23,あと少し
白石専用エピソードです。
家の時計の針が、静かに進んでいく。
午後九時四十分。
白石美月は、自室の机に向かったまま小さく伸びをした。
「んー……。」
肩が重い。
首も少し痛い。
机の上には、英単語帳、数学の問題集、理科のノート。開いたままの教科書には、蛍光ペンで引いた跡が増えていた。
窓の外はもう真っ暗だ。
住宅街の街灯だけが、カーテンの隙間から淡く差し込んでいる。
「休憩したら?」
部屋の扉が少し開き、姉が顔を覗かせた。
「まだやってるの?」
「うん。」
「珍しい。」
「……ひどい。」
「だって、中学の頃はテスト前でも『なんとかなる』って言ってたじゃん。」
「今回は、なんとかしたいの。」
姉は少しだけ目を丸くした。
「へぇ。」
それ以上は何も聞かない。
「無理しすぎないようにね。」
「分かってる。」
扉が閉まる。
静かになった部屋で、白石は再び問題集に視線を落とした。
数学。解ける問題が少しずつ増えてきた。
英語。単語テストをすると、前より覚えられている。
理科。最初は苦手だった範囲も、ノートを見返せば思い出せる。
(ちゃんとやれば、できるんだ。)
もちろん、全部完璧じゃない。
分からない問題もある。
時間もかかる。
それでも。
以前の自分よりは、確実に前に進んでいた。
ふと、図書館でのことを思い出す。
付箋の貼られた参考書。
迷いなく問題を解く姿。
『やった分しか点にならないし。』
神崎の声が頭の中によみがえる。
「……。」
白石は単語帳を閉じた。
そして、机の隅に置いていた中間考査の目標を書いたメモを見る。
『二十位台。』
自分で書いた文字。
最初は、「無理かも」と思った。
でも。
少しだけ。
本当に少しだけ。
(いけるかもしれない。)
そう思えている自分がいた。
もちろん。
神崎や中山みたいに、一位を争うような世界じゃない。
まだまだ遠い。
だけど。
(追いつきたい。)
その気持ちは、前よりずっと強くなっていた。
好きだから。
隣の席だから。
たまに話しかけてくれるから。
そんな理由で始まったのかもしれない。
でも、今はそれだけじゃない。
努力している人の背中を見たから。
頑張っている人に「たぶん大丈夫」と言われたから。
だから。
「……よし。」
白石はシャープペンシルを握り直した。
あと少し。
あと少しだけ頑張ろう。
ページをめくる。
静かな部屋に、紙の擦れる音だけが響いた。
時計の針は十時を回る。
夜はまだ続く。
けれど、その先には中間考査が待っている。
そして、その先にはきっと。
今より少しだけ成長した自分がいる。
白石美月は小さく息を吐くと、もう一度問題に向き合った。
誰かに見せるためじゃない。
誰かに褒められるためじゃない。
ただ。
隣にいるあの人に、少しでも近づけるように。
六月の夜。
机の上の小さな明かりの下で、白石は静かにペンを走らせ続けた。




