第24話 1個めのカケラの行方
四人は、廊下の先から漂ってくる香りを追うように食堂へ向かった。
「いいにおい!」
アリアが、くんくんと鼻を鳴らす。
「今日はパンなの」
マルルの長い耳も、ぴんと立った。
食堂では、シスターたちが焼き上がったばかりのパンを籠へ移していた。ふっくらとした白いパンから湯気が立ち、香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がっている。
「おはようございます」
「おはようございます!」
アリアの元気な声に、シスターたちの頬がほころぶ。
その後ろから入ってきたノルンを見て、パンを運んでいたシスターの足が一瞬止まった。向かいにいたシスターと目を合わせ、すぐに籠を抱え直す。
ノルンは両手をそろえ、丁寧に頭を下げた。
「おはようございます」
「……おはようございます」
少し遅れて返ってきた声に、年配のシスターが温かなスープの器を一つ加えた。
「さあ、冷めないうちにどうぞ」
「ありがとうございます」
四人が席へ着くと、目の前には焼きたてのパンと野菜のスープ、小さな赤い果物が並んだ。
「いただきます!」
アリアが手を合わせる。
「いただきます」
ルカとノルンも続き、マルルも二本の前足をちょこんとそろえた。
ノルンは白いパンを手に取った。
まだ熱の残る表面へ指を添え、そっと二つに割る。ふわりと立ち上った湯気が頬をなでた。
一口かじると、薄い皮が小さく音を立てた。
「……っ」
ノルンの手が止まった。
朝の光が差し込む、白い礼拝堂。
幾重にも重なる祈りの声。
雨に濡れた石畳を踏み、冷え切った指で教会の扉を押したこと。
差し出された温かなスープと、今と同じ香りのするパン。
鐘の音に送られ、また次の町へ向かった朝。
見知らぬ旅人と笑い合った夜。
長い道の先で見上げた、女神像の穏やかなまなざし。
「ノルンお姉ちゃん?」
すぐそばから聞こえた声に、ノルンのまぶたがゆっくりと上がった。
アリアがパンを持ったまま、心配そうに顔をのぞき込んでいる。
ノルンは手の中のパンへ目を落とした。
「……この味です」
「このパン?」
「はい」
もう一度、小さくかじる。
今度は、確かめるようにゆっくりとかみしめた。
「旅をしていた頃、何度もいただきました。町へ着くたびに教会の扉をたたいて、食事と寝る場所を分けていただいて……」
パンを包む指先に、わずかに力がこもる。
「思い出しました」
ルカが椅子を寄せた。
「記憶が戻ったの?」
「ええ。すべてではありませんが、ほとんどは」
ノルンは胸元へ手を添えた。
「女神様のことも、この世界のことも、町から町へ旅をしていた日々のことも」
「よかった!」
アリアの声が食堂に弾んだ。
ノルンの目元がやわらぐ。
けれど、その指は胸元から離れなかった。
「ただ、一つだけ……どうして私があの木箱の中で眠っていたのか、それだけが、どうしても見えないのです」
ルカはノルンを見つめたあと、残っていたパンを一口で頬張った。
「じゃあ、それも探そう」
「え?」
「俺たち、これからも旅をするんだから。途中で分かるかもしれないだろ」
ノルンが目を瞬く。
アリアも両手にパンを持ったまま、ぐっと身を乗り出した。
「うん! ノルンお姉ちゃんも一緒に行こう!」
しばらく二人を見つめていたノルンの頬に、ゆっくりと笑みが広がった。
「……ありがとうございます」
窓から差し込んだ朝の光が、四人の並ぶ食卓を明るく照らしていた。
◇
朝食を終え、部屋へ戻ると、マルルが胸元のコンパクトへ前足を添えた。
「そういえばなの」
窓辺へ向かっていたノルンが足を止める。
「昨日、これが光ったなの」
「急に光って、針が真上を向いたんだよ」
アリアが天井を指さした。
「教会の周りも探したけど、何もなかった」
ルカの言葉を聞きながら、ノルンはマルルの前へ膝をついた。
「見せていただけますか?」
「いいなの」
マルルが蓋を開く。
今は光もなく、細い針は盤面の上でじっと止まっていた。
「こんな動きだったなの」
マルルは前足をくるくる回し、それから真上へ伸ばす。
「くるくる回って、ぴん、なの」
「針が盤面から浮いたのですか?」
「うん」
アリアがうなずく。
ノルンはコンパクトへ顔を近づけた。
「私も、そのような反応は見たことがありません」
「ノルンお姉ちゃんも知らないの?」
「はい。ですが――」
言いかけたとき、盤面の奥に淡い光が灯った。
「あっ!」
「また光ったなの!」
青白い光が、マルルの前足の間からこぼれる。
針が震え、円を描くように回り始めた。
一度。
二度。
少しずつ速さを落とした針が止まり、その先端だけがふわりと盤面から持ち上がる。
細い針は、まっすぐ天井へ向いていた。
「昨日と同じだ」
ルカが椅子から立ち上がる。
アリアも針の先を追い、白い天井を見上げた。
「やっぱり上だね」
ノルンは立ち上がると、天井とコンパクトを交互に見た。
「女神様から授かった物が、意味もなく光るとは思えません」
「じゃあ、上に何かあるなの?」
「ここでは、針の先に天井があるだけです。場所を変えてみましょう」
四人はコンパクトを開いたまま、教会の外へ向かった。
◇
扉を開けると、まぶしい朝の光が一斉に降り注いだ。
アリアは目の上へ手をかざし、青く澄んだ空を見上げる。白い雲が一つ、教会の屋根の向こうをゆっくりと流れていた。
マルルは前足でコンパクトを支えたまま、教会から少し離れた。
針は揺れない。
屋根から遠ざかっても、その先はまっすぐ空へ向いたままだった。
ノルンが教会の屋根を振り返る。
「屋根ではないようですね」
「もっと上?」
アリアの顔が、さらに上を向く。
「そうかもしれません」
ノルンも青空へ目を凝らした。
「空に何かあるってこと?」
ルカが額へ手をかざす。
「見てみる!」
アリアは二、三歩前へ駆け、さっそく空を見回した。
右。
左。
それから真上。
「……どこ?」
マルルもコンパクトを開いたまま、その場でくるりと向きを変える。
教会へ背を向けても、横を向いても、針は変わらず空を指した。
「やっぱり上なの」
「鳥ならいるけど」
ルカの言葉に、マルルの耳が横へ広がった。
「鳥じゃないなの」
「分かってるよ」
アリアはつま先で精いっぱい背伸びをした。
「うーん……」
空へ近づくはずもないのに、両腕まで伸ばし、青の中を一生懸命に探す。
白い雲。
小さく飛んでいく鳥。
朝の光にかすむ、どこまでも続く青。
「何もないよ?」
ルカも目を細めたまま、首をかしげた。
「本当に、あそこなのかな」
四人のはるか頭上。
青空の中に、小さな欠片。
雲とともに流れることもなく、朝日を受けても輝かない。
空より、ほんの少しだけ淡い青。
アリアが目を凝らしている間にも、その小さな青は空へ溶け込み、誰にも見つからないまま、じっとそこに浮かんでいた。




