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森で拾ったのは、半人前の天使でした ― ラグドール一家と小さな天使 ―  作者: くいたん


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第14話 旅の準備


 翌朝、教会の鐘が澄んだ音を町いっぱいへ響かせると、その余韻は朝露に濡れた石畳の上を静かに流れ、白いカーテンの隙間から差し込んだ柔らかな陽射しが、部屋の床へ細長い光の帯を描いていた。


 アリアは、その温かな光をまぶた越しに感じながら、ゆっくりと目を開ける。


 教会の朝は、森の朝とは少し違っていた。


 森では、小鳥の声と木々を渡る風の音が一番最初に聞こえてきた。


 ここでは、それに加えて人の暮らす音がある。


 遠くで荷車が石畳を転がる音。


 店先を掃くほうきの音。


 窓を開ける音。


 町が少しずつ目を覚ましていく気配が、朝の空気へゆっくり溶け込んでいた。


「……」


 ぼんやり天井を見つめていたアリアは、昨日交わした約束を思い出す。


 礼拝堂で話したこと。


 シリルの真っすぐな眼差し。


 そして最後に聞いた言葉。


 ――明日の朝、また来る。


「……今日だ」


 胸が小さく跳ねた。


 勢いよく布団を跳ねのけると、床で丸くなって眠っていたマルルの長い耳が、ぴくりと揺れる。


「……朝なの?」


 まだ夢の中にいるような声だった。


「朝!」


 アリアは思わず笑う。


「シリルが来る日!」


 マルルは片目だけ開け、大きなあくびを一つした。


「あと少しだけ寝るなの……」


「もう朝だよ?」


「あと五つ寝るなの」


 アリアは首をかしげる。


「五つってどれくらい?」


 マルルも首をかしげる。


「……分からないなの」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 その笑い声に反応するように、隣のベッドの布団がゆっくり動く。


「朝から楽しそうだね」


 布団から顔を出したルカが、小さく笑った。


「おはよう!」


「おはよう」


 まだ少し眠そうな声だったけれど、昨日より表情は柔らかい。


「シリル来るよ!」


 その一言だけで、ルカの瞳が少し大きくなる。


「あ」


 昨日の約束を思い出したらしい。


「そうだった」


 小さく笑う。


 その笑顔を見て、アリアもまた笑った。


 昨日まで胸の奥で固くなっていた不安が、朝の光の中で少しずつほどけていく。


 旅へ出られるか。


 本当に家族を探せるのか。


 昨日は、そのことばかり考えていた。


 でも今日は違う。


 今日は約束の日。


 何かが始まる朝だった。


 身支度を終えた三人は、一緒に部屋を出た。


 廊下へ出ると、朝の光が色とりどりのステンドグラスを透かし、床へ赤や青のやさしい光を落としている。


 アリアは思わず足を止めた。


「きれい……」


 床の上へ映る青い光へ、そっと足を乗せてみる。


 光は逃げることなく、靴の周りで静かに揺れていた。


 その様子がおもしろくて、今度は赤い光の上へ。


 次は黄色い光の上へ。


 ぴょん、ぴょん、と飛び移っていく。


 ルカはその後ろを歩きながら、くすっと笑った。


「床で遊んでる」


「だって、きれいなんだもん」


 マルルも負けじと光の上へ飛び乗る。


「こっちは緑なの」


 長い耳を揺らしながら、ぴょんと跳ねる姿に、ルカも思わず笑ってしまう。


 昨日まで泣いていたことが嘘みたいだった。


 もちろん、家族のことを忘れたわけじゃない。


 会いたい気持ちは、少しも変わっていない。


 それでも、人はずっと泣き続けることはできない。


 少し笑って。


 また前を向く。


 その繰り返しで歩いていくものなのだと、子どもたちはまだ言葉にはできなくても、少しずつ覚え始めていた。


 階段を下りると、食堂から焼きたてのパンの香りがふわりと漂ってくる。


「いい匂い!」


 アリアのお腹が、ぐぅ、と小さく鳴った。


 一瞬だけ静まり返る。


 ルカが吹き出した。


「聞こえた」


「聞こえてないもん」


「聞こえたなの」


 マルルまで真面目な顔でうなずく。


 アリアは頬を赤くしながら笑った。


「今日は特別!」


 食堂へ入ると、シスターがちょうどパンを籠へ並べているところだった。


「おはようございます」


 振り向いたシスターは、三人の顔を見るなり優しく微笑む。


「おはようございます」


 神父も新聞を畳み、穏やかな笑顔で迎えてくれた。


「今日は皆さん、とても早いですね」


 アリアは元気いっぱいにうなずく。


「目が覚めちゃった!」


「楽しみな日ですものね」


 その一言に、アリアは少し照れくさそうに笑った。


 シスターがスープを運んでくる。


 湯気の向こうで、野菜がやさしく揺れていた。


「いただきます」


 三人は声をそろえて手を合わせる。


 パンをちぎる音。


 木のスプーンが器へ当たる小さな音。


 窓から吹き込む朝の風。


 いつもと同じ朝食だった。


 けれどアリアだけは、落ち着かなかった。


 一口食べる。


 窓を見る。


 また一口食べる。


 また窓を見る。


 通りを歩く人が見えるたびに、思わず背筋が伸びる。


「違った……」


 小さくつぶやく。


 また別の人が見える。


「あ」


 違う。


 荷物を運ぶおじさんだった。


 その様子を見ていたルカは、パンを口へ運びながら笑う。


「そんなに気になる?」


 アリアは少し恥ずかしそうに笑った。


「うん」


「なんだかね」


「今日から、本当に始まる気がするの」


 ルカは窓の外へ目を向ける。


 昨日まで、自分は旅のことしか考えていなかった。


 家族を助けたい。


 一日でも早く。


 その気持ちだけで胸がいっぱいだった。


 でも今は少し違う。


 旅には、助けてくれる人もいる。


 一緒に考えてくれる人もいる。


 昨日シリルと話したことで、そのことを初めて知った。


 だから、不思議だった。


 怖さはまだある。


 それでも、その怖さより少しだけ大きく、楽しみという気持ちが育ち始めていた。


 神父はそんな二人を静かに見つめながら、温かな紅茶を口へ運ぶ。


 その表情は穏やかだった。


 昨日ここへ来た時の三人は、迷子になった子どものようだった。


 けれど今日は違う。


 まだ小さい。


 まだ頼りない。


 それでも、自分の足で歩き始めようとしている。


 その姿が、どこか誇らしく見えた。


 その時だった。


 遠くから、規則正しい蹄の音が朝の町へ響いてきた。


 カッ、カッ、カッ、カッ……。


 アリアの耳がぴくりと動く。


 持っていたパンを急いで机へ置くと、椅子から飛び降りた。


「来た!」


 窓辺へ駆け寄る。


 朝日に照らされた石畳の向こうから、一頭の黒馬がゆっくりとこちらへ歩いてくる。


 その背に乗っている青い外套の姿を見つけた瞬間、アリアの顔いっぱいに笑顔が広がった。


「ルカ!」


「うん」


 ルカも隣へ並ぶ。


 二人は何も言わず、その姿を目で追った。


 黒馬は教会の前で静かに足を止める。


 シリルは馬の首をひと撫ですると、軽やかに地面へ降り立った。


 その後ろには三人の騎士。


 さらに、その後ろには荷馬車がゆっくりと続いていた。


 アリアはその荷馬車を見て、目を丸くする。


「……いっぱい」


 荷物の多さに驚いたのではない。


 胸の中で、別の気持ちが膨らんでいた。


 本当に、旅の準備が始まるんだ。


 そんな実感が、朝の光と一緒に静かに胸へ広がっていった。


 ほどなくして、食堂の扉が静かに開いた。


「失礼する」


 落ち着いた声が部屋へ響く。


 アリアは振り返るなり、ぱっと笑顔になった。


「おはよう、シリル!」


「ああ。おはよう」


 シリルも昨日より少しだけ柔らかい表情で応える。


 その後ろから三人の騎士が入り、大きな木箱をいくつか運び込んできた。


 さらに最後尾の騎士は、丸められた大きな地図を大事そうに抱えている。


「わあ……」


 アリアは思わず木箱へ近づいた。


「全部、旅の荷物?」


「全部ではない」


 シリルは木箱を見回しながら答える。


「候補だ」


「こうほ?」


 聞き慣れない言葉に、アリアは首をかしげた。


「旅には持って行きたい物が増えていく」


 シリルは木箱の蓋へ軽く手を置く。


「だが、何でも持って行けば歩けなくなる」


「だから本当に必要な物を選ぶ」


 ルカは小さくうなずいた。


 父さんも森へ行く前は、いつも荷物を何度も見直していた。


 あれも同じことだったのかもしれない。


 神父が椅子を勧める。


「どうぞ」


 シリルは席へ着く前に三人を見回した。


「昨日はありがとう」


 アリアはきょとんとする。


「ありがとう?」


「ああ」


「昨日、お前たちの話を聞けて良かった」


 ルカが少し驚いたように顔を上げる。


 昨日のシリルなら、こんな言葉は言わなかった気がする。


 シリルは少し照れくさそうに息を吐いた。


「俺は、お前たちを子どもだから止めようとした」


「だが」


「子どもだからといって、気持ちまで小さいわけではなかった」


 食堂が静かになる。


 アリアもルカも黙って聞いていた。


「だから今日は」


 シリルは穏やかに笑う。


「一緒に旅の準備をしよう」


 その言葉に、アリアの顔がぱっと明るくなる。


「一緒に?」


「ああ」


「俺が教えることもある」


「お前たちから教えてもらうこともある」


 ルカは思わず笑った。


「ぼくたちが?」


「昨日、教えられただろう」


 シリルも小さく笑う。


「俺にも思い込みがあると」


 神父がくすっと笑う。


「お互い様ですね」


「そういうことだ」


 食堂の空気がふっと軽くなる。


 昨日まで張りつめていたものが、朝の陽射しと一緒にどこかへ消えていた。


 騎士の一人が、大きな巻物を机の上へ広げる。


 ぱさり、と布を広げるような音がした。


「わあ……」


 アリアは思わず息をのむ。


 机いっぱいに広がったのは、この国の地図だった。


 昨日見た町の地図より、ずっと大きい。


 山があり。


 森があり。


 川が流れ。


 たくさんの町が、小さな印で描かれている。


「こんなに広いの……」


 アリアはそっと地図へ手を伸ばす。


 指先が触れる寸前で止めた。


 汚したらいけない。


 そんな気持ちが自然と湧いてきた。


 シリルはその様子を見て、少しだけ目を細める。


「触ってもいい」


「これは旅のための地図だ」


 アリアは恐る恐る指を置く。


「ここが今いる町」


 シリルが印を示す。


「ここから旅が始まる」


 アリアは指先をゆっくり動かした。


 その先には、まだ知らない町。


 さらにその向こうにも町。


 そのまた向こうにも。


「こんなにたくさんあるんだ……」


 知らない世界が、一枚の紙の上いっぱいに広がっていた。


 胸の奥が、少しだけくすぐったくなる。


 怖さではない。


 昨日まで感じたことのない、小さなわくわくだった。


 ルカもアリアの隣へ並んだ。


 森で暮らしていた頃、地図を見ることなどほとんどなかった。


 自分たちが知っている道は、家の周りと、薪を取りに行く山道くらいだった。


 だから、一枚の紙へこれほどたくさんの町や川や山が描かれていることが、少し不思議だった。


「こんなに歩くの?」


 思わず漏れた言葉に、シリルは静かにうなずく。


「全部ではない」


「だが、旅は長い」


 そう言いながら、指先で地図の上をゆっくりとなぞっていく。


「この先には、大きな湖がある」


「湖?」


 アリアが目を輝かせる。


「ああ」


「風がない日は、空がそのまま映るほど静かな湖だ」


「空が?」


 アリアの頭の中へ、青い空を映した大きな湖が浮かんだ。


「見てみたい!」


 シリルは小さく笑う。


「その先には港町がある」


「船がたくさん並んでいて、毎朝、魚を積んだ船が帰ってくる」


「船!」


 今度はマルルが身を乗り出した。


「家より大きいなの?」


「家より大きい船もある」


「そんなに?」


 耳がぴんと立つ。


 食堂に小さな笑いが広がった。


 シリルはさらに指を北へ動かす。


「ここまで行けば、冬には雪が積もる」


「雪!」


 アリアがまた声を上げる。


「白いなの?」


「真っ白だ」


「冷たい?」


「冷たい」


「食べられるなの?」


 真剣な顔のマルルに、騎士たちまで思わず笑ってしまう。


「おすすめはしない」


「残念なの」


 しょんぼりと耳が垂れるマルルを見て、アリアがくすくす笑った。


 ルカも知らない景色ばかりだった。


 湖。


 港。


 雪。


 どれも本で読んだことはあっても、実際に見たことはない。


 家族を探す旅。


 そう思っていたはずなのに、知らない世界が少しずつ目の前へ広がっていく。


 そのことが、不思議と楽しみに思えた。


 その時だった。


 マルルの胸元で、小さな音が鳴った。


 カチッ。


「なの?」


 マルルが首をかしげる。


 首から下げていた小さなコンパクトが、淡い水色の光をまとっていた。


「あれ?」


 アリアが身を乗り出す。


 昨日まで、こんなことは一度もなかった。


 コンパクトは、まるで朝の光を吸い込むように静かに輝きを増していく。


 やがて蓋が、ひとりでにゆっくり開いた。


「開いた……」


 ルカが小さくつぶやく。


 中には、小さな針が一本。


 くるり、と一度だけ回る。


 もう一度。


 ゆっくり回る。


 そして。


 ぴたり、と止まった。


 次の瞬間だった。


 針の先から、水色の細い光が一本、すっと伸びる。


 その光は宙を走ることなく、まるで地図だけを知っているように、その上へ真っすぐ落ちた。


「わあ……」


 アリアが思わず息をのむ。


 光は山を越え、川を渡り、一つの町を通り過ぎる。


 そして、その先に描かれた深い森の手前で静かに止まった。


 食堂から誰の声も消えた。


 騎士たちも、神父も、シスターも、その一本の光を見つめている。


 シリルだけが静かに地図へ歩み寄った。


 光の止まった場所へ目を落とし、小さく息をつく。


「……そういうことか」


 誰へ言うでもない、小さな声だった。


 アリアは不思議そうに見上げる。


「シリル?」


 シリルは光から目を離さず、穏やかに答えた。


「女神様は、お前たちに鍵だけではなく……」


 そこで少し笑う。


「最初の道しるべまで、残してくださっていたらしい」


 アリアはもう一度、地図へ伸びる光を見つめた。


 その先には、まだ名前も知らない町がある。


 でも、不思議だった。


 知らない場所なのに、そこから「おいで」と呼ばれているような気がした。


 神父も、ゆっくりと地図へ歩み寄った。


 光が止まっている場所を見つめ、小さく目を細める。


「この辺りでしたか」


「ああ」


 シリルは短くうなずいた。


「予定していた最初の町とは少し違う」


「ですが」


 神父は穏やかに微笑んだ。


「女神様がお示しになる道なら、迷う必要はありませんね」


 アリアは二人を見上げた。


「そこに行けばいいの?」


「そうだ」


 シリルはうなずく。


「まずは、この光の示す場所へ向かう」


 アリアはもう一度地図を見つめる。


 まだ名前も知らない町。


 どんな人がいて。


 どんな景色があって。


 どんな出会いが待っているのだろう。


 胸の中で、小さな期待がふくらんでいく。


 ルカも同じ場所を見つめていた。


 家族へ続く道。


 そう思うだけで、自然と拳へ力が入る。


 その時だった。


 シリルは後ろに控えていた騎士へ静かに声を掛けた。


「地名を確認してくれ」


「はい」


 一人の騎士が地図へ近づく。


 光の止まった場所を確かめながら、指先で小さな文字を追っていく。


「……リーネの町です」


「リーネか」


 シリルは静かにうなずいた。


「距離は」


「徒歩で三日ほど」


「街道は整備されています」


「教会もあります」


「騎士団の詰所も小さいですがございます」


「十分だ」


 短く答えると、シリルは神父へ向き直った。


「申し訳ありませんが、少し部屋をお借りできますか」


「もちろんです」


 神父はすぐにうなずいた。


「書斎をお使いください」


「助かります」


 シリルは騎士を一人連れ、食堂を出ようとする。


 その背中へ、アリアが声を掛けた。


「シリル」


 振り返る。


「なに」


「どこ行くの?」


 シリルは少しだけ笑った。


「旅の準備だ」


「もう始まってるの?」


「ああ」


「お前たちだけじゃない」


 そう言って、少しだけいたずらっぽく笑う。


「大人にも、大人の準備がある」


 アリアはよく分からないまま、「そっか」とうなずいた。


 シリルはそのまま書斎へ向かう。


 扉が静かに閉まる。


 部屋の中には、大きな机と窓から差し込む午後の光。


 シリルは椅子へ腰掛けると、一枚の羊皮紙を広げた。


 羽ペンへインクを含ませる。


 さらさら、と静かな音だけが部屋へ響く。



王国騎士団 各支部長宛


 三名の旅人が、本日より王国内を巡る。


 旅の目的については極秘とする。


 各支部は、街道および周辺地域の安全確認を行うこと。


 旅そのものへの干渉は不要。


 本人たちの判断を尊重せよ。


 ただし、生命に危険が及ぶ場合のみ介入を許可する。


 各地の教会と連携し、宿泊および生活支援を依頼すること。


 なお。


 三名には、本通達の存在を知らせてはならない。


              王国騎士団長 シリル



 最後の文字を書き終えると、シリルは静かに署名を入れた。


 封蝋を押す。


 赤い印が固まるのを待ち、一通、また一通と封をしていく。


「頼む」


 騎士が恭しく受け取った。


「急ぎ、各支部へ届けます」


「ああ」


 騎士は一礼すると、部屋を後にする。


 その足音が遠ざかる頃、シリルは窓の外を眺めた。


 庭ではアリアたちが笑っている。


 マルルがぴょんぴょん跳ね回り、それをルカが笑いながら追いかけていた。


 その姿を見て、シリルは小さく微笑む。


「……知らなくていい」


 その一言は、誰にも聞こえなかった。


「お前たちは、お前たちらしく歩けばいい」


「後ろは、俺たちが守る」


 窓の外では、夏の風が教会の木々をやさしく揺らしていた。



 そのころ。


 三人は、そんなことなど何も知らず、教会の庭で遊んでいた。


 昼へ向かう陽射しが芝生を明るく照らし、花壇では色とりどりの花が風に揺れている。


 マルルは、ふわりと舞い上がった白い花びらを追いかけていた。


「待つなのー!」


 ぴょん。


 花びらは、いたずらをするように風へ乗って逃げていく。


「また逃げたなの!」


 その姿がおかしくて、アリアは声を立てて笑った。


「がんばれ、マルル!」


 ルカも木陰から笑いながら見守っている。


 その時だった。


 一枚の花びらが、ふわりと高く舞い上がる。


「あっ」


 アリアは思わず手を伸ばした。


 あと少し。


 もう少しだけ。


 届きそうで届かない。


 その瞬間。


 ふわり。


 まるで風が抱き上げたように、アリアの体が地面から浮いた。


 白いスカートが揺れる。


 背中の小さな羽が淡く光り、その光が一瞬だけ大きく広がる。


 朝日に溶けるような、透き通った光の翼だった。


 けれど、それはほんの一瞬。


挿絵(By みてみん)


 アリアは夢中で花びらだけを見つめていた。


「取れた!」


 嬉しそうに両手で花びらを包み込む。


 そのまま、羽ばたくというより風へ乗るように、ふわりと芝生へ降り立った。


「見て!」


 花びらを大事そうに開いて見せる。


 ルカは拍手した。


「すごい」


 マルルも耳をぴんと立てる。


「飛んだなの!」


「え?」


 アリアはきょとんとする。


「飛んでた?」


「ふわって浮いたなの!」


 アリアは自分の背中を振り返った。


 そこには、いつもの小さな羽しかない。


「……?」


 首をかしげる。


「届きそうだったから、ぴょんってしただけだよ?」


 ルカは笑った。


「そのぴょんが飛んでたんだけど」


「そうなの?」


 本人は、本当に分かっていない。


 そのやり取りに、三人は笑い合った。


 その様子を、教会の回廊から神父とシスターが静かに見つめていた。


 二人とも、思わず息をのむ。


 今、確かに見えた。


 白く輝く、美しい翼。


 シスターは胸の前で手を組み、小さくつぶやく。


「……やはり」


 神父も静かにうなずいた。


「ええ」


「間違いありません」


 それ以上は何も言わない。


 風に笑う小さな少女を見つめる眼差しは、驚きではなく、どこか祈るようにやさしかった。


「どうか、この子たちの旅が祝福に満ちたものになりますように」


 神父の小さな祈りは、夏の風へ溶けるように静かに消えていった。


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