開幕競技
■ナゴミノ地区■
■朝の光が射し込む部屋■
「……」
目が覚めると、懐かしいような匂いが漂ってきた。
薬品の匂いであることが分かって、クライスは己が病室のベッドに寝ていることに気付く。点滴が見えたことで確信した。
体を起こそうとしたが、腹に感じる激痛に動きを止められてしまう。
患者服姿のクライスは、自分に起きたことをゆっくりと思い出す。
(……ジャスミン)
会場での乱れたちの襲撃。
その混乱の中で、ジャスミンが敵の一人に捕まってしまった。
それを阻止しようと動いたが、不覚にも小太りの男の攻撃を避けられず、食らってしまったようだ。
耳に残る彼女の声が、頭をずきずきと刺激する。
「……なんてことだよ」
最強のスキルがあってもこの様で、守りたい者すら守ることが敵わない。
思っていた以上に、乱れの波動の中で戦うのは困難で、自分自身の力を思ったように出せなくて、あんな相手にも不覚を取ってしまった。
(いや)
あんな相手にもというのは間違いだ。
いくら全力を出せなかったとしても、一撃で肉体を砕いた尋常ではない攻撃力。クライスの殺気に反応し、見事なタイミングでのカウンターを決める技術。
おそらくは能力超過しているであろう強敵。
それに奴は純粋な能力だけではなく……と、思案に沈んでいく。
(奴は強い。下手すると悪辣王に次ぐレベルで)
速力なら負けないとは思うが、敵の本質は肉弾戦を得意とするパワーファイター、そもそも勝負する土俵が違う相手だ。
これが例えば儀攻戦であれば、その速力によって相手を抜き去って、完勝することも可能だったかもしれない。
しかし相手を倒す必要がある実戦では……。
(……どうする。というか、どこにいる?)
ジャスミンを攫った、ハーディンの行方は分からない。
あれから何日も経過しているかも知れないが、もうソルジャーたちは彼の行方を掴んでいるのだろうか?
色々な不安が頭を巡っていく中で、病室のドアが勢いよく開けられた。
「クライスさんっ、目が覚めましたか!!」
「……ポーラ」
病室に入ってきたのは友人のポーラ。
白いカーディガンを着た普段着スタイルで、安堵と焦りを混ぜた顔を見せた。
涙目でクライスの下へと歩いてくる姿は、慈愛や気遣いの女神のようにも感じる。
ふと、彼女の冷たい一面を思い出して頭を振るが。
「……ポーラ、何があったか話してくれ」
「……!!」
真剣な表情で問いかけるクライスは、今にもベッドを飛び出しそう。
ポーラはそこに秘められた想いを受け取って、慎重に次の言葉を選び、それを出した。
「はい、あの後……」
■ランスが主催したイベント■
■ファイター達の祭り■
■その顛末■
「残念ながら、ハーディンは取り逃しました。ほとんどの乱れを捕縛しましたが……一部は体内から破裂して死亡しました」
「破裂……」
「当然変異死。何件か同じ事例はありますね。原因は未だに不明ですが」
「……」
■味方にも怪我人は出た■
■とはいえ、犠牲者数はいなかった■
■今回の襲撃は、あまりに不合理かつ無謀なもの■
■どう考えても乱れ側の不利な状況だ■
「乱れ側も、会場内の人間を皆殺しにする気ではなく、時間稼ぎのような感じでしたし」
「つまり」
「初めからジャスミンさんを狙って……襲撃を仕掛けたのかもしれませんね」
「……」
ジャスミン一人を捕まえるために、あれほどの騒ぎを起こしたというのか?
クライスは疑問を感じたが、漆黒のナイトから聞いていた情報を思い出して、そこまでおかしい話じゃないのかもしれないと思った。
悪辣王の一味の行動が活発になった最近。島の各地で不穏な事件を起こす、その動きの傾向が分からないことが分かった。
(口封じすることもあれば、仲間の目的に協力することもある。自分勝手に動いているとしか思えない)
だからといってここまで行動を起こしたのは、やはり重大な意味があるのではないか。ジャスミンは悪辣王たちにとって重要な存在?
そんな風に思考してしまうこと自体が、危ういのだろう。
奴らは、リスクとリターンの基準が狂った者たちなのだから。
「主催者……ランスさんも重傷を負いました」
主催者も襲撃された。
席を外した際に襲われて、敵と交戦したと見られている。
「それで……ジャスミンさんの行方ですが」
「!」
「残念ながら、足取りは掴めていません」
■沈痛な空気がその場に満ちた■
■クライスは表情に影を落とす■
(どこに……)
ジャスミンを連れ去った、ハーディンという人物。
ポーラによれば旧貴族という島外出身の人物で、島に来る以前の経歴については謎が多いらしい。
しかし、旧貴族という経歴ももしかしたら虚偽のものかもしれない。ソルジャーたちがマークしていたハーディンは偽物で、本物はジャスミンを捕えるために潜伏していたのだから。
偽のハーディンは完全に壊れてしまい、情報を引き出すことが叶わない。
思えば、この偽ハーディンによって攪乱されたことも、今回の襲撃の被害が大きくなった原因と言えた。
「――失礼する」
■その時、病室の引き戸が開き■
■銀髪の男性が入室した■
「あ、ゼノさん……」
「ポーラ。悪いが席を外してくれるか? 一応な」
「……分かりました」
■ポーラが退室して■
■ゼノは、クライスに真面目な視線を向ける■
「話を聞きたいが、いいかね?」
「……」
クライスは、断ったところで無理矢理にでも聞き出そうとする気迫を感じた。
追い詰められて、切羽詰まっている人間特有の気配。
ただそれはクライスも同じことで、ジャスミンについての情報を少しでも多く欲しいところであった。
あの襲撃はニュースにもなった。ポーラの話では、サーシャたちも色々と動いているようだが、手掛かりは掴めていない。
ならば、ソルジャーの第二位であるというゼノに協力し、少しでも情報を集めなくてはとクライス。
「君の求めていることは分かっている。……ジャスミンというファイターの行方だろう?」
「!」
「クライス君。僕にハーディンに関する情報を提供してくれれば、必ず相応の見返りは用意しよう」
■ジャスミンの名を聞いた途端、クライスの表情が雰囲気を変える■
■彼の目に焼き付いている太陽の女は、いまだにその熱を誇示していた■
●■▲
「見つからんさ、絶対になァあああ」
■ハーディンの拠点■
■時刻は不明■
重量感のある肉体を、ダイニングチェアにどさりと腰かけ、フォークにスパゲティを巻き付けているハーディン。
テーブルに置かれた料理は、彼の好きなミートスパゲティ。
満面の笑みでフォークを回転させるハーディンは、ソルジャーたちの動きに想いを馳せる。
どうやらハーディンたちの行方を追っているようだが、彼らには乱れの気配を消す術があるのだ。そう簡単に見つかりはしない。
さらに、ハーディンはその中でも特に用心深く、拠点を度々変えながら生活していた。
「ぐっふっふ。王が帰還する前に済ませてしまおうかァア。我らの大仕事をなァ」
薄暗く不気味な部屋には、二人の人物がいる。
一人は食事を行っているハーディン。
もう一人はその対面に立つ女性。
「……」
「ジャスミン。食べるかア? ぐふふ」
攫われたジャスミンは両腕を繋がれた鎖によって吊り上げられ、顔をうつむかせていた。
着ている衣服は、何かのアニメのキャラが着ているようなファンタジー色強い見た目で、それのスカートの部分に目を遣るハーディン。
ねっとりと絡みつくような視線は、彼の大きな特徴と言えるかもしれない。
「ぐははは、何とも良い眺めェえええ。愛いのォオ」
「……!」
ハーディンは最高の気分で、己の視界を称賛している。
逆にジャスミンは己の視界を拒否して、目を必死に閉じていた。
何故ならこの室内のどこを見ても、地獄しかないのだから。
「ぐふ」
床を見ると写真がある。
テーブルの足にも写真があり。
ジャスミンの足元にもジャスミンがあり。
写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真写真の群れ。
■部屋の壁や床にまんべんなく貼り付けられた、写真多数■
■そのすべてに映っているのは、ジャスミンという存在■
「まず儂は貴様が生きていると知った時、あらゆる手段を使ってこの部屋を作った。やはり直接見る方が美しいが、どうだ儂の愛の結晶ゥウうううはッ」
異常空間で何の気兼ねもなく食事を進める。
ジャスミンはその異様な精神性に恐怖し、体を大きく震わせた。
「このノートに……儂の想いは秘めてある」
ハーディンは一冊のノートを開き、ジャスミンの背後に立つ。
それを彼女の顔の前に出し、しっかりと内容を見るようにうながす。
顔を背ける反抗心すら奪われている彼女は、大人しく従う。
「ッ」
「感動しただろう? ぐふゥ!!」
ノートにびっしりと書かれたのは、ハーディンの妄想を具現化した物語。
彼女の行動を忠実に再現したキャラクターを用いて、主人公である自身と絡める中身。
そう彼にとってはジャスミンの都合のいい言動も、異常なほどの好意を向けてくる展開も、すべて現実のジャスミンを完全再現している。
彼女にとっては狂気の底でしかないが。
「特に1284章の展開は圧巻だぞォオ。儂がなァア」
物語をジャスミンに読み聞かせる。
彼女の意志などお構いなしに得意満面な様子で、喜々頂点に達した彼はすらすらと音読を続けている。
何故かその読み方がやたらと上手く、鍛錬の跡が垣間見えるような熟練度だった。
「ぐふふ、貴様が死んだと思ったショックで……儂は物語を書くことに没頭してなアァ。これほどの大長編を書き上げてしまった。責任をとってくれよォオッ!!」
「……!!」
「そうあの日、貴様を失った悪夢ッ」
■ハーディンが言っているのは■
■酷い嵐の夜の出来事■
【ごっふふ、ジャスミンよ。次に行く国は食の宝庫だという。楽しみだなァアア】
大型の客船に乗っての二人旅。二人きりの部屋。
ハーディンは生まれ育った大陸から離れて、新たな大陸へと向かっていた。
そうすることに決めたのには理由があるが、特に自身の故郷に対する想いもない彼。
一緒にいる特別な奴隷さえいれば、上機嫌であった。
【……】
ハーディンの傍にある、小さな四角い檻。
中には猫耳を生やした少女がいた。
少女は光を灯さぬ瞳で、部屋の一か所を意味もなく見ていた。
なんの活力も感じられず、無気力に支配されたそのありさま。
【ぐっふふ。面倒から逃れて肩の荷もなくなった。ゆっくりと新大陸での生活を行うとしようかァア】
■邪悪な笑顔は少女にとって絶望の証■
■絶対に、この男からは逃れられないと分かっていた■
【むむ?】
■大きな揺れが、ハーディンたちを襲う■
【な、なにィイイ!?? くッ!! ジャスミンッ!!】
■ハーディンの伸ばした手は届かず、檻は彼から離れていく■
■それは少女にとっての幸福の調べ■
【……!!?】
凄まじい揺れの中で何かが壊れる音が響き、少女の入った檻が船外に弾き飛ばされた。
非常に冷たい海水が彼女の肉体を侵食し、その生命の熱を奪おうとする。
なので少女は抗った。
必死になって何かを求めるように泳いだ。
【あああッ】
こんなにも、生命の鼓動を感じたことがないと思いながら。
泳いで泳いで泳いで。
体力が尽きるまで、体を・生きるために動かし続けた。
【キミ、生きているかな?】
【……】
【すまない、それよりも診療所だな。では村に行こうか】
優しい声の響きは女性のものだ。
それを聞いただけで安心した彼女は、自分が欲しかったものを手に入れることが出来たのだと分かった。
そうそれは。
■かけがえのないもので■
■ずっと求めていたものだった■
(なのにッ)
■それを奪おうとする者がいる■
「……悪い」
「ぐぬ?」
「気持ち悪いッ!!」
「またツンデレかッ」
「違うわよ!! 心の底から気持ちが悪い!!」
ジャスミンは叫んだ。
ハーディンに逆らう気力が失せた心を、大きく躍動させ、かつての恐怖に立ち向かおうとした。
これ以上の勝手は許さないと、肉体の活力を発揮して、自身を縛る拘束具を引きちぎろうともがく。
(……固いっ。やっぱり力が出ないっ)
■ジャスミンの腕を封じる拘束具は■
■就職者専用の特別なもの■
(【能力封化】。確か、強力な就職者の囚人などに用いる魔導具ッ)
鎖の音だけが空しく響き渡り、ジャスミンは焦燥感を強めていく。
だがそこで疑問を感じた。
ハーディンの反応がまるでなく、彼女に対するアクションをまるで起こさない。
てっきり激しく怒るものかと思ったが、無言を貫いている。
一体どういうことなのかと思って、彼女は背後を見た。
「え……?」
振り返ったその先にあったのは、あまりに醜く歪んだ中年男性の顔。
顔面崩壊ということすら生温い、常人であるなら気色の悪い光景。
ぷるぷると震えている姿は不気味さすら感じられるもので、今にも爆発しそうな危うさも感じる。
否定によって破裂する・爆弾のようだ。
「儂は……!!」
■ぽつりと呟いた言葉が■
■ジャスミンの耳を震わせる■
「儂はきもくないィいいいいいいいッ!! きもくないもんんんんッッ!! アああああああッッ!!」
■発狂したかのように大声を上げ■
■ハーディンは室内を転げまわる■
■やたらとスムーズに回転しているため、そういう芸なのかと思わせる■
「アああああッ!? ふざけるなよォおおおおおおおッッ!! 儂のどこが気持ち悪いって言うんだアああああッッ!!」
床を転がったかと思えば、いきなり飛び跳ねて部屋を移動して、その次はテーブルを蹴飛ばして破壊した。
涙と鼻水と涎を大量に垂らしながら、無差別な行動を繰り返して嘆き続ける。
ジャスミンはその様子を、青ざめた顔で見ていた。
彼女の中での不快感が急激に上がって、少しだけ芽生えた反骨精神があっさりと折られる。
まったく理解できない・混沌の光景。
「NOOOOO!?? AAAAAAAAアァ!!」
絶叫は止まらずに、部屋を埋め尽くしていく。
地団太を踏む音がそれに重なり、ジャスミンの恐怖心を倍増させた。
いますぐにこの場から逃げたいという感情が強まり、だがしかしそれもまるで叶わない。
自身を縛る狂人の発狂を、恐怖におびえた目で見ているしか出来ず。
「hAAAAAA!! ジャスミンンんッ!!」
「!?」
突如として彼女の体を襲う圧力。
それは、ハーディンが勢いよく抱き着いたことで発生したもので、ジャスミンの肉体をめきめきと壊していく。
異常なほどの攻撃力を、秘めていることが感じ取れる抱擁。
「あガッ、うッ」
「ジャスミンッ!! ジャスミンッ!!」
抱き締めているジャスミンの表情が見えているのかいないのか、ハーディンは狂気の叫びを上げながら締め付ける力を強くしていく。
このままいけば、殺されかねないと思った彼女は涙を浮かべる。
何故こんな理不尽な目に遭わないといけないのかと、自身の運命を呪った。
そして、ハーディンは我に返ったように両腕を離し、彼女を殺しかけたことを自覚した。
「グぅう……!! しまったぁああ!! ジャスミンすまんッッ」
■彼は涙を流しながら謝罪し■
「だが儂悪くないよね――ハハハアアアッ!! これは、厳しい折檻が必要なようだなアアあッ!!」
ハーディンは大きく笑うと、ジャスミンを抱きかかえる。
そのまま魔導具の鎖を力任せに引きちぎると、彼女を別室の扉へと連れて行こうとする。
扉には、彼の自画像(にんまり笑顔)が大きく描かれていた。
「ジャスミンンンッ!! 儂の愛を理解するんだアあああ!!」
「!? いやだ!! そっちは!! その部屋はァあア!?」
涙を流しながらハーディンに抗うジャスミンの顔は、強い恐怖がある。
心に深く刻まれた記憶が呼び起こされたかのように、彼女は童のように泣き叫んでもがいてあがく。
「ジャスミンッ!! まずは軽く三日は折檻だァ!! 今回はハードに行くぞォオ!! ハードにィいぃぃい!!」
「ああァ!! はなしてよぉ!! なんで!! いつもいつもォ!?」
「【どういう状態】がいいかは貴様に決めさせてやるぜ☆ 今回は隅々までいくぞォォオ!!」
■悲鳴と狂喜が重なる■
■ジャスミンはその中で、ある姿を幻視した■
(だれか——)
■思い浮かべた影は2つ■
■それはあっけなく砕け散り、絶望の底に沈んでしまった■
「貴様の手首か太ももかァア!? どっちをどうする!! それとも新しい形を試してみるかなァアア!! 今回はよくばりセットで行ってみよーッ!! 三食飛ばして行ってみよーッ!! ずっとずっと滅茶苦茶くちゃくちゃ!! ハハハハハアアアアアアアあ!!」
■絶望の扉が開き■
■やがて閉じ、なにも聞こえなくなった■
●■▲
「――以上が、現在の状況だ」
「……」
■時は【進み】■
■クライスの病室での、ゼノの説明は終わった■
「君はこの状況でどう動く。クライス君」
「……決まっている」
ゼノから聞いた情報を元に、これからの行動を決定する。
クライスの覚悟は既に固まっていて、なんの迷いもなく次の一歩を踏み出す。
彼の中である光景と声がリフレインして、離れてくれないのだ。
ギシギシと乱れの頭痛が彼を苛む。
それを消すために、何をすべきかは分かっている。
「向かうさ、ハーディンの下へ。次は勝つ」
■痛む体を無理矢理に動かし■
■乱れを排除するために、行動を開始した■
■瞳の中で燃え盛る太陽の輝きが、半死人の肉体を駆動させる■
「……そのためには、【儀攻戦】か」
■現在、島を襲っている異常事態■
■クライスはその内容を反芻した■




