勘違い行き違いすれ違い
エレオノーラは豆腐メンタルだ。
打たれ弱いことを自覚している。
だから他人と距離を取るし、簡単には信用しない。
信じたものに裏切られるのが怖いから。嫌いだから。悲しいから。
いまだにキールを信頼できないのも、そのあたりに原因がある。
ここまで来ると軽い人間不信である。
わかっていても、今更どうしようもなかった。
元の世界で二十数年、こちらに来てからさらに十年あまり。
もはや性格改善のできる柔らかい脳みそではない。
冷静に考えればキールがエレオノーラが魔女と呼ばれていることを隠していたのは、彼の思いやりからきているのだと推測できても。
最悪を想像して悲観する。だから最悪になる前に離れる。
それがエレオノーラだった。
「わかってたじゃない。私は化け物なんだから」
歳を取らないエレオノーラに対する人々の目を忘れたわけじゃない。
ただキールとすごす時間が楽しくて、記憶に蓋をしてなかったことにしていただけだ。
どのみち今回の訪問を最後に、エレオノーラは挨拶もなく、この地を去ることを決めていたのだ。
むしろ離れられるいいきっかけだと思うことにした。
そっと未だ呼吸が荒い患者に目を移す。
もとは黒髪だったのだろう毛髪は、悲惨な環境に身を置いていたのか灰色にくすんでいた。
透視の魔法で栄養失調とわかっていたので、いまのうちに目を覚ましたときに食べさせるものを作っておいたほうがいいかもしれない。
そんな状態が、キールと初めて出会ったころと重なって、さらに悲しくなった。
けれど不意に外から馬のいななきが聞こえて、そういえば馬は転移させ忘れていたことに気づいた。
締まらない自分に苦笑いしながら、馬用の乾燥させた草も用意しようとエレオノーラは動き出した。
鈍い音を立ててソルが受け身も取れずに地面に叩きつけられた。
公爵当主を継ぐ予定ではなかったキールは、勉強よりも公爵騎士団に入り浸っている時間の方が長かった。
腕っぷしだけなら騎士たちと変わらない。
そのキールの不意打ちを狙った渾身の一撃は、副団長といえども防げるものではなかった。
ソルは殴られた頬の痛みに顔をしかめながら立ち上がった。
「キール様・・・魔女の家に戻れないからってそんな・・・いてっ」
追撃でさらに殴られた。
サイラスは息を荒げるキールの肩になだめるように手を置いて、森のほうを見やった。
強制転移させられたあと森に戻ろうとした男三人だったが、どの方角から進んでも一定以上森に入ると壁のようなものにぶつかって進むことができなくなった。
時間を置いてもその壁はなくならず、もう四日も町の宿に滞在している。
キールはエレオノーラの怒りを直接買ったソルに、何度か鉄拳をくらわせていた。
それでも気が落ち着かないのか、眉間にしわを寄せてほとんど口を開かない。
サイラスは森を見つめたまま、平坦な声音で言った。
「キール様。彼女の見立てではギルベールの容体は三日で安定します。今日一日は余裕を持って様子を見るとしても、そろそろギルベールが戻ってくるとみていいでしょう」
キールも同じように森を見た。
「わかっている。だが、ギルベールが彼女に危害を加えていたら?以前の間者の件は同情の余地がある顛末だったが・・・彼の罪が消えたわけじゃない。兄上と同じように彼女まで失ってしまったら、私は・・・」
ようやく打撃の影響から立ち直ったソルが不思議そうに首をかしげた。
「なんでキール様はそんなにま・・・いや、エレオノーラ嬢のことを気に掛けるんですか」
魔女と言いかけて、またキールに鋭い視線を向けられたソルは慌てて言い直した。
キールは再び森に視線を戻してつぶやいた。
「一度地獄を見ればわかるさ」
「地獄・・・ですか?」
ソルはますますわからないという表情をしている。
五年前の火災の悲劇から戻ってきた公爵当主は、五体満足で健康そのものだった。
だからこそ、その間になにがあったかを知っているものは少ない。
キールに地獄と言わせた状況を作った、反公爵派の組織の人間はギルベール以外死亡しているからだ。
キール自身もまた、当時のことを詳細に語ることはなかった。
思い出したくもないというのが本音である。
そんなキールにとってエレオノーラは自身を救ってくれた恩人。
地獄に唯一の光。
傷つけられることのない絶対の味方。
心からの依存が危険だと理性ではわかっていても、エレオノーラのいない人生は考えられなかった。
それに彼女に魔女と呼ばれていることを伝えなかったのには、傷つけたくないという以外に、もうひとつ別の理由があった。
この近隣の町や村で、彼女の恩恵にあずかっていない家はない。
ある男は祖父を不治の病から救ってくれたと話す。
ある女は子どもの大怪我を治してくれたと話す。
ある青年は小さいころに森で迷っていたのを助けてくれたのだと話す。
ある少女は母の病を治す薬をくれたのだと話す。
医者がさじを投げるようなことでも、彼女にかかれば安心だと皆が言う。
彼らは蔑称ではなく、親愛をこめて『蒼の森の魔女』と呼ぶのだ。
その呼び名に不可思議な技法を使う者に対する恐れや畏怖がないとは言わないが、それでも彼女は受け入れられていた。
だというのに、その説明さえできないまま森の外へ放り出された。
再び怒りが込み上げてきたキールは、ぎりぎりと歯を食いしばった。
「ええええっ!キールったらそんなやんちゃ坊主だったの?」
「そうなんですよ」
一方エレオノーラはすっかり快復したギルベールと、まったりお茶の時間を楽しんでいた。
キールが幼いころから一緒にいたというのは事実らしく、子どもの頃の失敗談を聞いて笑っている。
今の状況をキールが見たら悔しさとむなしさで膝をつきそうな光景だが、そんなことは知らないエレオノーラは呑気に微笑んだ。
「ギルベールってほんと話し上手ねぇ。こんなにいっぱいしゃべったのって久しぶり」
ギルベールは目が覚めるとすぐに状況を把握しようと、エレオノーラにあれこれ話しかけてきた。
エレオノーラは彼らの正体を知らない、ただの医者として客観的に見たままの状況説明をしながらも、彼の頭の回転の速さに驚いた。
普通は昏睡状態から目覚めてすぐに、こんな精力的に動くことはできない。
それが危険だとわかっていても、危機意識を瞬時に張り巡らせるには相当な頭の良さと、経験が必要なはずだ。
エレオノーラはギルベールに家名がない平民といえども、公爵当主の側つきに取り立てられるだけはあると深く納得した。
そして完全に毒が抜け、熱が下がるまでとりとめもない話をしながらすごしたのである。
そうして四日目。
エレオノーラはギルベールを町へ送る前に、お茶に誘った。
この地での最後に話す人間として、話し上手で聞き上手のギルベールを選んだのだ。
「私もこんなに楽しい時間は久しぶりでした。治療もしていただいて、どうお礼したものか」
「あぁ、それは馬の世話とか任せちゃったし。病人なのに働いてくれたからいいわ」
実際、元の世界で馬になど体験実習などで数えるほどしか乗ったことのないエレオノーラには、彼らの世話などできなかった。
自分の転移魔法の不手際をギルベールに尻拭いしてもらった形になる。
ギルベールはにこやか笑ってにエレオノーラに頭を下げた。
「それでも感謝を。そして何かあればいつでもなんなんりとおっしゃってください」
それはキール経由で、ってことよね?
エレオノーラは口に出さずに困った表情をした。
もうこの地に戻ってくることはないのだ。
当然、キールとの縁もここまでになる。
けれど、それを言えば理由を問い詰められるのは目に見えていたので、軽くうなずいて了承したふうを装った。
「じゃあ、そろそろ町へ転移させるけど。忘れ物はない?馬以外に」
「ええ、荷物らしい荷物もありませんし。どうぞこのまま」
今度こそエレオノーラはしっかりうなずいて、ギルベールと馬三頭の周囲に転移の魔法陣を展開させた。
目標地点はキールの周囲から少し離れた場所。
お互いに合流しやすいくらいには近い場所・・・半径五メートルくらいだろうか・・・と、考えながら魔法陣に転移先を組み込んでいく。
「じゃあ、元気でね」
エレオノーラが手を振ると、ギルベールもおだやかに手を振り返してくれた。
「あなたも。エレオノーラさん」
そうして森の来訪者たちはすべて去って行った。




