ある教授の元に、差出人不明の恋文が届いた理由。(1/5)
雨上がりの放課後だった。
別校舎での授業を終えたミネットが本校舎に戻ると、扉の脇に控えていた学園付きのメイドが近づいてきた。手にはヘラとブラシを持っている。
「道具をお貸しくださいませ。小生は自分でやりますので」
ミネットはそう言うも、
「いいえ! 今日こそはわたくしたちにお任せいただきますよー。はい、こちらの椅子に座ってくださいませー」
「いえ、小生は――」
「ささ、座って座って」
押し切られて、廊下の脇の椅子に座らされた。
メイドは椅子の前で屈み、ミネットの靴の底や側面にヘラを当てて泥をこそぎ始めた。
「雨、止んでよかったですねぇ、ミネット様。まだまだ道はぬかるんでいますけれど――」
なんて話しながら、靴底の隙間に入り込んだ泥はブラシで落とす。手際がよく、ほんの数十秒で靴は綺麗になった。
「――はい、どうぞ! 綺麗になりましたよ、ミネット様!」
「……ありがとうございます」
ミネットは丁寧に礼をして、その場を後にした。
他人に世話を焼かれるのは、苦手だ。どうしていいかわからなくなるから。
さて、生徒会室に入ると、オディロンがソファーに寝転んでいた。
彼はミネットを見て「やあ」と片手を上げた。
「ごきげんよう、ミネット。調子はどうだい? こうも雨続きだと、どうにも気分が上がらないよね」
「ごきげんよう、オディロン様。……オディロン様は、本日、もう一つ授業があるはずでは」
「……はっはっは、雨で気分が上がらなくてさ」
サボりらしい。
「ほら、たしか、カロル嬢が“天気の変化で頭痛を起こして体調を崩す体質”だろ? 俺もそうなんだ」
「そうなのでございますか。初耳でございますが」
「うん。今日からそうなった」
「……さようで」
カロルが聞いたら本気で舌打ちをしそうな言い訳である。
いつも通りなオディロンを尻目に、ミネットは書記の机についた。山積していた書類が、少し減っている。カロルのおかげである。とはいえ、仕事がなくなったわけではない。
……仕事を始めてから数分もしないうちに、ドアノッカーが分厚い扉を叩いた。
誰か来たらしい。
「失敬。ミネット君はおりますかな? 相談したいことが――」
と言いながら生徒会室に入ってきたのは、ひげ面の老紳士。教師のジルベールだ。
彼はソファーに寝転ぶオディロンを見て、
「――オディロン殿下。この時間は、授業があるはずでは」
予想外とでも言いたげに、顔をしかめた。
「やあ、ジルベール先生。調子が悪くて、休んでいるところなんだ」
「では、お帰りになって、しっかりとお休みになるのはいかがですかな」
オディロンはにっこりと笑った。
「いや、その必要はないですよ。ずいぶんとマシになったところでね。というわけで、ジルベール先生。その相談とやら、私にも聞かせてくれます?」
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「……なるほど、連日、生徒と思しき匿名の相手から恋文が届いて困っている、と。それはそれは……」
オディロンはとても楽しそうである。
反対に、ジルベール先生は顔をしかめっぱなしだった。
「笑い事ではないのですよ、殿下。不文律にもあるでしょう、『教職員への恋慕は厳に慎むべし』と」
「そんな不文律あったっけ。ミネット、聞いたことあるかい?」
「ございません」
「あるのです。……昨今、あまり言われなくなりましたがな」
ジルベールは咳払いをして「ともかく」と言った。
「教師への恋慕は不幸を生みます。穏便に諦めさせたいのです」
「なるほど。では、恋文を見せていただけますでしょうか」
ミネットがそう要求すると、ジルベールは一瞬、嫌そうな顔でオディロンをちらりと見た。
「……ここで、ですかな」
「おやおや、ジルベール先生。私が他人の恋文を見て楽しむような男だとでも思っているのかい?」
オディロンが爽やかな笑顔を浮かべた。
ミネットとジルベールが半目になる。思うもなにも、そういう男だろう、と。
その時、生徒会室の扉が開いて、副会長のカロルが早足で入ってきた。小脇に書類を抱えている。
「ごきげんよう――って、あら? ジルベール先生、どうしてこちらに?」
「実はね、カロル嬢。ジルベール先生の元に匿名の恋文がいくつも届いて困っているそうなんだ。誰か突き止めたいのだと」
カロルは書類を副会長の机の上に積んで、爽やかな笑顔でソファーに座った。
「拝見いたしましょう、その恋文。ええ、解決せねばなりませんわ」
「……カロル君も楽しもうとしていないかね?」
「いえ、そんなことはまったくありませんわ、ジルベール先生」
ジルベールは嘆息して、懐から便せんの束を取り出し、机に置いた。
生徒会の三人が、それぞれ一通ずつ手に取って目を通す。
「ふむ……」
ミネットは恋文を明かりに透かして、じっくりと観察する。
「上質な紙ですね。新しいものに見えます。差出人は書かれていませんが、宛名はしっかりと記されておりますね。『ジルベール・ド・ラ・ギモーヴ先生へ』と。教授ではなく先生と書くあたり、生徒からの手紙なのは間違いなさそうでございます」
オディロンが一節を読み上げる。
「『先生の書いた春の詩は、読むたびに青い空と緑いっぱいの山々の情景が、目の前にあるように浮かびます。私は先生の一番のファンです。そして、その詩が、私への愛を綴ってくれるならば、これほど嬉しいことはございません』――情熱的だな。愛を綴ってほしいだって。ていうかジルベール先生、詩を書かれるのですか」
「若い頃に少しだけ。自慢ではありませんがなかなかに好評で、詩集も一冊……、いや、今はよいことです、殿下。……なにか、わかりそうですかな? こんな手紙、やめさせなければなりません」
ジルベールが頬を赤くして問いかけると、満面の笑みで恋文を次々に読んでいたカロルが、
「そう邪険にする必要はないのではありませんか、先生」
と、不満げな視線をジルベールに向けた。
「先生はいま、独身でいらっしゃいますよね? こんなにも愛を向けられているのであれば、きちんと答えてさしあげるべきでは?」
「そうだぞ、ジルベール先生。きちんと対面した上で、今後のことについて前向きに話し合うべきなんじゃないかい?」
「独身ではありますが、生徒ならば四十は歳が離れておりますぞ。答えるもなにもないでしょう。……やはり面白がっておられますな、お二方」
「「いいえ、そんなことは」」
オディロンとカロルが、声を揃えて言った。ミネットは半目で二人を見た。
「小生、愚考いたしますに……対面したくとも、差出人がわからないから生徒会に来たはずでございます」
そして二人は揃って黙った。言われてみればそうだった。
「この手紙は、本日も届いたのでございますね?」
「そうです。授業後、研究室に戻りますと、一通届いておりました」
ミネットは少し考えて、言った。
「研究室を見せていただいてもよろしいでしょうか」
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