38.光秀、朽木に入る。
(天文22年 (1553年)6月22日)
十兵衛達が東野館に到着した。
そして、東野館と小谷城の近さに驚愕した。
三里半 (14km)しかない。
東野家が離反すれば、その日の内に浅井家は兵を起こして襲うかもしれない。
ただ、この一帯は賤ヶ岳と呼ばれ、狭い谷間が多く、大軍で攻め難い。
しかし、問題は『北国脇往還』であった。
伊吹山の西の麓を走り、小谷城の前を通る街道は坂田郡を見下ろす場所を取る事になる。
川上を全て美濃斎藤家に抑えられるのは嫌がるであろう。
伊吹山の麓になる春照村辺りが妥当であり、そこより先は六角家も首を縦に振らない。
(斎藤)利政が描いた構想は崩れた。
「十兵衛様、朝倉が攻めてきた場合、東野家だけで持ち堪えられますか?」
「街道が狭い為に大軍の移動が容易ではない」
「では、しばらくは持つ」
利三の質問に十兵衛が答える。
北国街道の先は栃ノ木峠を越えて今庄へ続き、また柳ヶ瀬から北西に向かうと敦賀にある。
敦賀と東野の距離は5里 (20km)しかない。
十兵衛は朝倉-宗滴の気持ちを察した。
大永5年 (1525年)、六角-定頼は浅井-亮政の討伐に、朝倉家に援軍を求めた。
六角と朝倉に挟撃された亮政は降伏する。
しかし、奇妙な事に宗滴は亮政の調停役になって浅井家を助けたのだ。
その場は納まったが、何度も亮政が六角家に叛旗を翻した。
3年に1度は定頼と亮政の戦いは続ける事になり、天文7年 (1538年)まで13年も続ける事になった。
「宗滴はやはり食わせ者だな」
「十兵衛様、それはどういう事でございます」
「六角家がこの東野を取れば、越前と敦賀を分断できる。しかも敦賀まで僅か5里であり、北国街道と塩津街道の両方面から攻める事ができる」
「確かに、その通りでございます」
「しかも六角家が北近江を取れば、100万石を越える。兵の数で朝倉家は遠く及ばない」
朝倉家の石高は50万石から60万石程度であった。
三国湊や敦賀湊から上がる利益を入れると、実質の石高はもう少し上乗せできるかもしれない。
しかし、100万石を越えた六角家に及ばない。
敦賀、塩津を六角家に取られれば、その差は更に開く。
とても容認できないと感じたのであろう。
浅井家を助け、準属国化して六角家の盾とした。
定頼が宗滴を恨んだ事は簡単に想像が付く。
「なるほど、それで此度の講和にも朝倉家が浅井家を擁護するのですな」
「そういう事だ」
「問題は小谷城から東野まで3里半しかない。援軍は容易だ。一度、六角家に奪われれば、取り戻す事は容易ではない。また、ここを朝倉家が取ったとしても、守るのは困難だ」
賤ヶ岳の南は、浅井郡と坂田郡の平地が広がる。
兵の動員が容易い。
一方、敦賀や今庄から兵を送るには、山道の街道を越えて行く事になる。
朝倉家に負担が大きい。
つまり、東野は朝倉家にとって『鶏肋』(大して役に立たないが、捨てるには惜しいもの)なのだ。
だから、浅井家に支配させた。
「だが、それは斎藤家も同じだ」
北国脇往還が手に入らなくとも揖斐川を遡り、金糞岳を通って東野に続く山道がある。
東野を手に入れると六角領を通らずに京に向かう道が手に入る。
しかし、東野を維持するのは難しい。
六角家と相互依存の同盟を結び、東野の防衛の一角を任せないと維持できない。
そんな同盟を結べば間違いなく、いずれ朝倉家と戦になる。
「ふふふ、考えても仕方ないか」
十兵衛は考えるのを放棄した。
(斎藤)利政が決断すべき事だと放り出した。
◇◇◇
東野館の主は東野-是成であった。
清和源氏の末裔で源為義13世孫の佐竹行重が祖と言っている。
有事の際は東にある東野山城に立て籠もる。
三つ曲輪と空堀に守られている城で中々に落とし難い。
十兵衛は対面すると強気に攻めた。
「是成殿、いつになれば離反されるのでしょうか? 約定を違えるつもりですか?」
「しばし待って頂きたい」
「此度の離反は六角家と浅井家の交渉であり、東野家に関係ございません」
「そうではあるが待たれよ。ここで離反すれば、公方様に逆らったように映ってしまう」
「知りませんな」
「十兵衛殿、後生だ」
「致し方ありません。全て無かった事に致しましょうか」
十兵衛の言葉に是成が少しだけほっとする。
浅井家への不満はつらつらとある。
伊香郡を全て貰えて、活躍次第で浅井郡を割譲して貰える破格の条件は惜しいが、それも命があっての物種である。
公方様に逆らったとなると、浅井家と六角家の双方から疎まれる。
それは避けたい。
惜しい約定であったが、流れても失う物は1つとしてない。
「では、高政様に送られてきた御手紙を小谷城の久政様に送っておきましょう」
「待たれよ!」
是成が立ち上がって十兵衛に思い止まる事を言上する。
それこそ身の破滅だ。
離反したかどうかでなく、久政の家臣団は制止を振り切って東野家に襲ってくる。
あの連中は裏切りとか、寝返りを嫌う。
交渉の最中などお構いなしだ。
しかも斎藤家の援軍も期待できない。
朽木の講和がそれで御破算になれば、東野家の責任にされる。
「お待ち下さい。十兵衛殿」
「何か不都合でも」
「お許し下さい。この通りでございます」
是成が手を付いて平伏する。
十兵衛は扇子を広げて耳元で囁いた。
「直ちに兵の準備をすると言う手紙を高政様に送りなさい」
「しかし」
「兵の準備をするだけです。浅井家も不穏に思うでしょうが、すぐには動きません」
「それは判ります」
浅井家も朽木で講和交渉を行っている間は騒動を起こしたくない。
登城命令が来てもそれを無視すれば、反意は明らかになる。
だが、それだけでは動けない。
(浅井)久政を煽るのは、その程度で十分だ。
藁に縋りたくなるであろう。
十兵衛の真の狙いはそこにあった。
「兵を集めるのはゆっくりで構いません。7月の中旬以降にいつでも兵を上げられるように準備をして下さい」
「中旬でございますか?」
「その頃ならば、刈り入れも終わっているでしょう」
「確かに」
「その頃に朽木の講和交渉が決裂し、その知らせが届くように手配致しましょう」
「十兵衛殿?」
「あくまで巧くいけばの話でございます。いずれにしろ、知らせが来るまでは小谷城に離反状を送る必要もございません」
「助かる。準備致します」
「是成殿は話の判るお方でよかった」
十兵衛がにっこりと笑った。
散々脅かして、話が判るとか言われても嬉しくもない。
是成は近江の方の誘いに乗って、離反を承諾した事を今更ながら後悔した。
十兵衛は長居もせず、その日の内に東野館を後にする。
◇◇◇
十兵衛一行は余呉湖を左手に見ながら街道を進み、権現峠を越えると塩津街道を迂回して、七里半街道(七里半越)を通って高島へ入った。
海津、今津と近淡海を左手に眺めて進んで行く。
今津から小浜に向かう九里半街道(若狭街道)を通り、保坂で折り返して鯖街道(若狭街道)に入った。
小浜で荷揚げされた荷物は今津まで運ばれ、そこから舟で大津まで運ばれる。
この今津も重要な湊だった。
保坂から朽木の街道が非常識なくらい広くなっていた。
敵の侵入を防ぐ事を考えると、小さな手押し車が道を開けずにすれ違えるのは異常な事だ。
それも道を広げたのではなく、通っている間に道になった感じがした。
十兵衛らは荷物を積んだ手押し車を追い越した。
そして、その前を歩く大きな荷物を背負った商人に声を掛けた。
「大きな荷物を背負っているな」
「朽木に持って行けば、全部売れる。今が儲け時だ。ふんばりたくもなる」
「それほど栄えているのか?」
「公方様とその家来衆、そして、京から避難してきた民など多くが朽木に押し寄せている」
「人が多くなったと言う事か」
「更に京より武家様や公家様が毎日のように訪れている。寺は増築し、商家は店を構え、宿屋ができる程だ」
「朽木では手狭であろう」
「それがそうでもない。織田の兵が木を切り、山を削って、荒地や湿原を埋めている。行く度に土地が増えて家が建っている」
「それ程か?」
「山1つを削りかねない勢いだ」
どうやら京から避難して来た者だけでなく、高島や小浜、高浜、美浜、敦賀などの周辺から仕事を求めて人が朽木に集まっているらしい。
喧嘩やイザコザも多くなってきたが、それ以上に好景気で沸いていると行商人が言う。
「お侍様、朽木に行ったら、一文で入れる風呂屋がお勧めだ」
「一文で入れるのか?」
「並び窯の余熱で風呂を焚いている。また、粗悪品だが朽木の陶器はとにかく安い。あれを買って、他で売っても十分に儲けが出る」
「朽木で窯など聞いた事がないぞ」
「織田家の兵が始めたらしい」
「それも織田家か」
「最初は風呂窯だったらしいが、野焼き代わりに陶器を焼べたそうだ。今では立派な並び窯になっている」
並び窯の横に川から分水した水路を通ると、窯を通った後には流し湯に変わる。
それを流し続ける事で、いつでも入れる大浴場を運営していると言う。
「雨が降ると川が増水して風呂に入れなくなるのが欠点だがな」
「その風呂は河川敷でもあるのか?」
「そうさ。水路は上流から引いているが、その出口は河川敷だ。そこに露天に板を張って、何段もの大浴場を造っている」
その窯場の水路の上流から引いているらしい。
その水路には尾張から取り寄せた水車が回っているのも名物になっていた。
その水車で精粉した小麦から宿屋で出される熱田うどんが作られていると言う。
行商人は宿屋でそれを食べるのが楽しみだそうだ。
「他に何かあるか?」
「俺の楽しみは葛湯だ」
「葛湯か」
「甘い葛湯としょっぱい熱田うどんを交互に食べると3杯はいける」
「それは頂かねばならんな」
「あぁ、お奨めだ」
熱田でも葛湯はあるが、余り多く生産できないので有名になっていない。
しかし、山だらけの朽木では取り放題、作り放題であった。
猪や鹿などの獲物も多く、狩りに苦労しない。
下手をすると熱田より簡単に手に入り、余った分を燻製にして売り出していた。
僅か2ヶ月で小さな村が町になった。
そんな話を行商人は実に楽しそうに語った。
なるほど。
十兵衛は朽木に入るのが楽しみになって来ていた。




