80.大友宗麟の津波越え。
(永禄5年 (1562年)3月上旬)
大友-宗麟は運がなかったのだろうか?
輝ノ介が領地にいるキリシタンの隔離とキリシタンとなった武将の首を差しだせと言う命令を受けた宗麟は家老の立花-道雪、臼杵-鑑速に後を任せて船に乗って名護屋を目指した。
船が関門海峡を越えた先の湊で停泊している所で博多の騒動を聞き付けた。
『つくしなる 大渡川 大方は 我一人のみ 渡る浮世か』〔古今和歌六帖〕
紀貫之の古歌がある洞海(洞海湾)に宗麟は居た。
「殿、どういたしましょうか」
「首が斬れかかっている儂にはどうにもできん。親度、岡城の瓜生-貞延を頼り、兵を借りて宗像-氏貞のやり過ぎを止めよ」
「畏まりました。しかし、殿はどうされますか?」
「これより大友家は嫡男の義統にすべてを譲り、これまで通りに幕府に臣従する。儂の首が刎ねられても幕府方だ。努々、敵討ちなどを考えるな」
「肝に命じます」
この時、宗麟は覚悟を決めたらしい。
宗麟は家臣の志賀-親度に遠賀郡に城を持つ瓜生-貞延を頼って博多への援軍を送った。
瓜生家が貸せる兵の数など知れており、一万人近いキリシタンの暴動には『焼け石に水』でしかない。
宗麟の意志を示しただけだ。
幕府方に付くか、キリシタン方に付くかと迷っている者へはっきりと伝えたかったのだ。
「千代、宗像-氏貞はキリシタン討伐の急先鋒だったのだな」
「はい。教会にキリシタンを集め、その周りに薪を並べて、さらに油を撒いた張本人です」
「宗像衆は余程腹を据えかねていたのだな」
「宗像神社は天照大神の三女神を祀る神社ですから、それを紛い物と呼ばれれば怒っていたでしょう」
宗麟が懸念したように宗像-氏貞は自領内の修道士とキリシタンを根切りにして博多の暴徒討伐に兵を差し向けた。
博多の東は糟屋郡、宗像郡、遠賀郡と並んでいる。
西の名護屋から来た幕府軍と距離は余り変わらない。
領内のキリシタンを根絶やしにした手間だけ遅くなった。
博多の周辺を見ると、東に糟屋郡亀山城の河津-隆業、東南に御笠郡宝満山城の高橋-鑑種の拠点がある。
「鑑種は名護屋におりましたので、城代が取り仕切っておりました」
「鑑種が幕府軍を率いて博多に向かってくれてよかった。大事に至らなかった」
「志賀-親度では宗像-氏貞を抑えられません。しかし、すでに幕府軍が先に博多に入ったので従うしかありませんでした。それと宗像郡のキリシタンが少なかった事も幸いです」
「増える訳がない」
「そうでございますね」
大友家の命令もあり、渋々で教会を建てる許可を出したが町や村の中に許さず、少し離れた場所に建てさせた。
そして、村の者は宣教師や修道士と話しただけで白い眼で見られる。
そんな土地ではキリシタンが中々増える訳がない。
それに宗麟の不安の種は東だけではなかった。
博多の西にある怡土郡高祖城を居城にする原田-隆種の動向も気にしていた。
原田の領地を南北に挟み、柑子岳城の臼杵-鎮続と早良郡鷲ヶ岳城の大鶴-宗秋を配置している。
原田-隆種の造反に注意を払っていた。
境界付近ではキリシタンの取り扱いを巡って小領主同士が争い、三者は互いに牽制して博多に兵を送れない。
幕府軍を派遣していなかったら、お互いが幕府方を名乗っての潰しあいになっていたかもしれない。
「肥後ほど混乱しておりませんでしたので、心配はなかったと思われます」
「千代はそう見るか」
「力が拮抗しているので被害は小さかったと思われます。しかし、そうなると援軍が来ない博多がキリシタンに占領され、その占領された博多に宗像勢が襲い掛かり、博多が焦土と化した事でしょう」
千代女は幕府軍を博多に派遣したのが正解だったと見ていた。
博多の騒ぎを聞いた豊後府内の大友家も豊前・筑前方面に立花-道雪、日田を経由して筑後方面に大友-親貞を派遣した。
キリシタンの鎮圧部隊はそのまま幕府軍に合流した。
肥後はどちらも幕府方を表明し、各勢力が暴れてキリシタンに関係なく大混乱になった。
南北朝時代に火の国を治めた阿蘇家が弱体化した事がすべての原因だ。
肥前佐嘉に入った秀吉が停戦命令を出すまで無秩序に暴れていた。
日向は宣教師が布教に来るのが遅かったのでキリシタンのいる場所が限定的で、しかも少ない。
すぐに隔離を終えて軍を派遣しようとしたが、肥後は通れず、豊後の騒動が沈静したのを確かめてから出発したので連合軍の合流に遅れた。
遠い事が仇となった。
後、半月遅ければ、その首が飛んだところだと秀吉が脅した。
さて、宗麟は夜中の内に出航して名護屋を目指した。
一刻も早く輝ノ介に面会し、謝罪と陳情をして幕府との関係を正常化せねばならないと考えたのだ。
だが、無理が祟って名護屋近海の小川島付近で座礁して動けなくなり、翌日まで放置されて救援が遅れた。
名護屋湊に入ったが、すでに輝ノ介は出陣して丹羽-長秀の配慮で名護屋府の一室を借りて待機させられた。
「長秀も相手をする暇もなかったのでしょう」
「会った時は目の下にクマができていたな」
「普段から寝る暇もなかったようです」
「人手が足りなかったか?」
「これを。人手の問題ではなく、荒くれ者ばかりをこちらに集めたからです」
騒動好きの三好三人衆は言うに及ばず、曲者の荒木-村重、毒殺・暗殺・暗躍好きの宇喜多-直家、尼子再起の良からぬ事を企んだ三傑(立原-久綱、山中-鹿介、熊谷-新右衛門)、まだまだ何かをやる気の長宗我部-元親、野盗紛いの火事場泥棒を行った“暴れん坊”の赤井-直正、蜂塚-右衛門尉らを束ねた。
皆、一癖も二癖もある奴らだ。
その家臣らは昼・夜に関係なく、喧嘩・恐喝・刃傷沙汰まで様々な問題を起こした。
起こした問題と処理の報告の数を見て驚いた。
よくこれだけの数を捌いたモノだ。
長秀は問題児を抱えた学級委員長だった。
「千代、右筆研修生と中小姓研修生を増やしておけ。ウチは規律が厳しいのでこういった問題は起こり難い。しかも慶次が力ずくで介入するから参考にならん。長秀の手腕は参考になる。経験させておく方がいいだろう」
「判りました」
「おい、おい、それじゃ、俺が無能に聞こえるじゃないか」
「無能ではないが優秀ではない。やり方が酷い。挑発して喧嘩に引き込み刀で脅す。呑んでじゃれ合う。村人の男共を遊郭に連れて行ってどんちゃん騒ぎ。『これでおまえらも共犯だ。女房やガキが何を言って来ても俺はもう聞かんぞ』と啖呵を切って解決するとか、他の者には誰も真似ができん」
「そう褒めるな」
「褒めてない」
慶次は良くも悪くも破天荒だ。
しかし、長秀の対応は教本にできる。
学生には実地訓練を兼ねて経験させるのがいいだろう。
「若様、宗麟が参りました」
「中に入れよ」
千代女の合図で吉弘-鑑理と一緒に宗麟が入ってきた。
俺も名護屋に到着した時は状況の把握と様々な作業の進捗度の確認で忙しかった。
鑑理が宗麟との拝謁を求めてきたが、「其方の主の首を取るつもりはない。高橋-鑑種と吉岡-長増も良い働きをしておる。大友家を罰するつもりもない。こちらが呼ぶまで待機しておれ」と言ってしまったのだ。
宗麟は10日以上も放置されると思っていなかっただろう。
評定の時に鑑理が俺をちらちらと見ていた訳が判った。
宗麟が俺の前で頭を下げた。
「すまんな。完全に忘れていた」
「太閤様がお忙しいのは心得ております。お気になさらずに」
「仏籍に戻した後に再び出家し、家督を義統にすべて譲る事を許す。その後に蟄居する必要はない。俺の御伽衆として、琉球と美麗島(台湾)の併合の指揮を執って貰いたい」
「某にですか?」
「琉球は薩摩の島津家を中心に、美麗島(台湾)は大友家の宗麟を中心にやって貰いたいと考えている」
「微力でございますが、謹んでお受け致します」
宗麟は難しい顔をした儘であったが、鑑理はほっとしていた。
俺も美麗島と呼んでいるが、実はこの名前は台湾を発見したポルトガル人が『イリヤ・フォルモサ』(麗しの島)と呼んだ事に由来する。
明国では『化外の地』と呼ばれていた。
元々、寧波の方から移ってきた漢族が原住民を追い出して定住した。
漢族と言えば聞こえが良いが、元は倭寇などに扮した荒くれ者達だ。
倭寇の取り締まりが厳しくなって逃げてきた。
今はポルトガル商船などの交易の中継点として栄えている。
彼らを臣従させて美麗島の開拓を始め、原住民との融和を図る。
俺の話に宗麟の眉間がどんどんと険しくなっていた。
「イスパニア。それと明国とも戦争をされるつもりなのでしょうか?」
「イスパニアなどは余裕で勝ってみせる」
「勝てるのですか?」
「追い返すだけならば、大した手間もいらん。考慮する必要もない」
「…………聊か信じられませんが、事実なのでしょう」
「俺を信じろ。それで明国とはこのまま交易を続けたいと思っているが、交戦にならないとも限らない。その時は叩き潰して講和を求める」
「太閤様は怖い物知らずでございますな。海を隔てて明国と戦など考えもしませんでした」
「戦と言っても一時的に港を占領する事はあるが、それ以上はない。況して首都の北京に攻め上るつもりはないぞ」
「勝つつもりはないのでございますか?」
「宗麟、勝ちとは何だ。俺は地方の官吏が講和を求めれば、占領した港を解放する。そして、明国と正式に条約を結び交易を行う。それが俺の勝ちだ。左程は難しくない」
「それで勝ちですか?」
「海岸を奪われた儘では皇帝の威信が保てぬ。出てきた敵を叩けば良い。守る分には手間も掛からん。敵にも頭が回る奴がいれば、講和を求めてくるだろう。愚かにも何度も戦を仕掛ける馬鹿ならば、疲弊して内乱で国が亡ぶだけだ」
「明国を欲しませんので?」
「図体ばかりデカい国が欲しいのか。俺にとっての『鶏肋』だ。欲をかくつもりはない」
※.鶏肋、たいして役に立たないが、捨てるには惜しいもののたとえ。
俺がそう言うと宗麟は「成る程」と呟いて眉を緩め、何か面白いモノを見つけたような笑みを浮かべた。
後ろで様子を伺っていた近衞-晴嗣がもさもさと体を揺すって「でおじゃりますな。でおじゃりますな」と呟きながら仲間を見つけたような顔をしていた。
晴嗣よ。
これ以上、仲間を増やすのも大概にしろよ。
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よく見れば、笑みを零した宗麟の顔色が良い。
しかも、ちょっと太ったのか?
肌の光沢が32歳とは思えぬツヤを感じた。
俺に放置されて不安な日々を過ごした顔ではない。
三食の食い物が美味く、やる事もなく一日中をごろごろと過ごせる。
滅茶苦茶、贅沢だ。
考えて見れば、答えは簡単だ。
図太い宗麟は身を任せて10日以上も『くっちゃね』(食っちゃ寝)を繰り返したのだ。
同情して損をした。
糞ぉ、羨ましい~ぞ。
俺と代わってくれ。




