母は「雨に連れていかれた」
数年前。
大雨の日。
川が、増水した。
村を守るために、
母は外へ出た。
止める間もなく。
そして――
帰ってこなかった。
安八太夫はすでに
一度、大切な人を失っている
それが“水・雨”によるものだった。
母は雨の日にいなくなった。
そして――
雨音は雨を呼ぶ。
(私が、連れていったんじゃないか)
あの日、
雨が、強く降っていた。
「ちょっと見てくるね」
母が、そう言った。
早霧が叫ぶ。
「危ないよ!」
清乃、
「増水しています」
雨音は、
何も言えない。
ただ、
袖を掴む。
母は、
しゃがんで、目線を合わせる。
「大丈夫」
笑う。
「すぐ戻るから」
そして、
戻らなかった。
雨の記憶
水の中。
音はない。
光も、遠い。
雨音(夜叉姫)は、
目を閉じている。
意識が、深く沈んでいく。
龍神の力が流れ込む。
川。
海。
雨。
すべての“水の記憶”。
その中に、
ひとつだけ――
異質なものが。
(……これ)
意識が、引き寄せられる。
止められない。
流れに、飲まれる。
視点が切り替わり
雨音が、落ちる。
記憶の中へ。
雨が、降っている。
強い雨。
視界が、白い。
小さな手が、
誰かの服を、掴んでいる。
(……あの日)
母が振り向く。
濡れた髪。
優しい顔。
「大丈夫」
(違う)
すぐに否定する。
でも、記憶は止まらない。
母は、しゃがんで、
目線を合わせる。
「すぐ戻るから」
雨音(幼少)は、言えない。
止めたいのに。
声が出ない。
手が袖を、強く握る。
母は、その手を、
そっと外す。
温かい。
柔らかい。
最後の接触
その温度が――
離れる。
スローモーションで、
母が、立ち上がる。
背を向ける。
歩き出す。
雨が
強くなる。
音が、消える。
雨が――
集まっている。
気づき
(……あれ)
幼い自分の視点と、
今の自分の視点が重なる。
見える
雨が、
母の周りに集まっている。
まるで――
“呼ばれている”ように。
(……私)
(あの時……)
(私が、雨を呼んだ)
心が、揺れる。
(違う……!)
でも
止まらない。
母の背中が遠ざかる。
小さくなる。
霧の向こうに、
消える。
戻ってこない。
何もない。
ただ――
雨だけが降っている。
目を、見開く。
呼吸が荒い。
水の中なのに、
息が苦しい。
手が震える。
言葉が
「……ちが……」
否定したい。
でも――
龍神の力が、
“事実”として見せてくる。
あの日、
雨は自然じゃなかった。
“自分”だった。
静寂
すべてが、止まる。
罪悪感。
後悔。
恐怖。
全部が、一気に来る。
その中で一つだけ、
浮かぶ。
母の声(記憶)
「大丈夫」
あの言葉は、
真実じゃない。
でも
嘘でもない。
母は、
知っていた。
(私のこと……わかってた)
水の中なのに、
涙の感覚がある。
ゆっくりと、
目を閉じる。
(それでも)
(それでも私は――)
水が、応える。
龍神の気配が、
わずかに変わる。
龍神(遠く)
「……なるほど」
罪を抱えたまま、
それでも進む。
それが――
夜叉姫。




