第3話 はじめての夜
ご飯を食べ終えるころには、窓の外はすっかり夕暮れの色へ変わっていた。
ミルは空になったお皿を重ねながら、みんなの顔を見回してやさしく笑う。
「今日はたくさん頑張ったものね」
「お風呂に入りましょうか」
アリアは聞き慣れない言葉に、小さく首をかしげた。
「……おふろ?」
その隣で、ルカがぱっと顔を輝かせる。
「きもちいいよ!」
「ぽかぽかになるんだ!」
その嬉しそうな様子に、ミルもくすっと笑った。
「じゃあ、一緒に入りましょう」
しばらくして、お風呂場には白い湯気がふんわりと立ちのぼり始めた。
アリアは恐る恐るつま先をお湯へ入れる。
「……!」
ぱっと目を丸くして、思わず声が弾んだ。
「あったかい!」
その反応がおかしくて、もう肩までお湯に浸かっていたルカが笑う。
「でしょ!」
嬉しくなったアリアも、そっとお湯へ入る。
体を包み込むぬくもりに、思わずほっと息がこぼれた。
ルカが手でお湯をすくうと、小さなしぶきがぱしゃっと跳ねる。
「あっ」
二人は顔を見合わせると、くすくす笑い始めた。
「こらこら」
ミルは笑いながらアリアの髪へお湯をかける。
森でついた小さな葉っぱも。
細い枝も。
転んだ時についた土も。
あたたかなお湯と一緒に少しずつ流れていった。
最後に、小さな白い羽を一枚一枚ていねいに洗う。
「きれいな羽ね」
アリアは自分の羽を見つめ、そっと指でなでた。
「……ふわふわ」
「ええ、とっても」
ミルは優しく微笑みながら、最後の泡を静かに流した。
◇ ◇ ◇
お風呂から上がると、ミルは棚をごそごそ探し始めた。
「どこだったかしら……」
しばらくして、小さな寝間着を一枚取り出す。
「これなら着られそうね」
それを見たルカが、すぐに声を上げた。
「あ!」
「ぼくのだ!」
ミルは懐かしそうに笑う。
「ルカが四歳くらいの頃に着ていたのよ」
アリアは大切そうに畳まれた寝間着を見つめた。
「……いいの?」
「もちろん」
ミルはやさしくうなずく。
「新しいお洋服はちゃんと作ってあげるから、それまではこれを貸してあげるね」
寝間着を着せてみると、少しだけ袖が長い。
ミルは袖を一度折り返し、裾もくるりと折って整える。
「これでぴったり」
アリアはその場でくるりと回った。
ふわっと寝間着が揺れる。
「かわいい」
ルカが素直にそう言うと、アリアは照れくさそうに頬を赤くした。
「……えへへ」
その小さな笑顔に、部屋まで明るくなったような気がした。
◇ ◇ ◇
夜になると、ミルは少し困ったように首をかしげた。
「困ったわ」
「まだアリアちゃんのベッドがないのよね」
レオが静かに口を開く。
「明日作ろう」
短い一言だった。
けれど、その言葉は迷いがなく、あたたかかった。
アリアは目を丸くする。
「……わたしの?」
「ああ」
「アリアのベッドだ」
ミルも嬉しそうに笑う。
「楽しみね」
するとルカが勢いよく手を挙げた。
「今日はぼくと寝る!」
「ぼくのベッド、広いよ!」
レオは小さく笑ってうなずく。
「それがいい」
◇ ◇ ◇
ルカの部屋は木の香りがする、小さくて落ち着く部屋だった。
二人で並んで布団へ入ると、ふわりと白い光がルカを包み込む。
光が静かに消えた時、そこには大きな白い猫が丸くなっていた。
「……ねこ」
アリアは嬉しそうに笑う。
ふわふわの毛へ顔をうずめると、昼間と同じあたたかさが頬へ伝わってきた。
「あったかい」
ルカはしっぽをゆっくり揺らす。
「おやすみ」
「……おやすみ」
灯りが消える。
窓の外では虫たちが静かに鳴き、森には穏やかな夜が訪れていた。
ルカはすぐに寝息を立て始める。
すう。
すう。
その寝息を聞きながら、アリアも目を閉じた。
今日はいろんなことがあった。
あったかいスープ。
ぽかぽかのお風呂。
ふわふわの寝間着。
「ベッドを作ってあげる」という優しい約束。
みんな、とても優しかった。
だからだろうか。
安心した途端、それまで張りつめていた心が、ふっとほどけてしまった。
目を閉じたまま、一粒だけ涙が頬を伝う。
「……せんせ」
小さく名前を呼ぶ。
返事はない。
「せんせ……」
もう一粒。
その涙が落ちると、もう止まらなかった。
「……さみしい」
声にならない声がこぼれ、小さな肩が震える。
その時だった。
ふわり、と背中へ何かが触れる。
ルカの長いしっぽだった。
「……」
眠たそうな声が、すぐ近くから聞こえる。
「だいじょうぶ」
「きっと」
「また会えるよ」
アリアは返事ができなかった。
ただ、ふわふわの毛へそっと顔をうずめる。
先生とは違う。
でも、そのぬくもりは同じくらい優しかった。
涙は少しずつ止まり、呼吸もゆっくり落ち着いていく。
「……おやすみ」
小さくつぶやくと、
「おやすみ」
今度はちゃんと返事が返ってきた。
その声を聞きながら、アリアは安心したように静かな眠りへ落ちていった。
◇ ◇ ◇
部屋の外では、ミルがそっと扉へ手を伸ばしていた。
けれどレオは静かに首を振る。
「大丈夫だ」
「ルカがいる」
その一言に、ミルは少しだけ目を潤ませながら微笑んだ。
「そうね」
部屋の中から聞こえてくるのは、もう二人の穏やかな寝息だけ。
レオは夜空を見上げ、小さくつぶやく。
「明日は忙しくなるな」
「ベッドも」
「服も」
ミルはゆっくりとうなずいた。
「あの子が安心して帰ってこられる場所を、少しずつ作ってあげなくちゃね」
レオも静かにうなずく。
今日からあの子は、この家のお客さんではない。
少しずつ。
ゆっくりと。
家族になっていく。
窓の外には満天の星が広がり、そのやさしい光が、小さな家を静かに包んでいた。




