表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森で拾ったのは、半人前の天使でした ― ラグドール一家と小さな天使 ―  作者: くいたん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/33

第21話 はじめての文字


 三人は教会の前で足を止めた。


 雨はすっかり上がり、濡れた石畳が夕日に照らされてやさしく光っている。


 アリアは白いポシェットへ手を入れ、大切そうに封筒を取り出した。


「紹介状」


 ルカが小さくうなずく。


「うん。行こう」


 アリアは木の扉の前へ立つと、小さく息を吸い込み、こんこんと扉をたたいた。


 コン、コン。


 しばらくして、中から足音が近づいてくる。


 ガチャ。


 木の扉がゆっくりと開いた。


 現れたのは、白い修道服をまとったシスターだった。


「あら」


 三人の姿を見ると、やさしくほほえむ。


「旅の方ですね」


「はい!」


 アリアは紹介状を差し出した。


「紹介状です」


 シスターは両手で受け取り、中を確かめると、穏やかにうなずいた。


「ありがとうございます。少々お待ちくださいね」


 そう言って奥へ姿を消す。


 三人は静かに待っていた。


 やがて再びシスターが戻ってくる。


「お待たせしました」


「どうぞ、お入りください」


「ありがとうございます」


 三人はそろって頭を下げ、教会の中へ足を踏み入れた。


 礼拝堂は昨日の教会より少し広く、長椅子も祭壇もひと回り大きい。


 窓から差し込む夕暮れの光が、床をあたたかな色に染めていた。


「ちょっと広いね」


 アリアが辺りを見回す。


「町が近いからかもしれないね」


 ルカも静かに答えた。


 シスターは三人を奥の部屋へ案内する。


「こちらがお泊まりいただくお部屋です」


「夕食までは、まだ少し時間がありますから、ごゆっくりお過ごしください」


 そこまで聞いた時だった。


「あっ!」


 アリアが何かを思い出したように声を上げる。


「お勉強!」


 ルカも思わず笑った。


「ああ、ノートだ」


 アリアはうれしそうにポシェットを開き、花の刺繍が入った布に包まれたノートを取り出した。


「最初の教会でもらったの!」


 シスターは目を細める。


「まあ、すてきですね」


「大切にしているんですね」


「うん!」


 アリアは何度もうなずいた。


 その様子を見たシスターは、やさしくほほえむ。


「それでは、食堂へ行きましょう」


「テーブルのほうが書きやすいですから」


「うん!」


 三人はシスターのあとについて食堂へ向かった。


 窓から夕方のやわらかな光が差し込み、木のテーブルを明るく照らしている。


 シスターは椅子へ腰を下ろした。


「では、始めましょうか」


 アリアも向かいへ座ると、そっとノートを開いた。


 真っ白なページが現れる。


「鉛筆はありますか?」


「ある!」


 ポシェットから一本の鉛筆を取り出す。


 けれど、その握り方はスプーンを持つ時と同じだった。


 シスターはくすりと笑う。


「最初は、みんなそうなんですよ」


「ほんと?」


「ええ」


 そう言うと、自分の鉛筆を持ち上げた。


「こうすると、もっと書きやすいですよ」


 親指と人差し指、中指でそっと支えるように持ってみせる。


 アリアも真似をした。


 少し滑る。


 もう一度持ち直す。


 今度は、さっきよりも自然に持つことができた。


「できた」


 その小さな声に、シスターはうれしそうにうなずいた。


「はい、とても上手ですよ」


 ノートをアリアの前へそっと向ける。


「今日は、自分の名前を書いてみましょう」


「わたしの名前?」


「ええ」


 シスターはゆっくりと見本を書いた。


 ア。


「これは、『ア』です」


「アリアの『ア』ですよ」


 アリアの目がぱっと輝く。


「わたしの?」


「そうですよ」


 アリアは見本をじっと見つめる。


 そして、鉛筆の先をそっと紙へ近づける。


「ゆっくりで大丈夫ですよ」


 シスターが優しく声を掛けた。


 アリアはこくりとうなずくと、見本を見ながら最初の一画を引いた。


 少し曲がる。


「あ……」


「大丈夫ですよ」


「最初は、みんなそうです」


 もう一画。


 そして最後の一画。


 少し傾いていたけれど、ちゃんと「ア」の形になった。


「上手ですよ」


 シスターの言葉に励まされるように、アリアは次の文字を書いていく。


 ゆっくり。


 一文字ずつ。


 見本を見ては鉛筆を動かし、また見本を見る。


挿絵(By みてみん)


 やがて最後の一文字を書き終えると、そっと鉛筆を置いた。


 ノートには、小さく少し曲がった文字が並んでいた。


ア リ ア


 アリアは目を丸くする。


「……わたしの名前」


 見本を見る。


 もう一度、自分で書いた文字を見る。


 そして、顔いっぱいに笑顔が広がった。


「わたし……」


「わたしの名前、書けた!」


シスターは目を細め、ゆっくりとうなずいた。


「はい」


「アリアさん、自分の名前が書けましたね」


 アリアはもう一度ノートへ目を落とした。


 少し曲がっていて、大きさもそろっていない。


 それでも、そこには確かに自分の名前が並んでいた。


 ア リ ア


 そっと指先で文字をなぞる。


 胸の奥が、ぽっと温かくなった。


「わたしの名前……」


 思わずこぼれたその声は、とても嬉しそうだった。


 シスターも一緒にノートをのぞき込み、優しく微笑む。


「初めて書いた文字は、一生の宝物ですよ」


 アリアは大きくうなずく。


「うん!」


 その返事があまりにも嬉しそうで、ルカも思わず笑みをこぼした。


「よかったね」


「うん!」


 アリアはノートを胸へぎゅっと抱きしめた。


 シスターは静かに立ち上がる。


「今日はここまでにしましょう」


「これから少しずつ、いろいろな文字を書けるようになりますよ」


「はい!」


 アリアは元気いっぱいに返事をすると、花の刺繍が入った布のカバーをそっと閉じた。


 大切そうにポシェットへしまい、最後にもう一度だけ、その上から優しく手を添える。


「では、夕食にしましょう」


「はーい!」


 三人は食卓へ向かった。


 木のテーブルには、焼きたてのパンと温かな野菜のスープが並んでいた。


 湯気と一緒に、やさしい香りが食堂いっぱいへ広がる。


「いただきます」


 三人は手を合わせる。


 アリアはスープをひと口飲むと、ぱっと顔を輝かせた。


「おいしい!」


「体が温まるね」


 ルカも静かに笑う。


 マルルは夢中でパンを頬張りながら、


「おいしいなの!」


と嬉しそうに耳を揺らした。


 食堂には、穏やかな笑い声が広がっていた。


     ◇


 夕食を終えると、三人は礼拝堂へ向かった。


 静かな礼拝堂には、ろうそくの灯がやさしく揺れている。


 三人は祭壇の前へ並び、そっと手を組んだ。


 アリアは目を閉じる。


「女神さま」


「今日ね」


「わたし、自分の名前が書けたの!」


 嬉しさを抑えきれない声が、礼拝堂へ弾む。


「アリアって書けたよ!」


 その言葉に応えるように、やわらかな声が静かに響いた。


『よく頑張りましたね。』


 アリアは満面の笑みになる。


「うん!」


「それからね」


「雨も降ったけど、マントのおかげで全然ぬれなかったよ!」


 ルカも静かに続ける。


「本当に助かりました」


『旅のお役に立ててよかったです。』


 優しい声が礼拝堂を包み込む。


『これからも、一歩ずつ進んでいきましょう。』


「うん!」


 三人はそろって頭を下げた。


「ありがとうございました」


     ◇


 部屋へ戻る廊下を歩きながら、アリアは弾むような足取りで言った。


「明日はリーネだね!」


「うん」


 ルカもうなずく。


「初めての大きな町だ」


「楽しみなの!」


 マルルもしっぽをぴんと立てて跳ねる。


 部屋へ戻ると、アリアはもう一度だけポシェットからノートを取り出した。


 花の刺繍を指先でそっとなでる。


 ページを開くと、そこには今日初めて自分で書いた名前が並んでいた。


 ア リ ア


 少し曲がっていて、


 少し大きさも違う。


 それでも、その一文字一文字が、世界でたった一つの宝物のように思えた。


 アリアは嬉しそうに微笑むと、ノートを大切に閉じる。


「おやすみ」


 ルカが声を掛ける。


「おやすみ!」


「おやすみなの」


 三人はそれぞれのベッドへ入った。


 窓の外では、雨上がりの夜空に星が静かに瞬いている。


 ポシェットの中では、今日初めて自分で書いた名前が、小さな宝物のように静かに眠っていた。


 それを胸に抱くようにして、アリアは安心した笑顔のまま、ゆっくりと夢の中へ溶けていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ