第44話 女神様からのお願い
夕日が山の向こうへゆっくりと沈み始めていた。
「今日はこの辺りで泊まろう」
エッダの声で、二台の馬車が街道脇の少し開けた場所へ止まる。
山道を渡り終えた馬たちも、どこかほっとしたように鼻を鳴らした。
「よし、いつも通りだよ!」
ロザたちが手際よく動き始める。
荷台から机や椅子が運ばれ、布屋根が広げられる。
モーリは鍋へ水を張り、ヴァンは馬の体をやさしく拭いていた。
「アリア、これお願い」
「はぁい!」
アリアは木の器を抱えて机へ並べていく。
ルカは水袋を運び、ノルンは布を広げて机を拭いた。
マルルはというと、小さなスプーンを一本ずつ真剣な顔で並べている。
「まっすぐなの」
「ありがとう」
トアが笑う。
やがて鍋から湯気が立ち始めた。
「できたよ!」
今日の夕食は、野菜と豆がたっぷり入った煮込み料理だった。
焼きたてのパンを添え、みんなで机を囲む。
コルも荷馬車の入口へ腰掛け、包帯を巻いた足を伸ばしながら、みんなと一緒に食事をしていた。
「いただきます!」
温かな声が重なる。
アリアはパンをちぎると、煮込みへちょんと浸した。
「パンもお野菜も、一緒に食べるともっとおいしい!」
「分かってるねぇ」
モーリが目を細めた。
アリアの頬が自然とゆるむ。
「いっぱい歩いたからね」
モーリはそう言って、もう一度目を細めた。
食事が終わる頃には、山はすっかり夜の色へ変わっていた。
ランタンの灯りが机をやさしく照らす。
虫の声だけが静かに響いていた。
モーリがお茶を配る。
湯気の向こうで、エッダがゆっくりと口を開いた。
「昼間から、気になってたことがあるんだ」
自然と全員の視線が集まる。
「あの『カケラ』って、何なんだい?」
アリアはルカを見た。
ルカはノルンを見る。
ノルンは静かにうなずいた。
「話しても、大丈夫だと思います」
アリアはマルルをそっと抱き上げた。
「マルル、お願い」
「いいなの」
マルルが小さくうなずく。
胸元のチョーカーについた小さなコンパクトが、ひとりでに開いた。
淡い青い光が、ランタンの明かりの中へ静かにこぼれる。
八つ並ぶくぼみ。
そのうち一つだけに、青い結晶がはまっていた。
「これが、世界をつなぐ鍵なの」
エッダたちが身を乗り出した。
「それが……世界をつなぐ鍵?」
「うん」
誰も言葉を返せなかった。
マルルはコンパクトを大切そうに両手で包む。
「女神様にもらったの」
「女神様?」
ロザが思わず聞き返した。
ルカが静かにうなずく。
「本当に会ったんです」
エッダは小さく息をついた。
「……信じられない話だけど」
「あんたたちは、その女神様に旅を頼まれたっていうのかい?」
「うん」
アリアはうなずいた。
「世界をつなぐ鍵を集めてほしいって、お願いされたの」
ロザの視線が、マルルの胸元で淡く光るコンパクトへ向く。
「その鍵が……これ?」
「はい」
ルカが静かに答えた。
「鍵は八つの欠片に分かれています」
ノルンも続ける。
「今、見つかっているのは一つだけです」
ランタンの灯りが、小さな青い欠片を照らす。
トアは息をのみ、コンパクトを見つめた。
「だから……みんなで旅をしてるんだ」
アリアはもう一度、小さくうなずいた。
「うん」
「女神様との約束だから」
「それでね、今日会った大地の精霊ね」
「あのお腹の中に、二つ目の欠片があるの」
「えっ!?」
トアが思わず声を上げた。
「じゃあ取れたの?」
アリアは首を振る。
「まだ」
「今は出せないって」
ノルンが続ける。
「古い井戸まで案内してくれるそうです」
コルが小さく目を見開いた。
「古い井戸……?」
「知ってるの?」
アリアが尋ねる。
コルは首を横に振る。
「行ったことはないよ」
「でも、おじいちゃんが」
「子どもは近付いちゃだめだって」
「なんで?」
アリアが首をかしげる。
「……知らない」
誰も口を挟まない。
ただ静かに聞いていた。
やがてエッダが、小さく尋ねる。
「その旅が終われば……どうなるんだい?」
アリアは少しだけうつむいた。
「分からない」
静かな声だった。
「でも」
アリアは膝の上のマルルを、そっと抱き寄せた。
「きっと、おうちへ帰れるって、女神様が言ってた」
その言葉に、空気が静まる。
ヴァンが低く尋ねた。
「帰る家は……あるんだな?」
アリアは首を横へ振った。
「なくなっちゃった」
誰も動かなかった。
アリアは少し笑おうとした。
「帰ったらね」
「おうちも」
「村も」
「みんななくなってたの」
ランタンの火だけが、小さく揺れる。
トアが口元を押さえた。
「そんな……」
ロザも目を伏せる。
モーリは静かに息を吐いた。
ルカが続ける。
「だから旅に出ました」
「女神様は、村はなくなったんじゃないって」
「別の場所へ流されたって言ってました」
「だから、探しています」
エッダはしばらく何も言わなかった。
目の前にいるのは、笑いながらお手伝いをしていた小さな子どもたち。
その笑顔の奥に、こんな出来事を抱えていたなんて。
思いもしなかった。
「……そうだったのか」
その一言しか出てこない。
しばらく沈黙が続いた。
「昼間ね」
「あんたがおうちって呼んでた馬車」
「ただの子どもの呼び方だと思ってた」
「違ったんだね」
「あれが、今のあんたたちの家だったんだ」
やがてエッダは立ち上がる。
アリアたちの前まで歩くと、しゃがみ込み、三人と目線を合わせた。
「よく話してくれたね」
アリアが小さくうなずく。
「ありがとう」
エッダはしばらくアリアを見つめていた。
「……六歳の子が背負うには、大きすぎる旅だ」
小さく息を吐く。
「でも、一人じゃない」
「グラナへ着くまで、あたしたちは一緒だ」
「困ったことがあれば遠慮なく言うんだよ」
「一人で抱え込む必要なんてない」
ロザもうなずく。
「荷物を運ぶのも手伝うからね」
「欠片探しも協力するよ!」
トアが元気よく手を挙げる。
ヴァンは腕を組んだまま、小さく笑う。
「道中の危ない場所は俺たちに任せろ」
「馬も、人も守る」
フィンが静かにうなずいた。
「耳も貸そう」
「何か聞こえたら、すぐ伝える」
モーリは大きな手でアリアの頭をぽんと撫でた。
「まずは、いっぱい食べて、いっぱい寝ること」
「子どもの仕事だからな」
包帯を巻いた足をそっとさすりながら、荷馬車の入口で話を聞いていたコルが、小さく笑った。
「グラナへ着いて、足が治ったら」
「今度は、ぼくがみんなを案内するよ」
アリアがぱっと振り向く。
「ほんと?」
「うん」
「ぼくの町だから」
「きっと、みんなも好きになるよ」
その言葉に、エッダたちも笑顔になる。
「それは頼もしい案内役がいるね」
アリアはうれしそうに笑った。
「楽しみ!」
マルルの耳がぴんと立った。
ノルンも、小さくほほえむ。
ルカは黙ったまま、少しだけ肩の力を抜いた。
その笑顔を見て、エッダも笑った。
「さあ、明日も早い」
「今日はゆっくり休もう」
夜空には、満天の星が広がっていた。
ランタンの灯りの中で笑い合う声が、静かな山へやさしく溶けていった。




