乱れの始動
「ぐっふふぅ!! 愛いのォオオ!!」
■リングの上でハーディンが狂喜乱舞していた・ジャスミンの悲鳴と重なる■
■その時■
「ああマッタク。ハーディンのやつ嬉しそうだナ」
「気持ち悪いねー。あの人が触ったところ消毒しないとー」
机が砕けて舞い、流血が床を濡らしていく。崩落した天井と破壊された壁は侵入者の通路だろうか。
リングの周囲で巻き起こる激闘は、苛烈さを増していく。
戦っている勢力は大きく分けて二つ。
悪辣王に与する乱れの者たちと、それに対抗する者たち。
悪辣王側の中には、地区長を殺害したマリオやリーチェの姿もある。
会場に襲撃を行った彼らを、事前に待機していた安寧の太陽メンバーが迎え撃つ態勢。
「俺たちも加勢するぜ!! なんだか分からんが!!」
「く・そ、なんだこれ気分悪いっ!」
試合場に駆け付けた参加選手たちは、そこに充満する乱れの波動に立ちくらみを起こし、中には完全に戦闘不能に追い込まれる者もいた。
それでも何とか戦える者たちで応戦を行っているが、戦況はいまのところ拮抗している。
どんどんと加速する混乱の中で、クライスはリング上の光景に動揺した。
「……ジャスミンッ」
ジャスミンが、謎の男に両腕でがっしりと抱き締められ、どこかに連れていかれようとしている。
彼女の絶望の表情が目に入った瞬間に、クライスの中で何かのスイッチが入り、自然と速力を上げていた。
そんな彼の姿に、近くにいたポーラは動揺するが、襲い来る乱れの刺客たちの相手をしていて助勢には入れない。
(なにをしている。この野郎——ッ)
■勢いよく、ジャスミンの下へと走るクライス■
■隠すこともせずに、己の100%を発生させた■
「ぐふ?」
一直線に、自身へと向かってくる光に目を凝らすハーディンは、リングを囲んでいた防壁柵がその力を失っていることに気付く。それは、試合中の危険から観客達を守るための仕掛けだ。
どうやら、異常事態に慌てて逃げようとした司会の男が、効果を解除してしまったようである。
愛し合う自分たちの邪魔をしようとするクライスの存在に、ハーディンは苛立ちまぎれにため息を吐いた。
「なんとも無粋な空気の読めない……もてない男は辛いなァ」
■ハーディンは、ジャスミンの頬に舌を這わせた■
■涙を流す彼女の姿に、クライスは一瞬で頭が真っ白になり■
「殺すぞ、糞が」
クライスの頭が負の感情に染められた。それは、この世界には相応しくないものだ。
同時に強く踏み込み、さらなる加速で接近していく。
抑えきれないほどの怒りと、乱れの痛みが彼の肉体を動かす。
殺気を宿した右腕をハーディンへと伸ばし、ジャスミンを引き剥がそうとする。
「やってみるが良いだろうゥ。――不可能だがな」
■轟音が人体を貫く音がする■
■勝負は一瞬だった■
「がッ!?」
■骨と肉が砕かれるような、生々しい音が響き■
■クライスはリング上に無様に転がった■
「主人公は儂だ。分不相応な主人公面は止めておくんだなっ、恥ずかしい奴め……!! こういう奴って、物語のやられ役にいるよな★」
「く、クライス……ッ!?」
「ジャスミンン!! では二人の愛の巣へ行こうかァ!!」
何が起きたか分からないクライスの視界で、ハーディンがジャスミンを抱き締めたまま去ろうとしていた。
それを阻止しようとするために、即座に体勢を立て直す。そして手を伸ばす彼だが、全身を襲う激痛と朦朧とした意識の中では何も出来ない。
既に体は全力行使の限界を迎えていて、今すぐにハーディンを倒せるほどの力を発揮するのは、無茶であることは明白だった
ぎくしゃくになった世界の中でクライスは。
「……くそッッ。がッ」
■無茶であっても、執念や怒りといった負の感情が、彼の肉体を動かそうとする■
■だが、目の前に何人かの敵が立ち塞がった■
「ジャス、ミンッ」
助けを呼ぶ彼女の声を聞いた気がした。
いつも明るかった彼女の悲痛な叫びが、心に刺さる感覚。
だが、それすらも気色の悪い高笑いで埋め尽くされていく……。
●■▲
■時計の針は回り■
■経過した時間と・現在■
「ぐふふのふ。感謝するぞォ、同志たちよ」
「まあ一応仲間だしナ。気にすんなヨ」
「マリオくんはそういうけど、わたしはきっちり報酬貰うよー」
■某日・某時刻■
■少し薄暗く陰気な雰囲気漂う、ハーディンの拠点■
「リーチェ、貴様は何が欲しいんだ? 出来る限りは叶えようともォオ」
「えーっとね。とても可愛らしいお城がほしいなぁ」
「ほう?」
「紅茶の川が流れて・チョコの木が生えて・小人さんとウサギさんがワルツを踊っているんだよ!」
高級絨毯が敷かれた床の上を、くるくると回っているリーチェは、目を幻想で埋め尽くしている。
壁際のソファーに座したハーディンは、彼女のそんな様子にご満悦。
単に、露出の多い服装に満足しているだけとも言うが。
「ぐふぐふ、こっちを向いてくれんか。リーチェッ」
「え?」
「そうそう。……ぐほふ、いいのォッ」
きょとんとした顔で、ハーディンの邪な視線を不思議がるリーチェだが、マリオがそれをブロックした。
マリオの行動に、思い切り顔をしかめる拠点の主は、近くの小さい丸テーブルに置いてあるワイングラスを右手で掴み、ワインを一口。
「オマエの趣味は理解しているが自重しろヨ。今リーチェを狙っていたナ」
「ぐふっっふ。すまんなァァア、あまりに可愛らしいのでついつい。ぐはふ」
「かなりの奴隷を飼っていると聞いたが、まだ足りないというのカ」
「欲望は尽きんよォオォ。以前の、大魔導連盟の襲撃でかなり満足の行く奴隷を調達できたが、まだまだまだァア」
「……アあ、そういえば、そんなこともあったナ」
「ザントの奴の【アソビ】を、儂の奴隷にしないようゥ止めておいたァア、おかげで傷一つなく……愛い奴隷たちの美しさは損なわれていない。心も完全には折れていない……いやァ、調教しがいがあるッ」
目を充血させて語るハーディンは、最近手に入れた奴隷のことを思い出しているようだ。
その邪悪に過ぎる表情を見るに、崩壊した連盟のメンバーたちがどんな扱いを受けているのかは想像に難くないが、マリオは特に興味がない。
「マ……ザントの奴の玩具にされるよりハ、お前の奴隷になった方がまだマシかもなァ。あの魔導の女たち」
■昔、ザントの部屋に入ったことがあるマリオ■
■【人間】とは、ここまで【形】を壊されても生きているものなのかと・さすがの彼も顔をしかめる光景が広がっていた■
■噂に聞く、この世界よりも遥かに恐ろしい【異世界】の拷問技術■
■流出したそれを、ザントはどんどんアップグレードさせている■
「グフフゥ……! そんなに褒めるなよぉォオ。マリオォォオッ」
「【比較】の話だ。軽くで脳を【弄られる】ような扱いよりハ、まァお前の、自己中妄想劇場に付き合った方が・ナ」
「よく分かっているなァッ。ザントの奴に遊ばれそうな麗しい魔導少女が、儂に助けを求めてきたのでナァ……! 儂は泣いて命乞いする彼女を背に庇いッ!! 少女の脳髄に伸ばされた奴の右腕を掴みィ!! 「やめやがれ!! この外道ッ!!」と熱き拳を奴の顔面に——」
「あー、はいハい。充分分かったヨ。お前の格好良さはナ」
自分の世界に入り切ったハーディンを、リーチェは白い目で見ている。
マリオは慣れているのか、かなり適当にスルーしていた。
「奴隷たちには平等な愛を……が儂の信条であるのだなァア」
「愛ねェ。それが愛カ?」
ハーディンの語る愛という単語に、マリオは呆れた反応を返した。
何故ならマリオの視界の端には、その愛の対象である存在の姿が、ちらりと映っているのだから。
「……」
顔に小さい布袋を被せられて、イスに座している女性の姿。その足元には不気味な形状の用途不明器具が散乱していた。
後ろ手に縛られて固定されている彼女の顔はうかがい知れないが、布袋からはみ出ている桃色の髪は見えていた。
黒く染まったボンデージ服に身を包んだ最新の奴隷は、調教のせいか、それとも気を失っているのか、無言で身動きもしない。
「ああ……ジャスミン。その女は特別だな。儂の中でも」
■ハーディンの声色が、若干静かなものになった■
■ただそれだけで、表情に浮かぶ狂気と欲望の二重奏は変わっていない■
「ほウ。そんなにか、こんな騒ぎを起こしてまで欲しかったんだからナ」
「ぶへへ、運命のリング上で感動の再会……とな!!」
ついに取り戻した自身にとって最大の宝を、満足気にまじまじと見つめるハーディン。
リーチェが面白がってジャスミンの顔部分を、つんつんと指で触るが、変わらずに反応はなし。
ハーディンはワイングラスを置いて、少し表情を引き締めた。
「――それで、あの計画はどうだァア?」
■計画■
■その言葉にかけられた重みは、声色から分かる■
「俺はどうしようか迷っていル。いまさら夢の残骸に期待などはしていないしナ」
「くぐはは、貴様は根っからの体育会系だろう。そう簡単に執着を捨てられるのか」
「……昔の話ダ。もうなんの未練もないサ」
「ははは、儂もまるで興味はないが。やらねばならん時というのはある」
迷っている風のマリオに対して、ハーディンは決意を着実に固めていた。
彼らの見ている先にあるものは混沌・絶望・死・悲劇か。
なんにせよ、平穏に反する未来であるのは疑いようもなく、島を襲う危機は計り知れない。
そんな中でも、乱れたちは平常運転で混乱を広げていくのだろう。
「全ての準備は整ったァア。目指す場所はそれぞれ違えど、我ら乱れの道行に幸あらんことを――」
■ワイングラスを打ち鳴らす音、響き■
■悪辣王の一味が動き出す■




