第28話 グラナへ行く方法
翌朝。
アリアが目を覚ますと、昨日見つけた欠片のことを思い出した。
一つ目は、もうコンパクトの中にある。
けれど、次の欠片が待っているグラナは、地図の上でもずっと遠かった。
隣のベッドでは、ルカが地図を広げている。
「まだ見てたの?」
「うん。近くを通る道がないかなと思って」
ルカの指は、リーネからグラナへ続く街道の途中で止まっていた。
「見つかった?」
「道はあるよ。でも、やっぱり歩いていくのは難しいと思う」
その声を聞きながら、ノルンが木箱の蓋を閉じた。
「途中には、大きな川も山もあります」
「わたしたち、グラナに行けないの?」
「行けないとは言ってないよ」
ルカはすぐに地図をたたんだ。
「僕たちだけで決めないで、教会の人に聞いてみよう。ここに住んでいる人なら、行く方法を知ってるかもしれないから」
「そっか」
アリアはベッドから降りた。
行き方が分からないだけで、行けないと決まったわけではない。
それでも、足元へ置かれたコンパクトを見ると、胸の奥に残った小さな心配は消えなかった。
◇
朝食を終えたあと、アリアたちは食堂にいたシスターへ声を掛けた。
「シスター、グラナへ行くにはどうしたらいいの?」
「グラナですか?」
シスターの手が止まった。
「ずいぶん遠いところですね」
その一言で、アリアの指がポシェットのひもを握った。
やっぱり、簡単には行けないのかもしれない。
「僕たち、どうしてもグラナへ行きたいんです」
ルカが一歩前へ出る。
「歩いていくのは難しいと思うので、何か方法がないか教えてもらえませんか?」
「歩いていくのは無理です。大人でも、途中の町で何度か宿を取らなければなりません」
「猫になって走っても、ずっとは無理なの」
マルルがルカを見上げた。
「そうだね。僕も、グラナまでは走れないよ」
ルカは答えながら、たたんだ地図の端を指でなぞった。
シスターは少し考えたあと、何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば、エッダ商会の馬車が、近いうちにグラナへ戻るはずです」
「馬車?」
アリアの手が、ポシェットのひもから離れた。
「乗せてもらえるの?」
「お願いしてみなければ分かりません。荷物の量や、道中の予定もありますから」
行けるかもしれない。
けれど、まだ決まったわけではない。
「エッダさんは、どこにいるの?」
「東門の近くにある荷馬車置き場です。幌の後ろに、金色の縁取りがある赤い布を結んだ馬車を探してください」
「金色のついた、赤い布だね」
アリアは忘れないように、もう一度口にした。
「私からも手紙を書きましょう」
シスターは食堂の奥にある机へ向かい、紙を一枚取り出した。
ペン先が紙の上を進んでいく。
アリアはその手元を見つめていた。
手紙があれば、乗せてもらえるだろうか。
それでも断られたら、グラナへはどうやって行けばいいのだろう。
「アリア」
ルカに呼ばれ、顔を上げる。
「大丈夫。まずはお願いしてみよう」
「……うん」
ルカはいつもと同じように言った。
けれど、シスターから手紙を受け取ると、折れてしまわないように両手で持ち、上着の内側へ大切にしまった。
アリアは何も言わず、ルカのすぐ隣へ並んだ。
◇
教会を出た四人は、東門へ向かった。
「赤い布、まだないね」
「荷馬車置き場は、もう少し先だよ」
アリアは歩きながら、通りの先を何度ものぞいた。
金色の縁取りがある赤い布。
頭の中で繰り返していないと、大切な目印を見落としてしまいそうだった。
「見つからなかったら、どうしよう」
「僕も探してるから、大丈夫」
ルカの声は穏やかだったが、その手はときどき上着の上から手紙を確かめている。
少し後ろを歩いていたノルンも、並んだ荷馬車が見えるたびに、幌の後ろへ目を向けていた。
「あれは?」
「青い布だよ」
「こっちは、何もついてないなの」
やがて東門が見え、その手前に何台もの荷馬車が並んでいるのが見えた。
アリアは一台ずつ目で追った。
違う。
あれも違う。
その奥で、赤いものが揺れた。
端に、細い金色の縁取りがある。
「あった!」
アリアは駆け出しかけて、すぐに足を緩めた。
赤い布を結んだ二台の幌馬車。
そのそばに、帳面を持った女性が立っている。
見つけた。
けれど、まだ乗せてもらえると決まったわけではない。
「あの人が、エッダさんかな」
「聞いてみよう」
ルカがアリアの隣へ並んだ。
四人で女性のそばまで行くと、ルカが声を掛ける。
「すみません」
女性が帳面から顔を上げた。
「何か用かい?」
「エッダさんですか?」
「ああ。あたしがエッダだよ」
ルカは上着の内側から手紙を取り出した。
「教会のシスターから、お手紙を預かってきました」
「教会から?」
エッダは封筒の印を確かめてから、手紙を開いた。
アリアは、その顔をじっと見つめていた。
エッダの眉がわずかに動く。
だめなのだろうか。
紙をめくる音がする。
まだ、返事は分からない。
隣では、ルカが両手を強く握っていた。
ノルンも黙ったまま、胸の前で指を重ねている。
やがて、エッダは手紙を閉じた。
「グラナまで乗せてほしい、か」
「はい」
ルカが答える。
「僕たち、どうしてもグラナへ行きたいんです」
「お水を運ぶのも、お皿を洗うのもするよ」
アリアも急いで続けた。
「わたし、自分のことは自分でできるよ。迷惑も掛けないようにする」
「私も、お手伝いします」
ノルンが一歩だけ前へ出る。
エッダは四人を一人ずつ見た。
その目が自分へ向くと、アリアは逃げずに見返した。
ここまで来たのだから、自分の言葉でお願いしなければならない。
「乗せてもらえませんか?」
エッダはすぐには答えなかった。
二台の馬車へ目を向け、帳面を開く。荷物の数を確かめるように、指先でいくつかの行をたどっていく。
アリアの胸が、どくどくと鳴った。
早く答えを聞きたい。
けれど、もし首を横に振られたらと思うと、聞くのも怖かった。
「グラナまでは十日ほどかかるよ」
エッダが帳面を閉じた。
「途中で雨が降るかもしれない。道が悪ければ、もっと遅れる。楽な旅じゃない」
「大丈夫です」
ルカが答えた。
「僕が、みんなのことも見ます」
「僕もいるなの」
マルルが小さく前足を上げた。
エッダの目が、ほんの少しだけ丸くなる。
「しゃべるのかい、その子は」
「しゃべれるなの」
「そうかい」
エッダはそれ以上尋ねず、もう一度アリアたちを見た。
「乗せるなら、約束が三つある」
アリアは息を止めた。
それは、追い返す言葉ではなかった。
「勝手に馬車から離れないこと。出発の時間を守ること。それから、護衛の言うことは必ず聞くこと」
「守ります」
ルカがすぐに答える。
「わたしも守る!」
「私もです」
マルルも何度もうなずいた。
「では、乗せてもらえるのですか?」
ノルンが確かめると、エッダはようやく笑った。
「ああ。荷物を少し積み替えれば、一台目の馬車に場所を作れる」
「ほんと?」
「ただし、出発は明日の朝だ。遅れたら待たないよ」
「遅れない!」
アリアはルカを見た。
ルカもアリアを見て、ほっとしたように笑った。
「よかったね、アリア」
「うん!」
グラナまでは遠い。
十日も掛かる。
それでも、もう地図の上を指でなぞるだけの場所ではなかった。
明日の朝、この馬車に乗れば、二つ目の欠片へ向かえる。
「エッダさん、ありがとう!」
アリアが頭を下げると、ノルンとルカも一緒に頭を下げた。
「礼は、無事にグラナへ着いてからにしな」
エッダはそう言って、赤い布のついた馬車を指した。
「明日は、日の出から半刻後にここへおいで」
「はい!」
アリアは、金色に縁取られた赤い布をもう一度見上げた。
探しているときには、見つかるかどうかさえ心配だった目印が、今はグラナへ続く印に見えた。
◇
アリアたちの姿が通りの向こうへ消えるまで、エリオは積み荷の陰から動かなかった。
最後に一度、アリアが赤い布を振り返る。
隣を歩くルカが何かを言うと、アリアは大きくうなずき、今度こそ教会の方へ駆けていった。
「……決まったか」
エリオは小さく息を吐いた。
四人が自分たちでグラナへ行く方法を見つけた。
これで、ひとまず安心できる。
けれど、リーネからグラナまでは十日ほど掛かる。途中には人家の少ない街道もあれば、山道もある。
子どもたちだけで馬車に乗せてもらえても、それですべてが済んだわけではなかった。
「さっきから、そこで何してるんだい?」
背後から声を掛けられ、エリオの肩が跳ねた。
「うわっ!」
振り返ると、腕を組んだ女が立っていた。
片側で三つ編みにまとめた赤茶色の髪。腰には幅の広い剣を下げている。
「ロザ」
「何だい、その顔は」
「いや、別に」
「荷物の陰から子どもをのぞいている男が、ずいぶん堂々と言うね」
「違う。俺は怪しい者じゃない」
「怪しい者は、だいたいそう言うよ」
ロザの目が、エリオの胸元にある騎士団の印へ落ちた。
「騎士団が、うちの商隊に何か用かい?」
エリオは辺りを確かめてから、声を落とした。
「今の子たちについて、少し頼みがある」
「やっぱり、あの子たちを見てたのか」
「任務だよ」
「樫の木の陰へ隠れる任務かい?」
「何でそれを知ってるんだ」
「春の街道見回りで一緒だったときも、あんたは隠れるたびに外套を枝へ引っ掛けてただろ」
「あれは一回だけだ」
「二回だよ」
エリオは口を開きかけ、そのまま閉じた。
ロザが商隊の馬車へ目を向ける。
「それで、あの子たちがどうしたんだい?」
「詳しいことは話せない。ただ、大事な用があってグラナへ向かってる」
「大事な用?」
「ああ。本人たちが話さないことは、無理に聞かないでやってくれ」
ロザの眉がわずかに上がった。
「ずいぶん曖昧な頼みだね」
「悪い。でも、あの四人は自分たちでエッダさんに頼んで、商隊へ乗せてもらうことを決めた。騎士団が預けたわけじゃない」
「分かってるよ」
ロザは腕をほどいた。
「あたしたちが守るのは、商隊に加わった者全員だ。あの子たちだけ置いて逃げたりはしない」
「それで十分だ」
エリオは一度うなずいたあと、少しだけ間を置いた。
「ただ、あの子たちは見た目よりもいろいろできる。何か変わったものを見ても、騒がないでほしい」
「変わったもの?」
「白い子がしゃべるのは、もう見ただろ」
「ああ」
「ほかにもだ」
「そこは話せない?」
「話せない」
ロザはエリオの顔をしばらく見たあと、肩をすくめた。
「まあ、旅をしていれば、しゃべる動物より変わったものに会うこともあるさ」
「そんなにいるのか?」
「いないよ」
「いないのかよ」
ロザは口元を緩めると、少し離れた馬車へ顔を向けた。
「フィン! ヴァン!」
幌の向こうから、二人の男が顔を出した。
一人は弓を背負った細身の青年。もう一人は、長い槍を持った大柄な男だった。
「明日から、客が四人増える。まだ小さいから、休憩のときは目を離さないようにしな」
「さっきの子どもたちか?」
フィンが尋ねる。
「そうだよ」
ヴァンは、アリアたちが去った方を見た。
「四人?」
「女の子が二人、男の子が一人。それから白いのが一人」
「一匹じゃないのか」
「本人の前で言ってみな。たぶん訂正されるよ」
エリオは思わず笑いかけ、すぐに表情を戻した。
「それから、グラナへ着いたら、リーネ支部へ知らせを送ってほしい。無事に着いたと分かればいい」
「分かった」
ロザが短く答える。
「道中で何かあれば?」
「近くの騎士団詰所へ知らせてくれ。この印を見せれば話が通る」
エリオは騎士団の印を刻んだ小さな札を取り出し、ロザへ渡した。
ロザは表と裏を確かめてから、腰の袋へしまう。
「事情は聞かない。商隊にいるあいだは守る。グラナに着いたら、ここへ知らせを送る。それでいいんだね?」
「ああ。頼む」
エリオが頭を下げると、ロザの手がその肩を軽くたたいた。
「任せな。子どもを十日も歩かせるほど、エッダ商会の馬車は狭くないよ」
「ありがとう」
「礼を言うのは、無事に着いてからだ」
「エッダさんと同じこと言うな」
「長く一緒に旅をしてるからね」
ロザは赤い布の結ばれた馬車へ戻っていく。
フィンとヴァンも積み荷の確認を始めた。
エリオはその場に残り、もう一度、アリアたちが消えた通りへ目を向けた。
これまでのように、林の中を走って追う必要はない。
明日からは、あの馬車と三人の護衛が四人をグラナまで運んでくれる。
「……よし」
エリオは踵を返し、リーネ支部へ向かった。
◇
支部へ戻ると、エリオはまっすぐ支部長室へ向かった。
扉をたたく。
「入れ」
「失礼します」
机の向こうでは、ガレスが書類を読んでいた。
エリオの顔を見ると、手にしていた紙を置く。
「子どもたちは?」
「グラナへ向かうエッダ商会の馬車に、乗せてもらえることになりました。出発は明日の朝です」
「自分たちで頼んだのか?」
「はい。教会のシスターに行き方を聞いて、紹介の手紙を書いてもらっていました」
ガレスの髭が、わずかに動いた。
「そうか」
「商隊の護衛にロザがいました。必要な事情だけ伝えて、商隊にいるあいだの護衛を頼みました。グラナへ着いたら、こちらへ知らせを送ってもらいます」
「ロザなら、春の見回りにも加わっていたな」
「はい。フィンとヴァンも一緒です」
ガレスは机の上の地図を開き、リーネからグラナへ続く街道へ目を落とした。
「三人が付くなら、道中は任せてよさそうだ」
「俺も、途中まで付いていった方がいいでしょうか」
エリオの言葉に、ガレスは顔を上げた。
「気になるか?」
「それは……まあ」
「樫の木の陰から見守っていたくらいだからな」
「何で支部長まで知ってるんですか」
「お前が自分で報告した」
「そうでした」
ガレスは小さく息を漏らし、地図をたたんだ。
「お前の任務は、三人が安全にリーネへ着くまで見守ることだった。ここから先は、商隊と共にグラナへ向かう。護衛もいる」
「はい」
「それに、お前まで同じ馬車に乗れば、さすがに気づかれるぞ」
エリオは答えず、視線を横へそらした。
ベルナ村で教会の場所を尋ねられたとき、アリアとは一度顔を合わせている。
もう一度偶然を装って現れるには、グラナ行きの馬車は少し近すぎた。
「……気づきますかね」
「気づかなかったとしても、ロザがばらす」
「ああ」
それはありそうだった。
「エリオ」
ガレスの声が少しだけ低くなる。
「よくやった」
エリオは顔を上げた。
「三人を見失わず、必要以上に手を出さず、ここまで見届けた。あとは知らせを待て」
「四人です」
「何?」
「今は、ノルンという女の子が増えています」
ガレスの手が止まった。
「蚤の市で木箱を買った翌朝、ノルンという女の子が一人増えていました」
「……いつ増えた」
「分かりません。前日の夜まではいませんでした」
部屋が静かになった。
ガレスはゆっくりと椅子へ座り直す。
「最初から報告しろ」
「今、報告しています」
「詳しく話せ」
「俺も詳しくは分かりません」
「では、分かっていることを全部だ」
エリオは背筋を伸ばした。
「はい。まず、木箱を買ったところから話します」
机の上へ、新しい報告書が一枚置かれた。




