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朝焼けのグラウンド

体育祭当日、朝の話です。

 体育祭当日。


 いつもより少しだけ早く目が覚めた。


 白石美月は天井を見上げたまま、しばらく瞬きを繰り返した。


「……今日か。」


 カーテンの隙間から差し込む朝の光は、もう初夏の色をしている。


 遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。


 枕元の時計を見る。


 まだ、家族が起きるには少し早い時間。


 なのに、目は冴えていた。


(緊張してるのかな。)


 体育祭。


 入学してから初めての大きな行事。


 歓迎遠足は雨で終わってしまった。


 ダンス練習もリレー練習も、まだ「準備」の時間だった。


 でも今日は違う。


 本番だ。


 布団から起き上がり、深呼吸をする。


 胸の奥が少しだけそわそわしていた。



「いってきます。」


「楽しんでおいで。」


「うん。」


 玄関を出る。


 四月の朝は、思ったより涼しかった。


 空は高く澄んでいて、雲ひとつない。


 絶好の体育祭日和。


 駅に向かう道にも、体操服姿の高校生たちがちらほら見える。


「おはよう!」


「あ、おはよー!」


「今日楽しみだね!」


「絶対写真撮ろうね!」


 楽しそうな声。


 白石は思わず笑った。


 昨日までの緊張が、少しずつ期待に変わっていく。



「眠い。」


 神崎悠真は欠伸を噛み殺した。


「おはよー。」


「……朝から元気だな。」


「体育祭だよ?」


 駅で合流した朝倉陽菜は、信じられないものを見るような顔をした。


「なんでそんなテンション低いの?」


「朝だから。」


「神崎って本当に変わらないよね。」


「そうか?」


「こういう日くらい浮かれなよ。」


「別に。」


「でも。」


 陽菜は少し笑った。


「いつもより早く来てるじゃん。」


「遅刻したら面倒だから。」


「はいはい。」


 神崎は答えなかった。


 でも、少しだけ周囲を見回した。


 体操服姿の生徒たち。


 浮き足立った空気。


 普段とは違う朝。


(……騒がしいな。)


 そう思った。


 だけど、不思議と嫌ではなかった。



 青峰高校。


 校門をくぐった瞬間、いつもの景色が違って見えた。


 グラウンドに並ぶ白いテント。


 朝日に照らされる入場門。


 校舎の窓には体育祭のスローガン。


 放送席では、放送部がマイクの確認をしていた。


『あー、あー。本日は晴天なり。』


『聞こえる?』


『もうちょっと音量上げて!』


「なんか、本当に始まるんだね。」


「昨日までリハだったのに。」


「急に実感湧いてきた。」


 あちこちからそんな声が聞こえる。


 女子たちは写真を撮っていた。


「こっち向いて!」


「ピース!」


「待って、撮り直し!」


 男子たちは。


「眠い。」


「腹減った。」


「でも楽しみ。」


「分かる。」


 そんなことを言いながら笑っていた。



「白石さん!」


「おはよう!」


「おはよう。」


 女子たちの輪に入る。


「今日絶対優勝したい!」


「無理無理。」


「でも一組結構強いよね。」


「神崎くんいるし。」


「あー、足速そう。」


「あとダンスの白石さん。」


「え?」


「期待してる!」


「そんな……。」


 白石は困ったように笑った。


「頑張るね。」


「うん!」


 その時。


「神崎ー!」


「お前ちゃんと来てたんだな!」


「失礼だな。」


 少し離れたところから男子たちの笑い声が聞こえた。


 白石はついそちらを見る。


 神崎がいた。


 いつも通りの表情。


 でも。


「神崎くん、全員リレー頼んだ!」


「期待してる!」


「無理。」


「即答!」


 男子たちと話していた。


 そして。


「神崎、おはよう!」


「おはよう。」


 クラスの女子にも、普通に返事をしていた。


 それは特別なことじゃない。


 同じクラスだから。


 普通の会話。


 普通のやり取り。


 それなのに。


(……あれ?)


 胸の奥が少しだけ引っかかった。


(なんだろ。)


 別に変なことじゃない。


 神崎は誰とでも普通に話す。


 白石とだけ話すわけじゃない。


 当たり前のことだ。


(……うん。)


 なのに。


 ほんの少しだけ。


 もやもやした。


「白石さん?」


「え?」


「どうしたの?」


「ううん、なんでもない。」


「緊張してる?」


「そうかも。」


 白石は笑って誤魔化した。


 胸の違和感には気づかないふりをした。



「一年一組、集合!」


 担任の声。


 クラスメイトたちが集まる。


「怪我だけはするなよ。」


「はい!」


「楽しんでこい!」


「はーい!」


 返事は昨日よりずっと大きかった。


 緊張。


 期待。


 高揚感。


 全部が混ざっている。


 グラウンドには全校生徒が並び始めていた。


 太陽は少しずつ高くなる。


 空はどこまでも青い。


 吹き抜ける風はまだ涼しくて。


 でも、その空気の中には確かに熱があった。


『それでは、青峰高校体育祭を開始します。』


 放送席から声が響く。


 一瞬の静寂。


 そして。


 大きな拍手。


 歓声。


 笑い声。


 そのすべてが、初夏の空へと溶けていった。


 高校生活最初の体育祭。


 特別な一日が、今、始まる。


 そしてまだ誰も知らない。


 この一日が、白石美月にとって「ただの行事」では終わらないことを。


 ――それを知るのは、もう少し先のことだった。


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