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森で拾ったのは、半人前の天使でした ― ラグドール一家と小さな天使 ―  作者: くいたん


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第48話 コルの家へ


 第一層の通りをしばらく歩くと、人通りは少しずつ少なくなっていった。


 工房の音も遠ざかり、代わりに聞こえてくるのは、水が流れる穏やかな音だけになる。


「こっちだよ。」


 先頭を歩くコルが、小さな石造りの建物の前で立ち止まった。


 建物の中央には、大きな縦穴が口を開けている。


 その横には、太い綱が何本も張られ、大きな木の滑車が天井近くまで伸びていた。


「あっ!」


 アリアは目を丸くする。


「これなあに?」


「第二層へ行く昇降機。」


 コルは少し誇らしそうに答えた。


「人と小さな荷物は、これで下へ行くんだ。」


 昇降機は、大人が四、五人ほど乗れる木製の台だった。


 周りには低い手すりが付き、床には滑り止めの板が張られている。


 その向かい側には、同じ大きさの昇降台がぶら下がっていた。


 台の下には、それぞれ大きな水槽が取り付けられている。


「もう一つある」


 ルカが見上げる。


「うん」


 コルはうなずいた。


「あっちとこっちは、太い綱でつながってるんだ」


「片方が下がると、もう片方が上がるの」


 アリアは不思議そうに首をかしげた。


「でも、わたしたちが乗ったら、こっちが重くなっちゃわない?」


「そのままだとね」


 コルは昇降機の脇にある大きな木の歯車を指差した。


「でも、止め具がかかってるから、勝手には動かないんだ」


 さらにその横。


 木の樋から、澄んだ水が二つの水槽へ分かれて流れている。


「乗る人の数に合わせて、水の量を変えるんだよ」


「下へ行く時は、向こうの水を少し抜いて、こっちを重くする」


「それから止め具を外すと、こっちがゆっくり下がるんだ」


「へぇぇ……!」


 アリアは水槽と昇降台を交互に見上げた。


「じゃあ、お水で重さを合わせてるんだ!」


「うん」


 コルは少し誇らしそうに笑った。


「それだけじゃないよ」


「あの水車が、急に落ちないように速さを抑えてくれるんだ」


 昇降機の奥では、小さな水車がゆっくりと回っていた。


 その軸は幾つもの歯車を通り、大きな滑車へつながっている。


 ルカは感心したように見上げた。


「重さで動かして、水で速さを調整するのか」


「よく考えられてるな」


 ノルンも静かにうなずく。


「落ちる力そのものを利用しながら、危険な速さにならないよう抑えているのですね」


「父さんが教えてくれたんだ」


 コルはうれしそうに答えた。


「昔から使われてる仕組みなんだって」


「だから、大きな昇降塔が止まっても、これはまだ動くんだ」


 コルは昇降機の脇にある小さな鐘を鳴らした。


 カラン。


 澄んだ音が縦穴へ響いていく。


 しばらくすると、奥の小部屋から一人のモグラ獣人が顔を出した。


「おや?」


「コルじゃないか!」


 驚いたように目を丸くする。


「無事だったのか!」


「うん!」


 コルは笑顔でうなずいた。


「みんなが助けてくれたんだ」


 係員はアリアたちへ深々と頭を下げた。


「ありがとうございます」


「町のみんなが心配していたんですよ」


 それから昇降台へ目を向ける。


「第二層だね?」


「はい」


 係員は五人を見回し、昇降台の脇にある目盛りへ目を移した。


 それから、水槽につながる排水口の栓を少しだけ開く。


 ざあっ。


 向かい側の水槽から、水が木の樋を通って流れ出した。


「お水、減ってる」


 アリアが目を丸くする。


「こっちが少し重くなるようにしてるんだよ」


 コルが教える。


 係員は水位を確かめると、栓を閉じた。


「よし」


 昇降台の扉を開く。


「乗ってください」


 五人が台へ乗り込むと、係員は手すりを閉め、太い留め具へ手を掛けた。


「しっかりつかまって」


「はい!」


 アリアは両手で手すりを握る。


 ノルンは松葉杖を持ち直し、ルカの背にいるコルも体勢を整えた。


 係員が長いレバーをゆっくりと倒す。


 ガコン。


 留め具が外れた。


 同時に、奥の水車へ水が流れ込む。


 ざあああっ。


 水車が回り、幾つもの歯車がゆっくりとかみ合っていく。


 ギィ……。


 昇降台が、わずかに沈んだ。


「動いた!」


 アリアの声が弾む。


 反対側の昇降台が上がり始める。


 こちらは水車に速さを抑えられながら、静かに第二層へ向かって下り始めた。


 ギィ……。


 大きな滑車がゆっくりと回る。


 第一層の明かりが少しずつ頭上へ遠ざかり、代わりに足元から、いくつもの温かな灯りが見えてきた。


「あっ!」


 アリアが手すりから下をのぞき込む。


「お家がある!」


挿絵(By みてみん)


 岩壁をくり抜いて造られた家々。


 その間を縫うように細い道と水路が伸び、窓からはやわらかな光が漏れている。


 第一層の工房街とは違う。


 そこに広がっているのは、人々が暮らす町だった。


「あそこが第二層だよ」


 ルカの背中から、コルがうれしそうに指差した。


「ぼくの家も、あの中にあるんだ」


「もうすぐだね!」


「うん!」


 コルの声が弾む。


 ギィ……。


 昇降台はさらに下りていく。


 やがて水車の回る音がゆっくりと弱まり、


 コトン。


 小さな揺れとともに、昇降台が止まった。


「第二層、到着です」


 係員が留め具を掛け、手すりの扉を開く。


 コルは昇降機から降りると、どこかほっとしたように大きく息をついた。


「帰ってきた……。」


 その声は、誰に聞かせるでもない小さなつぶやきだった。


「ここがおうち?」


 アリアが辺りを見回す。


「うん。」


 第二層は第一層とは少し雰囲気が違っていた。


 工房や店が並んでいた上の町とは違い、ここには暮らしがあった。


 岩壁をくり抜いて造られた家々。


 玄関先へ並ぶ植木鉢。


 窓辺で洗濯物を畳む人。


 子どもたちの笑い声。


 水路には澄んだ水が流れ、小さな水車がゆっくりと回っている。


「こんにちは。」


 コルが通りすがりの人へ頭を下げる。


 モグラ獣人の女性は、一度通り過ぎようとして、


「……え?」


 足を止めた。


 もう一度コルを見る。


「コル!?」


 買い物かごを抱えたまま目を丸くした。


「コルじゃないか!」


 その声に、近くの人々も一斉に振り返る。


「えっ!?」


「コル?」


「帰ってきたのか!」


 あっという間に人が集まってきた。


「足はどうした!?」


「大丈夫なのか!?」


「お母さんたち、ずっと心配してたんだぞ!」


 口々に声を掛けられ、コルは少し照れくさそうに笑った。


「うん。」


「みんなが助けてくれたんだ。」


 そう言ってアリアたちを見る。


 町の人々は一斉に頭を下げた。


「ありがとうございます。」


「本当にありがとうございました。」


 突然のお礼に、アリアはぶんぶんと首を振る。


「ううん!」


「コルが案内してくれたんだよ!」


「だから、わたしたちも助かったの!」


 その言葉に、人々はほっとしたように笑った。


「コルは昔から、そういう子だったねぇ」


「お母さん、泣いて喜ぶぞ。」


 コルは照れくさそうに頭をかいた。


「帰ろう。」


 細い路地へ入る。


 岩壁に沿って続く坂道を少し歩くと、一軒の石造りの家が見えてきた。


 丸い木の扉。


 窓辺には色とりどりの花。


 玄関先には、小さな長靴が二足並んでいた。


 コルは家を見つめると、小さく息を吸った。


「……ただいま!」


 元気いっぱいの声が、静かな住宅街へ響いた。


 その瞬間だった。


 バタン!


 勢いよく扉が開く。


「コル!!」


 一人の女性が飛び出してくる。


 コルの姿を見るなり、そのまま駆け寄った。


「コル!」


 ぎゅっと抱きしめる。


「よかった……。」


「本当によかった……。」


 声が震えていた。


 肩も小さく震えている。


「お母さん……。」


 コルも少し照れながら、小さく笑う。


 その後ろから、小さな足音が聞こえた。


「おにいちゃーん!」


 四歳くらいの小さな女の子が、両手を広げて走ってくる。


 勢いよくコルへ飛びついた。


「わぁっ。」


 コルは笑いながら妹を抱き止めた。


「ただいま。」


「さみしかったぁ……。」


「うん。」


「ごめんね。」


 妹は首を横へ振ると、コルへぎゅっとしがみつく。


 その姿を見つめながら、アリアは思わず足を止めた。


 四歳くらい。


 森へ落ちた、あの頃の自分と同じくらいの年だ。


 兄へ甘える小さな背中を見ていると、胸の奥がふわりと温かくなった。


 ノルンも少し離れたところから、その再会を静かに見守っていた。


「よかったですね」


 小さくこぼれた声に、アリアもうなずく。


「うん」


 みんな、コルが帰ってきたことを喜んでいる。


 きっと、お父さんもお母さんも。


「……お父さんとお母さんも」


 ぽつりと声がこぼれた。


 隣にいたルカが、アリアを見る。


「わたしたちが帰ったら、こんなふうに喜んでくれるかな」


 ルカは少しだけ目を伏せた。


「……喜ぶよ」


「マルルも一緒に?」


「当たり前だろ」


「マルルも、家族だからな」


「なの!」


 マルルがうれしそうに耳をぴんと立てた。


 森の家。


 自分たちを待っている、お父さんとお母さんの顔。


 いつも使っていた食卓。


 もうずいぶん長い間、帰っていないような気がした。


 ルカは少しだけ笑った。


「たぶん、パパには怒られるけど」


「えっ」


「勝手にこんな遠くまで来たから」


 アリアは少し考えて、


「……わたしも?」


「アリアはママにぎゅってされる」


「ルカは?」


「ぼくはパパに怒られる」


「えぇ……」


 アリアが困った顔をすると、ルカは小さく笑った。


 それでも。


 二人とも、同じ家を思い浮かべていた。


 マルルも、そのそばでうれしそうに耳を揺らしている。


 帰りたい。


 ほんの少しだけ、その気持ちが強くなった。


 ノルンはそんな三人を見つめ、静かに微笑んでいた。


 その時だった。


 通りの向こうから、重たい足音が近づいてきた。


 ガチャ、ガチャ。


 工具の触れ合う音に、コルが顔を上げる。


 一人のモグラ獣人が、大きな工具箱を手に歩いてきていた。


 作業着には黒い油汚れが付き、肩には使い込まれた布が掛けられている。


 疲れたように肩を落としていた男は、家の前に集まる人影を見て足を緩めた。


「……?」


 そして。


 その視線が、コルで止まった。


「……コル?」


 工具箱が、ごとりと地面へ落ちる。


「父さん!」


 コルの顔がぱっと明るくなった。


 次の瞬間、お父さんは駆け出していた。


「コル!」


 大きな腕が、コルの体をぎゅっと抱きしめる。


「無事だったのか……!」


「うん」


「父さん、ただいま」


「ああ……」


 何度も確かめるように、コルの背中を撫でる。


「よかった……」


「本当に、よかった……」


 その声は、少し震えていた。


 けれど。


 体を離したお父さんの目が、コルの右足で止まる。


 膝から下を固定する添え木。


 そして松葉杖。


 表情が変わった。


「……コル」


「その足、どうした」


「あ……」


 コルの耳が、ぺたりと伏せる。


「山で、ちょっと転んで……」


「ちょっと?」


 お父さんの眉がぴくりと動いた。


「父さんが迎えに行くまで待っていろと言っただろう!」


「……はい」


「どうして一人で山へ入った!」


 大きな声に、コルの肩がびくっと縮む。


「だって……」


「早く帰りたくて……」


「だからって、一人で来ていい理由にはならない!」


「……ごめんなさい」


「母さんがどれだけ心配したと思ってる」


「町のみんなだって、お前を探してくれたんだぞ」


「……うん」


 コルはしゅんとうつむいた。


 お父さんはまだ何か言おうとして、


「……」


 口を閉じた。


 そして、大きく息を吐く。


 怒っていたはずの手が、そっとコルの頭へ乗せられた。


「……でも」


 声が少しだけやわらかくなる。


「無事に帰ってきてくれて、よかった」


 コルが顔を上げる。


「父さん……」


「おかえり、コル」


 コルの顔に、ようやく笑顔が戻った。


「うん!」


「ただいま!」


 その様子を見ていたアリアも、ほっとしたように笑った。


 するとコルが、はっとしたように振り返る。


「あっ、父さん!」


「この人たちが、ぼくを助けてくれたんだ」


「山で怪我した時も助けてくれて、ここまで一緒に来てくれたんだ」


 お父さんは初めて、アリアたちへしっかりと目を向けた。


 アリア。


 ルカ。


 マルル。


 そしてノルン。


 驚いたように目を見開いたあと、すぐに深々と頭を下げる。


「そうだったのですか」


「息子を助けてくださり、本当にありがとうございました」


 アリアは慌てて両手を振った。


「ううん!」


「コルも、わたしたちをいっぱい助けてくれたよ!」


「地下へ来る道も教えてくれたの!」


 ルカもうなずく。


「コルがいなかったら、ぼくたちもここまで来られませんでした」


 お父さんはコルを見る。


「……そうか」


 さっきまで叱られて小さくなっていたコルが、少しだけ胸を張った。


 その姿に、お父さんの口元がわずかに緩む。


「申し遅れました」


 もう一度アリアたちへ向き直る。


「コルの父、ガンツです」


「この町で、昇降塔の整備士をしています」


「昇降塔!」


 アリアが目を丸くする。


「じゃあ、あの大きいのを直してる人?」


「ああ」


 ガンツはうなずいた。


 けれど、その表情がほんの少しだけ曇る。


「……まあ、その話はあとにしましょう」


 その時、お母さんがくすっと笑った。


「そうね」


「みんな、いつまで外で立ち話してるの?」


 扉を大きく開ける。


「せっかくコルを連れて帰ってきてくれたんですもの」


「今日は、うちでご飯を食べていってください」


 アリアの顔がぱっと明るくなった。


「いいの?」


「もちろん」


「さあ、どうぞ。」


 コルのお母さんが木の扉を開ける。


 家の中へ入ると、木のぬくもりがふんわりと迎えてくれた。


 石造りの壁には棚が取り付けられ、食器や小さな置物がきれいに並んでいる。


 奥では鍋から湯気が立ち上り、香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がっていた。


「わぁ……。」


 アリアのお腹が小さく鳴る。


「えへへ。」


 思わず照れ笑いを浮かべると、妹がくすっと笑った。


「おねえちゃんも、おなかすいた?」


「うん!」


 二人は顔を見合わせて笑う。


「みんな、座って。」


 お母さんが大きな机へ料理を並べ始める。


 焼きたての丸パン。


 野菜がたっぷり入った温かいスープ。


 きのこの炒め物。


 焼いた白身魚。


 どれも家庭の温もりが感じられる料理だった。


「いただきます。」


 みんなで手を合わせる。


 アリアはスープを一口飲むと、ぱっと顔を輝かせた。


「このキノコのスープ、凄くおいしい!」


 ノルンもスープを一口飲み、ほっとしたように息をついた。


「本当に。とても優しい味ですね」


「でしょう?」


 お母さんがうれしそうに笑う。


「たくさんあるから、いっぱい食べてね。」


 その横で、お父さんはようやく大きく息をついた。


 緊張がほどけたように椅子へ腰を下ろす。


「コル。」


「はい。」


「あとで詳しく聞かせてもらう。」


「……うん。」


 コルは少しだけ背筋を伸ばした。


 けれど、お父さんはすぐに表情をやわらげる。


「でも、その前に。」


「帰ってきてくれて、本当によかった。」


 コルは小さく笑った。


「うん。」


 しばらくの間、部屋には食器の触れ合う音だけが流れる。


 温かな時間だった。


 その時、お父さんがぽつりとつぶやいた。


「……今日も駄目だった。」


 その一言で、部屋の空気が少しだけ変わる。


 お母さんが手を止める。


「昇降塔?」


「ああ。」


 お父さんは静かにうなずいた。


「朝から夕方まで、整備士全員で調べた。」


「歯車も異常なし。」


「滑車も異常なし。」


「綱にも傷一つない。」


「水路も詰まっていない。」


「水門もちゃんと開く。」


 ルカが顔を上げる。


「……それなのに?」


「動かない。」


「水は流れ、水車も回る。だが、なぜか昇降塔を動かす力だけが途中で消えてしまう」


 お父さんは苦笑するように首を振った。


「壊れているなら直せる。」


「だが、どこにも異常が見つからない。」


 アリアはスプーンを置いた。


 町へ入る前の景色が頭に浮かぶ。


 赤く燃える炉。


 そのそばで、小さく体を丸めていた火の精霊たち。


「……あの。」


 部屋のみんながアリアを見る。


 アリアは少しだけ迷ってから口を開いた。


「町へ来る前。」


「火の精霊さんが、元気なかった。」


 お父さんは首をかしげる。


「火の精霊?」


「うん。」


「いつもは楽しそうなのに。」


「今日は、みんな炎のそばで小さくなってた。」


 部屋が静かになる。


 お父さんは腕を組み、何かを思い出すように天井を見上げた。


「……火、か。」


 その時だった。


 リン。


 マルルの胸元で、コンパクトが静かに鳴る。


 淡い青い光が、ゆっくりと床の向こうへ伸びていく。


 その先は、さらに地下深くへ続く通路の方角だった。


 マルルが耳をぴんと立てる。


「まだ下なの。」


 誰も言葉を発さない。


 青い光だけが、静かに地下の奥を指し続けていた。


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