40.光秀、帰蝶との会見。(光秀は極悪人だ)
(天文22年 (1553年)7月3日)
じと~っと帰蝶が不審な目で睨んだ。
呼び出されて来た十兵衛を見る。
ジト目である。
十兵衛は白々しく平伏している。
全く、この人は?
帰蝶も呆れるしかない開き直りっぷりなのだ。
信長ではなく帰蝶が呼んだのは、単に信長が忙しいからだ。
お市の事なので信長もカンカンに怒っている。
月初めの評定が終わり、春日井郡の視察に向かった後でなければ同席していただろう。
そして、知らせれば視察を中断して戻ってきそうなので敢えて知らせなかった。
帰蝶の機転であった。
十兵衛は命拾いしたかもしれない。
帰蝶にとって十兵衛は兄の高政と肩を並べて歩く存在であり、実母の小見の方の甥に当たる。
幼い帰蝶に色々と教えてくれた師匠の一人である。
とても意地悪な師匠であった。
父の利政が実利を追う現実家とすれば、十兵衛は理想を追う妄想家だ。
ただの妄想家ではなく、現実を見据えているから厄介な人であった。
例えば、
鉄砲の革新性を説いた十兵衛に対して (斎藤)利政は「銭が掛かるだけのおもちゃ」と否定的であった。
しかし今川義元の配下の太原雪斎が安祥城を攻めて、鉄砲の銃撃で織田の兵が浮き足だった所を攻めて陥落させたと聞くと、利政は十兵衛に鉄砲を買いに行かせた。
帰蝶の下に使者として来た十兵衛は、「遂に殿が鉄砲を買う事を認めてくれました」と嬉しそうに報告していた。
信長も国友に1,000丁の鉄砲を予約したと聞くと、十兵衛は信長という武将に興味を持った。
帰蝶への使者は十兵衛が率先的に引き受けていた。
また十兵衛は信秀の評価を高く、傀儡の魯坊丸を低く見ていた。
城に籠もって出て来ない。
見た目が美しいだけの麒麟児など興味を持たなかった。
今では魯坊丸を崇めており、変わり身の早さに驚いてしまう。
帰蝶はそんな話をする為に呼んだのではない。
「他家の姫の嫁ぎ先を勝手に決めてくるなど聞いた事もないわ。謝っていないで申し開きを聞きましょう。十兵衛なりの言い訳があるのでしょう」
「出過ぎた真似を致しましたが、決して嘘は申しておりません」
「どうしてお市が浅井家に嫁ぐ話になっているのかしら?」
「私はお市様が嫁ぐなど、一言も申しておりません」
織田家の情報網から十兵衛が噂を広めているのは明らかだ。
浅井家に織田家の姫が嫁ぐと言いながらお市の京の話をすれば、誰が聞いても浅井家にお市が嫁ぐ事になっている。
浅井家はさっそく嫡男の猿夜叉丸を京極高広の猶子にした。
これはもうお市を貰う気でいる。
「面倒事をこちらに押し付けた自覚はあるのでしょうね?」
「ご安心下さい。近々、浅井家は没落致します。ご迷惑は掛からないと思います」
「詳しく話しなさい」
十兵衛はこれまでのいきさつを話した。
斎藤の嫡男である高政が浅井家家臣の東野家の謀反を早める画策をした。
それに対して、当主の利政がそれを止めるように命じた。
「当然でしょう。父上(利政)の策を兄上(高政)に漏らしたのは十兵衛でしょう。責任を取らされて当然でしょう」
「高政様は近江の方からおおよそを聞いておりました。隠した所で判る事です。織田家との関係もあり、自重して頂く為に全てを告白するのは当然ではないでしょうか?」
「それで逆に織田家への不審を高められたのでしょう」
「一度は納得されたのに、心変わりをされたのは残念な事です」
もうぉ、帰蝶が膝掛けに掛けてある手に顔を沈める。
十兵衛ならば、そうなる可能性も考えていたハズだ。
帰蝶はうんざりと溜息を吐いた。
「相も変わらず民が優先なのね」
「当然でございます」
「その労りの10分の一でも兄上(高政)に回せませんか?」
「今のままで高政様が家督を継がれる事になれば、美濃が持ちません。織田家と戦う事になれば、どれ程の民が苦しむ事になるでしょうか」
「父上(利政)がそう簡単に家督を譲らないでしょう」
「確かに、今のままでは利政様が高政様に譲る事はございません。それはこの十兵衛も承知しております。しかし利政様に何かあれば、順当に高政様が家督を継がれる状況であります。孫四郎様、喜平次様には後ろ盾がございません。最低でも美濃の力を分割する必要がございます」
「父上(利政)はそれを嫌って、二人に後見役を付けていないのよ」
土岐家が没落したのは正にそれだ。
当主が次男に家督を継がせようとして、嫡男と争って国を乱した。
その愚を犯さない為に利政は高政のみに後ろ盾を付けた。
それがここで裏目に出た。
「いっその事、失態を犯して廃嫡された方が、高政様もお幸せではありませんか」
「何を言っているの?」
「本心でございます」
「ですからその民への慈しみを兄上(高政)に回してやって下さい」
「決死の覚悟で織田家との密約を高政様に告げたのです」
「そんな勝手な事ばかりしていると、父上(利政)から罰せられますよ」
「それも覚悟しております」
帰蝶はもう一度溜息を付いた。
揃いも揃って肝心な所で頭が固い。
帰蝶は益々不機嫌になった。
「もっと柔軟かつ臨機応変に動けないのですか?」
「それは何も考えずに動けと言うようなものです」
「そうは言っておりません」
「同じ事です。稲葉様を説得する為に織田家との密約を教えれば、斎藤家を見限って織田家に走りますぞ」
「承知しています。おそらく十兵衛のように織田贔屓に変わるでしょうね」
「そうなるでしょうな」
稲葉-良通と安藤-守就は癖者だ。
利政が勝つと思えば主家である守護の土岐頼芸を捨てる。
織田家が強いと知れれば、利政と高政を捨てて織田家に媚びを売るに違いない。
斎藤家に対して謀反を起こす両家の姿が帰蝶の目に浮かんだ。
「ご安心下さい。我が明智家は民の安寧を一番に考えます。斎藤家が美濃をまとめる方が民の為だと考えております」
「判っております。私も明智の血が流れております」
「では、ご理解下さい」
美濃では帰蝶は明智方の者と思われている。
だから稲葉氏などは織田贔屓の明智家を嫌い、対立姿勢を取っている。
織田家の好きにさせないと言うのが稲葉氏の立場だ。
「帰蝶様が明智の者だからこそ稲葉様は焦るでしょう。稲葉様が密約を知れば、どう動くのか判りません」
「なるほど、それで稲葉家の力を分散したいのね。孫四郎の後見人に明智家が入り、喜平次の後見人に安藤でも入れておこうと言うのですね」
「以前の織田家と同じでございます。利政様に何かあった場合でも『三すくみ』になっていれば、同盟国の織田家の意志を無視できなくなります」
「あぁ、そう言うことですか。それを狙っていたのですね」
「その通りでございます」
ご理解できてよろしかったとばかりに十兵衛は爽やかに笑う。
じと~っと帰蝶がジト目に戻った。
その顔をする十兵衛の腹の中で別の事を考えている。
よく悪戯をされた時に帰蝶を誤魔化す為に向ける笑顔がここで現れた。
「父上(利政)にはどう言って誤魔化したのです?」
参ったとばかりに十兵衛が頭を掻いた。
こういった駆け引きでは身内にはやり難い。
帰蝶は誑かされてくれなかった。
「正直に申しましょう。公方様を誑かしました。高政様が暴走すると同時に、六角家からも攻めて頂きます」
まぁ、開いた口を隠すように手を添えて帰蝶は驚いた。
まさか公方様を動かすなど思ってもいなかった。
「よく公方様が承知しましたね」
「三好家の同盟国の浅井家を討伐する為に出陣されては如何かとお誘いすると、喜んでご承知されたのです。公方様がご出陣されますので信勝殿が援軍に出ても支障はございません」
「よくもそんな悪知恵を働かせましたね」
「利政様のご命令である公方様や六角家に差し障りなく、高政様の希望通りに戦の時期を早め、信勝殿の援軍も差し障りないものにする。巧くまとめるには、この手しかございませんでした」
「つまり、浅井家から動くのを封じる為にお市の輿入れなどという虚言を弄したと言うのね」
十兵衛が頷く。
講和の先にお市という大きな餌を付けた。
浅井家の連中はその餌を求めて、自分から交渉を潰すような事をしなくなる。
見事な詐欺であった。
十兵衛は悪党だ。
三者三様を誑かす極悪人だ。
「一言相談して欲しかったわ」
「思い付いたのが、近江に入ってからでございました」
「連絡を入れても良いでしょう」
「浅井家に漏れれば、全てが御破算になります。そんな危険な事を私がするとでもお思いですか?」
「思わないわ。殿・父上・兄上の三者から十兵衛は不審を買ったのよ」
「ははは、私の不審くらいならば、安いものです」
十兵衛は帰蝶に会う前に末森に寄って、近江の方の手紙を届けている。
信勝は浅井家に行った時の話を聞いてきたので、浅井久政が織田家の姫を欲している事も告げた。
一瞬、信勝は目を丸くしたがすぐに興味を失った。
それより美濃から正式に援軍の要請が届いたのだ。
信光と魯坊丸から止められた信勝は、この二人をどう説得するかを考えるのに忙しいようだった。
「手の平で転がされている信勝殿が可哀そうになってきました」
「公方様が立つまでは、『他言無用』でお願いします」
「判っています。公方様のお怒りを買う気はありません。しかし、この会談の内容は魯坊丸に知れますよ」
「それは仕方ございません」
「で、いつ公方様は立たれるのですか?」
「それは公方様しかご存知ありません。しかし、六角家を調べればおおよその時期は判ると思います」
「美濃はどうするのです」
「高政様はいつでも出陣できるように準備されております。西美濃では早目に刈り入れをするように利政様が通達を出されると思います」
「では、織田家も刈り入れを早めるように進言しておきましょう」
「その方がよろしいと思います」
こうして帰蝶との会談は終わった。
これをどうやって信長に伝えるのか?
帰蝶には難題であった。
さて、会談が終わると十兵衛は魯坊丸と信勝の喧嘩の話を詳しく聞きたがった。
「あははは、流石魯坊丸様ですな。美濃への援軍の話を西三河の攻略に使うとは、感服致しました」
「こちらは笑い事ではなかったのですよ」
「ですが清洲が慌てたという話は聞きませんが?」
「丁度、評定が終わり宴会の席でした」
帰蝶がそのときの事を語る。
清州の宴会場に使者が飛び込んで来て、信勝によって魯坊丸が倒れたという話をした。
皆が騒然とした。
その中で一段と甲高い声で笑ったのは、隠居した内藤勝介であった。
勝介は信長が呼んだ客として宴会に参加していたのだ。
「かかか、慌てなさるな」
「内藤様?」
「いつもの事だ。魯坊丸様が動けば、いつも周りが騒ぎ立てる。恐れ戦き狼狽する者も多かった。だが、損をするのは慌てた者だ」
「内藤様?」
「泰然としておればいい。振り回されるだけ損をするぞ」
「内藤様、しかし、信勝様の処分など色々と問題があるのですぞ」
「どうせ、魯坊丸様が帳尻を合わせる。放っておけ。動けばとばっちりを食らうだけだ」
「どうして落ち着いていられるのですか?」
「かかか、儂も昔はそうであった」
昔、そう言ってもその昔は今年の春の事だ。
京に上洛する前は髪も黒々として若々しかった勝介だったが、帰って来た時は白髪の老人に変わっていた。
那古野城で迎えた信長も驚いた。
足腰も立たない勝介の老け具合に落胆した。
息子に家督を譲りたいと言う勝介の願いを止める事ができなかった。
久しぶり清洲に現れた勝介は、少し精気を取り戻しており、髪は真っ白なままであったが足取りが軽くなっていた。
「なるほど。魯坊丸様を知る元家老の一言で収まりましたか」
「皆が慌てる中で内藤がしばらく様子を見ろと言ったので、清洲は慌てて動かなかったのよ」
「すると、西三河を半分攻略したと言う報告が入ったのですな」
「そういうこと」
「ははは、やはり魯坊丸様を知る方がいる織田家は手強い」
「笑い事ではなかったのよ」
「信長様はどんな顔をされていたのですか?」
「知りません。私の顔は気にならないの?」
「ははは、それはもう見慣れておりますから想像が付きます」
「十兵衛、失礼よ」
「申し訳ございません」
唇を尖らせて拗ねる帰蝶を見て、十兵衛が膝を叩き腹の底から笑っている。
帰蝶には判る。
なぜなら、帰蝶が何かをして失敗した時に見せる笑いだからだ。
ちょっと意地悪で優しい十兵衛の破顔であった。
十兵衛を殺す勢いの信長を帰蝶はどうやって説得したのでしょうね?




