37.光秀、小谷城の会見。(浅井久政の苦労)
(天文22年 (1553年)6月19日)
十兵衛一行は今浜宿から小谷街道を通って小谷城に到着した。
15日に近江に入って、今須から5里 (約20km)に4日も掛かった事になる。
日数を掛け過ぎだろうと思われても仕方ない。
面談を申し込むと、そのまま通されたので少し面喰った。
今日は城下町で泊まるつもりだったからだ。
「斎藤-利政が家臣、明智十兵衛でございます」
浅井-久政は16歳の時に父の亮政を失って、家督を継いで浅井家2代目の当主となった。
猛将であった亮政と比べると線の細い体付きで頼りなく見え、しかも神経質な性格であった。
その為か、冴えない大将と言われている。
しかし、16歳の若さで一癖も二癖もある近江の武将らを率いる手腕は非凡なものを持っているに違いない。
御年、まだ27歳と若く、十兵衛の少し年上の兄くらいだ。
謁見の間で待っていた。
久政は穏やかな表情をして出迎えてくれた。
この笑顔が曲者だと思う。
左右には浅井家の重臣が座っている。
磯野-員昌、大野木-国重、野村-定元、三田村-秀俊であり、自ら浅井家の四翼と称していた。
近江の者は派手さが無いが、生真面目で勤勉な者が多い。
利に聡く、頭の回転が速いのだが、それを表情に出さないので何を考えているのか判らない者が多い。
だが、慎重な者が多い。
四将は御多分に洩れず、そのような印象を受けた。
市中で流れている織田の姫の嫁取りの噂。
お市を浅井家に貰えるかどうかの議論をしていた所に十兵衛が来たと言う報告が上がったようだった。
ふふふ、十兵衛が低く笑う。
噂を流し始めて、まだ数日だ。
まさか、これ程早く小谷城に伝わっているとは思ってもいなかった。
近江の武将は利に聡いと言うのは本当のようだ。
早速質問されたが十兵衛は返答を断って、まずは利政の書状と近江の方の手紙を差し出した。
浅井家と斎藤家の同盟破棄の書状だ。
久政も覚悟していたようだったが眉が少し吊り上がる。
当然、人質の近江の方を返還するべきなのだが、本人が帰りたくないと言っている。
近江の方は父の亮政の娘であり、実の妹になる。
久政の養女として、高政に嫁いでいた。
近江の方は曲がった事が嫌いで、挨拶や礼儀作法を大切にされる。
そして、地味に計算高い。
高政は飾り気が無く、心身共に逞しい質実剛健な性格なので気に入っているようだ。
対する義理の父である久政は近江人に似合わず、調略や策謀を好む。
実家に帰っても、すぐに政略結婚させられるのは間違いない。
そして、おそらく浅井家が負けると考えている。
負ける浅井家に帰りたくないのだ。
「久政様、この責任をどう取るつもりですか?」
「義娘まで見限られるとは情けない」
「久政様、返答は如何に?」
「如何に?」
重臣の方が偉そうに見える。
だが、慣れたように久政も落ち着いている。
当主より家臣団の方が強いのは浅井家だけではない。
どこの家でも気に入らなければ『押し込め』が起こり、当主を変えている。
六角家に服従すると言えば、浅井家は頼りないと思われる。
離反するのが必定であった。
久政の課題は六角家と戦う勇ましさを残し、どれだけ巧く負けて、六角家に北近江を抑えるのに浅井家が役に立つと思わせるかだ。
だから、織田家に姫を送った。
まさか、久政が負ける事を前提に戦略を練っているなど思っていなかった。
むしろ、戦いたくないが家臣を止められない当主と見えていた。
何故ならば、近江の家臣は気位が高い。
皆、浅井家と同じ京極家の被官であった。
浅井家はそこから守護代のような地位までのし上がったのだ。
今は和睦して守護の京極高広を小谷城に迎え、傀儡として仰いでいる。
浅井家の家格は低い。
だから、実力だけが物を言う。
力を示し続けなければならない。
それは美濃も同じである。
特に近江の家臣では佐々木家の末裔や娘など貰っている者が多い。
下手をすると、官位は家臣筋の方が高いなどという事も起こっていた。
久政は辛い立場に置かれていた。
しばしの休憩が入った。
別室で議論が続けられるのだろう。
「十兵衛様、浅井家は何故に朝廷に献金して官位を貰わないのでしょうか?」
「1つは余裕が無い事であろう。もう1つは近江の武将の性格だ」
「性格ですか?」
「朝廷を軽視している訳ではないが、無駄に銭を出す事を嫌う。尾張の信秀様とは対照的だ」
「つまり、見栄を張らないと言う事ですか?」
「そうだ、下手な見栄を張らない。その分堅実だ。兵が少なくとも侮る事はできない」
有耶無耶なお市の輿入れの話より、同盟解消の方が余程問題であった。
休憩が終わると、久政より同盟継続を求める書状を預かった。
「しかと、書状をお預かり致します。しかし、すぐに美濃に戻る訳には行きませんが、よろしいのでしょうか?」
「こちらからも使者を立てておく。後で取り成して欲しい」
「承知致しました。力の限り説得致しましょう」
十兵衛はこれより公方様のおられる朽木に向かう旨を伝える。
これは北近江の北部にある伊香郡の東野家に行く口実だ。
舟を使わないのは十兵衛が舟を苦手にしていると言う事にした。
会見が終わると宴会になる。
磯野員昌らがお市の事を聞いてきた。
お市の話ならば、利三に任せる。
お市の上洛を見て来た利三がお市と魯坊丸の話を嬉しそうに語った。
「従五位相当となると、猿夜叉様と釣り合わぬぞ」
「これは無理か?」
「格式が合わんな」
お市が帝に謁見したとなると浅井家では格式が合わない。
そこに嫁がせるなど不可能である。
「ふふふ、そう焦る必要もございません」
「十兵衛殿は何か良い案があるのか?」
「京極様の猶子とされれば、京極家は三管四職の所司を継ぐお家柄でございます。京極家ならば、従五位下大膳大夫は当然貰えるでしょうし、従四位上中務少輔を頂いても不思議はありません」
「なるほど、良い案だ」
「それならば、高広様も喜ばれる」
「まだ、御子様もいらっしゃらない。丁度良い話かもしれんぞ」
「これは天啓に違いない」
「織田家がこちらの味方になれば、六角家も強く言えまい」
「講和で妥協するのは悔しいが先を見据えれば、悪くない話だ」
計算高い近江の将はそろばんを弾いている。
念の為に言うが、十兵衛は尾張から来る姫がお市でない事を敢えて言わないし、お市が来るとも言わない。
勝手に勘違いすればいいと思っていた。
翌朝、十兵衛は先を急ぐと言って小谷城を後にする。
北の東野家を目指した。
「十兵衛様、遅延の策は巧くいくのでしょうか?」
「問題ない。織田家に使者を送り、お市様が欲しいと言うだろう。これで返事が返ってくるまでは動かん」
「東野家が寝返れば、あといくつかも寝返るかもしれません」
「近江の武将は主君に対して忠誠心が薄いからな」
「その割に裏切りや謀殺の話は余り聞きませんが?」
「そうだな。確かに余り聞かぬ。美濃で寝返りや謀殺が日常茶飯事に起こっているが近江は少ない。ここの者達と話して気が付いたが、生真面目な性格だからだろう」
「そうなのですか?」
「間違いなく生真面目な者が多い。だから、裏切りや寝返りを嫌う。だが、主君に一生忠誠を誓うと言うのではない。主君を替える事には抵抗はないのだ」
「違うのですか?」
「彼らにとって違う。裏切りと主君替えは全く違うのであろう」
「俺からすると同じと思えます」
「そうだな。だが、彼らは主君を替えるだけなのだ。裏切りではないのであろう」
見限られるのは主君が悪い。
働きに見合う恩賞が無いならば、見限って当然と言うのが近江武将らの言い分だ。
利政は東野家に伊香郡を与えると保証した。
だから、東野家は主君を替える。
替えるが寝返りを嫌うので、六角家が軍を上げる前に浅井家に離反状を送る事になっていた。
当然、浅井家から討伐軍が派遣される。
斎藤家はそれに対して反対側から援軍を送るのが基本構想だ。
利政は六角家と時期を合わせる事で作戦を練っていた。
ところが高政はそれを逆手にとって、六角家を出し抜こうと考えた。
離反する時期を早めるように手紙を送り、今月中に離反する段取りを付けた。
半ば成功したように思えたのだが、久政が織田信勝に嫁を送り、六角家と浅井家の講和交渉が始まってしまったのだ。
東野家は交渉が終わるまで、離反を延期すると高政に告げてきた。
高政から十兵衛に課された命は、今直ぐに東野家を離反させろと言う。
無茶な話だ。
十兵衛は直接東野家に向かわず、見聞を広めたいと途中の城主に面談を求めた。
これも東野家に行く為の偽装だ。
少しでも浅井家から疑いの目を持たれたくない者は断るが、情報を仕入れたい城主は受けてくれた。
受けてくれた一人に山本山城の浅見対馬守(浅見-道西)がいた。
浅見家と言えば、浅井家の前に北近江を制した家であり、対馬守の父はその専横ぶりから浅井家に追い出されて失墜した。
既に浅見家の力は失っていたが、気概だけは浅井家に負けていなかった。
北近江にはこう言った家が多い。
浅井家もやり難い事だろう。
そして、十兵衛達が東野家に到着したのは22日になっていた。
浅井家から同盟の三好家が脱落すると、六角家、斎藤家、織田家を相手をする事になる。
完全に弱い者いじめだ。
でも、「簡単に降伏します」と言えないのが、浅井家のお家事情。
史実でも、幕府軍(信長軍)を裏切る浅井家ですが、
上洛戦で北近江の恩賞が少なかったので北近江の武将の不満が爆発しました。
(これはまず間違いない)
浅井長政、久政がどう思っていたのは不明です。
幕府軍に逆らうなど無茶苦茶です。
でも、そうしないと浅井家当主は家臣団によって降ろされる危機だったのかもしれません。
でも、軍記物では「金ヶ崎の退却戦」を生死を賭けた退却戦のように書かれますが、
(秀吉が活躍した場面なので)
本当に、そんなに激しい物だったのでしょうか?
死者数も少ないので信長が先に退いただけで、普通に引けたように思うのです。
なぜならば、有名な武将が亡くなったと残されておりません。
公家様まで出陣し、無事に京に戻れたようです。
そこからそんな推測をしてみました。




