81.琉球弧の地図と仕事の委譲。
(永禄5年 (1562年)3月上旬)
古今東西、世界中で描かれた地図は絵画のように美しい。
見知らぬ大陸が書かれた訳の判らない地球儀を献上してきたポルトガルの商人もいた。
その地球儀にある日の本は米粒より小さかった。
プトレマイオスが書いた地図を模写したような天使が息を吹きかけて大地ができているような地図もあった。
帆船や蛸が描かれている地図、見知らぬ大陸のある地図、どれも共通するのは日の本は非常に小さい。
地図の端で海老ぞった島だった事もある。
南蛮人にとって、そんな認識だ。
地図の端にあった極東の島に負けたと言う事実は余程イスパニア王、その時は皇帝だったか。
耐えられないほどの屈辱だったのだろう。
ポルトガルの商人も判っているのか?
航海で使っている地図を献上する者はなかった。
地図は兵器だからだ。
大砲より重要だ。
島の位置、海底の地形、潮の流れ、風の癖、満潮の時刻らを知らなければ、知らずに敵の罠に嵌る事もある。
「宗麟、海戦の肝は何だと思う」
「船の数、大砲の数と心得ます」
「他の者らはそういう認識か?」
「違いますか?」
「違うぞ」
「では、何でございましょうか?」
「海をどれだけ知り尽くしているかだ」
俺は名護屋府の正殿を出て秀吉と長秀が拠点とする総統府官邸に大友-宗麟を連れて渡り廊下を歩いた。
その後ろに静かに付いてくる千代女と小躍りしている晴嗣と意味深く不安そうな吉弘-鑑理がいた。
名護屋府には、軍務を取りまとめる軍務所と総務を担当する役方所があり、そこで名護屋府の主な仕事をさせている。
こちらには九州の武将も出入りするので軍事機密を扱うのに向かない。
そこで軍事機密はすべて総督府官邸 (元船奉行所・元作事奉行所を繋げて改修した館)で扱っていた。
この渡り廊下は三途の川に架かった橋のようなモノであり、ここを渡ったからには秘密を漏えいした途端に処分される。
密偵が入れる事のできない場所で、入った者は帰って来ない。
正に三途の川の渡りであった。
「俺は大砲のない帆船でもイスパニア艦隊を葬る自信があるぞ」
「まさか!?」
「たとえば、浅瀬に誘い込んで座礁させる」
「そんな簡単に行くのでしょうか?」
「人は一度通った所は安全だと思う。満潮と干潮を利用して浅瀬に誘い込んで座礁した所を小舟で近づいて火を投げ込むだけで全滅させる事もできる」
「そんな都合の良い事が…………」
「できるぞ。その為に地図が必要だ。天気と海流と風の癖も知る必要がある」
「…………」
「琉球を中心に防衛線を敷き、琉球弧で待ち受ける事もできれば、不可能ではない。あるいは、五島列島に誘い込む」
「それで五島の領民を許し、先に奪っておいたのですか」
「そういう事だ」
琉球弧とは奄美大島から琉球、美麗島(台湾)までの弓状に連なる島々の総名称だ。
種子島や屋久島など日の本と支配されている北部圏、奄美大島や喜界島や琉球本島を含む中部圏、宮古島や石垣島や西表島や波照間島などの大陸の影響を受けて独自の文化を持つ南部圏、最後に中華が進出して支配されている美麗島圏だ。
琉球王国は室町幕府ができた頃に琉球王が明国に冊封し、南部圏も支配下に置いた。
以後、薩摩の坊津を経由して日明交易の一角を担った。
「宗麟は頭の中に地図が入っているか?」
「もちろんでございます」
「では、イスパニア艦隊のいる呂宋から薩摩まで黒潮という潮流が流れているのは知っているな」
「くろしお…………聞いた事もございません」
黒潮と言わないのか?
尾張では俺が命名し、当たり前に黒潮と使っていたので気が付かなかった。
今では薩摩も土佐の船乗りもそう呼んでいる。
本来、どう呼ばれていたのか…………まぁ、いいか。
「坊津から琉球まで200里余り (800km)、琉球から呂宋まで300里余り (1200km)だ。琉球を押さえている方が断然有利に戦える。そして、琉球は日ノ本の属国であり、何かあれば助けに行くと伝えてある」
「これから併合すると言うのに、協力すると言われるのですな」
「併合と外敵と共に戦うのは別だ。併合しても幕府の方針で琉球王は琉球王として残す。琉球本島と奄美大島、喜界島の支配権を奪うつもりもない。但し、幕府の代官を置き、統治のやり方は日の本と同じにして貰う。そして、南部の支配権は割譲させる」
「ははは、琉球王も太閤様に睨まれては形無しですな」
この数年間、博多を経由して澳門に小型帆船『小早』を何隻も送った。
茶を積んだ日本の船は喜ばれた。
博多の商人は南蛮船や倭寇なども利用して澳門に行き来しており、澳門には少なからず日本人がいた。
その帆船は澳門から敢えて東南寄りに進路を取って美麗島(台湾)を大きく迂回し、その船は呂宋島を確認してから黒潮に乗って日の本に戻ってくる。
星の位置から船の位置を確認し、その海域の海図を作るのが一番の目的だ。
イスパニアの船も琉球に来ているのでお互い様だ。
この小型帆船『小早』は全長10メートル、定員12名、50石(8トン)級だ。
大砲も積んでいない。
敵の船を見つけたら逃げるように言ってある。
帆の広さだけならば、ポルトガル船にも、イスパニア船にも負けない。
元々、この小型帆船は小早を原型に三角帆を張って帆船に魔改造する生徒の卒業課題だった。
完成した魔改造『小早』は船乗りの練習船となり、小早を乗りこなせるようになると新人の船乗りとして卒業できる。
5月の終わりに造船技師・船大工・若手船乗りの卒業生が幾つもの集団を組んで、自ら改造した小早で伊勢湾を往復する競争をする。
これを見ていた宮司が“ピン”ときたのか、富くじを売る許可を俺に求めたので許した。
熱田神社では、これを『小早競争』として順位を付けて富くじを売ると、予想屋まで登場して皆が富くじを買い漁った。
今では初夏を彩る『熱田杯』と呼ばれている。
えっ、富くじじゃなく競艇だ。
おっしゃる通り。
この頃、秀吉が鯨取りに成功すると漁師はこぞって捕鯨船を欲しがったが、余りの高値に敬遠された。
そこで目に付けたのが、魔改造の『小早』だ。
今では、様々な小型帆船『小早』が造られている。
船体は竜骨を採用し、船底の重りで転覆防止を図り、外洋にも耐える。
最早、どこが『小早』と言われそうだ。
船底から側面が完全な弓型ではなく、角々っと下が少し平な感じでボートに近いと言ってもいい。
これが帆船『小早』の特徴だ。
この小さい船では鯨は捕れないが、外海に出て大型魚のカツオやマグロが釣れた。
カツオとマグロも一攫千金だ。
まだ、一度冷凍してから解凍しないと生で食べられないので生食は許していないが、俺が重宝したので高級魚とされた。
ちゃんと軽く加熱処理をして売られている。
こうして漁師から小早船の注文が来るようになり、新人の造船師と船大工の最初の手仕事として、小型帆船『小早』を造らせるようになった。
これを知った堺や小田原などからも注文が来た。
注文を取る熱田の商人も船を造る船大工も大忙しだ。
造船の町、知多と化している。
北条-氏康が購入した船で郵便船を始め、その一環で熱田と小田原を結ぶ連絡船も走るようになった。
これを聞いて、俺も瀬戸内海に連絡船を走らせる事にした。
村上水軍を含む瀬戸内海の元海賊衆に小型帆船『小早』を配給して帆船の練習をさせる。
瀬戸内海の連絡船航路が完成された。
外洋船は喫水を深くして転覆を防止し、帆をぎりぎりまで大きくして速度を得られるようになっている。
船員は12名だが、船長を含む水夫は5人で十分であり、商人1人、測量士2人、助手2人と護衛2人で乗り込ませて海図を優先的に作成させる。
高精度な海図は無理だが、これで島の位置くらいは把握していた。
「俺は美麗島(台湾)の総督に宗麟は考えていなかった。お前を推すと反大友派の武将が騒ぎを起こすと思っていたからだ」
「騒ぐでしょうな」
「だが、幕府の意に反して、簡単に騒動に加担した奴らに配慮する必要などないと考え直した」
「ありがとうございます」
「安心しろ。大友家が嫌いな奴らはまとめて薩摩の島津に任せる」
そう言って俺は悪い顔をすると、宗麟も島津家の嫌がる顔を描いたのか、にやりと悪い顔で笑った。
うん、反大友派を押し付けられた島津家はいい迷惑だ。
だが、一番の理由は違う。
俺が“ごろごろ”できないのに、宗麟が“ごろごろ”と過ごしていた。
この逆恨みを晴らすべし。
遣り甲斐がありそうな仕事で宗麟も嬉しいだろう。
俺の仕事を減らしてくれ。
これが本音だ。
「ありがたき幸せ。身骨を砕き、仕えさせて頂きます」
「二言は許さん。成功させよ」
「天地神明に誓って」
失敗は許さんと宗麟に念を押しておく。
総督府官邸の一室を開けて、陰陽寮の所管である天文方名護屋奉行の金森-政秀を呼び出した。
覚えていない方もいるかもしれないが、俺は『改暦の儀』の総責任者だ。
つまり、陰陽寮を配下にしている。
天体観測と測量は同じであり、星の位置を拾うのではなく、逆に星から船の位置が割り出せる。
それを起点に島を観測すれば、おおよその位置が割り出せるのだ。
今更、俺に箔を付ける必要もなく、『改暦の儀』が多少遅れても誰も咎めない。
そこで改暦と測量に組織を二つに割って、南海の地図を作らせる事にした。
これも小一郎に命じた作業の1つだ。
少し遅れて機材と人材を揃えて、名護屋に金森-政秀らを送り出した。
この南海が終われば、日本地図の作成も考えている。
政秀は金森-長近の弟であり、その長近は18歳で父上 (故信秀)に仕えた古参の一人だ。
今も兄上 (信長)の赤母呂で忙しくしている。
俺が頭角を現すと、俺に弟の政秀を売り込んできたので側近に取り立てた。
しかし、算術が得意だったので神学校に入れ、陰陽寮で忙しくなると京に呼んで『改暦の儀』を手伝わせた一人だ。
俺の側近扱いだったので、中小姓を飛ばして陰陽少属(大初位上相当)に任命し、今回は奉行として呼んだ。
「左介はいるか?」
「ここにおります」
政秀が呼ぶ前に自ら名乗りを上げて古田-景安が寄って来た。
左介の父は勘阿弥と称した故斎藤-利政の同朋衆(お抱えの芸衆)だったが、義龍との戦いの後に織田家に仕官した。
そして、息子の左介は神学校に入って中小姓となっていた。
陰陽少属となった政秀は算術の得意な左介を京に呼び、ここにも同行させた。
左介の良い所はまだ中小姓だと言うのに、その人脈が異常に広い事だ。
そもそも中小姓は地位が非常に低い。
元々は小姓と徒士衆(下っ端)の中間に当たる。
小姓は当主などの貴人の側に仕えて身の回りの世話をして人脈を広げてゆく。
そこで主に気に入られると出世街道に乗れる。
対する徒士衆は歩走からくる使い走りである。
警護や門番などの仕事をする。
中小姓は屋敷の内々の仕事を手伝う者だった。
一昔前は、読み書き算盤ができるのは主くらいだった、
つまり、計算や整理は主の仕事で、中小姓はその書類の整理などが主な仕事だった。
中には、計算ができる者もいたが、それは出来の良い主が中小姓を育てた結果だ。
その前提が覆された。
神学校を卒業した中小姓は戦の手順から複式簿記まで扱える。
主に代わって雑務だけでなく総務と経理を任されて城の管理を任されるようになった。
織田家では、いつの間にか主が排除されて中小姓だけで城を管理するように変わっていった。
今では奉行に次ぐ権限を持つが、地位は昔と変わらず小姓の下だ。
昔に比べれば、武将や商人などと話す事が増えた。
さて、そんな中小姓であるが、ある日突然に奉行に昇進すると、小姓どころか侍を抜いて家老の下になる。
奉行から領主や官職や家老へと出世する。
織田家の流儀が幕府でも採用され、主のいない中小姓が仕事をする。
中小姓と侮っていると足を掬われるようになっていた。
「政秀、左介を抜いても支障はないか?」
「主力を抜かれますと少々困りますが、何とかして見せましょう」
「そうか、悪いが頼んだ」
そう言うと左介の方を見る。
相も変わらず、愛嬌のある顔で俺を見ていた。
左介は陶器の役職を希望している変わり者だ。
最初の俸禄をすべて使って熱田名物『桜焼き』を買い、「この茶碗の緋の走りが素晴らしい」と皆に自慢したらしい。
芸事が好きで、京でも公家や商人とも仲がいいらしい。
他にも芸術肌の大名とも付き合っている。
中小姓の人脈ではない。
左介に言わせると、茶仲間、歌仲間、雅仲間だそうだ。
俺も慶次から紹介されなければ、左介を知る事などなかった。
茶碗など使いやすければ何でも良い。
そんな風に思う俺にはその良さが今一つ判らない。
愛嬌があり、人見知りをせず、教養もあり、目利きができる左介は幼い公方の傅役にするのが適任なのだが、この交渉術と算術を遊ばせるのは勿体ない。
傅役ならば、他にもアテがあった。
「左介、大友-宗麟の目付および相談役を命ずる」
「畏まりました。で、仕事の趣は?」
「宗麟には美麗島(台湾)併合後に総督長官を命ずる。港の先住民と島の原住民との交渉、および、派遣する人材の選出と輸送、土地の測量と開拓など、すべての計画一切を確認して滞りなく進めさせよ」
「某一人ででございますか?」
「必要な人材は引き抜いて良い」
「判りました」
「見事成功した暁には、宗麟の副官に任ずる」
「奉行を飛ばして、大名級の官職を頂けるのですか?」
「それだけ難しいという事だ」
「ありがたき幸せ」
「明国から陶磁師を誘い。美麗島(台湾)を一大陶磁の生産地にしても良い」
「この世の楽園を作ってよろしいので?」
「できるならば、やってみよ」
「やってみせます」
左介のやる気が上がった。
算術より茶碗が好きなようだ。
俺が左介と話している間、宗麟は部屋の中の置かれているモノをみながらぼっ~と見惚れていた。
「宗麟、先程からどうした?」
「太閤様、これは何でございますか?」
「見て判らんのか」
「こんな地図はあり得ません。これでは我らは丸裸にされているのと同じではありませんか?」
「それが判るならば、説明は不要だな」
誰かが書いた落書きのような地図ではない。
10隻の交易船『小早』と20隻の調査船『小早』を編成して、総勢120名が総力を掛けて最初の三ヶ月で簡単な地図を作り、その地図を叩き台に三角測量で九州から琉球までの精密地図を作った。
琉球から南の美麗島(台湾)、澳門、呂宋は残念ながら精密測量はできないので何度も船から観測して精度を上げた。
足元には琉球弧の島々が描かれていた。
「このように薩摩から琉球まで島々が続いていたとは知りませんでした」
「これを見ると、薩摩の坊津が一番に狙われる意味が判るだろう」
「はい。坊津を奪えば、イスパニアの艦隊は博多も堺もどちらも狙えるのがよく判ります」
「逆に、明国の寧波から北東に進むと平戸になる。明国との交易では平戸が玄関になる意味も頷ける」
「ポルトガルは違うのですか?」
「ポルトガルの拠点はこの澳門だ。美麗島(台湾)の南西にあり、美麗島を経由する方が近い。季節風に乗れば、まっすぐに平戸を目指し易い」
「成る程。地図を見れば、判る訳ですな。この赤い印は何でございますか?」
「それは浅瀬だ。干潮に大型の帆船で通れない箇所だ」
大砲で波を立てて水面を見えなくすれば、誘う事ができるかもしれない。
出来なくとも転舵できない敵を狙い打ちにできる場所だ。
使える可能性は限りなく少ないが、何事も備えていて損はない。
「宗麟、お前の部屋はここではない。この隣だ」
「と、となりには何がございまするか?」
「織田家が調べた九州の武将の悪事の数々だ。それを叩き台に九州仕置きを断行する。領地を没収して、美麗島(台湾)への移住を命じる。荒くれ者を率先して送り出すぞ」
「太閤様!?」
「誰を大将にするか悩んでいたが、元主君ならば文句も付けられまい」
「土地を召し上げれば、叛乱が起こります」
「そうならぬようにするのがお前の仕事だ。二言は許さんと言ったな。だが、安心しろ。厄介な敵対者は島津に任せる。それに領民まで出て行けと言っている訳ではない。どうしても嫌ならば、帰農させて農民に戻れば良い」
「帰農はよろしいのでございますか」
「二度と武器を持つ事は許さんが、それで良ければ帰農を許す」
宗麟はほっとしたようだが安心できる事か?
武器を捨てられる者ならば、そもそも暴れていない。
戦って領地を増やす事を止められないから騒動を起こす。
戦う事が趣味なのだ。
生き甲斐なのだ。
そんな奴らは戦国を辞められない。
何かあれば、その不満を暴力に訴える。
この世は勝てば官軍だからだ。
だが、俺はそんな横暴は許さない。
帰農を申し出て、次に暴れた奴らは打ち首だ。
また、横行するであろう面従腹背も同罪だ。
従うフリをして中から腐敗させる背信も、誰かを貶めて自らを高くみせる偽装も、遅延も、怠慢も許さない。
そんな者は最前線送りか、犯罪者として強制労働に科す。
領民は勤勉に働き、適度な休養を得る。
週休3日くらいが理想だな。
滞りがなければ問題なし、休暇は好きな事に使えばいい。
“そして、俺は週休4日だ。いつか1日働いて6日休みとする。そうなれば最高だ。決して不可能ではない。俺の部下は優秀だ。優秀な部下を揃えれば、俺が居なくとも問題なく動く。ビバぁ、1勤6休…………”
「若様、心の声が漏れております」
千代女に言われて口を閉じた。
シマッタ。
遂、嬉しさで思いにふけってしまった。
宗麟が何と言っていいのか判らない顔をしていた。
「この事は他言無用だ」
「畏まりました」
「何も聞いていないな」
「何も聞いておりません。太閤様の為に努力致します」
「そうか。よろしく頼む」
宗麟は物分りが良くて助かった。
拙い事は言っていない。
左介の報告を聞きながら、宗麟の能力を計ればいい。
その日、俺は九州の武将の排斥を宗麟に丸投げした。
宗麟は織田家の情報収拾の凄さに呆れ、その日から誰を連れて行って、誰を残すかと、考えるだけで起こるであろう騒動に眠れぬ夜を送る事になったと言う。
頑張れ宗麟、九州すべての武将の命運がお前の肩に乗っている。
俺は他にもやる事があるのだ。
◇◇◇
コロンブスの第3次に使ったキャラック船“NINA号”は排水量60トンであり、クルーは18名、乗員70人らしい。
その食糧はビスケット7トン、塩付けの豚肉1トン、チーズ1トン、小麦18トン、水樽11本、ワイン17トン等々だった。
排水量60トンで乗員の体重を除くと、空いた場所に食糧と水を積んだと思われます。
今回登場する小型帆船『小早』(排水量8トン)です。
乗員12人で600キロ、残り7.4トンです。
大西洋を横断するならば、残る場所はすべて食糧と水が埋まりますが、琉球や台湾などの寄港地も多く、日程も短いので食糧・水の備蓄を半分と考えます。
3~4トンの荷を積んだ小型帆船が坊津と澳門の間を往復していた事にしております。




