9話
翌朝。
まだ太陽が顔を出したばかりの時間だった。
俺はぱちりと目を覚ます。
「……早いな」
窓の外は朝焼け。
鳥のさえずりが聞こえる。
前世なら絶対に寝ている時間だった。
だが不思議と眠くない。
むしろ胸の奥がわくわくしていた。
目標ができたからだ。
昨日までとは違う。
何をすれば良いのか分からず落ち込んでいた。
だが今は違う。
世界初のアイドルになる。
その目標ができた。
それだけでこんなにも気持ちが軽い。
遠足前の子供みたいなものだろう。
「よし」
俺は勢いよくベッドから飛び起きた。
身支度を整え。
部屋の隅へ視線を向ける。
そこには父様が日に日に増やし続けた勇者セットの一部。
木剣が置かれていた。
「まずは体力作りだな」
アイドルに必要なのは体力。
これは間違いない。
ライブ。
ダンス。
歌唱。
イベント。
全ての土台になる。
そして。
体力作りならちょうど良い物がここにある。
俺は木剣を手に取った。
父様には悪いが勇者になるつもりはない。
だが。
この木剣には存分に活躍してもらおう。
いつかマイクを握るその日のために。
そうして。
俺は木剣を抱え、中庭へ向かった。
途中。
掃除をしていたメイド達と鉢合わせる。
「あら?」
「坊ちゃま?」
皆一様に目を丸くした。
無理もない。
普段のアルトは起こされる側だ。
そんな俺が自分から起きているのだから。
「おはようございます」
「お、おはようございます、坊ちゃま」
驚きながらも挨拶を返してくれる。
中には感動したような顔をしている人までいた。
……そんなに珍しいのか。
珍しいんだろうな。
中庭へ到着する。
朝露に濡れた芝生。
澄んだ空気。
朝日を浴びて輝く噴水。
気持ちがいい。
「まずは準備運動だ」
怪我は良くない。
アイドルに怪我は大敵である。
そこで。
俺は前世で覚えたラジオ体操を始めた。
腕を回して。
体を伸ばして。
屈伸して。
ジャンプする。
この世界には存在しない謎の体操である。
途中で庭師のおじさんが通りかかり、
「新しい健康法でしょうか……?」
と真面目な顔で悩んでいた。
気にしてはいけない。
準備運動を終える。
そして木剣を構えた。
「ふっ!」
ぶん。
「せいっ!」
ぶん。
素振りである。
とにかく振る。
何度も振る。
十回。
二十回。
三十回。
四十回。
「はぁ……はぁ……」
早くも息が上がる。
腕が重い。
肩が痛い。
足もだるい。
五歳児の体力を完全に舐めていた。
「アイドルへの道は遠いな……」
木剣を杖代わりにしながら呟く。
ライブで歌い。
踊り続けるアイドル達。
あの人達は本当に凄かったのだと改めて思う。
だが。
もう一つ問題があった。
「……なんか違う」
振ってはいる。
だが何か違う。
かっこよくない。
型がない。
様になっていない。
「うーん……」
これで良いのだろうか。
せっかくやるなら格好良く振りたい。
そんな時だった。
「坊ちゃまー!」
メイドの声が聞こえた。
「朝食のお時間ですよー!」
救いの女神だった。
「今行きます!」
俺は即座に返事をした。
悩んでいても仕方ない。
分からないことは知っている人に聞けばいい。
そして。
この屋敷には最適な先生がいる。
朝食の席。
父様と母様が既に席についていた。
「おはようございます」
「おはよう、アルト。今日は随分早起きだな」
父様が目を丸くする。
「はい」
席へ着く。
そして迷わず本題へ入った。
「父様」
「どうした、アルト?」
「僕に剣術を教えてください」
静寂。
数秒。
父様が目を見開いて固まった。
母様も目をぱちくりしている。
「……今、なんて?」
「剣術を教えてください」
もう一度言う。
父様の手が震えた。
「アルトが……」
震える声。
「自分から剣術を……」
まずい。
なんか反応がおかしい。
次の瞬間。
父様は勢いよく立ち上がった。
「よし! 今日からだ!」
「え?」
「今日から父様が直々に教えてやる!!」
満面の笑みだった。
少し目も潤んでいる。
何故だ。
隣では母様が嬉しそうに微笑んでいた。
「ふふっ」
「元気になってくれて本当に良かったわ」
どうやら二人とも勘違いしているらしい。
俺はそこまで本格的なのは求めてないんだが……。
だが。
まあいいか。
アルトの記憶の中の父様はとても強かった。
訓練場で兵士達を相手に木剣を振るう姿。
何人もの兵士を相手にしても圧倒していた光景。
幼いアルトはその姿を見るたびに、
「父様すごい!」
と目を輝かせていたものだ。
せっかく父様が教えてくれるのだ。
遠慮なく甘えさせてもらおう。
そう考えながら朝食へ手を伸ばす。
焼き立てのパンを一口。
「おいしい……」
思わず声が漏れた。
運動した後だからだろうか。
いつも以上に美味しく感じる。
体を動かした後の食事は格別らしい。
なるほど。
確かにその通りだ。
朝から素振りをしただけなのに、普段より何倍も美味い。
そんな俺を見て。
母様は嬉しそうに微笑み。
父様は既に今日の訓練内容について熱弁していた。
「まずは足腰だ!」
「剣とはな!」
「姿勢が重要でな!」
完全にやる気である。
そして。
周囲に控えているメイド達もどこか嬉しそうだった。
いつも通り立っているだけのはずなのに。
なんとなく表情が柔らかい。
目が合うと微笑まれたりもする。
「坊ちゃまも旦那様方も元気になられて何よりです」
近くにいたメイドがそう言った。
その一言でなんとなく察した。
俺が落ち込んでいた間。
父様も母様も心配していた。
そして。
それを見ていた屋敷のみんなもまた心配していたのだろう。
少しだけ申し訳なくなる。
同時に。
少しだけ嬉しくもなった。
「アルトにはまず、王国剣術の基礎のだな……」
父様は既に訓練計画を組み始めていた。
あれも教えたい。
これも教えたい。
そんな気持ちが伝わってくる。
本当に俺のことを大切に思ってくれているのだろう。
だからこそ。
少しだけ申し訳なくなる。
すまない父様。
俺が目指しているのは立派な剣士ではなく。
最高のアイドルなんだ。




