閑話.熱田の白狐、お花さんの帰還。
笹の葉さらさらと7月に入って熱田の民は七夕祭りに沸いている。
竹や笹を切り出して町の各所で売り出されている。
去年から一番熱心に売っているのが熱田神社だ。
河川の土手に植えた竹や笹はすぐに根を張って土手などを強化してくれる。
無機質なローマンコンクリートの上に土を盛って竹などを植えておく。
景観も然る事乍ら、鬱蒼と生えた竹林は敵の侵入を防ぐ壁の替わりになる。
しかも竹炭の材料であり、竹酢液は消毒液として売られている。
うん、実に経済的だ。
不要な竹や笹を『正月』と『七夕』で処分する。
雨風に強く、力強く天に向かってすくすくと育つ竹は子供達の成長を祈るには丁度いい。
俺が祈祷した笹を買ってくれ。
(天文22年 (1553年)7月3日)
俺は七夕祭りの準備の為に熱田に入った。
兄上(信長)は評定でも上がった春日井郡の視察に行った。
寝返ったばかりの領主も多く兄上(信長)が行く必要もないのだが、その目で確かめるのが兄上(信長)らしい。
俺ならしばらくは放置する。
さて俺の下に(明智)光秀を監視していた美濃の忍び達が報告にやって来た。
光秀も末森から清洲に入ったらしい。
散々叱られたのか、三人の忍びが申し訳なさそうに庭で土下座をしている。
「此度は我らの不手際でお手を煩わせる事となり、申し訳ございません」
皆が一斉に頭を下げる。
後ろの若い女が報告にあったお花らしい。
米原宿で光秀に捕まったのが始まりだ。
「また会いましたね」
「お侍様、何の事でございましょうか?」
「垂井、今須、柏原、醒ヶ井、そして、米原となると偶然でもないでしょう」
「私はこの米原から出た事はございません」
「そういう嘘は結構です。最初は稲葉か、安藤の間者かと疑っておりましたが、何か仕掛けてくる様子もない」
「勘違いでございます」
「先程の町のやくざとの喧嘩の時に心配そうに覗かれていたので確信致しました」
「何の事やら?」
「少し話を聞いて頂きたい」
お花が光秀に捕まったのは聞いていたが、光秀の観察眼がかなりのものだと判る。
光秀は米原で今浜(後の長浜)から逃げてきた職人の娘をやくざから助けた。
坊主から銭を借りて逃げて来たらしい。
一向宗の坊主は勝手に楽市を開く。
南無阿弥陀仏と唱えれば「極楽浄土に行ける」と唱える連中だ。
楽市のお蔭で町が活性化するのは良いのだが、借金を抱えて路頭に迷う者も多くなる。
当たり前だが市場原理を容認すれば貧富の差が酷くなる。
坊主達がそこで銭を貸して更に儲ける。
職人は娘を借金のカタに取られるのを嫌がって逃げ出したのはいいが、座を抜け出した職人に働く場所など無い。
河川敷でその日暮らしをしていたらしい。
「光秀はその職人の家族を助けたのだな」
「はい、そうです。しかも私に金粒の入った小袋を渡して、他に職人が居れば、声を掛けておいてくれとか言うのです。図々しいにも程があります。私はあいつの家来じゃないです」
「図々しいのはそれだけではあるまい。他家の姫の婚姻を勝手に進める程の奴だからな」
光秀はお市の婚姻の噂を近江で流した。
その報告を聞いた兄上(信長)などはカンカンに怒って光秀を追って斬りに行こうとしたくらいだ。
俺も最初は何の意図があるのかと疑ってしまった。
高政は浅井家を攻めたい。
婚姻で浅井家と織田家を固めるのは逆効果だ?
六角家も攻めるつもりなので婚姻が成立すれば絶対に恨まれる。
そもそも兄上(信長)は大切なお市を落ち目の浅井家などに嫁にやる訳もない。
そんな無茶な話を何故しているのか?
俺も理解できなかった。
しかし、朽木に向かったと聞けば、幾通りかの推測が立った。
要するに時間稼ぎだ。
「浅井家もよくそんな嘘に騙されたな」
「近江の者は未だに京極家の力を過信しております」
「三管四職か?」
「その通りです」
四職とは侍所頭人に就任する相伴衆の事であり、赤松氏、一色氏、京極氏、山名氏の四氏を指す。
細川氏、斯波氏、畠山氏の三管領家を助ける役職だ。
武家の家格から言えば、上から3つ目の最上位に位置する。
現六角家の当主である義賢の父、六角-定頼が『管領代』を賜るまで武家の家格では京極家に及ばなかった。
実力では六角家が上であっても、家格では京極家の方が上の時代が長く続いた。
(近江を1つにまとめさせない将軍家の策謀です)
「家格で言えば、弾正忠家は底辺の方に近いからな」
「お市様に限って言えば、飛鳥井家の家格が上です」
「ふふふ、そうだったな」
ここに来て京極家の力に頼るのか?
光秀は人の弱い部分を攻めるのが巧いな。
こちらからすれば、京極家にいくら程の価値があるのか問い質したい。
だが、近江の者は違うのだろう。
「お花らは光秀に従ったのだな」
「申し訳ございません」
「このような事態になるとは露程にも考えず」
「お許し下さい」
三人が一斉に頭を下げ直す。
俺が虐めているみたいじゃないか?
ここに来るまで、他の忍び衆に散々叱られたようだ。
可哀想な事をした。
「謝る必要はない。どうせ果心-居士に唆されたのであろう」
「唆すなど致しません。魯坊丸様にとって有益と判断しただけでございます」
石灯籠の影から果心が姿を現わした。
果心は加藤の仲間が京に滞在中にスカウトされた新しい仲間の一人だ。
幻術などを得意とする。
元々、興福寺に僧籍を置いていたが幻術は外法と呼ばれて忌み嫌われていた。
畠山の援軍として大和の衆に付いて来た。
果心は物見遊山で参加したが、得意な幻術を封じられて加藤らに負かされた。
だが、加藤らはその見事な幻術を褒めた。
風に漂わせて痺れ薬や錯乱の薬を敵に嗅がせるのは加藤らも好んで使う。
手の内を知っていれば、幻術もそれほど苦にならない。
俺は勝つ為に手段は選ばない。
幻術も1つの戦術だ。
正当な評価が嬉しかったのか果心は加藤らと意気投合したらしく、俺の独立愚連隊に加わった。
そして、互いの薬草の知識を交換した。
悪い奴ではないのだ。
「新しく手に入れた自分の技を披露したかったのか?」
「いいえ、私も魯坊丸様のお役に立ちたいと願ったまで」
「口は便利だな」
新しいおもちゃを手に入れた子供のようだ。
俺の組織には1つの欠点がある。
何故か、俺の独立愚連隊は忍び衆の上位と思われている。
(忍びの能力は格上)
完全に別組織だぞ。
果心が光秀の提案に乗れば、お花達が従うのも仕方ない。
「それで集団幻覚は巧くいったのか?」
「それは完璧でした。帰り際に熱田の『きつねうどん』を残して消えました」
「白狐にしたのも光秀の案であったのか?」
「はい」
「熱田の象徴は『きつね』ではなく『にわとり』だぞ」
「鳥うどんの方がよろしかったでしょうか?」
「冗談だ」
甘薄揚げを乗せたうどんを『きつねうどん』と命名したのは俺だからな。
光秀の案に乗ったお花達は一日早く今浜(長浜)に到着し、高僧の夢枕にお花が立った。
お狐様のお告げを聞いて、僧達は翌日にお告げの場所に向かった。
そこには『難題解決』と書かれていた書状を見つけたのだ。
それには悪行の数々を改めるように示されていた。
そして最後に、僧同士が争う元を取り除いてやると書かれていたのだ。
夜半に今浜に戻ってくると、総会所が全焼していた。
手狭になった総会所を移転するかどうかの議論が必要なくなった。
「今浜だけではございませんが近江では一向宗と日蓮宗の対立が酷く、特に一向宗の坊主共が魯坊丸様を『民を誑かす、神の名を騙るまがいもの』などと申しておりましたから灸を据えたまでです」
「派手な灸だな」
「盛大に燃やしてやりました」
光秀は狐に化かされて自分がやったと言いふらしている。
今浜の僧らは光秀と面識もなく完全否定をしている。
しかし、噂と言うのは無責任なものだ。
面白い話の方が広がってゆく。
そして、どれほど否定しても総会所が全焼したのは事実なのだ。
お市の輿入れの話と一緒に白狐の話が広まった。
「熱田の白狐がいつでも目を光らせていると、僧侶共も肝を冷やしている事でしょう」
「そんな訳あるか?」
「ですが、狐様は拝まれていると思います」
果心の言う通り、人々は摩訶不思議な話を好む。
神社の勢力が盛り返しそうだ。
「十兵衛様は悪知恵が働き、中々に面白いお方でした」
全然、面白くない。
お市の話が朽木で上がれば、織田家の者が呼ばれる。
公方様は絶対に俺を指定する。
「千代、兄上(信長)に伝言だ。公方様が俺を呼んでくるがしばらく持たせてくれと」
「承知致しました」
「で、いつまで引き延ばせると思う?」
「六角も冬まで待ってくれないでしょう。交渉の期日は今月末です。それに間に合わせるとなると、20日には朽木に到着する必要があると思います」
「では15日に尾張を発つ。そのつもりで段取りをしてくれ」
「判りました」
俺がそう言うとお花達がまだ申し訳なさそうな顔をしている。
お花達の責任ではない。
俺が怒っているのは光秀に対してだ。
「安心しろ。俺は怒っておらん。罰を与えるつもりもない」
「本当ですか?」
「むしろ、褒美を与えよう。お花、お前らの異名を『白狐』とする」
「私らですか?」
「3人揃って白狐だ」
「ありがとうございます」
皆、名前を貰えると喜ぶのだ。
よく判らん。
「光秀の監視をお前らに任せる。あいつから目を離すな。全て報告に上げろ」
「お任せ下さい」
「頑張ります」
「頑張らせて貰います」
手伝いは禁止させる。
忍びが欲しいなら自分で雇え。護衛をさせる必要もない。
とにかく、光秀は危な過ぎる。
要監視対象だ。
えっ、光秀が美濃に帰らずに清洲に残っていた。




