前夜
その村では、雨が止まって三年が経っていた。
田は割れ、川は枯れ、空はただ青いだけ。
そして――
「今年こそ、“夜叉ヶ池”に捧げねばならぬ」
村の長、安八太夫は静かにそう言った。
安八太夫には、三人の娘がいた。
長女、早霧は気が強く、村一番の美人だった。
早朝の霧が立ち込めた時に生まれた。
現実から逃げがちで、最初に拒否する「普通の人」。
次女、清乃は賢く、誰より現実的であった。
損得勘定で判断するタイプで、合理的に拒否する人。
そして――
末娘の雨音。
これが、転生した俺だ。
雨音が生まれたとき――
晴れていた空が、突然崩れた。
静かに降り始めた雨。
やがて屋根を打つ音が村中に響く。
そのとき母が言った。
「この子は、雨の音と一緒に来たのね」
そこから「雨音」と名付けられた。
どうやら、俺の呪いをこの娘は受け継いだらしい。
姉たちは、それぞれ本音を吐いた。
その夜、家の中は重かった。
「……なんで私なのよ」
「死ぬくらいなら逃げるわよ、当たり前でしょ」
長女が吐き捨てる。
「冗談じゃない。死ぬなんて無理」
「生贄なんて非効率よ。他の方法を探すべき」
「他の家から出せばいいじゃない」
次女も続く。
静まり返る部屋。
誰も“やる”とは言わない。
父、安八太夫は苦悩する。
何も言わなかった。
いや、言えなかった。
村を救うためには、生贄が必要とは。
だが――
娘を差し出す父など、本当は存在してはいけない。
「……わたしが行くよ」
雨音がぽつりと、声が落ちた。
二人の姉が振り向く。
「は?」
「ちょっと、何言って――」
(……まあ、そうなるよな)
心の中で、俺はため息をついた。
そう。
俺は知っている。
この世界の理不尽さも、この村の限界も。
そして――
自分が“普通じゃない”ことも。
俺の雨の記憶。
転生してからも、変わらなかった。
俺の周りだけ、空気が湿る。
祈ると、雲が集まる。
感情が揺れると――雨になる。
(たぶん、これが原因だ)
干ばつ。
偶然じゃない。
俺が“呼んでない”だけで、雨は、きっと呼べる。
だが呼ばないと、雨はやってこない。
うん、決意した。
「どうせなら、有効活用しないとな」
小さく呟く。
生贄?
違う違う。
これは――
「交渉だ」
父は、つぶやいた。
「……本当にいいのか」
初めて、父が声を震わせた。
俺はうなずく。
「うん」
「でもね、お父さん」
一歩近づいて、微笑む。
「ちゃんと帰ってくるから」
姉たちは、動揺した。
長女は目を逸らし、何も言えなかった。
次女は唇を噛み、拳を握った。
誰も止めない。
止められない。
だがその夜、夢の中で声が響いた。
よくぞ、決意した。
《水属性魔法 Lv.∞ を獲得しました》
《龍神の加護を取得しました》
は?
ちょっと待って、いきなりチート来たんだけど。
そして、翌日。
白装束で、静かな朝。
村人たちの祈り。
そして、雨音は山へ向かう。




