新人アイドルと愉快な仲間たちと僕③
再び教室に戻ってきた僕たち三人は溜息をついていた。
「まあ……僕もお金がかかることはわかっていたよ。曲だけじゃなく、衣装とか、物販で売るためのグッズを作るのとか……活動費がバカにならないってことはさ……」
わかっていた。わかってはいたのだが……。
正直に言おう。僕はバイト代をほぼすべて推しに突っ込んできたから、まったく貯蓄がない。
僕の隣で柊木さんが手を挙げた。
「ルゥ、ちょっとなら貯金ある~!」
「ダメダメ! アイドルにお金出させるとか絶対ダメ! 本当なら運営の立場である僕はアイドルの稼働に対してちゃんとお金を払わなきゃいけない立場なんだから! あとでちゃんとチェキ券のバックとか交通費とかどうするか整理しようね」
僕の説明に柊木さんは不思議そうに首を傾げているが、白樺さんは少しほっとしたような顔をした。
「椿くんがルゥちゃんのお金のこともちゃんとしてくれるみたいで安心したわ。でも、活動費はどうやって捻出するつもりなの?」
「僕、土下座して借金を申し込もうと思う……」
僕の言葉に白樺さんは目を丸くし、柊木さんはなぜかワクワクと目を輝かせた。
「ま、まさか、椿くんは闇金に手を出すつもり……?」
「カンカンP、えんよーぎょぎょー? 臓器売られるぅ?」
柊木さんはなぜ僕が闇金に借金を返せない前提で期待を込めた瞳をするのだろうか。
「いやいや、闇金もさすがに未成年には金を貸さないでしょ……。まあ、これから僕が頼ろうとしている人はある意味、闇金よりも怖い存在だけどね……」
自分の体を抱きしめながら震える僕を、柊木さんはキラキラした瞳で、白樺さんは不安そうに見つめていた。
※
椿媛子は僕、椿寒三郎の姉であり、椿家の長子である。
「媛子姉さん! 僕にお金を貸してください!」
「ふうん?」
三つ指を突いて土下座する僕の頭を、媛子姉さんは電子タバコを燻らせながら、綺麗なペティキュアの施された足の先でぐりぐりと弄んだ。僕からは見えないが、きっと姉の黒子のある口元にはうっすらと楽しげな笑みが浮かんでいることだろう。
「寒三郎ちゃん、私が躾けてあげただけあって土下座が上手になったわねえ?」
ここは本来は家族の憩いの場であるべき我が家のリビングルームだ。母親好みのカントリーテイストな優しく暖かいデザインのソファーやダイニングセットや飾り棚、カーテンが並んでいる。通常は心温まる家族の会話が交わされるべき場所。
それなのに、今の僕の体感温度は氷点下だった。
僕の借金申し込みを見届けに来てくれた柊木さんと白樺さんも引き攣った表情で固まっている。柊木さんですらそんな顔をするということは、他者から見ても相当な空気感であるに違いない。
「カンカンPのおねーちゃま、すっげ~! こっえ~!」
「しー!」
白樺さんの手が慌てて柊木さんの口を押えた。
媛子姉さんは風呂上りなのか、濡れた髪を垂らし、薄手のキャミソールワンピを身に着けているだけだった。まるでショーモデルのような日本人離れした体型を惜しげもなく披露している。この姉の存在を同級生の男子たちからは羨ましがられるが、僕にとっては地獄からの使者にしか見えない実姉である。
媛子姉さんは手にした扇子で扇ぎながら、柊木さんに目を向けた。
「なるほど。そちらのお嬢さんをアイドルとして売り出したいということなのね」
すでに希望する借金額と理由はメールしてあった。媛子姉さんは事前情報なしでのお願い事を嫌うから。
もし機嫌を損ねたらどうなるか?
僕の数々の失敗については話すのもおぞましいし、思い出したくもない。
「貴女、アイドルになりたいの?」
媛子姉さんの言葉に、素直にコクンと頷く柊木さん。
媛子姉さんはその様子を見て目を細めて柔和に微笑んだ。どうやら柊木さんをお気に召したようで、僕は土下座態勢のままホッと胸を撫でおろした。
「そちらのお嬢さんは? 貴女もアイドルになるの?」
急に話を振られた白樺さんは、慌てて首を横に振る。
「わたしはこの子の付き添いで来ただけなので……」
「ふうん? どうせなら貴女もアイドルをすればいいのに」
「え……?」
「ソロよりもグループの方が今は主流なのでしょう? タイプの違う女の子を揃えた方が、ファンも付きやすいでしょうし」
アイドルには詳しくないはずの姉の慧眼に、僕はただ平伏すのみだった。
実際、僕も考えてはいた。ソロよりグループの方がアイドルの見せ方としてバリエーションが豊富で、たくさんの工夫ができるだろうことは。
ただ、柊木さんの性格を考えると、一緒に活動するメンバーの人選には慎重にならざるを得ないとも思えた。だから、しばらく様子を見てからと思っていたのだけれど、もし白樺さんがメンバーになってくれるなら、これ以上の最適解はないだろう。
「みーたん、みーたん、アイドル一緒する~?」
柊木さんはワクワクと目を輝かせながら白樺さんの手を取った。
「ぼ、僕からも是非考えてみてほしいな!」
土下座しつつ上目遣いに白樺さんの様子を窺うと、彼女は困ったように眉を八の字にしていた。
「わたしがアイドルなんて……できるかしら? さすがにすぐには決められないわ。少し考えさせてくれる?」
「そ、そうだよね! 白樺さん、アイドルには詳しくないもんね。不安なこととか訊きたいこととかあったら何でも聞いて! もしよかったらアイドルのライブを見学に行こうよ!」
「わ~い! みーたんとお出かけ、みーたんとアイドルの現場~!」
相変わらず僕だけ土下座を継続しているのでかなりヘンテコな絵面ではあるのだが、メンバー候補ができたことに僕の胸は躍った。
そんな僕たちを媛子姉さんは微笑みながら見守っていたのだが、ふと思い出したように口を開いた。
「ところで寒三郎ちゃん。あなた、税金のこととかはちゃんとお勉強してるの?」
「え……?」
キョトンとした僕の顔を見て、媛子姉さんの顔から柔和な笑顔が一瞬で消えた。代わりにそこにあったのは、凍てつくような鬼の面だ。
「バカか、お前は……!」
媛子姉さんは氷のような声を吐くやいなや、ソバットの要領で僕の横っ面を思い切り蹴り飛ばした。
「ぶっふぉあああ!」
「カンカンP~!」
「椿くん!」
僕は蹴りの衝撃で吹き飛び、床をころころと転がって仰向けに倒れた。さらに追い討ちをかけるように、僕の顔を姉の脚が踏み潰す。ペディキュアの施された媛子姉さんの足の指が、まるで猛禽類の脚が獲物を掴むように僕の顔に食い込んだ。
「ぐぎゃああああ! 痛い! 痛痛痛いぃぃぃ!」
カモシカのように細く美しい姉の脚は、僕が腕に精いっぱいの力をこめて掴んでもびくともしない。それどころか、媛子姉さんからの加圧はどんどん増していき、僕の鼻骨と頬骨がミシミシと嫌な音を立て始めた。
「お前な、自分主体で稼ぐならその分、義務と責任が生まれるんだよ……! 労働や下請け関係の法律、あとは会計についてもしっかり勉強しろ。いいな?」
「は、は、はいいいいい!」
ようやく姉の脚から解放された僕は、お奉行様を前にした農民のように床に頭を擦り付けて土下座した。
「わかればいいのよ、寒三郎ちゃん」
媛子姉さんは再び柔和な笑顔を取り戻していた。姉はテーブルの上の紙封筒を手に取ると、中身を見せてくれた。高校生にとってはかなりの大金が記載された通帳とキャッシュカード、その口座の暗証番号と思しき数字を書いたメモ、それから印鑑ケースも入っていた。
「勘三郎ちゃん、貴方ならわかっていると思うけど、私には博愛精神なんてないの。これは貴方への投資だと思って頂戴」
「は、はい……」
「姉弟といえど、お金の貸しは貸し。きちんとお利息を頂いた上で返済してもらうわね。活動が軌道に乗るまでの期間が過ぎてから返済を開始するとして……」
媛子姉さんは、ある時期からある利息で毎月いくらずつ返済する(繰り上げ返済あり)の借用書を作り、僕にサインを求めた。僕は震える手で姉から万年筆を受け取り、署名する。
「未成年では契約できない事柄とか、保護者のサインが必要なものは、私の名前とその印鑑を使っていいわよ」
「え、え、え? い、いいの……?」
「もちろんよ。好きに使って頂戴。私は忙しいから、貴方に都度都度押印を依頼しに来られても面倒なのよ。とはいえ。もし一回でも返済が滞ったら……あと、貸してあげた私の名前に傷を付けるような行動をしたら……。ないとは思っているけれどね、勘三郎ちゃん。もし、そんなことがあったら……」
言葉を切った媛子姉さんはニヤリと口の片端だけを吊り上げて悪魔のように嗤い、閉じた扇子の先端を僕の眉間に突き付けた。
「私……貴方を本気でコロスからね?」
媛子姉さんの顔は笑ってはいるが、その声と目に暖かい微笑み成分は皆無だった。
つまり、この人は冗談を言っていない。
パチンと扇子の縁で僕の頬を軽く叩く媛子姉さん。死んだ目で震えあがる僕を見て満足げに微笑むと、姉は自分の部屋へと引き上げていった。




