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森で拾ったのは、半人前の天使でした ― ラグドール一家と小さな天使 ―  作者: くいたん


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第52話 大地へ返すもの


「……何を、反対に巡らせるの?」


 アリアの小さな問いが、静かになった部屋へ残った。


 誰も、すぐには答えなかった。


 机の上には二枚の紙が並んでいる。


 一枚には、春、夏、秋、冬。


 もう一枚には、古い石板に刻まれていた言葉。


『満つるものは、実るものへ。


 実るものは、育つものへ。


 育つものは、芽吹くものへ。


 芽吹くものは、再び満つるものへ。


 流れは巡りて、眠りを覚ます』


 季節を表していることまでは分かった。


 けれど、その順番は逆だった。


 冬から秋へ。


 秋から夏へ。


 夏から春へ。


 普通なら決して戻ることのない季節を、石板は反対へたどっている。


 アリアは二枚の紙を何度も見比べた。


「冬が秋に戻ることなんて、ないよね?」


「ないな」


 ルカが答える。


「じゃあ、やっぱり季節を反対にするってことじゃないんだ」


「たぶんな」


「でも、同じ言葉を使ってる……」


 分かりそうなのに、分からない。


 手を伸ばせば届きそうなところに答えがあるのに、その手前に薄い壁が一枚あるようだった。


 アリアは頬を膨らませ、紙をじっとにらむ。


「むむむ……」


 その向かいでは、コルのお母さんも腕を組んで考え込んでいた。


「反対……反対ねぇ……」


 何度か小さくつぶやいたあと、ふと顔を上げる。


「そういえば」


「なに?」


 アリアがすぐに身を乗り出した。


「さっき話した昔話だけど、もう少し続きがあった気がするわ」


「続き?」


「ええ」


 コルのお母さんは目を閉じた。


 ずっと昔。


 まだ自分がルルくらいだった頃。


 眠る前になると、祖母が寝台のそばへ座って、いろいろな昔話を聞かせてくれた。


 山の話。


 地下河川の話。


 グラナを守っているという大地の話。


 子どもの頃は意味など考えずに聞いていた。


 けれど、その中には何度も聞かされた言葉があった。


「……そうだわ」


 ゆっくりと目を開く。


「最後に、いつも言っていたの」


「なんて?」


「大地からもらったものは、大地へ返しなさいって」


 アリアが瞬きをした。


「返す?」


「ええ」


 お母さんは懐かしそうに笑った。


「食べ物を粗末にした時なんかにも、よく言われたわ。畑のものも、森のものも、水も、大地からもらったものなんだから、大切にしなさいって」


 そこで一度言葉を切る。


「命は大地から生まれて、大地の恵みを受けて育つ。そして、いつかはまた大地へ帰る」


 机の上で、人差し指がゆっくりと円を描いた。


「そうして返されたものが、また次の命を育てるんだって」


 ぐるり。


 指が一周して、最初の場所へ戻ってくる。


 アリアの目が、その指先を追った。


「……戻ってきた」


「え?」


「お母さんの指」


 アリアも机の上へ指を置いた。


「ここから始まって……ぐるって回って、またここに戻ってきた」


「そうね」


「それって……」


 アリアは石板の最後の一文を見る。


『流れは巡りて、眠りを覚ます』


「巡るってこと?」


 ノルンが、はっと顔を上げた。


「大地へ……返す」


 その言葉を確かめるように、もう一度つぶやく。


 そして二枚の紙を自分の前へ引き寄せた。


「ノルン?」


「少し待ってください」


 ノルンは普通の四季が書かれた紙へ指を置いた。


「春に芽吹き」


 指が動く。


「夏に育ち」


 次へ。


「秋に実り」


 最後に。


「冬に大地が満たされる」


 そこから今度は、石板の言葉へ指を移した。


「ですが、石板は逆です」


 満つる。


 実る。


 育つ。


 芽吹く。


「これは季節が進む方向ではない」


 ノルンの指が、一つずつ言葉を逆へたどっていく。


「大地から生まれたものを、その来た道へ返している……?」


 ルカが紙をのぞき込んだ。


「来た道?」


「はい」


 ノルンはまだ考えながら答える。


「石板は、季節そのものを逆にしろと言っているのではなく、大地から与えられた何かを、元へ返すことを表しているのかもしれません」


「大地からもらったものを……」


 アリアもつぶやく。


「大地に返す?」


「そう考えれば、逆向きに書かれていることにも意味が生まれます」


 ようやく一つ、つながった。


 けれど。


 ルカが首をかしげる。


「じゃあ、何を返すんだ?」


「……それです」


 ノルンの表情が再び曇った。


 また答えが一歩遠ざかった。


「お水?」


 アリアが言う。


「でも、さっき水じゃないってなっただろ」


「うん……」


「食べ物なの?」


 今度はコルが尋ねる。


 マルルの耳がぴくりと動いた。


「食べ物ならマルルも返せるなの」


「食べる気でしょ」


「返す前に味見するなの」


「それ返す量が減るやつだよ」


 コルが思わず笑う。


 張りつめていた空気が、ほんの少しだけやわらいだ。


 けれどアリアは、すぐに紙へ視線を戻した。


「大精霊さんを起こすものなんだよね」


「おそらくは」


 ノルンが答える。


「だったら、大精霊さんが大地にくれてるもの?」


 その言葉に。


 ルカが顔を上げた。


「……大精霊が大地にくれてるもの」


「うん」


 アリアは指を折りながら考える。


「お水?」


「地下河川はあるな」


「石?」


「いっぱいある」


「キノコ?」


「それは大精霊じゃなくても生えるんじゃないか?」


「そっかぁ」


 アリアの指が止まり、ふと何かを思い出したように口を開いた。


「でも、大精霊って大地の力を整えてるんだよね?」


「古い井戸で、トカゲさんが言ってたよね。大精霊さんがずっと目を覚まさないって」


「うん」


 ルカがうなずく。


「それで、町ではいろんなものが動かなくなってる」


 アリアは指を折りながら、今まで見てきたものを思い返した。


「昇降塔でしょ。魔道具でしょ。それから、火の精霊さんも元気なかった」


「地下では水門にも異常が出ています」


 ノルンが静かに付け加える。


「でも、お水は流れてるんだよね?」


「ああ。川も流れてたし、水車も回ってた」


 ルカの言葉に、アリアは首をかしげた。


「じゃあ……何が止まってるの?」


 誰もすぐには答えなかった。


 水は流れている。


 歯車も壊れていない。


 それなのに、町を動かしていた何かだけが届かなくなっている。


「そういえば……」


 アリアが顔を上げた。


「ガンツさん、言ってたよね」


「何を?」


「昇降塔。お水は流れてて、水車も回ってるのに……」


 あの夜に聞いた言葉を思い出す。


「動かす力だけ、途中で消えちゃうって」


「……力」


 ノルンが小さくつぶやいた。


 そのまま、机の上に置かれた石板の文章へ目を落とす。


『流れは巡りて、眠りを覚ます』


「流れ……」


 今度の声は、さっきよりも小さかった。


「もしかすると……」


 ノルンの表情が変わる。


「流れているのは、水ではないのかもしれません」


「じゃあ、なぁに?」


 アリアが尋ねる。


 ノルンは少し考えてから、自分の手のひらを見つめた。


「……魔力」


「え?」


「大地を巡っているものは、魔力なのではないでしょうか」


 アリアは目を丸くする。


「魔力が流れてるの?」


「目に見える川のような形ではないと思います。でも、大地の中にも魔力はあります」


 ノルンは自分の手のひらを見つめた。


「大地の大精霊が、その流れを整えていたのだとしたら……」


「その魔力が、グラナにも来てた?」


「はい」


 ノルンの声が少しずつ確かなものになっていく。


「だから魔道具が動く。精霊たちも力を得る。そして地下のさまざまな設備も、その恩恵を受けていた」


「でも今は、大精霊さんが寝てる」


「ええ」


「だから、ちゃんと流れなくなってるんだ」


 アリアの中でも、ばらばらだったものがつながり始めた。


 地上で元気をなくしていた火の精霊。


 止まった昇降塔。


 不安定になった魔道具。


 地下で次々に起きている異変。


 全部、別々の故障ではない。


 同じ一つの異変が、町のあちこちへ姿を変えて現れている。


「じゃあ!」


 アリアが机へ両手をついた。


「大精霊さんに魔力をあげればいいんだ!」


「……いいえ」


 ノルンはすぐに首を横へ振った。


「違うと思います」


「違うの?」


 勢いよく立ち上がりかけたアリアが止まる。


「大精霊が魔力不足で眠っているのなら、それでもいいかもしれません」


「うん」


「ですが、石板には『満たせ』とも『与えよ』とも書かれていません」


 ノルンの指が、最後の一文へ触れる。


「『流れは巡りて』です」


 ルカが小さく息をのんだ。


「……巡らせるんだ」


「はい」


 ノルンがうなずく。


「大精霊へ魔力を与えるのではなく、途切れてしまった流れを、もう一度巡らせる」


 コルのお母さんが、ぽつりと言った。


「大地からもらったものを、大地へ返す……」


 アリアはその言葉を聞いて、自分の胸へ手を当てた。


 自分の中にも魔力がある。


 ルカにも。


 ノルンにも。


 コルにも。


 この町で暮らしている、たくさんの人たちにも。


「大精霊さんが、ずっとグラナに魔力を巡らせてた」


「そう考えられます」


「だったら今度は……」


 アリアは顔を上げた。


「グラナのみんなから、大精霊さんに返すんだ」


 誰もすぐには答えなかった。


 けれど、その沈黙はさっきまでとは違っていた。


 何も分からない沈黙ではない。


 答えの輪郭が、ようやく見え始めた沈黙だった。


「できるかな」


 コルが尋ねる。


 アリアはコルを見る。


「やってみたい」


 迷いのない声だった。


「大精霊さん、ずっとグラナを守ってくれてたんでしょ?」


「うん」


「だったら今は、みんなで大精霊さんを助ける番だよ」


 コルは少し驚いたようにアリアを見ていた。


 やがて、その顔に小さな笑みが浮かぶ。


「……うん」


 その時だった。


 ゴゴゴゴゴ……。


「!」


 床が揺れた。


 棚の食器が、カタカタと音を立てる。


 ルルがお母さんへ駆け寄り、その服へぎゅっとしがみついた。


「だいじょうぶよ」


 お母さんはルルを抱き寄せる。


 揺れはすぐに収まった。


 けれど、アリアの胸の中に生まれた焦りは消えなかった。


「早くしなきゃ」


「ああ」


 ルカもうなずく。


「じゃあ、どうやって魔力を返す?」


「え?」


 アリアが振り返る。


 ルカは机の上の紙を指差した。


「大精霊がいるのは第三層の古い井戸の下だろ?」


「うん」


「ぼくたちがそこへ行って魔力を出すだけならできるかもしれない。でも、グラナのみんなの魔力を返すなら?」


 アリアの口が少し開いた。


「あ……」


「第一層にも人がいる。第二層にもいる。地上にも、もっとたくさんいる」


 しかも。


 地上と地下を結ぶ大きな昇降塔は止まっている。


 細い古道なら人は通れる。


 けれど、町中の人をそこから第三層へ連れていくなど、とてもできない。


「じゃあ……集める?」


 アリアが両手で何かを抱えるような仕草をした。


「魔力を、こうやって」


「どうやって?」


「……こう」


「だから、どうやって」


「むむむ……」


 また壁にぶつかった。


 マルルも机の上へ前足を乗せる。


「魔力は荷物みたいに箱へ入れて運べないなの」


「じゃあ、みんなで古い井戸に手をつなぐ?」


「地上まで届かないだろ」


「すっごく長くつなぐの」


「何人必要なんだよ」


「いっぱい!」


「いっぱいじゃ分からないって」


 アリアは両腕を組み、真剣な顔で考え込んだ。


 何をするのかは、分かってきた。


 魔力を巡らせる。


 大地から受け取ってきたものを、今度は大地へ返す。


 でも。


 どうやって?


 離れた場所にいる大勢の人の魔力を、一つの場所へ届ける。


 何か、つなぐものがいる。


 町と。


 人と。


 大地を。


 一本につなげる何かが。


「……ガンツさんに聞こう」


 アリアが言った。


「心臓部には、いろんな水路とか歯車とかあったよね」


「そうだな」


「町中につながってるもの、あるかもしれない」


 ノルンも小さくうなずいた。


「少なくとも、わたしたちだけで考えるより、グラナの設備を知っている人へ聞くべきでしょう」


「じゃあ、父さんが帰ってきたら」


 コルが言いかけて、少し表情を曇らせる。


 まだ帰ってこない。


 それだけ、下では異変への対応が続いているのだ。


 アリアも扉を見る。


「……待とう」


 今すぐ走って聞きに行きたい。


 けれど、ガンツにはガンツの仕事がある。


 そのことは、心臓部で教えてもらったばかりだった。


     ◇


 ガンツが帰ってきたのは、すっかり夜も更けてからだった。


 丸い木の扉が静かに開く。


「ただいま」


「父さん!」


 コルが椅子から身を乗り出した。


 アリアたちも一斉に顔を上げる。


 ガンツの作業着は泥と油で汚れ、肩へ掛けていた布も水を吸って重そうに垂れていた。


「ガンツさん!」


「まだ起きてたのか」


「待ってた!」


「そうか」


 ガンツは工具箱を床へ置くと、疲れたように首を回した。


 お母さんがすぐに水の入ったコップを差し出す。


「どうだったの?」


「第四水路は、何とか持たせた」


「直った?」


 アリアが尋ねる。


 ガンツは水を飲んでから、首を横へ振った。


「応急処置だ。いつまで持つか分からん」


「……そっか」


「ほかにも、水の流れが弱くなった場所が出てきてる。設備そのものに異常はないのにな」


 アリアとルカが顔を見合わせた。


 ノルンもすぐに気付く。


「ガンツさん」


「ん?」


「わたしたち、分かったことがあります」


 ガンツは椅子へ腰を下ろした。


「聞かせてくれ」


 アリアたちは、順番に話した。


 石板の言葉が四季を表していたこと。


 けれど、普通とは逆の順番だったこと。


 コルのお母さんが思い出した、「大地からもらったものは、大地へ返す」という昔話。


 そして。


「巡らせるの、魔力だと思うの」


 アリアが最後に言った。


 ガンツは黙ったまま、しばらく机の上の紙を見つめていた。


「魔力、か……」


「うん」


「大精霊さんに魔力をいっぱいあげるんじゃないよ」


 アリアはそこだけは間違えないように、一生懸命説明する。


「今まで大精霊さんから来てた魔力を、反対に戻すの」


「それで流れをもう一回つなげるんだと思う」


 ガンツは腕を組んだ。


「なるほどな」


「変?」


「いや」


 首を横へ振る。


「俺たちはずっと、水ばかり見ていた」


「水?」


「ああ。水が流れれば水車が回る。水車が回れば歯車が動く。だから設備が止まれば、まず水路と機械を調べる」


 整備士として、それは当然のことだった。


「だが今は、水が流れていても動かないものがある」


 ガンツの指が、机を軽く叩く。


「水とは別に、今まで当たり前に流れていたものがあったとしたら……」


「魔力?」


「可能性はある」


 アリアの顔が明るくなる。


「じゃあ!」


「待て」


 ガンツが手を上げた。


「魔力だとしても、次の問題がある」


 アリアの顔がまた止まる。


「どうやって大精霊まで届けるか、だろ?」


 ルカが言った。


「そうだ」


 ガンツはうなずいた。


「町中の魔力を集めるなんて、俺も聞いたことがない」


「心臓部に、何かない?」


「何か?」


「町中につながってるもの!」


 アリアは両手を広げた。


「水路みたいに、ずーっとつながってて、魔力を通せるもの!」


「うーん……」


 ガンツは眉間へしわを寄せた。


 水路。


 歯車。


 昇降機。


 地上から第三層まで、グラナには数え切れないほどの設備が張り巡らされている。


 だが、そのほとんどは水か機械を動かすためのものだ。


「少なくとも、俺が知る設備にはないな」


「そっかぁ……」


「ただ」


 ガンツが続けた。


「地上まで行けば、何か分かるかもしれん」


「地上?」


「ああ」


 ガンツは机の上へ指で簡単な線を描いた。


「グラナの水は、地下だけで使ってるわけじゃない。地上の工房にも水路が伸びているし、古い設備も残ってる」


「古い設備……」


 ノルンが反応する。


「今使われているものより古いのですか?」


「ああ。町が今みたいに大きくなる前からあるものもある」


 ガンツは少し考えてから続けた。


「俺たち整備士も、何のために造られたのか分からない設備がいくつかある。今は使われていない水路や、古い石柱なんかもな」


「石柱?」


「地上の工房街に何本か残ってる。邪魔だから撤去しようって話も昔はあったらしいが、妙に深く埋まっててな。結局そのままだ」


 アリアの目が輝いた。


「それ、調べよう!」


「明日な」


「今から!」


「明日だ」


「でも!」


 アリアは言い返そうとして。


 ガンツの顔を見た。


 目の下には疲れがにじんでいる。


 今日一日、ずっと地下の設備を守っていたのだ。


「……明日」


「ああ」


「朝になったらすぐ?」


「それならいい」


「絶対?」


「絶対だ」


 ようやくアリアは納得した。


「じゃあ寝る!」


「急に聞き分けがよくなったな」


「早く寝たら早く朝になるもん!」


「そういう仕組みじゃないと思うけどな」


 ルカが小さく笑った。


     ◇


 その夜。


 アリアはなかなか眠れなかった。


 布団の中で目を閉じると、頭の中にいろいろなものが浮かんでくる。


 石板。


 四つの季節。


 眠っている大精霊。


 町中を巡る魔力。


 そして、地上に残っているという古い設備。


 もし、それが使えたら。


 地上から。


 第一層から。


 第二層から。


 みんなの魔力をつないで、大精霊さんまで届けられるかもしれない。


 でも。


 本当にそんな都合のいいものがあるのだろうか。


 アリアは布団の中でもぞりと動いた。


「……アリア」


 隣から声がする。


「ルカ?」


「まだ起きてるだろ」


「なんで分かったの?」


「ずっと動いてるから」


「えへへ」


「寝ろよ」


「だって考えちゃうの」


「考えても、地上に行かないと分からないんだろ?」


「うん」


「じゃあ、今は寝る」


「……うん」


 少しだけ間が空いた。


「ルカ」


「なに?」


「見つかるかな」


 暗い部屋の中で、ルカもしばらく黙っていた。


「分からない」


「そっか」


「でも、見つからなかったら別の方法を探せばいい」


 アリアは目を瞬いた。


「別の方法?」


「ああ。今までだってそうだっただろ」


 道がなければ探した。


 分からなければ誰かに聞いた。


 困った時には、みんなで考えた。


「……うん」


 アリアの口元が少しだけ緩む。


「おやすみ、ルカ」


「おやすみ」


 今度は目を閉じた。


 遠くで、水の流れる音がしていた。


     ◇


 翌朝。


 アリアたちは早くから支度を整えていた。


「行ってきます!」


「気を付けてね」


 コルのお母さんが見送る。


 コルは椅子に座ったまま、少し悔しそうな顔をしていた。


「ぼくも行きたいな……」


「駄目だ」


 ガンツが即答する。


「まだ足が治ってないだろ」


「分かってるけど……」


 アリアはコルの前まで行くと、にっこり笑った。


「ちゃんと見てくるね!」


「うん」


「帰ってきたら全部教える!」


「本当?」


「うん!」


 コルは少しだけ迷ってから笑った。


「じゃあ、お願い」


「任せて!」


 ガンツは今日は心臓部へ向かわなければならない。


 そのため、地上に残る古い設備の場所を紙へ描いてくれていた。


「第一層まで上がったら、そこから昨日通った古い道を使え」


「うん」


「地上へ出たら、この場所だ」


 ガンツが印を付けた場所を、ルカとノルンが確認する。


「分かりました」


「それと、異変が大きくなったら調査はやめろ」


 ガンツはアリアを見る。


「特にお前」


「わたし?」


「お前だ」


「ちゃんと戻るもん」


「ならいい」


 アリアは少しだけ頬を膨らませた。


 けれど。


「ガンツさんも気を付けてね」


「ああ」


 それぞれが、自分にできることをする。


 昨日、心臓部で聞いた言葉を思い出しながら、アリアたちは家を出た。


     ◇


 第二層から第一層へ上がる小型の昇降機は、まだ動いていた。


 けれど以前とは違う。


 ギィ……。


 ギギ……。


 大きな滑車が、時折苦しそうな音を立てる。


 係員も何度も水位を確認していた。


「昨日から少し動きが悪いんだ」


 不安そうな声に、アリアは手すりをぎゅっと握った。


 ここも。


 少しずつ。


 異変が近づいている。


 第一層へ着くと、町の様子はさらに慌ただしくなっていた。


 積み上げられた荷物は昨日より増えている。


 工房の中には火が落とされたところもあった。


 地下河川沿いでは、職人たちが水路をのぞき込みながら何かを話している。


 アリアは足を止めかけた。


 けれど、ルカが先へ進む。


「行こう」


「うん」


 今、自分たちにできることは、ここで立ち止まることではない。


 第一層を抜け、古い石段へ向かう。


 来た時とは反対に。


 今度は地上へ向かって上っていく。


 長い階段。


 湿った岩壁。


 地下河川の音が、少しずつ遠ざかっていく。


「こんなに長かったっけ……」


 アリアが息を弾ませる。


「下りるのと上るのは違うからな」


「足が重い……」


「飛べば?」


「……あ」


 アリアが足を止めた。


「忘れてた」


「忘れるなよ」


 小さな白い翼を広げる。


 ふわりと体が浮いた。


「楽!」


「ずるいなの」


 マルルがアリアの腕の中で言った。


「マルルも一緒だからずるくないよ!」


「ならいいなの」


 ノルンが思わず笑った。


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 昨日から続いていた重苦しい空気がやわらいだ。


 やがて、前方から明るい光が差し込んできた。


「出口!」


 アリアが声を上げる。


 岩の隙間。


 茂みに隠された細い道の先から、朝の光が差している。


 アリアは翼をたたみ、最後の数段を駆け上がった。


「わっ!」


 外へ出た瞬間、眩しさに目を細める。


 地下の光る魔石とは違う。


 本物の空。


 本物のお日様。


 久しぶりに見上げた青空が、どこまでも広がっていた。


「お空!」


 思わず声が弾む。


 けれど。


 すぐに、地上の町の様子が目に入った。


 止まったままの巨大な昇降塔。


 その前に積み上げられた荷物。


 行き場を失った荷車。


 慌ただしく行き交う職人や町の人々。


 昨日よりも明らかに空気が張りつめている。


 カン。


 カン。


 遠くから聞こえる鍛冶の音も、初めて来た時より少なかった。


「……ここも」


 アリアがつぶやく。


「うん」


 ルカも町を見渡した。


「急ごう」


「ガンツさんの地図だと……」


 ノルンが紙を開く。


 その時だった。


 遠くから、馬の蹄の音が聞こえた。


 パカラッ。


 パカラッ。


 パカラッ。


 かなり速い。


 アリアが顔を上げる。


「お馬さん?」


 町の入口の方が、にわかに騒がしくなった。


「道を開けてくれ!」


 誰かの声。


 人々が振り返り、道の端へ寄っていく。


 一頭の黒鹿毛の馬が、町の通りを駆けてきた。


 その背には、一人の男がいる。


 濃紺の外套。


 銀色の肩当て。


 旅の埃をかぶり、いつもよりずっと疲れて見える。


 それでも、その姿勢は崩れていなかった。


「……あれ?」


 アリアは目を細めた。


 どこかで見たことがある。


 いや。


 知っている。


「シリル?」


 馬上の男が、こちらを向いた。


 ほんの一瞬。


 驚いたように目が見開かれる。


「アリア……?」


「シリル!」


 アリアの顔がぱっと明るくなった。


 馬が速度を落とす。


 シリルはアリアたちの前で馬を止めると、すぐに鞍から降りた。


 三日。


 王都から馬を替えながら、ほとんど休まず走り続けた。


 ようやく追いついた。


挿絵(By みてみん)


 アリア。


 ルカ。


 マルル。


 ノルン。


 四人とも、ここにいる。


「無事だったか」


「うん!」


 アリアは元気よく答えた。


 けれど、すぐに不思議そうな顔になる。


「シリル、どうしてここにいるの?」


「それは……」


 シリルが答えようとした、その時。


 ゴゴゴゴゴ……!


 地面が大きく揺れた。


「!」


 アリアがよろめき、ルカがその腕をつかむ。


 町のあちこちから悲鳴が上がった。


 石造りの建物が軋む。


 止まっていた昇降塔の太い綱が、大きく揺れた。


 シリルはすぐにアリアたちをかばうように一歩前へ出る。


 揺れは長くは続かなかった。


 だが。


 静かになった町の中で、誰もすぐには動けなかった。


 シリルは巨大な昇降塔を見上げる。


 王都で聞いたアルディオンの言葉が、頭をよぎった。


 大精霊が目覚めなければ。


 最初に失われるのは、地下都市。


 その後、崩落は地上へ広がる。


 最悪の場合。


 グラナの町そのものが、山の内側へ沈む。


 思っていたより、時間がない。


「シリル」


 アリアの声に、シリルは振り返った。


「わたしたちね」


 さっきまでの笑顔は消えていた。


 けれど、その青い瞳はまっすぐシリルを見ている。


「大精霊さんを助けたいの」


 シリルは何も言わず、その続きを待った。


「どうしたら起こせるか、ちょっとだけ分かったの」


「……そうか」


「でもね」


 アリアは胸の前で手を握った。


「どうやったらできるのかが、まだ分かんない」


 シリルは、その小さな姿を見つめた。


 王都を出る前。


 アルディオンから託された言葉を思い出す。


『使命を奪ってはならぬ』


『だが、子どもたちだけへ、グラナのすべてを背負わせてもならぬ』


 自分がここへ来た意味。


 それは、代わりに答えを出すことではない。


 彼らがここまで見つけたものを、先へつなげることだ。


「分かった」


 シリルは静かにうなずいた。


「まず、聞かせてくれ」


「うん」


「君たちが、ここで何を見つけたのか」


 アリアは大きくうなずいた。


 地下で見つけた答えは、まだ完成していない。


 けれど。


 それをつなぐための人が。


 ようやく、グラナへ追いついた。


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