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森で拾ったのは、半人前の天使でした ― ラグドール一家と小さな天使 ―  作者: くいたん


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第26話 空へ届くまで


 ちりん。


 夕暮れの空から、もう一度、鈴の音が降ってきた。


 アリアの背中へ光が集まり始める。


「待ってください」


 ノルンの声に、広がりかけた羽が止まった。


「もうすぐ日が暮れます」


「でも、見つけたよ」


 アリアは空を指したまま、ノルンを見る。


「あそこにあるの」


「ええ。だからこそ、今日は飛んではいけません」


 西の空では、太陽が屋根の向こうへ沈みかけている。


「今から飛んだら、帰ってくる前に暗くなるぞ」


 ルカもアリアの隣へ並び、高い空を見上げた。


「どこまで上れば届くのかも、まだ分からないんだから」


 アリアは唇を結んだ。


「明日も、あそこにあるかな」


 小さな光が、返事をするように瞬いた。


「朝からずっと同じ場所を指していたなの」


 マルルが胸元のコンパクトを前足で押さえる。


「きっと、逃げないなの」


「見つけるために一日かかったのです」


 ノルンはアリアのそばへ腰を下ろした。


「届くために、もう一日使っても遅くはありませんよ」


 アリアは空とノルンを交互に見た。


 やがて、背中に集まっていた光が小さくなり、羽の形になる前に消えていく。


「……明日、ぜったいに行く」


「ええ」


「朝から練習する」


「もちろんです」


 アリアはもう一度だけ欠片を見上げた。


「待っててね」


 四人が籠を持って教会へ戻るころには、空に浮かんでいた淡い青も、暮れていく空の中へ再び溶けていた。


     ◇


 翌朝。


 朝食を終えると、四人はすぐに教会の中庭へ出た。


 マルルは胸元のコンパクトを開き、石畳の上をゆっくり歩いていく。


 針は斜め上を指していた。


「もう少し右です」


 ノルンの言葉に、マルルが右へ進む。


 針が少しずつ起き上がる。


「こっちなの?」


「そのまま、まっすぐです」


 マルルが三歩進むと、針は盤面からまっすぐ立ち上がった。


「ここなの!」


 ルカが小さな石を拾い、マルルの足元へ印をつける。


「ここが欠片の真下ってことだな」


 アリアは印の上へ立つと、首が痛くなりそうなほど顔を上げた。


 朝の青空には、欠片の姿は見えない。


「こんなに小さい印から、ずっと上まで行くの?」


「まっすぐ上ろうとすると、すぐに力を使い切ってしまいます」


 ノルンが人差し指で、空へ円を描いた。


「この場所を中心にして、少しずつ回りながら上がりましょう」


「上にあるのに、回るの?」


「階段も、まっすぐ上へは伸びていないでしょう?」


 アリアは教会の鐘楼を見た。


 昨日、何段も上った階段を思い出し、少しだけ頬を膨らませる。


「空にも、あんなに長い階段があるの?」


「空の階段には、段がありません」


「ないの?」


「ありません」


 マルルの耳が、ぺたりと下がった。


「見えない欠片に、見えない階段なの……」


「難しいものばかりだな」


 ルカが空を仰ぐ。


 アリアはしばらく考えてから、両腕を広げた。


「でも、上れば着くんだよね?」


「ええ」


 背中から光があふれ、大きな羽となって左右へ広がった。


 アリアは石畳を蹴る。


 ふわりと浮かび上がると、印の周りを小さく回り始めた。


 一周。


 二周。


 三周。


「アリア、近すぎます」


「え?」


「もっと大きく回ってください」


 言われたとおりに輪を広げる。


 けれど、今度は印から離れすぎた。


「そっちじゃないぞ!」


 ルカの声に慌てて羽の向きを変える。


「こっち?」


「行きすぎ!」


「ええっ?」


 また向きを変えたところで体がくるりと回り、アリアはふらつきながら地面へ降りた。


 両足が石畳へ着いても、体だけがまだ回っているようで、二、三歩横へよろめく。


「空が、ぐるぐるしてる……」


 ルカがその肩を支えた。


「回るのが速すぎるんだよ」


「だって、落ちそうだったの」


「急ぐ必要はありません」


 ノルンは空へ大きな円を描く。


「羽を何度も動かすのではなく、風に乗せる時間を作ってください」


「風に?」


「ええ。羽を広げたまま、少し待つのです」


 アリアは左右の羽を見た。


「何もしなくてもいいの?」


「何もしないのではありません。風がどちらから来るのか、羽で聞くのです」


 アリアは首をかしげた。


 もう一度、石の印へ戻る。


 地面を蹴り、今度はゆっくりと羽を動かした。


 一度羽ばたいたあと、大きく広げたまま待ってみる。


 朝の風が、左の羽をわずかに持ち上げた。


「あっ」


 体を少しだけ傾ける。


 さっきよりも大きな輪を描きながら、アリアの体がゆっくり上がった。


「上がった!」


「前を見てください」


「はーい!」


 一周するごとに、教会の屋根が少しずつ低くなっていく。


 鐘楼と同じ高さまで来たところで、アリアは下を見た。


 石畳の印のそばに、ルカとマルルが並んでいる。


 ノルンは空を見上げ、片手を挙げた。


「いったん、そこまでです。下りてきてください」


「まだ飛べるよ!」


「下りる力を残しておくのも練習です」


 アリアは名残惜しそうにもう一度空を見たあと、羽を傾けた。


 上ってきた輪をたどるように、ゆっくりと高度を下げていく。


「そのままです」


 ノルンの声を聞きながら、最後は両膝を曲げて石畳へ降りた。


「できた!」


「昨日より高かったなの!」


 マルルがアリアの周りを跳ねる。


「でも、欠片はもっと上だぞ」


 ルカの言葉に、アリアはすぐに空を見上げた。


「もう一回!」


「休んでからです」


「まだ疲れてないよ」


 そう言いながら、アリアの羽は先の方から小さな光の粒になり始めていた。


 ルカが水筒を差し出す。


「まず飲む」


「……うん」


 アリアは両手で水筒を受け取った。


     ◇


 それから何度も、アリアは空の階段を上った。


 大きく回ること。


 風が来たら、羽を広げて待つこと。


 印から離れすぎたら、慌てて戻ろうとせず、次の輪で少しずつ近づくこと。


 一度飛ぶたびに休み、水を飲んだ。


 昼を過ぎるころには、鐘楼よりも高く上がれるようになっていた。


 それでも、欠片は見えない。


 マルルのコンパクトだけが、変わらず真上を指し続けている。


 午後の光が少しずつ傾き始める。


 四人は中庭の石段へ並び、空が色を変えるのを待った。


 やがて、西の空が淡い金色に染まり始めた。


 ちりん。


 アリアが立ち上がる。


「聞こえた!」


 マルルも急いでコンパクトを開いた。


「針が光ってるなの!」


 昨日と同じ場所。


 青を薄め始めた空の中に、小さな光が浮かび上がる。


「あった」


 アリアの背中に光が集まった。


「行ってくる」


「アリア」


 ノルンに呼ばれ、アリアは振り向く。


「欠片へ届いても、それで終わりではありません」


「ちゃんと帰ってくる」


「ええ。帰ってくるまでが飛行です」


 アリアは大きくうなずいた。


「無理だと思ったら戻ってこいよ」


 ルカが石の印を指す。


「ぼくたちは、ここにいるから」


「マルルもずっと見てるなの!」


「うん!」


 光の羽が大きく広がる。


 アリアは三人の顔を見てから、地面を蹴った。


 最初の一周は、教会の屋根より低く。


 二周目は、鐘楼の窓と同じ高さ。


 三周、四周と回るうちに、町の家々が少しずつ小さくなっていく。


 風が左から吹いた。


 アリアは羽を広げ、その力を受け止める。


 体が右へ流される。


 すぐに戻ろうとせず、大きな円を描きながら少しずつ石の印の上へ戻っていく。


「できた……!」


 声は風の中へ消えていった。


 もう地上から三人の声は聞こえない。


 教会も、中庭も、ずっと下にある。


 アリアは一度だけ唇を結び、空を見た。


 ちりん。


 鈴の音が、さっきより近くで響いた。


 その音を追うように、もう一度羽ばたく。


 欠片はまだ上にある。


 見えているのに、なかなか近づかない。


 羽を動かすたび、肩が少しずつ重くなる。指先も冷たくなってきた。


 それでも、アリアは輪を描き続けた。


 一周。


 もう一周。


 夕暮れの色が深くなるにつれ、淡い青の欠片は、はっきりと空から浮かび上がってきた。


 ちりん。


 今度は、すぐそばで鳴った。


「あった……」


 手を伸ばせば届きそうなところに、小さな青い光が浮かんでいる。


 アリアは右手を伸ばした。


 けれど、指先の少し向こう。


 もう一度羽ばたく。


 羽の光が揺れ、体がわずかに沈んだ。


「あと、ちょっと……」


 アリアは左手で胸元の白い羽を握った。


「お父さん」


 大きく息を吸う。


「お母さん」


挿絵(By みてみん)


 最後の一度、光の羽を動かした。


 体がふわりと持ち上がる。


 伸ばした指先が、淡い青へ触れた。


 ちりん。


 透き通った音が、空いっぱいに広がった。


 欠片はアリアの手のひらへ落ちると、小さな青い結晶になった。


「つかまえた……!」


 両手で大切に包み込む。


 そのとき、体がふっと下がった。


「わっ……!」


 アリアは慌てて羽を動かしかけ、ノルンの言葉を思い出した。


 ――帰ってくるまでが飛行です。


 羽を閉じず、大きく広げる。


 落ちかけた体を風が受け止めた。


 アリアは欠片を胸元へ抱えたまま、ゆっくりと円を描き始めた。


 一周するたび、教会が少しずつ近づいてくる。


 中庭に、三つの小さな姿が見えた。


「アリアー!」


 ルカの声が届く。


「こっちなのー!」


 マルルが長い耳を大きく振っている。


 アリアは最後の輪を回ると、石の印へ向かって高度を下げた。


 足が石畳へ触れる。


 一歩。


 二歩。


 そのまま前へつんのめった体を、駆け寄ってきたルカが受け止めた。


「取れた?」


 アリアは息を弾ませながら、両手を開いた。


 手のひらの上で、淡い青の欠片が光っている。


「取れたよ」


「やったなの!」


 マルルがその場でぴょんと跳ねた。


 ノルンもすぐそばへ歩み寄る。


「よく戻ってきましたね」


 アリアはノルンを見上げた。


「ちゃんと、帰ってきたよ」


「ええ」


 マルルが胸元のコンパクトを開く。


 丸い盤面には、八つの小さなくぼみが並んでいた。


「ここに入れるなの?」


 アリアが欠片を一つ目のくぼみへ近づける。


 すると、欠片は手のひらからふわりと浮かび上がった。


 ちりん。


 小さな音とともに、くぼみへぴたりとはまる。


 青い光が盤面を一周し、四人の顔を淡く照らした。


「入った……」


 アリアは指先で、最初の欠片へそっと触れた。


 八つのうち、一つ。


「お父さん、お母さん」


 コンパクトの中で、青い光がもう一度瞬く。


「ひとつ、見つけたよ」


 夕暮れの中庭に、澄んだ鈴の音が静かに響いた。


     ◇


 その鈴の音は、礼拝堂の中まで届いていた。


 窓辺に立っていたシスターは、胸の前で組んでいた手を、ようやくほどいた。


 今朝、食堂でノルンから「箱から来ました」と聞いたとき、何も不思議に思わなかったわけではない。


 食事を終えたあと、シスターはその足で神父のもとへ向かった。


「神父様」


「どうしました?」


「昨夜まで三人だった子どもたちが、今朝は四人になっています」


 神父は読んでいた書物から顔を上げた。


「お連れの方が戻られたのですか?」


「いいえ」


 シスターは一度、食堂の方を振り返った。


「木箱から出てきたそうです」


 神父の手が、開きかけていた頁の上で止まった。


「……木箱から?」


「はい」


 二人が中庭へ出ると、四人は飛行の練習を始めようとしていた。


 神父はノルンへ歩み寄り、静かに尋ねた。


「あなたを、どのような方としてお迎えすればよいのでしょう」


「ノルンとお呼びください」


「その箱から現れたと聞きました」


「どうしてあの箱の中にいたのか、それだけは思い出せないのです。」


「ご自分が何者なのかは?」


ノルンは少しだけ考える。


「……私はノルンです。」


 その隣で、アリアが大きくうなずいた。


「でも、ノルンはノルンだよ」


 神父はしばらく二人を見つめ、それ以上は尋ねなかった。


「そうですか。では、ノルンさんとお呼びしましょう」


 けれど、驚いたのはそれだけではなかった。


 アリアが石の上に立つ。


 背中から光があふれ、大きな羽となって広がった瞬間、洗った布を運んでいたシスターも、庭を掃いていた者も、その場で足を止めた。


「神父様、あの羽は……」


「ええ。見えています」


 透き通った光の羽が、朝の空へ大きく広がっている。


「まるで、聖画に描かれた天使のような……」


 神父は答えなかった。


 天使ならば、なぜあんなにも危なっかしく空を回っているのか。


 なぜ地上の子どもたちと一緒に、汗をかきながら何度も練習しているのか。


 アリアの体がくるりと回り、ふらつきながら石畳へ下りる。


 ルカが駆け寄って肩を支え、マルルが長い耳を揺らしながらその周りを回った。


「今は、見守りましょう」


 神父は光の羽を見上げたまま、静かに続けた。


「それから、ここで見たことは、しばらく私たちの胸に留めておきましょう」


 神父はそれだけを告げた。


 昼の休憩に水を届けたとき、シスターは空に何があるのかを尋ねた。


「ぼくたちの村へ帰るための、鍵の欠片です」


 ルカが真上を指す。


「八つ集めれば、消えた村へつながる道が開くなの」


 マルルが胸元のコンパクトを見せた。


 光の羽を持つ小さな女の子。


 木箱から現れた正体の分からない少女。


 人の言葉を話す、額に宝石を持った白い生き物。


 そして、その三人を守るように立つ猫獣人の少年。


 分からないことは、いくつもあった。


 それでも、アリアたちが消えた家族のもとへ帰るため、四人で力を合わせていることだけは分かった。


 夕暮れ。


 アリアが最後の飛行を始めると、神父やシスターたちは礼拝堂の窓辺へ集まった。


「やはり、あの子は天使なのでしょうか」


 一人のシスターが小さく尋ねる。


「分かりません」


「ノルンさんも?」


「ええ」


 神父は、高く上っていくアリアを見つめた。


「ですが、今はあの子が無事に戻れるよう祈りましょう」


 一人が胸の前で手を組む。


 それに続くように、いくつもの手が重なった。


「どうか、届きますように」


「無事に、帰ってこられますように」


 高い空で、アリアの羽が大きく揺れた。


 その光は一瞬だけ強くなり、羽根の一枚一枚が淡く輝く。


 まるで、礼拝堂から送り出された願いが、一枚一枚の羽へ溶け込んでいくようだった。


 ちりん。


 透き通った音が響く。


 夕暮れの空に、小さな青い光が瞬いた。


 やがて、欠片を胸へ抱いたアリアが、ゆっくりと地上へ下り始める。


「戻っておいで」


 シスターが、聞こえるはずのない声で呼びかけた。


 一周。


 また一周。


 小さかった光が、少しずつアリアの姿へ戻っていく。


 石畳へ下りたアリアを、三人が取り囲んだ。


 開かれた手のひらに、淡い青の欠片が輝いている。


 ちりん。


 もう一度響いた鈴の音に、神父は静かに目を閉じた。


「届きましたね」


「ええ」


 シスターの頬が、やわらかく緩む。


「四人で、見つけたのですね」


 礼拝堂の外から聞こえてくる四人の声に、教会の者たちはそっと笑みを交わした。

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