12 シャドウミンク
「ワフッ」
「ギギュワッ」
キアルの視界にさらに大きな白いものが割り込んだ。
悲鳴……悲鳴? のような鳴き声が上がる。
尻もちをついたキアルの視界を埋めているのは銀の輝き。
「ソ、ソルカ……?」
雪を散らかしながら飛び込んできたソルカが、雪テンにかぶりついていた。
キアルの悲鳴を聞きつけて駆けつけたらしい。マナウルフの聡明さや優しさにじんわりと胸が温かくなった。
――ソルカは「キアルが死ぬとマナの膜が消える」とフィンから聞かされているので反射的に動いただけである。だが賞賛と感謝の視線は気持ちよく受け取った。
「ギギギュギュギュッ」
雪テンはじたばたしながら鳴いている。嚙み殺されてはいないらしい。
「どうする?」と問うようなソルカと目が合った。
いったいぜんたい、どうしてこんなところに雪テンが?
雪テンは森に生息する一般的なテンだ。被毛が真っ白なので雪テンと呼ばれているだけで、別に雪深い土地に生息するからではない。
こんな食べ物もない倉庫に閉じ込められてよく生きていたものだ。
先住者が居なくなってからあまり日が経っていない? いやそんなことはない。山小屋の内部の様子から数年単位で放置されていたと思われる。見れば雪テンも痩せている。
では外から潜り込んだ? どこかに抜け穴が?
考え込みながら雪テンを見ていて、変わった点に気づいた。
足が黒いのだ。
靴下のように足先だけが黒い毛に覆われている。
雪テンは全身足の先からしっぽの先まで真っ白なのが普通だ。
「変わった柄だなお前」
近づくと前足でシャッと宙を引っかかれ、慌ててのけぞる。ソルカが顎に力を込めたのか、ギュワワッと鳴いて大人しくなった。
だがその目は爛々と輝いている。
目といえば、目の間、人間でいう眉間のあたりにも黒い毛が生えていた。小さな十字が滲んだような、星形のブチ模様がある。
そのブチ模様にキアルは記憶を刺激された。
(なんだっけ。なんか覚えがある)
その記憶はマナウルフと近いところにある。うーん、とキアルは上を向いたり横を向いたりして考え込み、やっと閃いた。
「そうだ! 『どろぼうテン』!」
「ギギギュギュアアアアッ!」
キアルの言葉にまるで抗議するかのように、その奇矯な鳴き声が殊更大きく上がった。
マナウルフと同じ図鑑に載っていた気がする。
その紹介が面白くて覚えていた。
通称どろぼうテン。神出鬼没に倉庫を荒らす害獣。
正式名はシャドウミンクといい、「影渡り」という特殊能力がある古代獣だ。
テンとミンクは違うと思うが、昔は区別がなかったのかもしれない。
影から入り、影の世界を泳いで移動するらしい。
その能力で閉じた倉庫に入り込み、主に食糧庫を荒らす。きちんと閉じても忍び込むという点でネズミより質が悪い。なのでどろぼうテンとして嫌われ、積極的に退治されたそうだ。
今では一部の魔法使いや獣使いが使役しているのみとなった。キアルは見たことはないが。
影を渡っていくなんて、能力としてはとてつもなく有用だ。
訓練して使役できるならもっと使われていそうなものだが、そうはいかない理由がある。
影の世界を「泳いでいく」というのは詩的表現ではない。
水の中を泳いでいくのと同じで、つまりシャドウミンクの息が続く間しか影に潜れない。
その潜水(潜影)時間は人間の子供ぐらいだ。
そうなると自ずと使える範囲は限られてしまう。
さらに言えば気性が荒い。荒すぎる。
マナウルフにがっぷりと咥えられた状態でも闘志は衰えず、今もギギギと威嚇音を出しながらキアルを睨んでくる。
訓練自体が徒労に終わることがしばしばで、そういう経緯で今となっては一部の物好きや、キアル達普通の人間が知る由もないところでひっそりと使役されている。そうだ。すべて本からの知識である。
「うーん、困ったな……」
食っちゃえよ、とキアルが言えばそのままソルカは食……べはしないか、フィンに持っていくだろう。
マナウルフ一家のボスがフィンだというのはキアルも判っている。
「スナリやフロッカのおやつかなあ」
キアルの言葉に「うむ」とでもいうようにソルカがぐっと嚙む力を増す。
ギュワワワッと悲鳴が高く上がった。
しかし。
しかしだ。
キアルは「影渡り」という能力に好奇心を刺激されまくっている。
こんな珍しい動物をそれこそネズミのようにパッと駆除していいものだろうか。
キアルの逡巡が伝わっているようで、ソルカは嚙み殺さずに待っている。
そうこうするうちにフィンまで様子を見にやってきた。
巨大なマナウルフが二頭も入るほど食糧庫は広くない。みんなでいったん作業場まで戻った。
居室のある区画から出るとふわりと暖かい空気に触れ、キアルは体がほどけるような心地になった。
暖炉はありがたい、と思ったが玄関ポーチに大きなフクロウの姿を見て「ああ」と納得した。
「オルナ、おかえり」
「シャドウミンク、美味しいよね」
「そうなの? 食べる?」
「ギギギュワワワワワッ!!」
耳障りな悲鳴が上がる。ソルカがシャドウミンクを宙に放り投げた。
シャドウミンクが逃げるチャンス! とばかりに身を翻すが空中に影はない。床の影めがけて飛び込もうとする。
しかし、フィンが空中でその頭をぷっと咥えた。
フィンの口からシャドウミンクの胴体がプラーンと垂れ下がる。
生きてはいる。
「シャドウミンクの使役って難しいのか?」
キアルはオルナにたずねた。
「使役よりは使い魔契約おすすめ」
「ちなみに、オルナの知ってる方法はどんな感じ?」
「餓死寸前まで弱らせて餌をチラつかせて契約に同意させるのさ」
「ええ……」
魔法使いって。キアルは複雑な気持ちになった。
しかし、そう言われてしまえは今、正にその状況ともいえる。
このシャドウミンクがどうやって生き延びていたのかは謎だが、瘦せているし満足な食事はしていないだろう。
キアルはダメ元で契約を試みることにした。
使い魔契約の方法は学院で習った。
だがある種の教養であり、実習はなく講義だけだった。
なのでぶっつけ本番だ。
キアルはパンの包み紙に魔法ペンで魔方陣を書いた。魔法ペンは魔力をインクにするペンで、学院入学時に配布される。
この魔方陣に使い魔予定の対象と術者の体の一部を触れさせて、意志を示せばいい。
(シャドウミンクはその意志が難点なんだろうなあ……)




