第19話 小さな旅人
悩んでたら、更新遅くなりましたー。(^^;)
夕暮れの街道を、三人は並んで歩いていた。
西へ傾いた太陽が草原を茜色に染め、長く伸びた三つの影が街道の上をゆっくりと揺れている。
朝から歩き続けた足は少し重かった。
それでも、アリアは前を向いたまま、小さな歌を口ずさんでいる。
ルカはそんな横顔を見て、小さく笑った。
元気だな。
自分も疲れているはずなのに、アリアの足取りは朝とあまり変わらない。
その時だった。
「あっ!」
アリアがぱっと前を指さす。
「見えてきた!」
街道のずっと先。
夕焼け色に染まった小さな村が、ゆらぐ陽炎の向こうに姿を見せていた。
赤い屋根がいくつも並び、その間から白い煙が細く空へ伸びている。
夕食の支度をしているのだろう。
風に乗って、どこか香ばしい匂いまで流れてきた。
「今日は、あそこで泊まれるね!」
アリアの声が弾む。
ルカも村を見つめ、ほっと息を吐いた。
「やっと着いたね」
そう言って笑ったものの、足は正直だった。
一歩踏み出すたびに、じんわりと疲れが伝わってくる。
今日は、本当によく歩いた。
アリアはそんなルカの顔を見上げる。
「あと少し!」
「うん」
三人は自然と歩幅を少しだけ広げ、村へ向かって歩いていった。
◇
少し離れた林の中では、一人の青年が木にもたれながら、その様子を見守っていた。
「……かわいい」
思わず口から漏れた声に、エリオははっと口を押さえる。
「違う違う」
首をぶんぶん振った。
「仕事だ、仕事」
小さく咳払いをして姿勢を正す。
団長から言われたことは三つ。
姿を見せないこと。
手を貸さないこと。
そして、絶対に見失わないこと。
「よし」
小さくうなずくと、落ち葉を踏まないよう足音を殺しながら、三人のあとを静かに追い始めた。
◇
村へ入ると、夕暮れのあたたかな空気が三人を迎えた。
家々の窓には灯りがともり始め、あちこちから夕飯を作る香りが漂ってくる。
鍋を混ぜる音。
家族を呼ぶ声。
楽しそうに笑いながら走る子どもたち。
行き交う人々も、どこか急ぎ足で家路をたどっていた。
「にぎやかだね」
アリアはきょろきょろと辺りを見回しながら歩く。
「まずは教会を探そう」
ルカが周囲を見渡した、その時だった。
向こうから一人の青年が歩いてくる。
アリアはぱっと表情を明るくすると、小走りで駆け寄った。
「あの!」
突然声を掛けられ、青年はぴたりと足を止める。
「教会って、どこですか?」
「……え?」
一瞬だけ目を丸くする。
(俺!?)
心臓がどくりと跳ねた。
(普通に話しかけられた……!)
頭の中が真っ白になる。
けれど慌てて笑顔を作り、何事もなかったように村の奥を指さした。
「ああ、この道をまっすぐ行けば見えてくるよ」
「ありがとうございます!」
アリアは花が咲いたような笑顔で頭を下げる。
「助かりました」
ルカもぺこりと頭を下げた。
「い、いや」
エリオは照れ隠しに頭をかく。
「気を付けて」
「はい!」
三人は教えられた道を歩き始めた。
エリオも反対方向へ歩き出す。
何事もなかったように角を一つ曲がると、そっと振り返った。
三人の姿は、まだ楽しそうに歩いている。
「……団長」
思わず笑みがこぼれた。
「かわいいとは聞いてましたけど……」
肩をすくめる。
「想像以上じゃないですか」
緩みそうになる頬を、ぺちんと軽く叩いた。
「だめだ」
「護衛、護衛」
もう一度だけ三人の背中を見届けると、音もなく屋根と塀の陰を伝いながら、そのあとを追いかけた。
◇
三人は教えられた道をまっすぐ歩いていく。
角を一つ曲がった、その時だった。
「あっ!」
アリアの声が弾む。
夕日に照らされた白い壁と赤い屋根。
その上に建つ小さな鐘楼では、十字架が金色の光を受けて静かに輝いていた。
「教会だ!」
三人は思わず顔を見合わせる。
自然と足が速くなり、小さく駆けるように教会の前までやって来た。
アリアは木の扉の前へ立つと、こんこんと優しく叩く。
少しして、ぎい、と木の扉がゆっくり開いた。
現れたのは、白髪交じりの神父だった。
穏やかな笑顔を浮かべる神父へ、アリアはぺこりと頭を下げる。
「こんばんは」
「こんばんは」
神父も同じように微笑み返した。
ルカは胸元から大切にしまっていた紹介状を取り出す。
「西の教会から預かってきました」
神父は封筒を見ると、表情をやわらげた。
「ああ、西の教会からでしたか」
手紙を静かに開き、ゆっくりと目を通していく。
やがて読み終えると、三人へ優しい笑顔を向けた。
「長い旅、お疲れさまでした」
「ようこそ、この教会へ」
その言葉に、三人の肩からふっと力が抜ける。
「ありがとうございます!」
三人の声が重なった。
「お部屋へ荷物を置いたら、食堂へいらっしゃい」
神父は教会の奥へ手を向ける。
「ちょうど夕食の支度ができたところなんですよ」
「はい!」
アリアはうれしそうに返事をすると、ルカとマルルを振り返った。
「行こう!」
三人は神父のあとについて、静かな教会の中へ足を踏み入れた。
廊下には、木の床を踏む柔らかな足音が静かに響いていた。
窓から差し込む夕日が白い壁をあたたかく照らし、磨き込まれた床へ細長い光の帯を落としている。
神父は廊下の奥にある一つの扉を開けた。
「今夜はこちらのお部屋をお使いください」
「ありがとうございます!」
三人は部屋の中へ入る。
そこには小さなベッドが三つ並び、窓際には木の机と丸い椅子が置かれていた。窓辺には白い花が一輪飾られ、夕日に照らされながら静かに揺れている。
「わあ……」
アリアは部屋をぐるりと見回した。
「前の教会と、ちょっと似てるね」
「うん」
ルカもうなずく。
「なんだか落ち着く」
初めて訪れた教会なのに、不思議と懐かしい空気があった。
マルルは待ちきれない様子で、ぴょんっと一番近くのベッドへ飛び乗る。
「ふかふかなの!」
ぽふん、と小さく跳ね返る。
「おっ」
もう一度。
ぽふん。
「もう遊ぶなよ」
ルカが笑いながら声を掛ける。
「あとでゆっくり遊べばいいだろ」
「はーいなの」
返事はしたものの、マルルの耳は嬉しそうにぴこぴこと揺れていた。
アリアは肩から白いポシェットを外し、そっと机の上へ置く。
朝からずっと一緒だった荷物を下ろすと、肩がふっと軽くなった。
「よし!」
アリアはくるりと振り返る。
「ご飯!」
その一言にルカは思わず吹き出した。
「やっぱりそれだよね」
「だって、お腹ぺこぺこなんだもん」
「ぼくもなの!」
マルルも元気よく前足を上げる。
三人は顔を見合わせると、小さく笑い合いながら部屋をあとにした。
◇
食堂へ入ると、焼きたてのパンと温かなスープの香りがふわりと鼻をくすぐった。
「わあ……」
アリアは思わず足を止める。
長いテーブルには湯気の立つスープ皿が並び、焼き色のついた丸いパンが籠いっぱいに盛られていた。
「ようこそ」
スープを運んでいた年配のシスターが三人に気付き、やさしく微笑む。
「こんばんは!」
アリアは元気よく頭を下げた。
「こんばんは」
ルカも続いて頭を下げる。
マルルも前足を揃え、ぺこりとお辞儀をした。
「こんばんはなの」
その姿に、シスターは思わず頬を緩める。
「まあ、小さなお客さまですね」
「いっぱい歩いて来たよ!」
アリアは胸を張る。
「朝からずっと歩いて、お昼は木の下でご飯を食べたの!」
「そうでしたか」
シスターは優しくうなずく。
「それは、お腹も空きましたね」
三人は席へ案内されると、湯気の立つスープが目の前へ運ばれてきた。
「いただきます!」
三人の声が重なる。
アリアはスプーンを持ち上げると、ふう、ふうと息を吹きかけてから、そっと口へ運んだ。
「……!」
目がぱっと輝く。
「おいしい!」
その一言に、神父もシスターも思わず笑顔になった。
ルカも静かにスープを口へ運ぶ。
温かさが喉を通り、歩き続けた体へゆっくりと染み込んでいく。
「……本当に、おいしい」
思わず漏れた言葉に、神父は穏やかにうなずいた。
「旅のあとの食事は、何よりのごちそうですからね」
アリアは丸いパンを手に取る。
外は少しかりっと、中はふんわりとやわらかい。
一口かじると、小麦の甘い香りが口いっぱいに広がった。
「これも、おいしい!」
「慌てなくても大丈夫ですよ」
シスターがくすりと笑う。
「まだたくさんありますから」
「えへへ」
アリアは照れくさそうに笑いながら、もう一口パンをちぎった。
食堂には食器の触れ合う小さな音と、ときおり交わされる穏やかな笑い声だけが響いている。
誰も急ぐことなく、静かな夕食の時間がゆっくりと流れていた。
食事も終わりに近づいたころ、シスターは三人が大切そうに机の横へ置いていた水筒へ目を留めた。
「明日の朝、お水をいっぱいにしておきましょうね」
アリアは顔を上げる。
「朝?」
「途中で入れたらだめなの?」
シスターは少し懐かしそうに笑った。
「私も若い頃、旅をしていたことがあるんですよ」
「その時、水筒が空になってから探そうと思っていたら、次の井戸がなかなか見つからなくて……」
そこまで話して、小さく肩をすくめる。
「本当に困ってしまいました」
「どうしたの?」
アリアが身を乗り出した。
「ちょうど通り掛かった旅人さんが、お水を分けてくださったんです」
シスターは机の上の水筒をそっと持ち上げる。
「それからは、水を見つけたら先に入れておくようになりました」
「なくなる前に?」
「ええ」
「旅では『まだある』と思っているうちに入れておく方が安心なんですよ」
ルカは静かにうなずいた。
「僕たちも、そうします」
「うん!」
アリアもうれしそうに返事をする。
「忘れない!」
神父はパンを一口ちぎると、穏やかな笑みを浮かべた。
「旅というものは、不思議なものです」
三人は神父へ顔を向ける。
「今日一つ覚えたことが、明日の皆さんを助けてくれる」
神父は三人を順番に見つめながら続けた。
「そうやって少しずつ知ることが増えるたびに、旅は少しずつ歩きやすくなっていくんですよ」
アリアは大事そうに水筒を抱き寄せた。
「明日からちゃんとする!」
ルカも小さく笑う。
「僕も気を付けます」
神父とシスターは顔を見合わせ、どちらからともなく微笑み合った。
まだ幼い三人だったが、今日より明日、明日よりその次の日と、一歩ずつ旅人になっていくのだろう。
その姿が、どこか楽しみに思えた。
やがて食事を終えた三人は、そろって両手を合わせる。
「ごちそうさまでした!」
アリアは空になったお皿を大事そうに持ち上げた。
「わたしたち、お手伝いする!」
シスターは少し驚いたように目を丸くする。
「まあ、本当に?」
「うん!」
アリアはにっこり笑った。
「お家でも、お手伝いしてたよ!」
ルカも立ち上がる。
「僕も運びます」
「ぼくもなの!」
マルルは前足でお皿を押そうとする。
ぐっ。
……ぴくり。
もう一度力を入れる。
……ぴくり。
「重いなの……」
耳がしょんぼりと垂れた。
アリアは思わず笑い出す。
「マルルは応援ね」
「応援なの!」
さっきまで垂れていた耳が、ぴんっと元気よく立ち上がる。
その様子がおかしくて、ルカも思わず吹き出した。
「じゃあ、応援よろしく」
「まかせるなの!」
マルルは胸を張って前足を上げる。
「がんばるなのー!」
アリアとルカはお皿を重ね、台所まで運んでいく。
木の床を歩く足音。
水の流れる音。
食器が重なる小さな音。
穏やかな夕暮れの教会には、そんな静かな音だけが心地よく響いていた。
最後のお皿を運び終えると、アリアはふうっと息をついて、小さく伸びをする。
「終わったぁ」
シスターは三人へ優しく頭を下げた。
「ありがとうございました。本当に助かりました」
「えへへ」
アリアは少し照れくさそうに笑う。
「今日はゆっくり休んでくださいね」
「はい!」
三人は笑顔で頭を下げ、食堂をあとにした。
廊下へ出ると、窓の外はすっかり夕闇に包まれ始めていた。
昼間の光に代わって、壁に掛けられたランプがやわらかな明かりを灯し、木の床をあたたかく照らしている。
その時だった。
歩いていたアリアの足が、ふと止まった。
開いた扉の向こうには、静かな礼拝堂が見える。
祭壇には一本のろうそくが灯り、小さな炎がゆらゆらと揺れていた。
その灯りを見つめながら、アリアは小さな声でつぶやく。
「……お祈り、してもいい?」
ルカはすぐにうなずいた。
「もちろん」
神父も穏やかに微笑む。
「どうぞ」
三人は静かに礼拝堂へ足を踏み入れた。
礼拝堂の中は、廊下よりもひんやりとしていた。
昼間には差し込んでいた夕日もすでに消え、祭壇へ灯された一本のろうそくの明かりだけが、静かな空間をやさしく照らしている。
高い天井へ吸い込まれるように静けさが広がり、聞こえるのは三人の足音だけだった。
アリアは祭壇の前まで歩くと、そっと両手を胸の前で組む。
ルカもその隣へ並び、静かに目を閉じた。
マルルも二人の間へちょこんと座り、小さな前足をそろえる。
「女神さま」
アリアは小さく息を吸った。
「今日も無事に歩いて来られました」
「ありがとうございました」
静かな声が礼拝堂へ溶けていく。
ろうそくの灯が、小さく揺れた。
誰も言葉を続けない。
ただ穏やかな時間だけが、ゆっくりと流れていた。
アリアはゆっくり目を開くと、祭壇を見つめたまま、小さくつぶやく。
「……先生」
先生も忙しいのかな。
今日は会えないのかな。
そんなことを思いながら、そっと手を下ろしかけた、その時だった。
「アリア」
どこまでもやさしい声が、礼拝堂へ静かに響いた。
アリアの肩がぴくりと震える。
「……!」
顔を上げる。
祭壇の前へ、小さな光が一つ、ふわりと舞い降りた。
それは夜空からこぼれ落ちた星のかけらのように淡く輝きながら、ゆっくりと空中を漂う。
また一つ。
もう一つ。
光は次々と集まり、やがて祭壇の前で一つの姿を結び始めた。
淡く透き通る光に包まれたその姿が、ゆっくりとはっきりしていく。
アリアの瞳が大きく輝いた。
「先生!」
先生はいつものように穏やかな笑みを浮かべ、三人を見つめていた。
「今日も、よく頑張りましたね」
その声を聞いた瞬間、アリアの顔いっぱいに笑顔が広がる。
一歩前へ駆け出そうとして、ふと足を止めた。
先生の身体は淡い光でできていて、向こう側の祭壇がほんのり透けて見える。
触れようと思っても、触れられない。
それでも、先生の笑顔はいつもと何一つ変わらなかった。
「会えた……」
思わずこぼれた小さな声に、先生は静かにうなずく。
「ええ」
「また、お会いできましたね」
アリアは何度もうなずいた。
「先生、今日ね!」
待ちきれないように言葉があふれ出す。
「初めて知らない村まで歩いたの!」
「分かれ道もあったんだよ!」
「でもね、マルルがちゃんと道を見つけてくれたの!」
マルルは胸を張る。
「見つけたなの!」
「それからね!」
アリアは身振り手振りを交えながら、今日あったことを夢中で話し始めた。
先生は一度も話をさえぎることなく、ときどき小さくうなずきながら、その話へ静かに耳を傾けていた。
アリアが話し終えると、礼拝堂には再び静かな時間が流れた。
先生は目を細め、うれしそうに三人を見つめる。
「初めての旅でしたのに、皆さん本当によく頑張りましたね」
その言葉に、アリアは少し照れくさそうに笑った。
「えへへ」
「ちゃんとここまで来られたよ」
「ええ」
先生は静かにうなずく。
「全部、見ていました」
「え?」
アリアは目を丸くした。
「朝、教会を出発した時も」
「分かれ道で迷った時も」
「ルカの背中に乗って風のように駆けていた時も」
「皆さんが無事に旅を続けられるよう、ずっと見守っていました」
アリアは驚いたまま先生を見つめる。
「知らなかった……」
先生はやさしく微笑んだ。
「姿は見えなくても、祈りはちゃんと届いています」
「皆さんが笑っている時も、困っている時も」
「私はいつも、女神さまと一緒に見守っています」
アリアは胸の前で手をぎゅっと握りしめた。
先生が近くにいない時も、一人じゃなかったんだ。
そう思うと、胸の奥がぽかぽかと温かくなる。
「先生」
アリアは先生を見上げた。
「また……会える?」
先生は少しだけ目を細め、やさしくうなずいた。
「ええ」
「こうして教会で祈りを捧げる時には、またお話しできますよ」
「ほんと?」
ぱっと笑顔が広がる。
「じゃあ、明日もお祈りする!」
「楽しみにしています」
先生も微笑んだ。
「明日は、どんな一日になるでしょうね」
アリアはうれしそうに何度もうなずく。
「もっと歩くの!」
「それから、新しい町にも行くんだよ!」
その話を聞きながら、先生はくすりと笑った。
「きっと、素敵な出会いが待っていますね」
その時だった。
先生の身体を包む光が、風に揺れるろうそくの炎のように、ふわりと揺らいだ。
アリアの笑顔が少しだけ曇る。
「……先生?」
先生は変わらない笑顔のまま、小さくうなずいた。
「そろそろ、お別れの時間です」
淡い光が少しずつ薄くなり始める。
アリアは思わず一歩近づいた。
「もう?」
「はい」
先生はやさしく答えた。
「でも、お別れではありません」
「また祈れば、お会いできます」
その言葉に、アリアは少し安心したように笑う。
「うん」
先生はルカへ視線を向けた。
「ルカ」
「はい」
「これからも、アリアをお願いします」
ルカはまっすぐ先生を見返し、静かにうなずいた。
「任せてください」
先生はその返事に満足そうにほほえむと、今度はマルルへ目を向ける。
「マルル」
「はいなの」
「これからも、二人をよろしくお願いします」
マルルはぴんと耳を立て、胸を張った。
「まかせるなの!」
先生は声を立てずに笑う。
「頼もしいですね」
先生の言葉に、マルルは得意そうに胸を張ったまま、ぴんと耳を立てている。
その姿を見て、先生は目を細めた。
「皆さんなら、きっと大丈夫です」
穏やかな声が礼拝堂へ静かに響く。
「焦らなくても、一歩ずつ歩いていけばいいのです」
「一歩ずつ……」
アリアはその言葉を小さく繰り返した。
先生はやさしくうなずく。
「旅は、急ぐためのものではありません」
「今日見つけた景色も、出会った人も、皆さんの宝物になります」
アリアは今日一日を思い返す。
初めての分かれ道。
コンパクトが示した道。
ルカの背中から見た夕焼け。
村へ続く街道。
神父さんやシスターとの出会い。
どれも、朝には知らなかった景色だった。
「……うん」
アリアは笑顔でうなずいた。
「明日も、いっぱい宝物を見つける!」
先生はその言葉を聞き、うれしそうに微笑む。
「きっと見つかりますよ」
その瞬間、先生を包む光がまた一つ、ふわりと空へ舞い上がった。
淡く輝く粒は、夜空へ帰る星のように静かに消えていく。
アリアは思わず一歩踏み出した。
「先生!」
先生はやさしく微笑んだまま、小さくうなずく。
「おやすみなさい」
「また、お会いしましょう」
その声とともに、先生の姿は少しずつ光へ溶け始める。
肩が。
腕が。
やがて身体全体が、無数の光の粒となって礼拝堂いっぱいへ広がっていった。
その光はゆっくりと舞い上がり、ろうそくの灯を一瞬だけきらりと照らすと、静かに消えていく。
あとには、いつもの静かな礼拝堂だけが残っていた。
アリアは先生が立っていた場所を、しばらく見つめていた。
胸は少し寂しい。
けれど、それ以上に温かかった。
「また会えるね」
ぽつりとつぶやくと、ルカが隣でやさしく笑う。
「うん」
「また祈ろう」
アリアは大きくうなずいた。
「うん!」
三人は祭壇へもう一度小さく頭を下げると、静かな足音を響かせながら礼拝堂をあとにした。
廊下へ出ると、ランプの明かりがやわらかく三人を迎える。
教会には、もう夜の静けさが訪れていた。
部屋へ戻ると、窓の外には満天の星空が広がっていた。
昼間はあれほど明るかった空も、今は深い藍色に染まり、小さな星々が静かに瞬いている。
「きれい……」
アリアは窓辺へ歩み寄り、しばらく夜空を見上げていた。
先生も、あの空の向こうにいるのかな。
そう思うと、自然と笑みがこぼれる。
「アリア」
ルカが優しく声を掛けた。
「そろそろ寝よう」
「うん」
アリアは窓から離れると、ベッドへ腰を下ろした。
靴を脱ぎ、布団へもぐり込む。
「今日は楽しかったね」
布団から顔だけ出して笑う。
「初めての村だったし、初めての教会だったし」
「先生にも会えたし」
「うん」
ルカも静かにうなずいた。
「いい一日だったね」
マルルは隣のベッドへ飛び乗ると、くるりと一回転して丸くなる。
「おやすみなの」
「おやすみ」
ルカはランプへ近づき、小さく息を吹きかけた。
ふっと灯りが消え、部屋は月明かりだけの静かな夜になる。
窓から差し込む淡い光が、白い壁と三つのベッドをやさしく照らしていた。
しばらくすると、アリアの寝息が聞こえ始める。
本当に疲れていたのだろう。
今日一日歩き続け、それでも最後まで笑顔だった。
ルカは静かな寝顔を見つめ、小さく微笑む。
先生に会えたことが、よほど嬉しかったんだ。
その笑顔を思い返すと、自分まで少し嬉しくなる。
ルカも布団へ入り、ゆっくりと目を閉じた。
その時、不意に胸へ浮かんだのは、木の香りだった。
木を削る音。
あたたかな食卓。
優しく頭を撫でてくれる大きな手。
笑いながら名前を呼んでくれる声。
「パパ……」
心の中で、小さくつぶやく。
「ママ……」
胸の奥が、少しだけ締めつけられた。
会いたい。
その気持ちは、旅へ出る前よりも、少しだけ大きくなっている。
でも、先生の言葉が胸によみがえった。
焦らなくて大丈夫。
一歩ずつ歩いていけばいいのです。
ルカは布団をそっと握りしめる。
(きっと見つける。)
(みんなで。)
そう心の中でつぶやくと、静かに目を閉じた。
教会の外では、夜風が木々をやさしく揺らしている。
その音に包まれるようにして、三人は穏やかな眠りについた。
旅は始まったばかり。
けれど今日という一日は、三人にとって忘れられない最初の一歩になっていた。




