第37話 炉の中の小さな友だち
昼を過ぎた頃、二台の荷馬車が山の間を縫う街道を進んでいると、いつもの揺れに混じって、かすかな異音が聞こえるようになった。
がたん、ことん、と車輪が石混じりの道を転がる。その聞き慣れてきた音の合間に、時々、かちん、と小さな金属音が交じっている。
最初に気づいたのはマルルだった。
「さっきから、音が一つ多いなの」
「音?」
アリアも耳を澄ませてみたが、馬の蹄や車輪の音が重なっていて、最初はよく分からなかった。それでもマルルがじっと床を見つめているので、ベンチから身を乗り出し、木の床へそっと耳を近づけてみる。
がたん、ことん。
しばらく待つと、その奥からもう一度、かちん、と小さな音が響いた。
「あっ、聞こえた!」
ルカも隣へしゃがみ込んで床へ耳を寄せると、猫耳をぴくりと動かしながら音の方向を探った。
「右の後ろだと思う」
「分かるの?」
「たぶん。でも、そっちから聞こえる」
「マルルもそう思うなの」
二人とも耳がいい。
アリアには音が一つ多いことまでは分かっても、馬車のどこから聞こえているのかまでは分からなかった。
向かいに座っていたエッダも耳を澄ませ、何度目かの金属音を聞くと、すぐに御者台へ声を掛けた。
「一度、止めておくれ」
御者が手綱を引くと、先頭を進んでいた居住馬車が道の脇へゆっくり寄り、少し離れて後ろを走っていた荷物用の馬車も止まった。
ヴァンはすぐに馬から降り、アリアたちが乗っている馬車の右後ろへ回った。
大きな車輪の前へしゃがみ込み、軸や金具へ順番に手を触れていく。留め金へ指を掛けて少し揺らしたところで、さっきと同じ音がした。
かちん。
「あっ、それ!」
思わずアリアが声を上げる。
「これだな」
ヴァンは金具をもう一度確かめると、道具袋へ手を伸ばした。
「留め金が少し緩んでる。すぐ外れるほどじゃないが、このまま走り続けるのはよくない」
「村までは行けそうかい?」
エッダが尋ねると、ヴァンは金具を締め直しながら頷いた。
「応急で締めておけば、ゆっくりなら大丈夫だ。ただ、一度きちんと見てもらった方がいい」
エッダは進む先の山道へ目を向けた。
「それならちょうどいいよ。この先の村に、腕のいい鍛冶師がいる」
「かじし?」
初めて聞く言葉にアリアが首を傾げると、ルカが先に答えた。
「鉄を使って道具を作ったり、壊れた金具を直したりする人だよ」
「この車輪も直せる?」
「たぶんね」
ヴァンが応急処置を終え、再び馬車が動き始めてからも、アリアはしばらく右後ろから聞こえる音を気にしていた。
がたん、ことん。
さっきまで交じっていた、かちん、という音はもう聞こえない。
「直った?」
「今はな」
ヴァンが馬上から答える。
「でも、旅の途中でちょっとでもおかしいところを見つけたら、そのままにしない方がいい。」
「ちょっとでも、おかしいところ……」
アリアはその言葉を覚えるように小さく繰り返した。
昨日までなら、馬車はただ進んでいくものだと思っていた。
けれど、馬の様子を確かめたり、荷物の縄を締め直したり、道を見たり、こうして音まで聞いていなければ、長い旅は続けられないらしい。
旅をするというのは、自分が前へ進むことだけではないのだと、アリアはまた一つ知った。
◇
それからしばらくすると、今度は山の向こうから澄んだ金属音が届き始めた。
カン。
カァン。
少し間を置いて、また別の場所から、カン、カン、と響く。
「鐘がいっぱいあるのかな」
アリアが窓から顔を出すと、隣でルカの猫耳が音の方へ向いた。
「鐘じゃないよ。鉄を叩いてる音」
「鉄って、こんな音するの?」
「僕も近くで聞いたことはないけど、たぶん」
道を曲がると、山あいに石造りの家が並ぶ小さな村が見えてきた。
いくつもの煙突から細い煙が上がり、近づくほど槌の音ははっきりしてくる。風の中には木や草とは違う、炭が焼けたような少し焦げくさい匂いも混じっていた。
家々の軒先には、鍬や鎌、鍋、扉に使う金具が並び、その隣には、まだ何に使うのか分からない平たい鉄や短い棒も置かれている。
アリアは、その中の一つを見つけて窓の外を指差した。
「あれ、スプーン?」
ルカも目を向ける。
「まだ途中じゃない?」
「途中って、まだ何になるか決まってないの?」
「作ってる人は決めてると思うよ」
アリアはもう一度、軒先の鉄片を見た。
今はまだスプーンには見えない。
けれど、端の方が少し丸くなっていて、これから叩いたり曲げたりすれば何かになるのかもしれないと思うと、さっきまではただの鉄だったものが、急に気になるものへ変わった。
二台の馬車は、村の奥にある大きな鍛冶場の前で止まった。
開け放された扉の向こうでは、炉の火が赤々と揺れている。
「ダグナ、いるかい!」
エッダが声を掛けると、奥からすぐに返事があった。
「聞こえてるよ」
現れたのは、赤茶色の髪を太い三つ編みにした、小柄な女性だった。
背は高くないのに、袖をまくった腕は驚くほどしっかりしている。革の前掛けにはいくつもの焦げ跡があり、頬にも鼻の先にも黒い煤が付いていた。
アリアは思わず、その姿を口を開けたまま見つめてしまった。
ダグナが気づいて笑う。
「初めてドワーフを見る顔だね」
「分かるの?」
「口がまん丸だよ」
「あっ」
アリアは慌てて口を閉じた。
隣ではルカもダグナを見ていたが、興味はすぐに右後ろの車輪へ移ったらしい。ダグナがしゃがみ込むと、その手元をじっと見つめている。
ダグナは車輪の軸と留め金を順番に確かめ、指先で金具を揺らした。
かちん。
「右後ろだね。よく早めに気づいたもんだ」
「音で分かるの?」
アリアが尋ねる。
「村へ入ってきた時から、ひとつ余分な音がしてたからね」
「マルルも分かったなの!」
ノルンの腕の中にいたマルルが、誇らしげに胸を張った。
「音が一つ多かったなの」
「いい耳だ」
その一言で、マルルの長い耳が嬉しそうに揺れた。
◇
アリアたちの馬車を鍛冶場の横へ移すと、修理の準備が始まった。
ダグナの指示でヴァンとフィンが車軸の下へ太い木を組み、重い車体が動かないよう、何度も位置を確かめながらしっかり支える。
それが終わってから、ようやく右後ろの車輪についていた留め金が外された。
アリアとルカは、そのまま当然のように鍛冶場の中へ入ろうとした。
けれど、二人の前へダグナの太い指が伸びる。
「そこまで」
「え?」
二人の足が止まった。
靴先を見ると、鍛冶場の床へ白い線が引かれている。
「この線から先へは入らない。火の粉が飛んでも追いかけない。置いてある鉄にも触らない」
ダグナはアリアとルカを順番に見た。
「守れるかい?」
「うん!」
「守る」
「なら、そこで見てな」
二人は白い線の手前へ並んだ。
ノルンもマルルを抱いたまま、その少し後ろへ立つ。
ダグナが炉のそばにある大きなふいごを動かすと、送り込まれた風を受けて炎がごうっと膨らんだ。
一度に押し寄せてきた熱い空気に、アリアの水色の髪と、ルカの猫耳の毛がふわりと揺れる。
「熱い……」
思わず一歩下がりそうになったアリアだったが、炎の奥で何かが動いたのを見つけ、すぐに足を止めた。
赤い炎の間を、小さな何かがせわしなく行き来している。
一人が炭を押し、その向こうでは別の一人が炎から顔を出した。さらに奥にも二つ、小さな赤い姿が動いている。
「あっ」
「どうしたの?」
ルカが尋ねた。
「一人、転んじゃった」
「誰が?」
「火の中にいる子。炭につまずいたみたい。でも、もう立ったよ」
「……火の中?」
ルカもアリアと同じ場所へ目を凝らした。
「火しか見えないけど」
「そこだよ。赤い子が三人いて……あっ、後ろにもいる。四人!」
ノルンもアリアが指す炎の奥を見つめる。
しばらく目を凝らしていたが、やがて静かに言った。
「……赤い影なら見えるわ」
「ノルンにも見えるの?」
「ええ。でも、わたしに見えるのは炎の中を動く影だけ。アリアが言っているような姿までは分からないわ」
ノルンはそのまま炎を見つめた。
「火の精霊ね」
「火の精霊?」
アリアとルカの声が重なる。
ダグナは炉の火を確かめながら笑った。
「よく知ってるね。古い炉には火の精霊が住みつくことがあるって、あたしもばあさまから聞いてるよ」
「ダグナにも見えるの?」
「いいや。あたしには見えない」
「見えないのに、いるって分かるの?」
「この炉は、あたしのばあさまの、そのまたばあさまの頃から使ってるんだ。火の精霊が住みついてたって、何もおかしくないくらい古い炉なのさ」
「でも、今まで誰も見なかったの?」
「精霊は、姿を見せたい相手を自分で決めるって話だよ」
アリアはもう一度、炎の奥をのぞき込んだ。
「じゃあ、わたしには見せてくれたのかな」
「そうかもしれないね」
ちょうどその時、こちらを見ていた一人の火の精霊が、にっと笑って両手を振った。
「あっ」
アリアも嬉しくなり、小さく手を振り返す。
「何か言った?」
ルカが尋ねる。
「まだ。でも手を振ってくれた」
「もう友達になったの?」
「まだ」
「まだなんだ」
「今からなるの」
迷いなく答えるアリアに、ルカは少しだけ笑った。
◇
ダグナは外した留め金を火ばさみでつかむと、炉の中へ差し入れた。
すると、小さな火の精霊たちがいっせいに鉄の周りへ集まっていく。
一人が炭を押し、もう一人が炎の奥へ潜る。黒かった鉄は、火に包まれながら少しずつ暗い赤へ変わり、やがて夕焼けのような明るい色になった。
「夕焼けになった」
アリアが小さくつぶやく。
十分に熱した鉄をダグナが取り出し、金床へ置いた。
大きな槌が振り上げられる。
カァン!
鍛冶場いっぱいに金属音が響き、鉄から火の粉がぱっと飛び散った。
「わっ!」
アリアは反射的にルカの後ろへ隠れた。
けれど、すぐにその肩から顔を出す。
飛び散った火の粉の一つに、小さな火の精霊がしがみついていた。
白い線の近くまで飛んでくると、精霊は火の粉の上でくるりと身体を返し、光が消えてしまうより先に炉の中へ飛び戻っていった。
「今の子、飛んだよ!」
「また見えたの?」
「うん。火の粉に乗ってた!」
もう一度、槌が下りる。
カン、カン、と鉄を打つたびに、小さな火の星がダグナの周りへ飛んでは消えていった。
アリアが精霊たちを追っている一方で、ルカは壁に並んだたくさんの槌から目を離せなくなっていた。
「どうして、あんなにいっぱいあるの?」
ダグナは鉄を打つ手を止めずに答える。
「作りたい形や叩く場所で使い分けるからさ。平らにする槌、丸みを付ける槌、細いところを打つ槌。みんな得意な仕事が違う」
ルカの猫耳が、ぴんと前へ向いた。
「木を削る道具と同じだ」
「木工をするのかい?」
「少しだけ。作るのが好きだから」
「わたしもお手伝いするよ」
アリアもすぐ横から加わった。
「お父さんが木工をするの」
そう言いながら、白い線の手前へしゃがみ込む。
「木は叩いたらへこむけど、鉄は叩いたら形が変わるんだね」
「鉄だって、冷たいまま無理に叩けば嫌がるよ。ちゃんと熱して、色を見て、音を聞いてやるんだ」
「鉄も嫌って言うの?」
「言うとも。聞かずに続ければ、最後は折れて教えてくれる」
アリアは赤く光る鉄をじっと見つめた。
「折れる前に言ってくれたらいいのに」
「ちゃんと言ってるさ。ただ、聞く方が覚えないと分からないんだよ」
ダグナは大きな槌を置き、今度は少し軽いものへ持ち替えた。
カン。
さっきより少し高い音が鳴る。
ルカの猫耳がぴくりと動いた。
「音、変わった」
ダグナの手が一瞬止まり、ルカを見る。
「よく気づいたね」
「槌が小さくなったから?」
「それもある。それに、鉄の形が整ってきたからでもある」
「形でも音が変わるんだ……」
ルカはますます前へ身を乗り出した。
アリアも同じように金床をのぞこうとする。
二人の靴先は白い線のぎりぎり手前に残っていたが、水色の髪と猫耳だけが、その向こうへ出ていた。
ダグナが横目で二人を見る。
「足は越えてないけどね」
「うん」
「髪と耳が越えてるよ」
「あっ」
アリアは慌てて髪を押さえ、ルカも猫耳を後ろへ引いた。
二人そろって半歩下がったものの、次の槌が鳴ると、また少しずつ身体が前へ傾いていく。
ダグナはそれを見て、今度は声を出さずに笑った。
◇
形を整えた留め金が、水の入った桶へ沈められた。
ジュウッ!
白い湯気が勢いよく立ち上がる。
「今度は鉄のお風呂!」
「お風呂にしては、入り方が乱暴ね」
ノルンが静かに言う。
「それに、すぐ出ちゃったなの」
マルルも腕の中から湯気の向こうをのぞき込んでいる。
ダグナは冷ました留め金を布で拭き、明かりへかざして細かく確認した。
「よし。今夜のうちに細かいところを整えて、明日の朝には車輪へ戻そう」
「もう終わり?」
アリアとルカの声がぴたりと重なった。
ダグナは二人を見比べる。
「修理を急いでほしいのか、もっと見たいのか、どっちだい?」
「もっと見たい!」
アリアは考える間もなく答えた。
ルカも壁の槌から目を離さない。
「ほかのも作るの?」
「ああ。鍋の取っ手と、馬の蹄鉄が残ってる」
「お馬さんの靴?」
「そうさ」
アリアは外につながれている馬たちを見た。
「一頭にいくつ?」
「足が四本あるだろう?」
「じゃあ四頭だから……」
アリアは一頭ずつ馬を指差しながら数え始めた。
「よん、はち、じゅう……」
「十二」
ルカが隣から答える。
「今、わたしが数えてるの」
「止まってたから」
「止まってないよ。考えてたの」
「じゃあ続き」
そう言われて、アリアは四頭の馬と自分の指を見比べた。
どこまで数えたのか、もう分からない。
「……いっぱい必要!」
「合ってるようで、一つも数えられてないね」
ダグナが笑った。
「でも今から作るのは一つだけだよ。北の牧場から頼まれた分さ」
次に炉へ入ったのは、短く太い鉄の棒だった。
火の精霊たちは、また当然のようにその周りへ集まっていく。一人はふいごから送られてきた風へ飛び乗り、そのまま鉄の上へ着地した。
やがて赤くなった鉄が炉から取り出され、金床の先へ当てられる。
ダグナが槌を振るうたびに、まっすぐだった鉄は少しずつ丸く曲がり、アリアにも見覚えのある形へ変わっていった。
「ほんとに靴になってきた」
アリアは目を丸くした。
「でも、どうやって履くの? ひもを結ぶところないよ」
「釘で留めるんだ」
「……お馬さんの足に?」
アリアは思わず自分の靴を見下ろした。
「痛いよ」
「蹄は、お前さんの爪に近いんだ。痛くないところを見極めて打つ」
「間違えたら?」
「だから、誰にでもできる仕事じゃないのさ」
アリアは靴の中で、そっと足の指を丸めた。
「わたしは、馬の靴を履かせる人にはならない」
「今決めなくてもいいと思うよ」
ルカは蹄鉄から目を離さないまま答えた。
「馬ごとに大きさも違うの?」
「ああ。前脚と後ろ脚でも形が違うし、外した古い蹄鉄を見れば、どこがよく減ってるかも分かる」
「歩き方まで?」
「道具は、使ったやつのことをよく覚えてるからね」
ルカは、さっき修理していた留め金と、壁に並んだ槌を順番に見た。
木工の道具とは違う。
けれど、相手をよく見て、道具を使い分け、形や音の変化を確かめるところは、自分が知っているものづくりと少し似ているらしい。
そんなルカの横顔を見て、アリアは自分が火の精霊を見つけた時とは違う顔をしていることに気づいた。
ルカはきっと、鉄そのものが面白いのだ。
◇
蹄鉄を作り終えたダグナは、鍛冶場の端から伸びている長い木の柄へ目を向けた。
「二人とも、そろそろ見てるだけじゃ手がむずむずしてきた顔してるね」
「してる!」
アリアはすぐに答えた。
「アリアだけだよ」
そう言いながら、ルカも木の柄から目を離していない。
ダグナがにやりと笑う。
「ふいご、動かしてみるかい?」
「いいの?」
二人の顔が同時に上がった。
「白い線の中へ入らない約束はそのままだよ。その柄は線の外にあるから、二人で同じ速さで上げ下げするんだ。急に速くしたり、途中で止めたりするんじゃないよ」
「同じ速さ?」
アリアはルカを見た。
昨日の朝、草地で何度も練習した言葉だ。
ルカも同じことを思い出したらしく、小さく頷いた。
二人は並んで木の柄を握った。
「いくよ」
「うん」
最初の一度は、アリアの腕が先に動いた。
ぐっと押し下げた途端、少し遅れたルカの腕が引っ張られ、柄が途中で止まる。
「アリア、速い」
「ルカが遅いよ」
その瞬間、急に送り込まれた風を受けて炉の炎が揺れ、火の精霊たちが炭の上をころころと転がった。
「あっ!」
「どうした?」
「みんな転んじゃった!」
「精霊が?」
「うん。一人、炭に頭から入った」
ルカには見えない。
それでもすぐに柄を握り直し、アリアの顔を見た。
「じゃあ、今度は合わせよう」
「うん。この子たちが転ばないようにね」
「いち、に、でいくよ」
二人は相手の腕の動きを確かめながら、今度は急がずに柄を持ち上げ、同じところで止めてからゆっくり押し下げた。
「いち、に。いち、に」
もう一度、同じ調子で上げて下ろす。
ふいごから送り込まれる風が一定になると、炉の炎も決まった間隔で大きくなった。
火の精霊たちはもう転ばない。
一人ずつ風へ飛び乗り、両手を広げながら炎の奥へ滑っていく。
「上手に乗れた!」
「この速さでいい?」
「うん。もう一回」
二人は互いの動きを見ながら、同じ高さまで腕を上げ、同じところで止めてから押し下げた。
ごう。
少し間を置いて、もう一度。
ごう。
昨日は、アリアが空を飛び、ルカが地面を走っていた。
今日は二人とも同じ場所に立ち、同じ一本の柄を動かしている。
やっていることは違うのに、相手の動きを見て、自分の速さを少しだけ合わせるところは同じだった。
「昨日の練習と一緒だね」
アリアが言う。
「うん。アリアが先に行かなければね」
「ルカも遅れなければね」
「だから、お互い見るんだろ」
「うん!」
今度はぴたりと揃った。
ダグナは炉の火の色を確かめながら、新しい鉄を差し入れる。
「なかなか悪くないよ」
「ほんと?」
褒められた瞬間、アリアの腕がぐっと速くなった。
ふいごから一気に風が送り込まれ、炎がごうっと大きく立ち上がる。
火の精霊たちはまとめて炭の上へ転がった。
「あっ!」
「褒められると速くなるのは、魔法だけじゃないのね」
ノルンが静かに言った。
「炉まで吹き飛ばす気かい」
「しないよ!」
「なら元へ戻しな」
ルカが隣からアリアを見る。
「いち、に、だよ」
「分かってるもん」
二人はもう一度、呼吸を合わせるようにゆっくり柄を動かし始めた。
火の精霊たちは炭の上から起き上がると、四人そろって頬を膨らませ、こちらを見ている。
「ごめんね」
「怒ってる?」
「ちょっとだけ」
「大丈夫そう?」
「もう風に乗ってるから大丈夫」
「ならよかった」
「うん。たぶん」
二人は顔を見合わせ、少しだけ笑った。
◇
そのあとも、ダグナが鍋の取っ手を作り終えるまで、アリアとルカは何度もふいごを動かした。
最初は何度か速さがずれたものの、相手の腕を見ることを忘れなければ、だんだん同じ調子を保てるようになった。
気づいた時には、鍛冶場へ入った頃より外の光がずいぶん暗くなっていた。
入口からトアが顔をのぞかせる。
「ご飯できたよ!」
アリアとルカの手が同時に止まった。
「もう夜?」
外を見ると、石造りの家々の向こうへ日は沈み、空には淡い紫色だけが残っている。
「ずっと見てたから、おなかすいたなの」
マルルがノルンの腕の中から言った。
「マルルは見てただけだよ」
「見るのも、おなかすくなの」
「そうなの?」
「そうなの」
外へ出ると、馬たちの世話もほとんど終わっていた。
ヴァンとフィンは水と飼葉を与え、ロザは一頭ずつ脚や蹄を確かめている。右後ろの車軸の下には太い木が組まれ、居住馬車は傾かないようしっかり支えられていた。
馬車の横に広げられた布屋根の下では、大きな鉄鍋から白い湯気が上がっている。
「ダグナも一緒に食べるだろう?」
エッダが椅子を引く。
「その鍋を前に直したのはあたしだからね。ちゃんと働いてるか見届けないといけない」
「食べたいだけじゃないのか?」
モーリが鍋をかき混ぜながら言った。
「それも見届けるうちに入るのさ」
ダグナが豪快に笑った。
鍋の中には、豆と根菜、それに肉を煮込んだスープがたっぷり入っていた。
アリアが木の匙ですくうと、とろりとしたスープの中から大きな芋が顔を出す。
「この鍋も、最初はただの鉄だったの?」
「そうさ」
「ダグナがいっぱい叩いたから、おいしくなったのかな」
「それじゃあ俺の料理の腕はどこへ行ったんだ?」
モーリが鍋の向こうから顔を出した。
「モーリもおいしくしたよ」
「も、なのか?」
「鍋と一緒に」
ダグナが声を上げて笑い、モーリは大きな匙を持ったまま肩を落とした。
「火の精霊も手伝ってたよ」
アリアの言葉に、トアがすぐに身を乗り出した。
「火の精霊? どこにいたの?」
「炉の中。小さい子が四人いたの」
「わたしにも、炎の中を動く赤い影だけは見えたわ」
ノルンが続ける。
「でも姿までは分からなかった。アリアには、ずっとはっきり見えていたみたい」
「僕には火しか見えなかったよ」
「マルルにも見えなかったなの」
ルカとマルルもそれぞれ答えた。
エッダは少し考えてから、ダグナへ目を向ける。
「本当に火の精霊なのかい?」
「あたしにも姿は見えないよ。でも、アリアが話した姿や動きは、昔から聞いている火の精霊の話とよく似てる。悪さをするようなものじゃないさ」
「どうしてアリアには見えたんだろう」
トアが不思議そうに首を傾げる。
「精霊たちが、この子には見せてもいいと思ったんだろうね。それ以上は、あたしにも分からないよ」
アリアはスープを飲みながら、鍛冶場の方をちらりと見た。
開いた扉の奥で、一人の火の精霊が炉の縁から顔を出している。
アリアが小さく手を振ると、すぐに小さな手が振り返された。
「今もいる?」
ルカが尋ねる。
「うん。こっち見てる」
「もう友達?」
「うん!」
「今からなるって言ってたのに」
「もうなったの」
「早いね」
アリアは嬉しそうに笑い、もう一度スープを口へ運んだ。
◇
夕食を終える頃には、村中に響いていた槌の音も、一つ、また一つと止んでいった。
アリアたちは居住馬車へ戻り、いつものように寝支度を始める。
平らになった寝床へ毛布を並べ終えると、アリアは窓へ顔を寄せた。
鍛冶場からは、まだ小さな槌の音が聞こえている。
カン。
少し間を置いて、またカン、と鳴る。
「留め金、仕上げてるのかな」
先に毛布へ入っていたルカの猫耳が、音の方へ向いた。
「明日の朝、車輪へ付けるって言ってたから、たぶんそうだよ」
「まだお仕事してるんだね」
アリアも窓を離れ、自分の毛布へ潜り込んだ。
隣にはノルンが横になり、その間ではマルルが長い耳を引きずりながら毛布へ入ろうとしている。どうしても片方だけ外へ残ってしまい、ノルンがそっと中へ入れてやった。
しばらくすると、鍛冶場から最後の槌の音が聞こえた。
カン。
アリアは毛布の中で耳を澄ませた。
少し待っても、もう次の音はしない。
気になって、もう一度だけ窓の外を見る。
鍛冶場の炉では、小さな火の精霊たちが炭の上へ並んで座っていた。
昼間よりずっと小さくなった炎の中で、四人そろってこちらへ手を振っている。
アリアも毛布から片手を出した。
「おやすみ」
「精霊に?」
「うん。みんな並んでるよ」
ルカも窓の方へ目を向けた。
けれど、見えるのは暗い鍛冶場の奥に残る赤い火だけだった。
「おやすみって言ってる?」
「声は聞こえないけど、手を振ってる」
「じゃあ、もう寝なよ」
ルカの尻尾が毛布の上を動き、アリアの肩へふわりとかかった。
アリアはその先を両手で抱え、毛布へ顎をうずめる。
その時、鍛冶場の方から小さな音が聞こえた。
ちん。
アリアは毛布から目だけを出した。
「返事したよ」
「冷えた鉄が鳴っただけじゃない?」
「でも、おやすみって言ったあとだよ」
ルカは少しだけ目を開け、暗い窓の向こうを一度見た。
「じゃあ、返事してくれたのかもしれないね」
それだけ言うと、もう一度目を閉じる。
アリアも小さく笑い、肩に掛かったルカの尻尾を抱いたまま毛布へ潜った。
「おやすみ。また明日ね」
今度は返事を待たず、アリアもゆっくり目を閉じた。




