53,変わらない日常
「ただいま。」
玄関を開けると、涼しい空気が神崎を迎えた。
「おかえり。」
キッチンから母の声が返ってくる。
時刻は午後五時過ぎ。
理系部の研修を終え、そのまま帰宅したところだった。
リビングでは父がソファに座り、新聞を広げている。
「研修どうだった?」
新聞から目を離さず、父が尋ねた。
「面白かった。」
「へえ。」
「大学って、思ってたよりすごかったよ。」
「そうか。」
父は短く頷く。
神崎もそれ以上は話さず、自分の部屋へ向かった。
リュックを置き、制服から部屋着へ着替える。
机の上には補習の課題。
今日の研修で取ったメモも、その隣に置いた。
(先に課題やるか。)
椅子に座り、シャープペンを手に取る。
数学。
英語。
明日の補習までに終わらせなければならない。
窓の外では、ヒグラシが鳴いていた。
夏休みでも、神崎の日常はほとんど変わらない。
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「悠真、ご飯できたよ。」
一時間ほど勉強したところで母が呼びに来た。
「今行く。」
リビングへ降りると、夕食が並んでいる。
「いただきます。」
三人そろって箸を動かす。
「補習はどう?」
母が味噌汁をよそいながら聞く。
「いつも通り。」
「難しい?」
「まあ。」
「でも二位なんでしょ?」
「今回は。」
父が笑う。
「一位は?」
「中山。」
「ああ、前に言ってた子か。」
神崎は頷く。
「次は勝つ。」
その一言に、父は少し嬉しそうな顔をした。
「そういう気持ちは大事だ。」
神崎は黙ってご飯を口へ運ぶ。
勝ちたい。
ただそれだけだった。
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夕食も終わり、テレビではニュースが流れている。
神崎は食器を流しへ運ぶ。
「そうだ。」
母が思い出したように言った。
「悠真。」
「なに?」
「スマホ、そろそろ持たなくていいの?」
神崎は一瞬だけ動きを止めた。
「いらない。」
「即答?」
「別に困ってないし。」
「でも高校生で持ってない子、少ないでしょ。」
「学校で話せる。」
「夏休みとかは?」
「会う予定ないし。」
母は少し困ったように笑う。
「友達と連絡取ったりしないの?」
「必要になったら学校で話せばいい。」
「でも──」
「本当にいらない。」
神崎は穏やかな口調のまま答えた。
母はそれ以上何も言わなかった。
「まあ、悠真が困ってないならいいけど。」
「うん。」
神崎にとって、スマホは「欲しいもの」ではなかった。
調べ物なら家のパソコンがある。
連絡なら学校でできる。
今の生活に、不便は何一つ感じていなかった。
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食後、自室へ戻る。
机の上には補習の課題。
神崎は椅子に座ると、再び問題集を開いた。
シャープペンを走らせながら、ふと今日の研修を思い出す。
『来年は、お前たちの代だ。』
部長の言葉が頭に残っていた。
(来年か……。)
まだ想像もつかない。
文化祭も。
理系部も。
そして、この先の高校生活も。
神崎は静かに問題を解き進める。
今はただ、目の前のことを一つずつ積み重ねるだけだった。
その頃の彼は、まだ知らない。
数か月後、自分から「スマホが欲しい」と言い出す日が来ることを。
そしてその理由が、一人の少女になることを。
これ、かなり好きな回。




