第27話 次の欠片
夜。
夕食の片づけを手伝い終えると、アリアたちは礼拝堂へ向かった。
昼間とは違い、堂内はしんと静まり返っている。
正面に灯されたろうそくの炎が揺れるたび、祭壇の影がゆっくりと伸び縮みしていた。
三人は祭壇の前に並び、そろって膝をつく。
マルルも、その隣にちょこんと座った。
アリアは胸の前で手を組むと、そっと目を閉じた。
「女神さま」
小さな声が、礼拝堂に響く。
「一つ目の欠片、見つけたよ」
隣では、マルルがコンパクトを両方の前足で抱えている。
八つのくぼみのうち、一つだけにはまった青い欠片が、蓋の隙間から淡く光っていた。
「ノルンが、空の上り方を教えてくれたの」
アリアは目を閉じたまま続ける。
「ルカとマルルも、ずっと下で見ててくれたよ。教会のみんなも、お祈りしてくれたの」
「みんなで見つけたなの」
マルルも目を閉じ、長い耳をそろえて垂らす。
しばらく待ってみたが、返事は聞こえなかった。
アリアは片方の目を、そっと開いた。
「女神さま、聞こえたかな」
「聞こえてるなの。もう一回呼ぶなの」
マルルが大きく息を吸う。
「女神さまー!」
「ここで叫ぶなよ」
ルカが慌てて止めた、そのときだった。
ちりん。
コンパクトの中で、欠片が澄んだ音を鳴らした。
ろうそくの炎が一斉に揺れ、祭壇の前へ淡い光が集まっていく。
水色と金色の光が重なり合い、やがて一人の女性の姿となった。
「ちゃんと聞こえていますよ」
「女神さま!」
アリアは立ち上がりかけたが、膝をついていたことを思い出し、ぺたんと座り直した。
その隣で、ノルンだけは座ったまま、女神を見つめていた。
膝の上で重ねた指に、きゅっと力が入っている。
「……女神さま」
いつも迷いなく答えるノルンの声が、そのときだけ少し揺れた。
女神は、まっすぐノルンへ目を向ける。
「目を覚ましたのですね、ノルン」
ノルンの指から、ゆっくりと力が抜けた。
「はい。ようやく、またお会いできました」
アリアは、女神とノルンを交互に見る。
「女神さまも、ノルンのこと知ってるの?」
「ええ。よく知っていますよ」
アリアがノルンを見ると、ノルンも小さくうなずいた。
女神は四人の前へ歩み寄り、マルルが抱えるコンパクトへ目を向けた。
「一つ目の欠片を、見つけたのですね」
「うん!」
アリアは何度もうなずいた。
「すごく高いところにあったの。なかなか届かなかったけど、ちゃんと取って、ちゃんと帰ってきたよ」
「帰ってくるまでが飛行ですから」
ノルンが隣で言う。
「ノルンに教えてもらったの」
アリアが笑うと、ノルンは静かにアリアを見返した。
「私は飛び方を伝えただけです。飛んだのはアリアです」
「でも、一人じゃ取れなかったよ」
アリアはルカとマルルにも顔を向けた。
「だから、四人で見つけたの」
「そうですね」
女神が手を差し伸べると、コンパクトの中の欠片がひときわ明るく輝いた。
「皆で手に入れた、大切な一つです」
「あと七つなの!」
マルルがコンパクトを高く持ち上げる。
女神は落ちかけたコンパクトを、両手でそっと支えた。
「落とさないようにしてくださいね」
「だいじょうぶなの!」
「今、落としかけただろ」
「落ちてないなの」
マルルはコンパクトを胸元へ戻すと、今度はしっかりと抱え込んだ。
アリアは欠片の青い光を見つめたあと、女神を見上げる。
「一つ見つけたから、お父さんとお母さんに少し近づいた?」
「ええ」
女神はゆっくりとうなずいた。
「八つに分かれた鍵の一つが、こうして戻りました。帰るための道は、もう始まっていますよ」
アリアの指先が、胸元の白い羽へ触れる。
「次も見つける」
「そのために、次の欠片がある場所を確かめましょう」
「分かるの?」
「前と同じように、地図の上でコンパクトをかざしてみてください」
ルカが腰を上げた。
「地図ならある」
収納を開き、中から折りたたんだ地図を取り出す。
旅立つ前に、シリルから渡されたものだった。
ルカが祭壇前の広い床へ地図を広げると、折り目のついた端がくるりと持ち上がった。
「あっ、戻る」
アリアが慌てて片方の端を押さえる。
ノルンも反対側へ膝をつき、浮き上がった角に手を置いた。
ルカが残った端を押さえ、マルルはコンパクトを抱えたまま地図の真ん中へ座る。
「準備できたなの!」
「マルルが座ってるところ、海だぞ」
「海に落ちたなの?」
「地図の上だ」
ルカはマルルを抱き上げると、リーネと書かれた場所のそばへ下ろした。
「今いるのは、ここだ」
「分かったなの」
マルルがコンパクトを開く。
ちりん。
青い光が盤面から伸び、地図の斜め上を指した。
「こっちなの!」
「前と同じだな」
ルカは地図の上へ身を乗り出し、光の向きを確かめた。
「そのまま、少しずつ動かしてみてください」
女神の言葉に、マルルはコンパクトを抱えたまま進もうとする。
「待って。地図がしわになる」
ルカがマルルを抱き上げ、コンパクトの青い光が示す方へゆっくりと動かした。
一つ目の町を通り過ぎる。
光はまだ、その先を指している。
街道をたどり、大きな川を越えると、地図の上にいくつもの山が見えてきた。
「山なの」
マルルが長い耳を揺らす。
「次は、山の上にあるのかな」
アリアの背中で、小さな羽がぴくりと動いた。
「山の上まで飛ぶのは、まだ無理だぞ」
「歩いて上るなの?」
「それも大変そうです」
ノルンは山の間を縫うように描かれた街道へ、指を添えた。
ルカがコンパクトを持ったマルルをもう少し動かす。
山あいに描かれた町へ近づくにつれ、前を指していた青い光が少しずつ下がり始めた。
「あれ?」
アリアが顔を近づける。
「光が下を向いてるよ」
ルカの手が止まった。
青い光は地図の上にある町を指すのではなく、その下へ潜ろうとするように斜めに傾いている。
少し右へ動かすと、光は左下を向いた。
左へ動かせば、今度は右下へ傾く。
「ここです」
ノルンが山々に囲まれた町を指した。
ルカがマルルを、その真上へ戻す。
青い光が、すっと真下を向いた。
地図を通り抜け、その下にある石の床へ続いている。
「止まったなの!」
マルルが地図へ顔を近づける。
「でも、町を指してないよ」
アリアは地図の端を少し持ち上げ、その下をのぞいた。
「こっちにもない」
「地図の下にあるわけじゃないぞ」
「では、どこに?」
ノルンの問いに、アリアはもう一度、真下を向いた光を見つめた。
ルカが地図に書かれた町の名前を指でたどる。
「グラナ」
「グラナ?」
アリアも文字をのぞき込んだ。
「山に囲まれた交易の町です」
女神が四人のそばへ膝をつく。
「ここには、山から採れる石や鉱石が集まります」
「じゃあ、欠片は山の中なの?」
女神はコンパクトから伸びる青い光へ目を向けた。
「光が指しているのは、山の上ではありません」
その指先が、地図に描かれたグラナへそっと触れる。
「グラナの地面の下です」
「地面の下……」
アリアは自分の足元を見た。
「土を掘るなの?」
マルルが前足で床をかく。
「ここを掘っても出ないからな」
「分かってるなの」
マルルは何もしていなかったように、前足をそろえた。
ルカはリーネからグラナまで続く街道を、指先でたどっていく。
町を越え、川を渡り、その先にある山々まで。
地図の上では指一本で進める道が、どこまでも長く続いていた。
「遠いな」
「どのくらい?」
「分からない。でも、歩いたら何日もかかる」
「ルカが大きな猫になって走るのは?」
「ずっとは走れないよ」
「わたしが飛ぶのは?」
「今日のこと、もう忘れたのか?」
アリアは背中の小さな羽へ手を伸ばした。
「……ちょっとだけなら」
「グラナまで、ちょっとじゃないだろ」
「マルルが引っぱるなの?」
三人の顔が、マルルへ向く。
マルルはしばらく黙ったあと、長い耳をゆっくりと伏せた。
「一人ずつなら、ちょっとだけ引っぱれるかもしれないなの」
「無理です」
ノルンが静かに言った。
「ノルンまで言ったなの」
アリアは地図の上のグラナを見つめた。
次の欠片がある場所は分かった。
けれど、そこへ向かう道は、一つ目の欠片へ続く空よりもずっと長い。
「どうやって行こう」
アリアの呟きが、ろうそくの灯る礼拝堂へ小さく響いた。
「まずは、行く方法を探そう」
ルカが地図の上から手を離す。
「分からないまま歩き出すより、その方がいい」
「うん」
アリアはグラナの町へ指を置いた。
「ここへ行けば、二つ目があるんだよね」
「ええ」
女神が答える。
「地面の下で、次の欠片があなたたちを待っています」
マルルがコンパクトを閉じると、真下を向いていた青い光が消えた。
それでも、蓋の中に収まった一つ目の欠片は、四人の手元を淡く照らしている。
女神の姿が、少しずつ光の粒へ変わり始めた。
「女神さま」
アリアが顔を上げる。
「次も、みんなで見つけるね」
「ええ。気をつけて行ってらっしゃい」
水色と金色の光が祭壇の前を巡り、ろうそくの明かりへ溶けていった。
四人は地図を囲んだまま、しばらく動かなかった。
やがてルカがグラナまで続く街道を、もう一度ゆっくりとなぞる。
「明日、行き方を調べよう」
「うん」
アリアの指も、そのあとを追いかけた。
リーネから遠く離れた、山あいの交易町。
グラナ。
二つ目の欠片は、その地面の下に眠っていた。




