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森で拾ったのは、半人前の天使でした ― ラグドール一家と小さな天使 ―  作者: くいたん


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第35話 山をつなぐ荷馬車


 こつん。


 どこかで、小さな音がした。


 アリアは毛布の中で身じろぎすると、ゆっくり目を開けた。


 見えたのは、木の天井だった。


「……あれ?」


 白い壁でも、教会の高い天井でもない。


 すぐそばに窓があり、その向こうでは朝の光に揺れる木の葉が見えている。


 もう一度、こつん、と音がした。


 窓の向こうで、馬が蹄を動かしている。


 地面の石に当たるたび、小さな音が荷馬車の中まで届いていた。  


 アリアは毛布から顔を出したまま、しばらく天井を見つめていた。


 隣で、ノルンが目を開ける。


「……ここ、どこ?」


 二人の目が合った。


「……どこだろう?」


 そろって首を傾げる。


 その向こうで、先に目を覚ましていたルカが、口元まで毛布を引き上げた。


「やっぱり忘れてる」


「ほんとに二人とも固まったね」


 トアの笑い声が聞こえ、アリアはぱちぱちと目を瞬いた。


「走るおうちの中だよ」


「はしる、おうち……」


 アリアはもう一度、木の天井を見上げた。


「あっ、荷馬車!」


「思い出した?」


「うん!」


 勢いよく起き上がると、寝床の端で丸くなっていたマルルの長い耳が、毛布の中からぴょこんと飛び出した。


「まだ朝なの……」


「マルル、朝だよ」


「朝は知ってるなの。マルルは、もうちょっと毛布と仲よくするなの」


 マルルは毛布へ鼻先を潜り込ませる。


「そろそろ起きないと、毛布ごと丸められるよ」


 ルカが言うと、長い耳がぴたりと止まった。


「それは困るなの」


 マルルはすぐに顔を出した。


 外から、馬のいななきが聞こえてくる。


 アリアは壁との隙間へ手を伸ばし、昨夜、そっと隠しておいた白いポシェットを引っ張り出した。


 羽模様のついた蓋も、丸い鞄も、昨日と同じままだった。


「ちゃんとあった」


「なくならないよ」


 ルカが笑いながら、毛布を畳み始める。


「でも、心配だったんだもん」


 アリアも毛布を両腕で抱えた。


 端と端を重ねようとするものの、大きな毛布は腕の間からするりと落ち、今度はアリアの頭をすっぽり覆ってしまう。


「……まっくら」


「アリア、動かないで」


 ノルンが毛布を持ち上げると、中から青い髪が現れた。


 トアは笑いをこらえながら、毛布の反対側をつかむ。


「二人でやれば簡単だよ。そっちの角を持って」


「うん!」


 毛布と敷物を片づけると、平らだった寝床を元の椅子へ戻していく。


 ルカとトアが座面を奥へ押し、倒れていた背もたれを起こした。留め具が、かちんとはまる。


「お椅子に戻った!」


「夜になったら、また寝床にするんだよ」


「毎日、おうちを作るんだね」


 アリアが背もたれを両手で押して確かめていると、外からエッダの声がした。


「起きた子は、顔を洗っておいで。朝ごはんにするよ」


「はーい!」


 荷馬車を降りると、朝の空気が頬に触れた。


 昨夜まで広がっていた布屋根は、もうきれいに畳まれている。ロザとフィンが食器や道具を籠へ収め、そのそばでは、ヴァンが四頭の馬を一頭ずつ見ていた。


 首筋をなで、脚を確かめ、蹄についた土を落としていく。


 荷物より先に、馬たちの世話をしている。


 アリアが近づこうとすると、ヴァンが片手を上げた。


「後ろから近づくなよ」


 アリアは、その場で足を止めた。


「どうして?」


「驚かせると、蹴られることがある。こいつらの見えるところから行って、声を掛けるんだ」


 ヴァンは馬の頬を軽くなでた。


「ほら。ゆっくり来い」


 アリアは馬の顔が見える方へ回り、小さな声で呼びかけた。


「おはよう。アリアだよ」


 馬の耳が、アリアの方へ向く。


 大きな鼻先が近づき、青い髪へふん、と息を吹きかけた。


「わっ」


 アリアの前髪が、ふわりと持ち上がる。


「お返事したなの」


 マルルがアリアの足元から見上げる。


「ちょっとあったかかった」


「近づき方は合格だ」


 ヴァンから首筋をなでてもよいと教わり、アリアはそっと手を伸ばした。


 馬の体は朝の空気よりもずっと温かかった。


 朝食を済ませると、荷馬車は再び街道を走り始めた。


 初めのうちは、昨日とよく似た道だった。


 けれど進むにつれ、遠くに見えていた山々が少しずつ近づいてくる。広かった草原は途切れ、道の両側には背の高い木々が増えていった。


 やがて、馬車の窓から見える空も細くなった。


 車輪が石を踏むたび、がたん、ことんと硬い音が響く。荷馬車の中に置かれた籠も、そのたびに小さく揺れた。


「昨日と音が違うね」


 アリアが窓の外をのぞく。


「道が固くなったからだよ」


 トアは慣れた様子で、揺れる籠を足元へ引き寄せた。


 道の片側には岩肌が迫り、反対側では、谷の底を細い川が流れている。


 見たことのない景色に、アリアは窓へ鼻先がつきそうなほど顔を寄せた。


「お山の中に入ったみたい」


「入ったんだよ」


 しばらく進んだところで、車輪が小さな石を踏み、荷馬車がぐらりと傾いた。


「わっ」


 アリアは窓枠につかまった。


 やがて、荷馬車が止まった。


 前方には、石と木の根がいくつも飛び出した細い道が続いている。


 ヴァンが荷台をのぞき込んだ。


「ここから先は降りるぞ」


 アリアは窓の外へ顔を出した。


「馬車が重いから?」


「お前たちが降りたくらいじゃ、こいつは軽くならん」


 ヴァンは大きな車輪を、ぽんと叩いた。


「道が悪いんだ。中で転がされるより、歩いた方が安全だからな」


「ころがされる?」


「さっきみたいにね」


 トアが笑う。


 子どもたちは荷馬車を降り、山側の道を歩くことになった。エッダは御者台に残り、ロザとフィンは車輪や荷台の様子を見ながら進んでいく。


 ヴァンはルカたちを、荷馬車の前方へ集めた。


「車輪のすぐ横へ行くな。特に谷側へは出るなよ。止まれと言ったら、すぐ止まる」


「分かった」


 ルカが答える。


「アリアも」


「すぐ止まる!」


「マルルもなの!」


 マルルは元気よく返事をしたものの、次の石を越えるときには、長い耳を踏みそうになってよろめいた。


「マルルは、まず自分の耳に気をつけた方がいいね」


「耳が勝手についてくるなの」


 山道を歩いているうちに、木々の間から小さな屋根が見えてきた。


「あっ、おうち!」


 谷あいのわずかな平地に、十数軒ほどの家が寄り集まっている。


 斜面には小さな畑が並び、柵の向こうでは山羊たちが草を食べていた。首につけた鈴が、ころん、ころんと鳴っている。


 大きな教会も、高い鐘楼も見えない。


 荷馬車が村へ入ると、家の前にいた人が顔を上げた。


「エッダさんたちだ!」


 その声は、すぐに村の奥まで伝わっていった。


 子どもたちが駆けてくる。


 籠を持った女の人や、杖をついたおじいさんも集まってきた。


「待ってたよ」


「塩はあるかい?」


「頼んでいた針が届いてるといいんだけど」


「薬も持ってきたよ。順番にね」


 エッダが御者台から降りると、ロザとフィンはすぐに荷馬車の側面を開いた。


 畳まれていた囲いが台になり、その上へ布や糸、石けん、油の瓶が次々と並べられていく。


 さっきまで寝たり座ったりしていた荷馬車が、今度は店になった。


「すごい……」


 アリアの前を、小さな紙包みがいくつも運ばれていく。


 ヴァンは品物を並べるのではなく、村の男たちと道の話をしていた。


「北の橋は通れるか?」


「昨日の雨で水が増えとる。渡れんことはないが、日が落ちる前に抜けた方がいい」


「倒木は?」


「朝のうちに切った。大きい馬車でも通れるはずだ」


 ヴァンは話を聞きながら、地図へ小さな印をつけていく。


 そのそばでは、村の人が乾燥させた薬草や毛糸、木で作った匙を荷馬車へ運んでいた。


 品物は降ろすだけではなかった。


 村から受け取ったものが、空いた場所へ積み込まれていく。


「トア。糸巻きを十個ずつに分けてくれる?」


「うん。アリア、一緒にやる?」


「やる!」


 トアから糸巻きの入った籠を受け取り、アリアは地面に敷いた布の上へ一つずつ並べた。


「いち、に、さん、よん……」


挿絵(By みてみん)


 隣ではマルルも、糸巻きへ鼻先を近づけている。


「ご、ろく、なな……」


「この赤いの、きれいなの」


「マルル、いま数えてるから待って」


「分かったなの」


「はち、きゅう……」


「青いのもあるなの」


「……あれ?」


 どこまで数えたのか分からなくなり、アリアは途中で指差しをやめて、いったん両手を開いた。


「マルル」


「マルルは何もしてないなの」


「お話しした」


「応援してたなの」


 トアが笑いながら、糸巻きを五つずつ二列に並べ直した。


「こうすると分かりやすいよ。五つと五つで、十個」


「もう一回やる」


 今度は数え終わったものを一つずつ動かし、五つの列を二つ作った。


「できた!」


「じゃあ、十個の包みを二つ作ったら、全部でいくつ?」


 アリアは両手の指を広げる。


 一度では足りず、今度はルカの手も借りた。


「じゅうと、じゅうだから……」


「二十」


 ルカが答える。


「ルカ、早い!」


「これくらいならね」


「じゃあ、糸巻き一つが銅貨三枚で、四つ買ったら?」


 トアが尋ねると、ルカは口を閉じた。


「……ちょっと待って」


「今度はルカが止まったなの」


「考えてるんだよ」


 ルカは指先で、地面に三つずつ印を描いていく。


「三、六、九……十二」


「正解」


 ルカはすぐに地面の印を靴で消した。


「最初から分かってたけどね」


「ほんと?」


「……途中から分かった」


 アリアとトアが笑い、ルカの尻尾が少しだけ横へ揺れた。


 荷馬車の反対側では、エッダが一人のおばあさんへ、小さな包みを手渡していた。


「頼まれていたものだよ」


「ああ、よかった。町まで行けんから、助かったよ」


 おばあさんは包みを大切そうに籠へ収めると、今度は服の内側から一通の手紙を取り出した。


「これを、次の村の娘に届けてもらえるかい?」


「もちろん」


 エッダは宛名を確かめ、手紙を雨に濡れない布袋へ入れた。


「次に通るのは、いつごろだ?」


 別の人が尋ねる。


「道が崩れなければ、半月ほどで戻ってくるよ。欲しいものがあれば、今のうちに聞いておく」


 村の人たちは、塩や油の量を確かめ、次に必要になるものをエッダへ伝えていく。


 トアはその横で帳面を開き、聞いたものを一つずつ書き留めていた。


 アリアは糸巻きを抱えたまま、帳面をのぞき込んだ。


「トア、いっぱい書けるんだね」


「毎日少しずつ覚えたんだよ」


「アリアも書けるよ。アリアって」


「うん。見せてもらった」


 トアは帳面の端を指で軽く叩いた。


「グラナまでの間に、ほかの文字も練習する?」


「する!」


「数える練習もね」


「それもする」


「計算もなの」


 マルルが口を挟む。


「マルルもする?」


「マルルは応援するなの」


「数える方は?」


「それも応援するなの」


 そのとき。


 くうう、と小さな音がした。


 アリアは糸巻きを指していた手を止め、そっとおなかを押さえた。


「……おなか、すいた」


 トアが空を見上げ、目を丸くする。


「たいへん。もうお昼を過ぎてる!」


 ひと段落すると、エッダは荷馬車から大きな布包みを取り出した。


 中に入っていたのは、パンに薄切りの肉とチーズを挟んだサンドイッチだった。


 みんなは荷馬車の陰へ折りたたみ椅子を並べ、少し遅い昼食にした。


 アリアは両手でサンドイッチを持つと、大きな口でかじりついた。


「おいしい!」


「たくさん働いたあとは、おなかも空くでしょ」


 トアも笑いながら、自分のサンドイッチを頬張った。


 食べ終わる頃には、台の上にあった品物はずいぶん少なくなり、代わりに荷台には、村で受け取った毛糸や薬草が積まれていた。


 ロザとフィンが荷崩れしないよう縄を掛け、ヴァンが車輪を一つずつ確かめていく。


 最後に、村の子どもが小さな包みを抱えて駆けてきた。


「待って!」


 フィンが荷台へ上げかけていた囲いを止める。


「これ、次の村のおばちゃんに!」


 包みの中から、焼き菓子の甘い匂いがした。


「預かったよ」


 エッダが受け取ると、子どもはほっとしたように笑った。


 荷馬車が動き始める。


 村の人たちは道の両側に立ち、何度も手を振っていた。


 アリアも荷台から身を乗り出し、両手を大きく振り返す。


「またねー!」


 家々が木々の向こうへ隠れるまで、山羊の鈴と子どもたちの声が聞こえていた。


「みんな、荷馬車が来るのを待ってたんだね」


 アリアは椅子へ座り直した。


「町まで遠い村が多いからね」


 トアは、さっき預かった手紙と焼き菓子の包みを籠へ収めた。


「品物を売るだけじゃないんだ」


「次の村へ持っていくものも、いっぱいあるね」


「うん。あの山の向こうにも、その次の谷にも、待ってる人がいるよ」


 アリアは窓から前を見た。


 道は山の間を縫うように、さらに奥へ続いている。


 荷台には毛糸と薬草。


 籠の中には、手紙と焼き菓子。


 そして、アリアの膝の上には、十個ずつ数え終えた糸巻きの包みが二つ並んでいた。


「トア」


「なに?」


「次は、途中で分からなくならないよ」


「じゃあ、次の村でもお願いしようかな」


「うん!」


 荷馬車は、硬い石の道をゆっくりと上っていく。


 がたん、ことん。


 アリアは窓枠に手を置いたまま、さっきの村を思い出した。


 塩を受け取った人。


 針が届いて、うれしそうに笑った人。


 手紙を託したおばあさんと、焼き菓子を抱えて駆けてきた子。


 この荷馬車が来るまで、みんな、ずっと待っていたのだ。


「トア」


「なに?」


「商隊って、みんなの『待ってた』を運ぶんだね」


 トアは一度目を瞬くと、ゆっくり笑った。


「うん。そうかもしれないね」


 荷馬車は、硬い石の道をゆっくりと上っていく。


 がたん、ことん。


 山の向こうにも、きっと誰かが待っている。


 今度はどんな「待ってた」に会えるのだろう。


 アリアは窓枠に手を置き、まだ見えない次の村へ続く道を見つめていた。

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