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森で拾ったのは、半人前の天使でした ― ラグドール一家と小さな天使 ―  作者: くいたん


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第43話 大地の下の道案内


 アリアが新しくできた道を戻ってくると、ルカはその場で両腕を組んでいた。


「アリア」


「ただいま!」


「おかえり。‥じゃなくて」


 言いたいことは、いくつもあった。


 どうして待てなかったのか。


 どうして、あんな大きな口の前へ一人で降りたのか。


 もし、あの大地の精霊が急に気を変えていたら?


 もし、アリアの羽が途中で消えていたら?


 崩れた道のこちら側にいたルカには、何もできなかった。


 けれど、目の前に戻ってきたアリアの姿を見た途端、胸の奥に最初に広がったのは怒りではなかった。


 無事だった。


 そのことに、今さら足から力が抜けそうになる。


 ルカはそれをごまかすように、腕を組み直した。


 アリアは抱いていたマルルを、そっと地面へ下ろした。


 大きく広がっていた光の羽が縮み、いつもの小さな羽へ戻っていく。


「見るだけって言ったよね」


「うん」


「なのに、向こうへ降りたよね」


「お話しするために」


「大きな口もあったよね」


「食べないって言ってたよ?」


「聞く前は分からなかったでしょう!」


 思っていたより強い声が出た。


 ルカの尻尾が、ぴんと立つ。


 アリアは少しだけ肩を縮ませた。


「でも、おなかにカケラが入ってたの」


「それでも、一人で行かない」


「‥‥マルルもいたよ?」


 足元でマルルが顔を上げた。


「マルルも止められなかったなの」


「二人で行ったら、一人じゃないって意味じゃないからね」


「そうなの?」


「そうなの!」


 ルカの尻尾が、今度は大きく左右へ揺れた。


 アリアは両手を前で重ねると、少しうつむいた。


「ごめんなさい」


 その小さな声を聞いた途端、ルカの中に残っていた勢いがしぼんだ。


 叱りたいわけではない。


 ただ、怖かったのだと伝えたいだけなのに、うまく言葉にならない。


 ルカは口を閉じると、アリアの頭へ手を置いた。


挿絵(By みてみん)


「……ちゃんと戻ってきてよかった」


「うん」


 指先に、いつもの柔らかな髪が触れる。


 それでようやく、本当に戻ってきたのだと思えた。


「次はいいって言うまで、ちゃんと待ってて」


「うん」


「本当に分かった?」


「次は、ルカも一緒に行く!」


「そうじゃない」


 ノルンが小さく息を吐いた。


 トアは口元を押さえ、肩を震わせている。


「話の続きは、馬車を渡してからにしよう」


 エッダが新しくできた道へ目を向けた。


 フィンとヴァンはすでに反対側まで歩き、せり上がった岩や道幅を確かめている。


 道は馬車一台が通れるほどの幅しかない。


 二台の大型馬車を、一台ずつ慎重に渡す必要があった。


「先に商品を積んだ方から行くよ」


 エッダが言った。


「荷崩れがないか、もう一度確かめて」


「分かった」


 ロザとフィンが、後ろの荷物用馬車へ向かう。


 布や日用品、保存食を積んだ荷台では、急に止まった時の揺れで、いくつかの木箱がわずかにずれていた。


 ロザが荷台へ上がり、箱を一つずつ押して確かめる。


 フィンは縄を引き、緩んでいる場所がないか見ていった。


 ヴァンは馬のそばへ立ち、首筋をゆっくりとなでる。


「大丈夫だ。ゆっくり行こう」


 馬は鼻を鳴らし、前脚で土を一度かいた。


 耳が落ち着かず、何度も前後へ動いている。


 崩れた道の向こうにいた大きな地竜を、まだ覚えているのだろう。


 アリアは少し離れた場所から馬を見上げた。


「トカゲさん、もう土の中だよ」


 馬の耳がアリアの声へ向く。


「見えないから大丈夫」


「見えない方が怖いこともあるんだよ」


 ルカが隣で言った。


「そうなの?」


「地面の下から急に出てきたら、びっくりするでしょう?」


 アリアは足元を見た。


 新しくできた道の向こう側で、落ち葉の積もった土が少しだけ盛り上がっている。


 大地の精霊は、本当にそこで待っているらしい。


「トカゲさん、急に出てきたらだめだよ!」


 アリアが地面へ向かって呼びかける。


 しばらく返事はなかった。


 やがて、足元の奥深くから低い声が響いた。


「出ぬ」


 馬がびくりと頭を上げた。


「しゃべるのもだめだったみたい」


「先に聞いてからにしようね」


 ルカが額へ手を当てる。


 ヴァンは馬の手綱を短く持ち直した。


「声は聞こえたが、姿は見えない。大丈夫だ」


 同じ言葉を繰り返しながら、馬の首筋をなで続ける。


 やがて馬の耳が、ゆっくりと前を向いた。


「行くぞ」


 御者が合図を送る。


 二頭の馬が、新しくできた道へ足を踏み出した。


 蹄が土を踏むたび、岩の隙間へ絡みついた太い根が、かすかに軋む。


 荷物用馬車の前輪が道へ乗った。


 ぎしり。


 車体がわずかに傾く。


 アリアは思わず、ルカの腕をつかんだ。


 その小さな手の感触に、ルカはすぐ隣を見た。


 さっきまで大地の精霊の鼻先へ平気で近づいていたのに、今は小さな手が震えるようにルカの腕をつかんでいる。


 ルカはアリアの手を振りほどかず、そのまま道へ目を戻した。


 ロザとフィンが馬車の左右を歩き、車輪と道の端を確かめている。


「そのまま」


「少し岩壁側へ」


 御者が手綱を調整する。


 二頭の馬は急がず、同じ速さで進んだ。


 前輪が一番狭い場所を通り抜ける。


 続いて、後輪。


 道の端から小さな石が一つ落ち、斜面を転がっていった。


 けれど、道そのものは揺れなかった。


 荷物用馬車は、そのまま無事に反対側へ渡りきった。


「渡れた!」


 トアが両手を上げる。


 アリアも飛び跳ねようとしたが、ルカが肩を押さえた。


「まだ一台あるからね」


「うん」


 今度は、アリアたちが乗る居住用の大型馬車だった。


 昼は向かい合ったベンチに座り、夜は椅子を広げて平らな寝床にする。


 旅の間、アリアが「おうち」と呼んでいる馬車だ。


「中の物が動かないように、もう一度確認しよう」


 ノルンの言葉に、アリアたちは馬車へ乗り込んだ。


 机の留め具。


 棚の扉。


 上部収納の荷物。


 ルカは一つずつ手で触れ、きちんと固定されているか確かめていく。


 ノルンはカーテンをまとめ直した。


 アリアは寝床の端に置かれていた毛布を抱える。


「これは?」


「収納箱へ入れよう」


「はぁい」


 マルルは床の上を歩き、何か役に立てる物がないか探していた。


 やがて、小さな布袋を見つける。


「これも片付けるなの」


「それ、マルルのおやつだよ」


 アリアが言った。


 マルルは布袋を胸へ抱え直した。


「いちばん大事なの」


「じゃあ、マルルが持ってて」


「任せるなの」


 マルルは真剣な顔でうなずいた。


 確認を終えると、アリアたちは馬車から降りた。


 居住用馬車も、ゆっくりと道へ進み始める。


 エッダは先に反対側へ渡り、御者へ進む位置を示している。


 ロザとフィンは左右。


 ヴァンは馬のそば。


 モーリとトアは、アリアたちと一緒に道の手前で見守っていた。


 大きな車輪が、せり上がった岩の上を通る。


 ごとん。


 車体が揺れ、上に収めた荷物の一つが小さく鳴った。


 アリアの手が、再びルカの服をつかむ。


「おうち、大丈夫かな」


 その一言に、ルカの胸も緊張で強張った。


 あの馬車は、ただ乗るためのものではない。


 夜になれば、みんなで眠る場所になる。


 家が消えてから初めてできた、旅の途中の小さな居場所だった。


「大丈夫」


 ルカは、アリアの手の上へ自分の手を重ねた。


「ちゃんと留めたから」


 自分へ言い聞かせるように、もう一度馬車を見る。


 今度こそ、目の前で大切なものがなくなるのは嫌だった。


 後輪が狭い場所へ差しかかった。


 馬車が、ゆっくりと斜面側へ傾く。


「止めて!」


 フィンの声が飛んだ。


 御者がすぐに馬を止める。


 全員の動きが止まった。


 後輪の下で、土が少し崩れている。


 ヴァンがしゃがみ、道の端を確かめた。


「車輪が外へ寄りすぎている」


「戻せる?」


 エッダが尋ねる。


「このまま下げる方が危ない」


 ルカは、無意識にアリアの手を強く握った。


 馬車が傾くたび、あの日の家の姿が胸の奥へ浮かぶ。


 朝までそこにあったのに、帰った時には何もなかった。


 あの時のように、また突然、大切な場所がなくなってしまうのではないか。


 そんなはずはないと分かっているのに、息が浅くなる。


 その時。


 地面の下で、何かが動いた。


 ず……ん。


 低い音とともに、馬車の傾きが少しずつ戻っていく。


 後輪の下から平らな岩がせり上がり、沈んでいた土を押し上げた。


 車体が、ゆっくりとまっすぐになる。


 馬たちは驚いて足を動かしかけたが、ヴァンがすぐに首筋へ手を当てた。


「大丈夫。動かなくていい」


 ルカは、止めていた息を吐いた。


 隣では、アリアも胸へ手を当てている。


 まだ、ここにある。


 みんなのおうちは、ちゃんと目の前にある。


 アリアは地面へ向かって身を乗り出した。


「トカゲさん、ありがとう!」


「大地の精霊だ」


 土の下から声が返る。


 今度は馬も、先ほどほど大きくは驚かなかった。


「でも、待ってないって言ってたよね?」


「待ってはおらぬ」


「助けてくれたよ?」


「我も古い井戸へ向かう。それだけだ」


「一緒に行くんでしょう?」


「……早く渡れ」


 アリアはにっこり笑った。


「うん!」


 御者が再び馬へ合図を送る。


 後輪はせり上がった岩の上を通り、居住用馬車も無事に反対側へ渡りきった。


 ルカの肩から、ようやく力が抜けた。


 エッダは二台の大型馬車と馬の状態を確かめていく。


 車輪にも、積み荷にも異常はない。


「よし。進もう」


 全員がそれぞれの場所へ戻る。


 アリアたちは居住用馬車へ乗り込んだ。


 二台の大型馬車が、再び山道を進み始める。


 窓の外では、道の脇の土がゆっくりと盛り上がっていた。


 大きな体は見えない。


 けれど、落ち葉の下を進む長い膨らみが、馬車の速さに合わせて山の奥へ続いている。


「本当に一緒に来てる」


 アリアは窓へ頬を寄せた。


「下を通るって、どんな感じなのかな」


「土の中は暗そうだね」


 ルカも外を見る。


「目を開けてるなの?」


 マルルが首を傾げた。


「土が目に入らないかな」


「大地の精霊だから、平気なんじゃない?」


 ノルンが答える。


 アリアは窓を少し開け、地面へ向かって声を掛けた。


「トカゲさん、土が目に入らない?」


 膨らみが止まった。


「入らぬ」


「お口にも?」


「入らぬ」


「お鼻は?」


「人の子よ」


「なあに?」


「黙って進めぬのか」


 アリアは少し考えた。


「進めるよ?」


「ならば、そうせよ」


「分かった!」


 窓を閉じたアリアは、きちんと座り直した。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 馬車の車輪が石を踏む音だけが続く。


 やがてアリアは、もう一度窓を開けた。


「トカゲさん、古い井戸まで、あとどのくらい?」


「アリア」


 ルカがすぐに名前を呼ぶ。


「だって、もう黙ったよ?」


「三つ数えただけでしょう」


 地面の膨らみが、先ほどより少し速く進み始めた。


「トカゲさん、待って!」


「置いてはいかぬと言った」


「でも速くなってるよ!」


「気のせいだ」


「土が、ものすごく速く動いてるなの」


 マルルの丸い尻尾も、窓の外を進む膨らみを追っている。


 リン。


 マルルの胸元でコンパクトが淡く光った。


「カケラなの」


 針は静かに進む先を指していた。


 二台の馬車は山道をゆっくりと進んでいく。


 落ち葉の下では、大地の精霊が、何も言わず馬車と並んで進み続けていた。





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