第16話 最初の一日
教会をあとにしたアリアたちは、シリルと一緒に朝の町を歩いていた。
背中の方からは、先ほどまで見送ってくれていた神父やシスターたちの声が、まだ聞こえてくるような気がする。
何度も振り返りたい気持ちはあったけれど、アリアはもう前を向いていた。肩には白いポシェットがあり、その隣にはルカがいて、マルルも小さな足で一緒に歩いている。
この道を進んでいけば、いつかきっと、お父さんとお母さんのいる場所へたどり着ける。
そう思うと、教会を離れる名残惜しさよりも、これから始まる旅への気持ちの方が、少しずつ大きくなっていった。
朝の町は、今日もにぎやかだった。
パン屋からは焼きたての香りが漂い、八百屋では木箱から出されたばかりの野菜が、店先へ次々と並べられている。通りを行き交う人々の声や、石畳を転がる荷車の音が重なり、町全体が一日の始まりへ向かって動き出していた。
そんな中を歩いていると、店先で話していた人たちがアリアたちに気づき、何人かが小さく手を振ってくれた。
アリアも嬉しくなって手を振り返し、その隣ではルカも小さく笑った。
ここへ来てから、まだほんの数日しか経っていない。それなのに町の門へ近づくにつれて、もう少しここにいたいような、ほんの少しだけ寂しい気持ちまで胸の奥へ生まれてくる。
「また来ようね」
アリアが前を向いたまま言った。
「うん。帰ってきたらね」
ルカも迷わず答えた。
帰ってくる。
その言葉が、今はとても自然に聞こえた。
やがて、町の外へ続く大きな門が見えてくる。
門番はシリルの姿を見つけるとすぐに姿勢を正し、通り過ぎる一行へ敬礼するように声を掛けた。
「お気を付けて」
「ああ」
シリルが軽く頷く。
門番はその後ろにいるアリアたちへも目を向けると、少しだけ表情を和らげた。
「良い旅を」
「はい!」
アリアが元気よく返事をし、三人はそのまま町の門をくぐった。
門の外へ出た瞬間、それまで家々や城壁に囲まれていた視界が、一気に遠くまで開けた。
「……わあ」
思わずアリアの足が止まる。
目の前にあったのは、どこまでも続いていく一本の街道と、その両側いっぱいに広がる草原だった。
夏の風が草の上を渡るたび、大きな波のように緑が揺れている。その向こうには視界を遮るものがほとんどなく、青い空が地平線まで広がっていた。
道も、空も、今まで見たことがないほど遠くへ続いている。
「広いね……」
ルカも目を細めた。
「こんな景色、初めて見た」
森では、どこを向いても木があった。家の周りにも、町へ向かう道にも、視線の先にはいつも何かが立っている。
けれど今は、どこまで見ても空と草原ばかりだった。
シリルが二人の隣へ立ち、遠くへ伸びる道へ目を向ける。
「ここから先が街道だ。町と町を結ぶ道で、この道を歩いて次の町へ向かう」
アリアは胸の前でポシェットをそっと握った。
この道も、昨日地図で見たたくさんの線のうちの一本なのだ。そして、その先のどこかには、お父さんとお母さんへ続く場所がある。
アリアは小さく息を吸った。
「行こう」
「うん」
ルカが隣へ並び、マルルも二人の間でぴょんと跳ねる。
「出発なの!」
三人は、朝の街道へ最初の歩みを進めた。
町の中では石畳だった道も、門から離れるにつれて土へ変わっていく。靴の裏から伝わる感触も、硬い石から少し柔らかな土へと変わった。
荷馬車の車輪が通った跡が幾筋も残り、その間から小さな白い花が顔を出している。その上を蝶が一頭、風に運ばれるようにふわりと横切っていった。
「この道、ほんとにずっと続いてる」
アリアが遠くを見ながら言うと、ルカも前を向いたまま笑った。
「歩いても歩いても終わらなさそうだね」
その言葉を聞いたシリルが、少しだけ口元を緩める。
「何日もかけて、隣の国まで旅をする者もいる」
「何日も?」
アリアが振り返った。
「毎日歩くの?」
「ああ。朝に出て、夕方まで歩く。途中の町や村で休みながら、少しずつ進んでいくんだ」
「……すごい」
アリアはもう一度、街道の先へ目を向けた。
「わたしたちも、そんな旅するの?」
「長い旅にはなるだろうな」
シリルはそう答えると、遠くばかり見ているアリアへ視線を向けた。
「だが、最初から一番遠いところまで考えなくていい」
「そうなの?」
「ああ。まずは、今日泊まる町までだ」
アリアは少し考えてから、大きく頷いた。
「うん! まずは今日!」
「一日ずつだね」
ルカも笑う。
「ああ。それでいい」
三人はもう一度、同じ道の先へ顔を向けた。
◇
風が草原を渡り、夏草をさわさわと揺らしていく。
広い空の下を歩き始めたばかりの頃は、何もかもが珍しかった。
道端に咲いている小さな花も、遠くの草むらを走っていく動物も、すれ違う荷馬車の大きな車輪も、頭上を横切っていく鳥の群れも、アリアにとってはどれも立ち止まって眺めたくなるものばかりだった。
何かを見つけるたびに足を止めそうになり、そのたびに少し先を歩いていたルカが速度を緩める。
けれど、どれくらい歩いただろう。
気がつけば太陽はずいぶん高く昇り、朝には軽かった足も、少しずつ重くなっていた。
アリアは何も言わずに歩いている。
同じ速さで進んでいるつもりなのに、さっきまでより一歩が小さくなり、遠くへ伸びる街道も少し長く見えるようになっていた。
隣を歩くルカが、ちらりと横を見る。
少し前まで弾んでいたアリアの足取りが、わずかに遅くなっていることには気づいていた。
けれど、「疲れた?」とは聞かなかった。
代わりに、自分の歩幅をほんの少しだけ狭くする。
アリアはそのことに気づかないまま、前を見て歩き続けた。
やがて街道の少し先に、ぽつんと一本の木が見えてくる。
「ルカ」
「うん?」
アリアは、その木を指差した。
「あそこまで行こう」
ルカも木を見て、すぐに頷く。
「うん」
二人の歩幅が自然と揃った。
少し歩けば、さっきより木が大きくなる。
また少し進めば、葉の形まで見えるようになってくる。
そうやって遠くの一本だけを見ながら歩き、ようやくそのそばまでたどり着くと、アリアは小さく息を吐いた。
「着いたぁ」
一度立ち止まり、顔を上げる。
街道のずっと先には、また一本、今度は少し遠いところに木が立っていた。
ルカもそれに気づく。
「次は、あの木かな」
アリアが笑った。
「うん。今日は、木を追いかける旅だね」
「そうかも」
二人は顔を見合わせて笑うと、また歩き始めた。
その少し後ろから、シリルは何も言わずに二人の様子を見ていた。
無理に速く歩こうとはしない。
だからといって、疲れたからとその場で立ち止まってしまうわけでもない。
遠い目的地だけを見ていれば、子どもたちには果てしなく感じる道なのだろう。
けれど、次の一本の木までなら歩ける。
そこへ着いたら、また次の一本。
誰かに教えられたわけでもないのに、二人は自分たちなりの歩き方を見つけ始めていた。
初めての旅の一日なら、それで十分だった。
◇
やがて街道の脇に、大きく枝を広げた樫の木が見えてきた。
この辺りでは珍しいほど立派な木で、広がった枝の下には濃い影が落ちている。葉の間を抜けてくる風も、陽射しの下を歩いていた時よりずっと涼しそうだった。
シリルは樫の木を見上げると、足を止めた。
「昼にしよう」
アリアはシリルを見る。
それから樫の木へ目を向け、もう一度シリルを見た。
「シリル、おなか空いた?」
「ああ」
「ほんと?」
「俺が腹を減らした」
シリルは真顔で答えた。
ルカが思わず吹き出す。
「シリル、全然疲れてなさそうなのに」
「騎士でも腹は減る」
「そうなんだ」
アリアは妙に納得した顔になった。
「じゃあ、お昼!」
三人は樫の木へ向かった。
◇
木陰へ入った途端、それまで身体を包んでいた空気が一気に変わった。
「わあ……」
アリアは思わず顔を上げる。
樫の葉が強い陽射しを遮り、その隙間から細かな光だけが地面へ落ちている。吹き抜ける風が火照った頬を撫でるたび、歩いている間ずっと身体の中へたまっていた熱まで、少しずつ逃げていくようだった。
「気持ちいい」
ルカも木の幹へ背中を預け、大きく息を吐いた。
「生き返るね」
マルルはルカの肩から飛び降りると、そのまま草の上へぺたりと伏せた。
「つかれたなの……」
長い耳まで地面へ伸びている。
アリアとルカは顔を見合わせた。
「マルルも疲れたの?」
「いっぱい歩いたなの」
「肩に乗ってたでしょ」
「途中は歩いたなの!」
「ちょっとだけね」
「歩いたなの!」
マルルがむくりと顔を上げ、長い耳まで持ち上げて訴える。
あまりにも真剣なので、アリアとルカは揃って笑ってしまった。シリルも荷物を置きながら、わずかに口元を緩める。
「まずは水だ」
言われて、アリアは白いポシェットへ手を入れ、中から水筒を取り出した。
手に触れた瞬間、目が丸くなる。
「あ、まだ冷たい!」
朝にしまった時とほとんど変わらず、水筒の表面にはひんやりとした冷たさが残っていた。
「女神様のポシェットだからね」
ルカも笑う。
アリアは水筒へ口をつけ、ごく、ごくと冷たい水を飲んだ。
「……おいしい」
飲み終えると、思わず大きく息がこぼれる。
「歩いてる時、そんなに喉が渇いてるって思わなかった」
「それが危ない」
シリルは自分の水筒を手にしながら言った。
アリアが顔を向ける。
「喉が渇いてから飲むのでは、少し遅いこともある」
「そうなの?」
「ああ。長く歩く時は、喉が渇く前に少しずつ飲め。それと同じで、疲れ切る前に休み、歩けなくなる前に食べる」
シリルはアリアとルカへ順番に目を向けた。
ルカが小さく頷く。
「それも、旅を続けるために必要なんだね」
「そういうことだ」
アリアは少し考えた。
「じゃあ、ごはんも旅の練習?」
「そうなるな」
その途端、顔が明るくなる。
「得意!」
「それは知ってる」
ルカがすぐに答え、シリルの口元も少しだけ緩んだ。
アリアは再びポシェットへ手を入れると、今度は朝にもらったパンを取り出した。
ふわりと焼きたての香りが木陰へ広がる。
「まだあったかい!」
ルカも受け取って目を丸くした。
「ほんとだ。朝のままだ」
すると、それまで地面へ垂れていたマルルの耳が一気に持ち上がった。
「パンなの?」
「マルルの分もあるよ」
「元気出たなの」
「早いなぁ」
三人は笑いながら木陰へ腰を下ろし、そろって手を合わせた。
「いただきます」
歩いたあとのパンは、朝食で食べた時よりもずっとおいしく感じられた。
ふわふわの中身を噛むと香ばしい匂いが口いっぱいに広がり、冷たい水を飲んだあとの身体へ、少しずつ力が戻ってくる。
しばらくの間、誰もほとんど話さなかった。
聞こえるのは、樫の葉を揺らす風の音と遠くで鳴く鳥の声、それから時々、マルルがパンを食べる小さな音くらいだった。
アリアはパンをひと口食べてから、自分の足へ目を落とした。
座ってみると、よく分かる。
思っていたより重い。
足の裏も、朝とは少し違う感じがする。
「どうした?」
ルカが気づいた。
アリアは自分の足を少し動かし、照れたように笑った。
「足がね。思ってたより、疲れてた」
「ぼくも」
ルカも自分の足を前へ伸ばした。
「朝は、もっと歩ける気がしてた」
「うん。わたしも」
二人は顔を見合わせて笑った。
そんな様子を静かに見ていたシリルが言う。
「初めて一日歩くんだ。半日で疲れるのは当たり前だ」
アリアとルカが揃って顔を上げた。
「でも、まだ半分?」
「ああ」
アリアの顔が、ほんの少しだけ曇った。
「…………」
「今、嫌な顔したね」
ルカが笑う。
「してないよ?」
「した」
「してない」
言い合う二人を見て、シリルも小さく笑った。
「だから休んでいるんだ」
それから、少しだけ声を落ち着かせる。
「女神の加護があっても、歩くのは自分たちの足だ。二人とも、よく歩いた」
アリアが少し驚いたように顔を上げる。
「ほんと?」
「ああ。途中で弱音も吐かなかった」
シリルはそこで少し考え、言葉を付け加えた。
「もっとも、弱音を吐くこと自体が悪いわけではないがな。疲れたなら疲れたと言え。休みたければ、休みたいと言え。無理をして倒れる方が、旅では困る」
ルカの猫耳が少し動いた。
昨日、怖いことも、できないことも、隠さず話せと言われた。
それは、歩いている時も同じなのだ。
アリアも小さく頷いた。
「うん。でもね」
もう一度、自分の足へ目を落とす。
「ここまで歩けた」
「ああ」
シリルの返事を聞くと、アリアは木陰の外へ目を向けた。
朝から歩いてきた街道が、陽炎の向こうへ細く伸びている。ずっと向こうの、もう見えない場所に、さっき出てきた町がある。
「……ねえ、ルカ」
「なに?」
アリアは歩いてきた道を見たまま、少し照れたように笑った。
「今日だけでも、ちゃんと進めたよね」
ルカも振り返った。
朝、町の門から見た時には、どこまで続いているのか分からなかった道。
その上を、自分たちはここまで歩いてきた。
「うん。朝より、ずっと先まで来た」
ルカがゆっくり頷くと、アリアの笑顔がほんの少しだけ誇らしそうになる。
「じゃあ、明日も歩けそう」
シリルは何も言わず、静かに笑った。
朝は、旅へ出たことだけで嬉しかった。
けれど今は、自分の足でここまで来ることができた。
ほんの半日のことだったけれど、その小さな実感が、二人の中へ少しずつ自信として残り始めていた。
◇
十分に休んだあと、シリルが立ち上がった。
「そろそろ行くぞ」
「うん!」
アリアもすぐに立ち上がる。
足にはまだ少し重さが残っていたけれど、休む前とはずいぶん違っていた。
「今日泊まる町は、もう遠くない」
「あとどれくらい?」
「今の速さなら、夕方には着く」
アリアは少し考えた。
「木、何本くらい?」
シリルが一瞬黙った。
隣でルカが吹き出す。
「シリル、それは分からないよ」
「……そうだな」
シリルも珍しく困ったように笑った。
「とにかく、一歩ずつだ」
「うん!」
三人は再び街道へ戻り、午後の道を歩き始めた。
◇
その頃、街道沿いにある最初の宿場町の騎士団詰所には、西方騎士団から一通の通達が届いていた。
三名の旅人が、本日夕刻、町へ到着する見込み。
街道および周辺地域の安全を確認すること。
本人たちへの不用意な接触は避け、その意思と行動を尊重すること。
ただし、生命に明確な危険が及ぶ場合には、ためらわず介入すること。
そして三名には、この通達の存在を知らせないこと。
最後には、西方騎士団長シリルの名が記されていた。
詰所にいた騎士たちは、届いた紙を何度も見返していた。
「団長が一緒に来るんですよね?」
「ああ」
「三名って……子どもだって話じゃなかったか?」
「二人は子どもらしい。もう一人は……白い小動物とか」
「何だそれ」
「俺に聞くな」
「女神様に関係しているって話も……」
「そこから先は詮索するなって書いてあるだろ」
「でも気になるだろ」
「気になるけどな」
そんな声が飛び交う中、一人の若い騎士がそっと立ち上がった。
「……ちょっと、街道の見回りに行ってきます」
周りの視線が、一斉に集まる。
「見回り?」
「はい」
「今?」
「交代まで、まだ少しありますから」
「お前」
「はい?」
「見に行くだけだろ」
「見回りです」
「顔が笑ってるぞ」
「見回りです」
若い騎士はきっぱりと言い切ると、返事を聞くより先に詰所を出ていった。
◇
町から少し離れた林のそばまで来ると、若い騎士は馬を止めた。
木々の陰からそっと街道を覗き、そのまましばらく待つ。
風に揺れる草の向こうを荷馬車が通り、何人かの旅人も歩いていく。
やがて、そのさらに向こうから、一人の男と三つの小さな姿が近づいてきた。
「……あ」
先頭を歩いている男は、遠くからでもすぐに分かった。
シリルだ。
その少し後ろには、水色の髪をした小さな女の子と猫耳のある少年。それから、長い耳を揺らしながら歩く白い小さな生き物がいる。
若い騎士の目が丸くなった。
ちょうどその時、アリアが道端に何かを見つけたらしく、楽しそうに指を差した。ルカがそちらへ顔を向け、マルルも気になるのかぴょこんと跳ねる。
三人が笑った。
「……かわいい」
思わず口から出た。
すぐに我へ返る。
「いや、仕事中だぞ」
誰も聞いていないのに、自分へ言い聞かせる。
それでも、もう一度見てしまった。
あの子たちが、団長がわざわざ各地へ通達を回した旅人なのだ。
どんな特別な子どもたちなのかと思っていた。もっと何か、見ただけで分かるようなものすごい雰囲気でもあるのかと思っていた。
けれど、目の前にいるのは道端の花を見つけて笑っている、小さな旅人たちだった。
その時。
シリルが、ふと林の方へ顔を向けた。
「!」
若い騎士の背筋が伸びる。
目が合った。
たぶん、ではない。
確実に見つかっている。
シリルは何も言わなかった。
ただ、ほんのわずかに片方の眉を上げただけだった。
けれど若い騎士には、それで十分すぎるほど意味が分かった。
見つけたぞ。
そう言われた気がした。
「……失礼しました」
聞こえるはずもない小さな声で呟き、若い騎士は静かに馬の向きを変えた。
◇
詰所へ戻ると、待ち構えていた騎士たちが一斉に振り返った。
「どうだった?」
「見たのか?」
「ずるいぞ!」
まだ何も言っていない。
若い騎士は思わず笑った。
「……見回りです」
「もういいから!」
「で?」
「どうだった?」
何人もの顔が一斉に近づいてくる。
若い騎士は少しだけ考えた末、
「……かわいかったです」
と答えた。
「いいなぁ!」
「俺も行けばよかった!」
「だから見回りじゃなかっただろ!」
詰所は途端に騒がしくなった。
その頃、そんなことなど何も知らないアリアたちは、午後の街道を変わらず歩き続けていた。
◇
午後の陽射しが少しずつ傾き始めた頃、アリアがふいに顔を上げた。
「あっ!」
街道の先に、夕日に照らされた大きな城壁が見えている。
「町!」
思わず声が弾んだ。
ルカも前を見る。
遠くに小さく見えていた壁が、歩くたびに少しずつ大きくなり、やがて城門を出入りする人々や、列を作って進む荷車まで見えるようになってきた。
「着いたね」
「うん!」
朝、町を出た時には、今日一日でどれくらい歩くのかも分からなかった。
けれど今、その日の目的地がちゃんと目の前にある。
町の中からは、夕食の支度をしているらしい香りまで風に乗って漂ってきた。
その匂いに反応したのか。
ぐぅ。
アリアのお腹が小さく鳴った。
「…………」
ルカが横を見る。
アリアもルカを見る。
「いっぱい歩いたから」
「何も言ってないよ」
「いっぱい歩いたから!」
「分かったって」
するとマルルの耳も、ぴくりと動いた。
「ぼくもおなかすいたなの」
「ほら!」
「マルルは、ずっとお腹すいてるでしょ」
三人が笑う。
その少し前を歩いていたシリルが振り返った。
「今日は、ここまでだ」
アリアとルカが顔を上げる。
「うん!」
二人は大きく頷いた。
朝には、果てしなく遠くまで続いているように見えた街道だった。
その道を、自分たちの足で一日歩いた。
途中で足は重くなったし、水も、休憩も、思っていたよりずっと必要だった。歩くことは、ただ前へ足を出し続ければいいほど簡単なものではなかった。
それでも、休んで、食べて、また歩いて。
ちゃんとここまで来ることができた。
アリアは、ほんの少しだけ胸を張った。
隣ではルカも疲れの残る顔で、それでも嬉しそうに笑っている。
三人は並んで町の門をくぐった。
その頭上では、夕暮れを知らせる鐘が鳴り始め、澄んだ音が茜色の空へゆっくりと広がっていく。
朝、最初の一歩を踏み出した時には、まだ何も分からなかった。どれくらい歩けば疲れるのか、いつ水を飲めばいいのか、どのくらい休めばまた歩き始められるのかも、実際に一日歩いてみるまでは知らなかった。
けれど一日歩いたことで、ほんの少しだけ分かったことがある。
遠いところまで、一度に行かなくてもいい。
今日歩けるところまで歩けばいい。
休んだら、また次の一歩を踏み出せばいい。
そうして少しずつ進んでいけば、朝には遠くにしか見えなかった場所へも、いつかちゃんとたどり着くことができる。
こうして、子どもたちの旅の最初の一日が終わった。




