもまだ収まってねえし、何かあった時に、せっかくつないだ道まで駄目になったら元も子もない」
アリアはしっかりとうなずいた。
「うん。行ってくる」
「気をつけろ」
短く言葉を交わすと、アリアたちはもう一度、古い井戸へ向かって歩き始めた。
ガンツたちには、ガンツたちにしかできないことがある。
自分たちは、自分たちにできることを探す。
前にもそうやって進んできたのだ。
◇
歩き始めてからも、光はずっとアリアたちについてきた。
水路の脇を走る古い金属の中を、淡い輝きが途切れることなく流れている。アリアはどうしても気になって、何度も足元へ目をやった。
「まだ光ってる」
「ああ」
もう少し歩いて、また見る。
「ここも」
「うん」
さらに先へ進んでも、やっぱり光はある。
「ここも!」
「アリア、前も見ろ」
「見てるよ」
「今、完全に下見てただろ」
「ちょっとだけだもん」
いつもなら笑ってしまうようなやり取りなのに、今は二人とも心から笑うことができなかった。
光が残っていることは嬉しかったし、ここまで来ても消えていないことにはほっとした。
けれど、井戸へ近づくほど、本当にあと少しなのだということまで分かってくる。
もう十歩くらいなのだろうか。
もっと少ないのだろうか。
アリアはそんなことまで考えながら歩いていた。
やがて、曲がった先に見覚えのある石壁が現れた。その向こうには古びた水路が続き、さらに先には以前訪れた古い井戸が見えている。
「あ!」
アリアの顔が明るくなった。
「あそこ!」
もう見えている。
大精霊さんが眠っている場所は、本当にすぐそこだ。
このままなら届く。
そう思って、アリアは光を目で追いながら進んだ。
自分の足元を通り。
その先へ伸び。
もう一歩先へ。
けれど、井戸へ届くほんの少し手前で、淡い輝きだけが不自然に途切れていた。
「……え?」
アリアの足が止まる。
ルカもすぐ隣で立ち止まった。
「ここ……?」
二人で足元を見る。
古い金属板そのものは、その先にも続いていた。光のなくなった場所から井戸のそばまで、途切れることなく伸び、その向こうへまでつながっている。
だからこそ、余計に分からなかった。
道はある。
光も、ここまでは確かに来ている。
なのに、その二つが目の前で急に別々になっていた。
アリアはその場へしゃがみ込み、途切れた光のすぐそばへ手を伸ばした。
淡い輝きは消えそうになっているわけではない。むしろ、そこから先へ進もうとしているのに、何か見えないものに押し返されているように揺れている。
「……こんなところまで来てるのに」
「アリア?」
「あとちょっとだよ」
ルカに呼ばれても、アリアは顔を上げられなかった。
「大精霊さん、すぐそこにいるのに」
胸の中へ、町で見たたくさんの人たちが次々に浮かんできた。
仕事の手を止めて来てくれた人。
自分にもできるならと水路へ手を置いてくれた人。
家族や知り合いへ声を掛けてくれた人。
第一層にも、第二層にも、第三層にも、たくさんの人がいた。
一人一人が分けてくれた魔力は小さかったのかもしれない。
でも、それを全部つないだから、ここまで来られた。
地上から第一層を通り、第二層を越え、第三層まで。
それだけ長い道を越えてきた光が、目の前にあるほんのわずかな距離だけを越えられない。
「どうして……」
声が少し震えた。
「どうして、あとちょっとなのに届かないの?」
悔しかった。
大精霊までの道がずっと遠いのなら、まだ歩けばいいと思える。
魔力が足りないなら、もう一度みんなにお願いできるかもしれない。
道が壊れているなら、ガンツたちが直してくれるかもしれない。
けれど今は、そのどれでもない。
道はある。
みんなの魔力だって、ここまで来ている。
大精霊さんは、もう見えている井戸のすぐ先にいる。
なのに届かない。
「こんなの……やだよ」
腕の中のマルルが、心配そうにアリアを見上げた。
「アリア……」
「みんな、頑張ってくれたのに。ここまで来たのに……」
アリアは目の前の光から目を離せなかった。
あと少し。
本当に少しだけなのだ。
だからこそ、諦めることなんてできなかった。
その時だった。
「……アリアか?」
低い声が、古い井戸の向こうから響いた。
「!」
アリアが顔を上げる。
ほとんど同時に、シリルの手が反射的に腰の剣へ伸びた。
ズ……。
重いものが地面を擦る音がする。
古い井戸の向こう。暗がりの中で、岩の塊にも見えた巨大な影がゆっくり動いた。
ズズ……。
太い四肢と長い尾を持つ巨体が姿を現し、やがて大きな頭が持ち上がってこちらを向いた。
初めてその姿を見たシリルが、思わず息を呑む。
「……これが」
「トカゲさん!」
けれどアリアの声は、さっきまでの沈んだ響きがどこかへ消えたように一気に弾んだ。
「やっぱり来たのだな」
低い声が古い空間へ響く。
「うん!」
アリアは立ち上がると、真っ先に尋ねた。
「トカゲさん、大精霊さんは!?」
巨大な頭がゆっくりと井戸の奥へ向いた。
「まだ眠っている」
「そっか……」
期待したぶんだけ、アリアの顔が曇った。
けれど今度は、すぐに足元の光を指差した。
「でもね、魔力、持ってきたよ! グラナのみんなで集めたの。地上からずっとつないできたんだよ」
大地の精霊の大きな目が、アリアの指先を追って光へ向けられた。
「……これが、そうだったのか」
「分かってたの?」
「力が近づいていることは感じていた。いくつもの魔力が重なった、大きな力だ」
「じゃあ!」
アリアの顔に期待が戻る。
けれど、その続きは低い声に止められた。
「だが、ここまでは来ない」
「トカゲさんにも分かるの?」
「ああ。これほど近くにある。だが、どれだけ呼びかけても、最後の境を越えてこない」
「境……?」
その言葉に、ノルンがすぐ反応した。
「何かあるのですか?」
「分からぬ。ただ、昔はこのようなものはなかったはずだ。大精霊様が目覚めていた頃、この場所には大地の魔力が絶えず巡っていた」
ノルンとシリルが顔を見合わせる。
昔は同じ場所を魔力が巡っていたのなら、伝導路そのものが壊れているわけではないのかもしれない。
「では、伝導路の故障ではない?」
シリルが尋ねると、大地の精霊の大きな目がそこで初めて彼へ向いた。
「……お前は?」
「シリルだ。アリアたちと一緒に来た」
「そうか」
それだけ言うと、大地の精霊はまた光へ視線を戻した。
もっと何か聞かれると思っていたのか、シリルがほんの少し拍子抜けしたような顔をしたけれど、アリアは気づいていなかった。
今気になるのは、目の前で止まっている光だけだ。
「トカゲさん」
アリアは足元の光と大地の精霊を見比べた。
「こっちからは行かないんだよね?」
「ああ」
「じゃあ、トカゲさんからは?」
「試した」
「え?」
大地の精霊が大きな前足をゆっくりと地面へ押し当てる。
ぼう……。
その足元に淡い光が生まれた。
大地を這うように伸びた光は、アリアたちの方へ向かって進んでくる。
「来た!」
アリアは思わず身を乗り出した。
こちらから行けないのなら、向こうから来れば届くかもしれない。
そんな期待が胸へ浮かぶ。
けれど、大地の精霊の光もまた途中でぴたりと止まった。
アリアは息を呑んだ。
こちら側には、グラナのみんなが地上からつないできた光がある。
向こう側には、大地の精霊が送った光がある。
二つとも力を失っているわけではない。どちらも互いの方へ伸びようとしているのに、ほんのわずかな暗い隙間を残したまま、それ以上進むことができなかった。
「そんな……」
アリアは、二つの光の間に残った暗い場所を見つめた。
「両方から来てるのに」
指を伸ばせば届きそうな、本当にあと少しだけの距離だった。
さっきまでは目に見えなかった「届かない」ということが、今は二つの光の間にある小さな隙間として、はっきり目の前に見えている。
胸の奥が、またぎゅっと苦しくなった。
「……どうしたらいいの?」
その時だった。
リン。
澄んだ音が、静かな空間へ響いた。
アリアが顔を上げる。
もう一度。
リン……。
「マルル?」
「マルルじゃないなの」
腕の中のマルルも驚いたように、自分の胸元を見下ろしていた。
チョーカーについたコンパクトが、淡い青い光を放っている。
「コンパクト……?」
アリアもそこへ目を落とした。
青い光はゆっくりと明滅している。
リン。
その音がもう一度響いた瞬間、大地の精霊がわずかに身体を震わせた。
「……む?」
「どうしたの?」
「待て」
巨大な頭が、自分の身体へ向けられる。
その巨体の奥から、ぽう、と別の光が生まれた。
コンパクトの青い光とは違う。
けれどアリアたちは、その輝きを知っていた。
「欠片……!」
ルカの声が響く。
大地の精霊の中にある、大地の欠片。
まだ取り出すことのできなかった二つ目の欠片が、内側から淡く光っていた。
「これは……」
大地の精霊自身も驚いたように、自分の中から漏れる光へ目を向けた。
「欠片が、呼応している……?」
リン。
マルルのコンパクトが光る。
それに応えるように、大地の精霊の中の欠片が、ぽう、と明るくなる。
もう一度。
リン。
ぽう。
離れた場所にある二つの光が、互いの存在を確かめるように何度も明滅した。
「呼んでるなの……」
マルルが胸元のコンパクトを見つめる。
「うん……」
アリアにも、そう見えた。
コンパクトが欠片を呼び、欠片もその声に応えている。
お互いがどこにいるのかは、ちゃんと分かっているのに、二つはまだ離れている。
その二つの光を見つめているうちに、アリアの視線がゆっくり足元へ落ちた。
こちらから来た光。
向こうから来た光。
二つとも互いを目指しているのに、最後のほんの少しが届かない。
もう一度、マルルの胸元を見る。
コンパクト。
それから、大地の精霊の中で光る欠片。
「……同じだ」
「何が?」
ルカが尋ねる。
アリアは足元を指差した。
「こっちも、あとちょっとなんだよ」
そして今度は、マルルのコンパクトと大地の精霊を見比べる。
離れているから届かない。
どちらも相手の場所は分かっているのに、あと少しが足りない。
「だったら……」
アリアは腕の中のマルルを抱き直した。
「アリア?」
「もっと近くに行けばいいんじゃない?」
ノルンが目を見開く。
「近くに……?」
「だって、届かないんでしょ?」
どうして境ができたのかも、どうして魔力だけがそこを越えられないのかも、アリアには分からない。
けれど、本当に足りないのがほんの少しだけなら、その少しを自分たちの方から近づいて埋めればいい。
難しい仕組みを知らなくても、それくらいなら分かる。
アリアはマルルをしっかりと抱いたまま、光が途切れている場所へ一歩近づいた。
リン……。
胸元のコンパクトが鳴る。
その青い光が。
さっきよりも、はっきりと強くなった。
お読みいただきありがとうございます。
先ほど投稿したら、AIさんに校正頼んだのがそのまま出てた。
放送事故ならぬ投稿事故。すみません。
差し替えました。




