第47話 止まった昇降塔
山道を曲がった、その先だった。
「わあ……」
アリアが思わず足を止める。
切り立った岩山の中腹に、大きな町が広がっていた。
灰色の石で積み上げられた家々。
斜面へ沿うように伸びる坂道。
山肌へ張り付くように建つ工房からは、赤く燃える炉の火が見える。
そのさらに上。
山頂近くには、大きな城が静かに町を見下ろしていた。
「お城!」
アリアは目を輝かせる。
「すごーい!」
けれど、その視線はすぐ隣の岩山へ移った。
「山も大きい!」
首が痛くなるほど見上げても、まだ頂上が遠い。
そのまま今度は町へ目を向ける。
「あっ!」
「ルカ!」
「お家がお山にくっついてる!」
石造りの家々は、まるで岩山と一つになったようだった。
木の町ばかり見てきたアリアには、その景色すべてが新しかった。
「屋根も石だ!」
ルカも見上げ、小さく息をのむ。
「本当だ……」
山へ響く金属を打つ音。
ダグナの工房でも聞いた音だった。
けれど、その数が違う。
あちらからも。
こちらからも。
町中のあちこちから重なり合い、山全体が歌っているように響いていた。
「すごいね!」
アリアは思わず笑顔になる。
その時だった。
「……あれ?」
笑顔が少しだけ消える。
きょろきょろと辺りを見回した。
「アリア?」
ルカが首をかしげる。
「どうした?」
「……なんか」
アリアは小さく首をかしげた。
「火の精霊さん、元気ない」
コルが不思議そうな顔をする。
「精霊?」
「うん」
炉のそば。
赤い火の近くに、小さな火の精霊たちがいた。
けれど、いつものように楽しそうに跳ね回っていない。
炎のそばへ寄り添うように、小さく体を丸めている。
「疲れてるのかな……」
ノルンも静かに炎を見つめる。
だが、ノルンには精霊の表情や姿までは見えない。
「……気になりますね」
そうつぶやいた時だった。
「あれ?」
今度はコルが立ち止まった。
町の入口、その先を見つめたまま動かない。
「どうしたの?」
アリアが尋ねる。
コルは少し困ったような顔で前を指差した。
「……やっぱり」
その先には、大勢の人だかりができていた。
荷車。
商人。
職人。
次々と人が集まり、何かを見上げている。
その中心には、巨大な昇降塔がそびえ立っていた。
けれど。
大きな昇降台は、中ほどで止まったまま動いていない。
「まだ……止まってる」
コルが小さくつぶやく。
近くでは、町の人たちの声が飛び交っていた。
「まだ直らないのか!」
「地下へ荷物が運べないぞ!」
「家族が待ってるんだ!」
エッダも昇降塔を見上げ、小さく息をつく。
「これは……今日中には動きそうにないね」
コルは少し考えると、ゆっくり口を開いた。
「……ぼく」
「地下へ行く道、知ってる」
コルの言葉に、一同が顔を見合わせた。
「地下へ?」
エッダが聞き返す。
コルはこくりとうなずいた。
「昇降塔じゃなくて、山の横にある道」
「細いけど……歩いてなら行ける」
トアが目を丸くした。
「そんな道があるの?」
「地元の人しか、あんまり使わないんだ」
コルは昇降塔の脇にそびえる岩山を指差した。
「あっち」
みんなが視線を向ける。
岩肌には草木が生い茂り、一見すると道など見当たらない。
「本当にあるの?」
アリアが首をかしげる。
「うん」
「昔からある道」
「ぼく、小さい頃に父さんと歩いたことある」
昇降塔の前では、怒号が飛び交っていた。
「まだ直らねぇのか!」
「地下へ荷物が送れないぞ!」
荷車は何台も列をなし、職人たちは腕を組み、商人たちは困り果てた表情で昇降塔を見上げている。
エッダは静かに息をついた。
「これは……今日中の復旧は難しそうだね」
ヴァンが岩山へ目を向ける。
「あの道じゃ馬車は無理だ」
フィンもうなずいた。
「荷物も運べない」
商隊には届けなければならない商品がある。
馬もいる。
ここを離れるわけにはいかなかった。
しばらく考えていたエッダは、ゆっくりとアリアたちを見た。
「アリア」
「はい」
「あんたたちは、その道を行きな」
アリアが目を丸くする。
「いいの?」
「ああ」
エッダはやさしく笑った。
「私たちは昇降塔が直るのを待つよ」
「動き次第、荷物を届けに地下へ向かう」
トアも笑顔で続ける。
「地下でまた会おう」
「うん!」
アリアは元気いっぱいにうなずいた。
ノルンも小さく頭を下げる。
「それでは、わたしたちは先に向かいます」
「気を付けるんだよ」
ロザがアリアの頭をそっとなでる。
モーリはコルへ視線を向けた。
「無理だけはしちゃ駄目だからね」
「うん」
コルは松葉杖を握り直した。
「案内する」
その声は、小さいけれど力強かった。
マルルの耳がぴくりと動く。
「こっちなの」
胸元のコンパクトが、淡い青い光を放つ。
細い光は、コルが指差した岩山の方へまっすぐ伸びていた。
「同じ方向だ」
ルカが静かにつぶやく。
コルは少しだけ誇らしそうに笑う。
「だから大丈夫」
「ちゃんと連れて行く」
アリアはその笑顔を見て、大きくうなずいた。
「よろしくね!」
「うん!」
五人は商隊へ手を振ると、昇降塔へ集まる人々の脇を抜け、岩山の麓へ向かって歩き始めた。
地元の人しか知らないという細い山道。
その先には、地下へ続く道が待っていた。
岩山の麓まで来ると、コルは大きな岩の前で立ち止まった。
「ここ」
松葉杖を脇へ寄せ、左手で背の低い茂みをかき分ける。
「えっ」
アリアが目を丸くした。
「道がある!」
岩陰に隠れるように、細い山道が口を開けていた。
人が一人歩けるほどの幅しかない。
知らなければ、そのまま通り過ぎてしまいそうな道だった。
「ほんとだ……」
ルカも思わず足元を見下ろす。
「昔は、みんなここを歩いてたって父さんが言ってた」
「今は、ほとんど誰も使わないけど」
アリアは岩山を見上げる。
「わぁ、冒険みたい!」
嬉しそうに一歩踏み出そうとしたところで、
「アリア」
ルカが肩へ手を置いた。
「足元」
「あ」
慌てて下を見る。
道は思っていたより急だった。
「えへへ」
照れ笑いを浮かべながら、一歩ずつ慎重に下り始める。
細い道は、すぐに木々の間へ消えていった。
風が吹き抜ける。
地上の町の音は、少しずつ遠ざかっていく。
代わりに聞こえてきたのは、水の流れる音だった。
「川?」
アリアが耳を澄ませる。
「地下河川だよ」
コルが振り返る。
「ずっと下を流れてる」
「音だけ聞こえるんだ」
「地下なのに川があるんだ!」
アリアは目を丸くした。
「すごい!」
やがて山道は終わり、石を積み上げた古い階段へ変わる。
長い年月で角が丸くなった石段。
ところどころ苔が生え、足元は少し湿っている。
コルはゆっくり一段、また一段と下りていく。
右足をかばいながら、松葉杖をついて慎重に。
「うん」
何十段か下った頃だった。
「……っ」
コルの肩が小さく揺れた。
右足へ体重がかかった瞬間、顔がわずかにゆがむ。
それでも何も言わず、もう一段下りようとした。
カツッ。
松葉杖の先が石段の角で滑る。
「!」
体が前へ傾いた。
その腕を、ルカがすぐにつかむ。
「危ない」
「ご、ごめん……」
コルは慌てて体勢を立て直した。
「まだ歩ける」
そう言って笑おうとしたが、その笑顔は少しだけ引きつっていた。
ルカは黙って前方を見た。
石段はまだずっと続いている。
それから静かにコルの前へしゃがみ込んだ。
「乗れ」
コルは目を見開く。
「でも……」
「案内はコルにしかできない」
ルカは振り返らずに言った。
「ここで足を悪くしたら困る」
コルは松葉杖を見つめ、少し迷ってから、小さくうなずいた。
「……ありがとう」
ルカの背へそっと体を預ける。
ノルンが松葉杖を持つ。
アリアがにっこり笑った。
「これなら早いね!」
「転ばなくて済むしね」
ノルンもやさしく微笑んだ。
マルルの胸元で、コンパクトが小さく鳴る。
リン。
「近づいてるなの」
淡い青い光が、石段のさらに奥を指していた。
五人は再び歩き始める。
やがて前方が、ほんのりと明るくなった。
「……あ」
アリアが思わず立ち止まる。
石段の終わり。
その先に広がっていた景色を見た瞬間、息をすることさえ忘れた。
「わあぁぁ……」
高い、高い岩の天井。
そこ一面に、小さな光る石が無数に埋め込まれている。
白い光。
青い光。
淡い金色の光。
夜空へ星を散りばめたような光が、地下の町全体をやさしく包んでいた。
「ルカ……」
小さく袖を引っ張る。
「見て」
「ほんとだ……」
ルカも思わず見上げた。
「地下なのに……」
「お空みたい」
アリアは何歩か前へ歩く。
光る天井を見上げたまま、くるりと一回転した。
「夜なのかな」
「でも明るいね」
ノルンも見上げる。
「あれは照明用の魔石でしょうか」
「町中へ埋め込まれていますね」
アリアは今度は足元へ目を向けた。
「あっ!」
「橋!」
石でできた橋が何本も町をつないでいる。
橋の下では、澄んだ水が静かに流れていた。
「川だ!」
ぱたぱたと駆け寄る。
身を乗り出してのぞき込むと、
「お魚さん!」
小さな銀色の魚が群れになって泳いでいた。
「地下なのにお魚さんいる!」
「すごーい!」
嬉しそうに橋を渡る。
橋の途中には小さな水車があり、水を受けながら静かに回っていた。
「ルカ!」
「あれ見て!」
「くるくる回ってる!」
「水で動いてるんだ」
コルが少しだけ笑う。
「この川が町を流れてるんだよ」
「だから水もいっぱい使える」
「へぇぇ!」
アリアは橋を渡り終えると、今度は通りの両側を見回した。
「あっ!」
「お店!」
岩壁をくり抜いた店がずらりと並んでいる。
ガラス細工。
銀細工。
歯車を組み合わせた小さな置物。
色とりどりの宝石。
光を受けて、きらきらと輝いていた。
「きれい……」
アリアはガラス越しに顔を近づける。
「ルカ!」
「これ見て!」
「お花みたい!」
ガラスで作られた花びらが、光を受けて虹色にきらめく。
「こっちは時計!」
「こっちは音が鳴る箱!」
歩くたびに、新しい物が目へ飛び込んでくる。
右を見て、
左を見て、
また振り返る。
「わあぁ!」
「忙しい!」
ルカは思わず吹き出した。
「ちゃんと前見ろ」
「あっ」
前を向いた瞬間、
今度は大きな歯車がゆっくりと回っているのが見えた。
「またあった!」
「すごい!」
コルが少し照れくさそうに笑う。
「ここは細工師さんの町なんだ」
「下から届いた材料で、みんな物を作ってる」
「だからこんなにいっぱいあるんだ」
「へぇぇ……」
アリアは胸の前で手を組んだ。
「地下なのに……」
「地上と同じ町なんだ」
いや。
首を横へ振る。
「ううん」
「地上よりすごい!」
その笑顔を見て、コルも思わず笑った。
けれど。
その時だった。
アリアの笑顔が、ふっと止まる。
「あれ……?」
さっきまで見えていなかったものが、少しずつ目へ入ってきた。
職人たちは腕を組み、難しい顔で話している。
店先へ並ぶ品は美しいのに、誰もそれを見ようとしない。
広場には、大きな木箱が何十個も積み上げられたままになっていた。
木箱には、
『第二層行き』
『地上行き』
と書かれた札。
運ばれることなく、その場に置かれたまま。
「材料が来ない」
「これじゃ仕事にならん」
「昇降塔さえ動けば……」
ため息混じりの声が聞こえてくる。
アリアはゆっくり周りを見回した。
「みんな……、困ってる」
コルが小さくうなずく。
「昇降塔が止まると、この町は仕事ができなくなる」
「材料は下から」
「作った物は地上へ」
「どっちも止まっちゃうんだ」
アリアは積まれた木箱を見つめた。
丁寧に磨かれたガラス細工。
細かな歯車。
きっと誰かが楽しみに待っている物ばかりだ。
それなのに、どの箱も動かない。
リン。
マルルの胸元でコンパクトが小さく鳴る。
「まだ下なの」
青い光は第一層を通り抜けるように地下深くへ伸びていく。
コルもその光を見つめ、小さくうなずいた。
「ぼくの家も……もっと下」
アリアはもう一度だけ町を見回した。
きらきら光る天井。
橋を流れる地下河川。
ガラス細工のお店。
さっきまで「すごい!」と思っていた景色は、何一つ変わっていない。
変わったのは、人々の表情だけだった。
「早く……」
小さくつぶやく。
「また、みんなが笑えるようになるといいな」
リン。
マルルが耳をぴんと立てた。
「こっちなの」
アリアは青い光を見つめ、大きくうなずく。
「行こう」
「ああ」
五人は地下深くへ続く通路を歩き始めた。




