↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森で拾ったのは、半人前の天使でした ― ラグドール一家と小さな天使 ―  作者: くいたん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/113

第22.5話 番外編 いちばん得をしたのは誰だ


 西方騎士団リーネ支部の執務室には、昼を知らせる鐘の音が届いていた。


 開け放した窓の向こうからは、荷馬車の車輪が石畳を踏む音や、商人たちの威勢のいい声が聞こえてくる。


 支部長のガレスは机へ向かい、午前中に届いた書類へ目を通していた。


 その時、扉が二度叩かれた。


「入れ」


「失礼します」


 濃い緑色の上着を着た青年が、扉を開けて入ってくる。


 西方騎士団の若手騎士、エリオ・フェルンである。


 街道を走り続けてきたためか、短い髪にはまだ汗が残っていた。


 エリオは机の前まで進むと、きちんと姿勢を正す。


「ただいま戻りました」


「ご苦労」


 ガレスが書類から顔を上げた。


「三人は」


「本日、午前十一時頃にリーネへ到着しました。門を通過し、現在は中央教会に滞在しています」


「異常は」


「ありません」


 その返事を聞き、ガレスの指先からわずかに力が抜けた。


 無事に着いた。


 まずは、それでいい。


 エリオは胸元から折り畳んだ紙を取り出し、机の上へ差し出した。


「こちらが道中の報告です」


挿絵(By みてみん)


 ガレスは紙を受け取り、ゆっくりと開いた。


「シリル団長と別れた翌朝から追跡を開始」


「はい」


「最初の分かれ道では、女神から授かった羅針盤を使用。右の道を選び、そのまま進んだ」


「間違いありません」


「昼頃、大きな樫の木の下で休憩。ポシェットから温かい食事が出てきた」


「はい」


「中身は」


「ホットサンドと果物です」


「確認したのか」


「見えました」


「食べてはいないな」


 エリオの眉がわずかに寄る。


「食べていません。任務中ですから」


「そうか」


 ガレスは何事もなかったように次の行へ目を移した。


「惜しかったな」


「何がですか」


「いや、何でもない」


 エリオは納得していない顔をしたが、それ以上は聞かなかった。


 ガレスも聞かれなくてよかったと思った。


 温かいホットサンド。


 街道の木陰。


 三人で昼食。


 ――ずいぶん楽しそうではないか。


 もちろん、自分は任務中の部下から食事を分けてもらいたいなどとは思っていない。


 ただ、少し見てみたかっただけだ。


「その後、アリアが飛行訓練を行った」


「はい。以前より、かなり安定していました」


「光の玉を三つ数える間、維持した」


「はい」


「よく数えたな」


「報告に必要かと思いまして」


「必要かどうかはともかく、よく見ている」


「任務ですから」


 ガレスは小さくうなずいた。


 ――飛ぶところまで見たのか。


 報告書には淡々と書いてある。


 だが、実際には六歳の小さな天使が光の羽を広げて飛んでいたのだろう。


 それを街道脇で、かなり近い場所から見ていた。


 少しだけ、うらやましい。


 ほんの少しだけだ。


 ガレスは次の行へ視線を移した。


「その後、ルカが猫へ変身」


 エリオの肩が、ほんの少し固くなった。


「はい」


「大型のラグドールとある」


「はい」


「どれほどの大きさだ」


「大きな猫です」


「それは読めば分かる」


「普通の猫より、かなり大きいです」


「どのくらいだ」


 エリオは眉間にしわを寄せた。


「アリアが背中へ乗れるくらいです」


「馬ほどか」


「馬ほどではありません」


「大型犬ほどか」


「大型犬よりは大きいです」


「では、子馬か」


「子馬ほど脚は長くありません」


「では何だ」


「……大きな猫です」


 ガレスが報告書から顔を上げた。


「最初に戻ったな」


「ですが、本当に大きな猫としか言いようがないんです」


「報告は正確にしろ」


「正確に言って、大きな猫です」


 二人の視線が、しばらく机の上でぶつかった。


 ガレスは先に諦め、報告書へ目を戻した。


「アリアが背中へ乗り、マルルが頭の上へ乗った」


「はい」


 そこで、ガレスの目が一度だけ止まった。


 ――背中にアリア。


 ――頭の上にマルル。


 想像してしまった。


 大きなふわふわの猫。


 その上に小さな天使。


 さらに頭には白いマルル。


 ……なるほど。


 これは、見たかった。


「アリアは光の羽を広げ、体を浮かせた」


「はい」


「猫が飛んだわけではないな」


「飛んでいません」


 エリオは即座に答えた。


「飛んだのはアリアです。ルカは走りました」


「分かっている」


「そこは正確にお願いします」


 ガレスの眉が上がった。


「誰に言っている」


「申し訳ありません」


 エリオはすぐに姿勢を正す。


 ガレスは表情を変えないまま報告書へ目を戻したが、頭の中では、さっきの光景がまだ走っていた。


「その状態で、ルカが街道を走った」


「はい」


「速度は」


 エリオの視線が、そっと報告書から外れる。


「速かったです」


「報告になっていない」


「かなり速かったです」


「どの程度だ」


「林の中を全力で走って、ようやく追いつけるくらいです」


「追いついたのか」


「最終的には」


「途中は」


「木々の間から姿が見えなくなることがありました」


「見失ったのか」


「一時的に視界から外れただけです」


「見失ったのだな」


「進行方向は把握していました」


「姿は見えていたか」


「……見えていませんでした」


「見失ったのだな」


 エリオは口を引き結んだ。


「ほんの少しです」


「時間は聞いていない」


「申し訳ありません」


 ガレスは机の上からペンを取り、報告書へ何かを書き添えた。


 エリオが、そっと首を伸ばす。


「何を書いたんですか」


「次回は林ではなく、街道を走ること」


「それは自分でも反省しました」


「ならば問題ない」


 ガレスは次の頁をめくった。


「最初の村で対象と接触」


 今度は、エリオの目が泳いだ。


「……はい」


「シリル団長からは、姿を見せるなと命じられていたはずだ」


「こちらから姿を見せたわけではありません」


「では、なぜ接触した」


「村の通りを歩いていたところを、呼び止められました」


「誰に」


「アリアです」


 ガレスは表情を変えなかった。


 ――本人から。


 それは、ずいぶん近いな。


「何と」


 エリオは一度、咳払いをした。


「教会って、どこですか、と」


 執務室が静かになった。


 窓の外から、遠くで犬が吠える声だけが聞こえてくる。


「それだけか」


「はい」


「道を教えた」


「はい。この道をまっすぐだと」


「ほかには」


「ありません」


「礼は」


「言われました」


「どのように」


 エリオはガレスを見た。


「そこまで報告に必要ですか」


「俺が聞いている」


「……ありがとうございます、と」


「それだけか」


「笑顔で」


 ガレスの視線が、ゆっくり報告書へ戻った。


 ――笑顔で。


 そこまで報告する必要はあるのか。


 いや。


 必要だ。


 ……たぶん。


「そうか」


「なぜ今、少し間があったんですか」


「気のせいだ」


 どう見ても気のせいではなかった。


 だが、エリオはそれ以上聞かなかった。


 ガレスも聞かせるつもりはなかった。


 部下が任務中に六歳児から笑顔で礼を言われたことを、上官がうらやましがっているなど。


 知られる必要はない。


「その後、翌朝に荷馬車へ同乗。途中で降りたあと雨に遭い、その日のうちにベルナ村へ到着した」


「はい」


「女神から授かったマントが、雨と泥を弾いた」


「三人とも、服も髪も濡れていませんでした」


「靴もか」


「はい」


「便利だな」


「かなり」


「滑る道までは防げなかった」


「ルカが一度滑りましたが、転んではいません」


「そこまで見たのか」


「任務ですから」


「だが、走る猫は見失った」


「一時的です」


「まだ言うか」


 エリオは黙った。


 ガレスは最後まで読み終えると、報告書へ印を押した。


「本部への報告はこちらでまとめる。お前は今日は休め」


「ありがとうございます」


 エリオは一礼し、扉へ向かった。


「エリオ」


 呼び止められ、振り返る。


「はい」


「次にあの猫が走り出したら」


「はい」


「先に街道へ出ろ」


 エリオはしばらく黙っていた。


「……承知しました」


◇ ◇ ◇


 執務室を出て扉を閉めたところで、エリオは大きく息を吐いた。


「支部長……」


 誰もいないと思っていた廊下で、天井を見上げる。


「猫があんなに速いなんて、聞いてませんよ」


「聞いていても、信じなかっただろう」


 すぐ横から声がした。


「うわっ!」


 エリオの肩が跳ねる。


 壁際の長椅子に、二人の騎士が並んで座っていた。


 リーネの門を守るロイドとダンである。


「いつからいたんですか」


「お前が執務室へ入る前から」


 ロイドが立ち上がり、エリオの肩へ腕を回した。


「ずいぶん長い報告だったな」


「聞こえてたんですか」


「扉は閉まっていた」


「なら、聞こえてないでしょう」


 ダンがエリオの顔を見た。


「猫に負けた顔をしている」


「負けてません」


「見失った」


「一時的にです」


「負けたな」


「どうして二人とも、そこだけ正確なんですか」


 ロイドは楽しそうに笑うと、エリオの背中を軽く叩いた。


「着替えてこい。今日はフェリクスも戻っている」


「何かあるんですか」


「労いの食事だ」


「誰の」


「猫に負けたお前の」


「負けてません」


◇ ◇ ◇


 夕方。


 勤務を終えた四人は、リーネ支部から二つ通りを隔てた酒場へ入った。


 扉を開けると、焼いた肉と香草の匂いが流れてくる。


 窓際の卓には、すでに金髪の騎士が座っていた。


 市場の警備を担当していたフェリクスである。


「遅い」


「約束の時間前だぞ」


 ロイドが向かいの椅子へ腰を下ろす。


「エリオの報告が長引いた」


「俺のせいにしないでください」


 エリオも外套を椅子の背へ掛けた。


 ダンは一番端へ座ると、卓の中央にあったパン籠を自分の前へ引き寄せる。


 ロイドがすぐに元へ戻した。


「独占するな」


「手が届かなかった」


「まだ誰も食べていない」


 料理が運ばれてくると、フェリクスは杯を持ち上げた。


「それで」


 さっきまでの軽い声が、少しだけ低くなる。


「三人は無事だったのか」


 エリオはうなずいた。


「無事です。昼前に中央教会へ入りました」


「そうか」


 フェリクスが短く息を吐き、杯へ口をつける。


 ロイドとダンも何も言わなかったが、二人の肩から力が抜けた。


「中央教会なら安心だな」


「はい」


 エリオはパンを一つ取り、ちぎった。


「中庭の子どもたちを見て、アリアはかなり遊びたそうにしていました」


「六歳だからな」


 ロイドが笑う。


「今日くらいは、ゆっくり遊べるといいが」


 四人はしばらく料理を食べながら、支部の仕事や町の噂を話していた。


 焼いた肉が半分ほどなくなった頃、ロイドが何気ない様子で杯を置く。


「ところで」


 エリオはパンを持ったまま顔を上げた。


 嫌な予感がした。


「何ですか」


「お前、アリアちゃんと話したんだって?」


 フェリクスの手が止まる。


「話したのか」


「話したというほどではありません」


「何を言われた」


「道を聞かれただけです」


「誰に」


「アリアに」


 ダンまでパンを置いた。


 エリオは三人の視線を受け、眉をひそめる。


「何ですか」


「それで」


 ロイドが身を乗り出した。


「何と聞かれた」


「教会って、どこですかと」


「直接?」


「道を聞かれたんですから、直接です」


「どのくらいの距離で」


「普通に話せる距離です」


「目は合ったか」


「合いましたけど」


「笑ったか」


 エリオの手が止まった。


「……お礼を言う時に」


 ロイドは、ゆっくりと背もたれへ寄りかかった。


「こいつが一番だな」


「何がですか」


「今回の任務で、今のところ一番得をしている」


「勝手に競技を始めないでください」


「直接話したうえに、笑いかけられた」


「道を教えただけです」


「その道を教えたのがお前だ」


「近くにいたからです」


「近くにいたことが、すでに得だろう」


 ロイドが腕を組む。


 すると、隣のダンが静かに口を開いた。


「まだ決めるのは早い」


「何だ」


「俺たちは、名前を書いたところを見た」


 エリオの目が動く。


「名前?」


 ロイドは待っていましたとばかりに、懐から折り畳んだ紙を取り出した。


 卓の上へ広げる。


「……それ、何ですか」


「控えだ」


「何の」


「アリアちゃんの名前の」


「なんでそんなものがあるんですか」


「木の板へ紙を重ねて、光に透かして写した」


「……そこまでしたんですか」


 少し曲がった文字で、名前が書かれている。


 ア・リ・ア。


「アリアちゃん、名前を自分で書いたんですか」


「ああ。昨日、覚えたばかりらしい」


 ロイドは胸を張った。


「鉛筆を持って、一文字ずつ書いた。最後まで書いたあと、俺たちの前で言ったんだ」


 少し間を置く。


「書けたって」


「あなたに言ったんじゃなくて、普通に喜んだだけでしょう」


「俺の前で喜んだ」


「意味が違います」


 ロイドは紙を大切そうに折り畳み、懐へ戻した。


「しかも、マルルも書こうとした」


 フェリクスが眉を上げる。


「書けるのか」


「書けない」


 ダンが答えた。


「鉛筆へ飛びつこうとして、ころんと転がった」


「転がったのか」


「ああ」


 ダンは杯を置いた。


「そのあと、耳が垂れた」


 卓の上が静かになる。


 ロイドが深くうなずいた。


「垂れたな」


「……見たかった」


 フェリクスが低くつぶやく。


 ダンは満足そうにパンを一口食べた。


「だろう」


「お前、急に勝った顔をするな」


「耳が垂れた」


「二回言う必要があるか」


「大事なところだ」


 ロイドは腕を組み、難しい顔で考え込んだ。


「名前と耳か」


「強いな」


「何が強いんですか」


 エリオがあきれた声を出した。


 すると、フェリクスが静かに杯を置く。


「その程度で勝ったつもりか」


 三人が一斉に顔を向けた。


「何を見た」


 ロイドが尋ねる。


「今日、広場で三人を見かけた」


「何をしていた」


「蚤の市を見ていた」


 フェリクスは思い出すように目を細める。


「アリアは店を一つずつのぞいていた。途中で古い木箱を見つけた」


「木箱?」


「ああ。ほかの箱の奥に隠れていた、ずいぶん古い箱だ。角は欠け、木には傷があり、蓋も歪んで開かなかった」


 フェリクスはパンをちぎりながら続ける。


「それでも、アリアは棚へ戻せなかった」


 ロイドが少しだけ身を乗り出した。


「戻せなかった?」


「何度見ても気になるらしくてな。ルカへ聞いたんだ」


 フェリクスは声を少しだけ真似る。


「これ、直したら使えるかな、って」


 卓が静かになった。


 ダンが小さくうなずく。


「強い」


「またそれか」


「強いものは強い」


 フェリクスは少し得意そうに続けた。


「ルカが、パパにもらった道具があるから直せると思う、と答えた」


 ロイドがうめいた。


「そこまで入るのか」


「実際にあったことだ」


「反則だろう」


「何の反則だ」


「いい話まで混ぜるな」


「勝手に勝負を始めたのはお前だ」


 エリオが片手を上げた。


「待ってください」


 三人が一斉に見る。


「なぜ俺だけ、道を聞かれた話で終わっているんですか」


「ほかに何かあるのか」


「ありますよ」


 エリオは少しだけ胸を張った。


「アリアが空を飛ぶところを見ました」


 ロイドの目が丸くなる。


「飛んだのか」


「はい」


「どのくらい」


「地面から浮いて、まっすぐ飛んで、曲がって、戻ってきました」


「ふらつかなかったか」


「ほとんど」


 フェリクスも身を乗り出す。


「羽は」


「飛んでいる間だけ大きくなりました。光の羽です」


「きれいだったか」


 エリオは少し考えた。


「……かなり」


 ロイドが悔しそうに顔をしかめる。


「飛ぶところは強いな」


「さらに、ルカが大きなラグドールへ変身しました」


「どのくらい大きい」


「それはもういいです」


「気になるだろう」


「大きな犬より大きく、馬より小さい、大きな猫です」


「分からない」


「俺も説明できないんです」


 エリオは話を戻した。


「その背中へアリアが乗りました。マルルは頭の上です」


「それで?」


「アリアが羽を広げて体を浮かせると、ルカが走り出しました」


 エリオの口元が、わずかに緩む。


「三人とも笑っていました」


 フェリクスが黙った。


 ロイドも腕を組んだまま、何も言わない。


 ダンが、ぽつりとつぶやく。


「それが一番だ」


「待て」


 ロイドがすぐに反論した。


「近くで名前を書くところを見たんだぞ。しかもアリアちゃんが、目の前で『書けた』って喜んだ」


「あなたに言ったわけではありません」


「目は合った」


「それは俺でしょう」


「俺とも合った」


「門番だから見ただけです」


「フェリクスは木箱だ」


 ダンが言う。


「俺には耳がある」


「なぜマルルの耳を、お前の所有物みたいに言うんだ」


 それから、話は一歩も進まなくなった。


「直接話したエリオだ」


「名前を書いたところを見た俺たちだ」


「木箱を見つけたところを見た俺だ」


「耳が垂れた」


「だから耳だけで参加するな」


「大事だ」


「飛ぶところは遠くからだろう」


「遠くても見ました」


「俺は声まで聞いた」


「俺も聞きました」


「教会って、どこですか、だけだろう」


「ありがとうございます、も聞きました」


「笑顔付きだな」


「勝手に付け足さないでください」


「さっき自分で言ったぞ」


 初めは静かに聞いていたダンまで、いつの間にか卓へ身を乗り出している。


「マルルは、耳だけでなく尻尾も下がった」


「新しい情報を出すな」


「事実だ」


「それは早く言え」


「耳だけで十分だと思った」


「十分ではなかったな」


 四人が真剣な顔で言い争っていると、酒場の扉が開いた。


 外の涼しい空気と一緒に、大きな人影が入ってくる。


「支部長」


 四人の背筋が、一斉に伸びた。


 ガレスは店内を見回すと、まっすぐ四人の卓へ歩いてくる。


「外まで声が聞こえていたぞ」


 そう言いながら、ガレスはどこか事情を知っているような目で四人を見た。


「申し訳ありません」


 エリオが立ち上がろうとすると、ガレスは片手で制した。


「勤務時間は終わっている」


 空いていた椅子を引き、腰を下ろす。


「何の話だ」


 四人は顔を見合わせた。


 誰も口を開かない。


「ロイド」


「はい」


「お前が話せ」


 ロイドは一度、咳払いをした。


「誰がいちばん得をしたかという話です」


「何の」


「アリアたちを見守る任務で」


 ガレスは黙ったまま、近づいてきた店員へ飲み物を注文した。


 それから四人を見る。


「続けろ」


 表情はいつもの支部長のものだった。


 だが内心では。


 ――やはり、そういう話だったか。


 昼の報告を聞いている時から、少しだけ思っていた。


 現場にいる連中は、ずいぶんいろいろ見ている。


 かなり、ずるい。


 ロイドは少し勇気を得たように身を乗り出した。


「エリオは、アリアちゃんから直接、教会の場所を聞かれました」


「知っている」


「俺とダンは、アリアちゃんが自分の名前を書くところを見ました」


 ガレスの目が、ほんのわずかに動いた。


 ――昨日覚えたばかりの名前を、もう自分で書いたのか。


 それは。


 ……見たかったな。


「さらに、マルルが鉛筆を持とうとして転がった」


 ダンが付け加える。


「耳と尻尾が下がった」


「そうか」


 ――耳と尻尾まで。


 そこまで見たのか。


 ガレスは杯が届くのを待ちながら、何でもない顔をしていた。


「フェリクスは、蚤の市でアリアちゃんが古い木箱を見つけたところを見ました」


「そうか」


「どうしても気になったらしくて、『これ、直したら使えるかな』ってルカへ聞いたそうです」


 ガレスは黙っていた。


 ――それも、見たかった。


 古びた箱を抱えて、直せるかと聞く六歳児。


 想像するだけなら簡単だ。


 だが、こいつらは実際に見ている。


「エリオは、アリアちゃんが空を飛ぶところと、猫になったルカの背中へ乗って走るところを見ました」


 ガレスはエリオを見る。


 ――飛ぶアリア。


 ――大きな猫になったルカ。


 ――頭の上のマルル。


 それを全部、一度に。


 ……こいつが一番ずるいのではないか。


「一時的に見失ったところまで含むのか」


「そこは含めなくていいです」


 エリオが即座に答えた。


 ロイドは両手を卓へ置く。


「支部長は、誰がいちばん得をしたと思います?」


 ガレスは四人を順番に見た。


 誰も笑っていない。


 本気だった。


「任務中に、何を競っている」


 全員が黙る。


 当然のことを言った。


 支部長としては、これで終わらせるべき話である。


 だが。


 ――全員、ずるいな。


 ガレスは心の中だけで、静かに結論を出した。


「ですが」


 フェリクスが珍しく食い下がる。


「支部長なら、どれを見たかったですか」


 ガレスは答えなかった。


 運ばれてきた杯を受け取り、静かに一口飲む。


「支部長」


「聞こえている」


「では」


「全員だろう」


 四人が顔を見合わせる。


「全員?」


「ああ」


 ガレスは杯を置いた。


「お前たちは、それぞれ違う場面を見た」


 道を尋ねた姿。


 初めて自分の名前を書いた姿。


 古い木箱を気に入った姿。


 三人で笑いながら街道を駆けた姿。


「どれか一つだけでは、あの子たちの旅にはならない」


 卓の上が静かになる。


 エリオが小さく笑った。


「やっぱり、全員ですか」


「ああ」


 ロイドは腕を組む。


「きれいにまとめられたな」


「支部長だからな」


 フェリクスもうなずいた。


 ガレスはもう一度、杯を持ち上げる。


 ――ということにしておこう。


 本音を言えば。


 全部見たかった。


「ただし」


 その声に、四人の姿勢が整った。


「今話した内容は、全員、報告書へまとめろ」


 四人の顔が固まる。


「……何をですか」


 ロイドが恐る恐る尋ねた。


「今、話していたことをだ」


「正式な報告書にですか」


「別紙で構わん」


 エリオが眉を寄せる。


「マルルの耳と尻尾もですか」


「漏れなく書け」


「木箱の話も?」


「ああ」


「アリアちゃんの文字も?」


「控えがあるなら、写しを添付しろ」


 ロイドが慌てて懐を押さえた。


「なぜ持っていると知っているんですか」


「さっき卓の上へ出していただろう」


 ガレスは平然と答えた。


「提出は明朝だ」


 フェリクスが、じっとガレスを見る。


「もしかして、自分が全部読みたいだけでは」


 ガレスは杯へ口をつけた。


 答えない。


 ――全部見ていないのだから。


 せめて、全部読むくらいはいいだろう。


 四人は顔を見合わせた。


 ダンが、ぽつりと言う。


「支部長が一番得をしている」


 ロイドがゆっくりとうなずいた。


「現場へ行かずに、全部読めるからな」


「しかも、正式な報告書として」


 フェリクスも腕を組む。


「反則では」


 ガレスは杯を置いた。


「騎士団では、情報を集めた者が勝つ」


「勝負だったんですか」


 エリオが聞き返す。


「今、決まった」


 四人の声が重なった。


「ずるい!」


 酒場の中へ、大きな笑い声が響いた。


 ガレスは何も言わずに杯を持ち上げたが、その口元には、ほんのわずかに笑みが浮かんでいた。


 窓の外では、リーネの町に夜の灯りがともり始めている。


 中央教会の高い鐘楼から、静かな鐘の音が届いた。


 エリオは、ふと窓の向こうへ目を向ける。


 今頃、三人も夕食を終えた頃だろうか。


 にぎやかな町のこと。


 蚤の市のこと。


 連れて帰った木箱のこと。


 きっと今も、三人で顔を寄せ合い、今日あったことを話しているのだろう。


「明日も任務か」


 フェリクスが尋ねる。


「はい」


 エリオは笑ってうなずいた。


「今度は、猫が走っても見失いません」


「街道を走るんだぞ」


 ガレスが言う。


「分かっています」


「先回りしろ」


「分かっていますって」


「教会の場所を聞かれても、慌てるな」


「慌ててません!」


 再び、卓を囲んだ笑い声が上がった。


 姿を見せず。


 手を貸さず。


 決して見失わない。


 少しばかり笑いの多い見守り役たちは、明日もまた、小さな旅人たちのあとを追う。


◇◇おまけ◇◇


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。