第9話 九十日計画
防衛計画第一版を書いてから、四十九日。日報の要点だけ抜く。
【五十五日目】二層大改造、進捗五割。ゴブリン総員二十。槍班・弩班・採掘班の三班制。
【六十二日目】ネジ改良型の規格槍、型起こし完了。生成単価0.3。「重心が、ぶれない」と工房長の弁。
【七十二日目】地脈第三孔、接続。恒常+14.4/日。町からの客足、週十四組。
【七十七日目】ガロ、槍班・弩班の合同教練を完成。号令は鐘三種。「進め」「放て」「退け」。
【八十四日目】防衛工事、完了。総点検開始。残るは、答え合わせだけ。
そして八十九日目。淘汰戦前日の夜、俺は幹部を招集した。
コアの間。灰板の前。ノア、ガロ、ネジ、モチ。それと、なぜか毎回紛れ込んでくるチビ。もう幹部でいいか、お前は。
「最終確認だ。敵の戦い方から復習する」
灰板に、横線を一本引く。
「蟲毒のドクトリンは『全量投入の呑み込み』だ。開戦と同時に全軍を流し込み、面で押し潰す。十二戦十二勝、全部この型。そして奴の軍の燃料は――死骸だ」
『死骸捕食:死骸を摂食し、急速に分裂増殖する』
解析で得た一行を、ガロとネジにも見えるよう、図にして描き足す。
「戦えば死骸が出る。死骸が出れば蟲が増える。つまり蟲毒の軍は、戦場そのものが補給廠だ。普通の迷宮は、抵抗すればするほど敵を太らせて、呑まれる」
「ギャ……」
チビが耳を伏せる。脅かしてすまんな。だが、ここからが本題だ。
「逆に言えば、だ。死骸の出ない戦場では、奴らは『減る一方の軍』になる。補給を断たれた三千は、ただの長い行列だ」
俺は灰板に、漏斗の絵を描いた。
「作戦の柱は四本。
一本目、漏斗地形。回廊の接続点は、領域の縁に開く。ノアの計算で、開口位置はほぼ特定済みだ。そこからコアの間まで、道は一本しか残していない。大広間で受けて、幅三体分の『絞り』へ流し込む。数というのはな、面で受けるから暴力になる。点で受ければ、ただの行列だ。
二本目、囮の餌場。絞りを嫌って脇道へ逸れる分は、偽の餌場へ誘導する。死骸と魔石くずを撒いた行き止まりだ。群がったところで、天井が落ちる。崩落は全部で六箇所、モチが食い細らせ済み。
三本目、段列射撃。絞りの先は殺し間だ。弩十二丁と規格槍三百が、十字の射界で待ち構える。指揮はガロ。鐘の三号令以外は何もするな。手順の外のことは、何も。
四本目――モチ。お前が主計長だ。殺し間に出た死骸を、端から食え。敵の補給を断ちながら、うちのDPに変える。敵が一体死ぬたび、こっちの矢弾が買える勘定だ」
ノアが、ぽつりと言った。
「……世界で一番、性格の悪い経済圏」
「褒め言葉として記帳しておく」
説明を終えると、ガロが進み出て、灰板の絞りの後ろを太い指で叩いた。
「ガロ、ガッ」
「……第二絞りに、予備の槍を積みたい? 折れた時、後方まで取りに戻ると間に合わない、と」
力強く頷く。教練で実際に槍をへし折った奴の、実感のこもった具申だった。
「採用。ネジ、各陣地に予備槍二十と交換部品を前進配置。矢弾も後送をやめて前に積め」
ネジが、こきりと頷いて、手帳代わりの木札に刻み付けた。
言われたことだけやる組織は、言われたことしかできない。具申の出る現場は、強い。九十日前、残高2で始めた職場が、いつの間にかそういう現場になっていた。
「で、勝てるの?」
ノアの問いに、俺は数字で答えた。
「殺し間の処理能力は、教練の実測で毎刻およそ六十。崩落と囮で削る分を足して、七十二時間の総処理量は理論値で四千を超える。敵は三千。増殖を限界まで見積もっても、処理が上回る。――理屈の上では、勝てる」
「理屈の上では、ね」
「ああ。前提が三つ崩れたら、負ける」
指を折る。
「一つ、開口位置が予測から大きく外れたら。二つ、三千という見積もりが噓だったら。三つ――グルムが、十二連勝の間に一度も見せていない『切り札』を持っていたら」
古強者が、手の内を全部見せて勝ち続けてきたと考えるほど、俺はめでたくない。
「だから予備計画を三つ用意した。最悪、コアの間の手前で、最後の崩落を俺の判断で落とす。そこまで来たら全員、持ち場を捨てて俺の声に従え。いいな」
「ガロ」
「ギャッ」
「ぷる」
返事はばらばらで、揃って真剣だった。
会議のあと、迷宮は静かだった。
ガロは殺し間の壁にもたれ、規格槍の穂先を一本ずつ検めていた。ネジは工房で、弩の弦を全部新品に張り替えている。本人いわく、古い弦は「音が嫌い」だそうだ。チビとのっぽは装備を枕に転がって、もう寝ている。モチは……いつも通り、丸い。
見回りの途中、俺はガロの隣にしゃがんだ。
「眠っておけよ。明日は長い」
「ガロ」
「……そうか。お前は、初陣じゃないもんな」
欠けた左耳が、坑道の薄明かりに影を作る。あの夜の、弩傷だ。ガロは検め終えた槍を、規格通りの角度で壁に立てかけた。寸分の狂いもなく並んだ三百の槍は、それ自体が九十日間の答案用紙みたいなものだった。
コアの間に戻ると、ノアが水晶のそばに浮いていた。
「眠らないの。黒字の夜は、よく眠れるんでしょ」
「今夜は決算前夜だ。別勘定だよ」
ひび割れた水晶は、九十日前よりずっと力強く明滅している。それでも、ひびはひびのまま残っている。直す金があったら軍備に回した。経営判断だ。後悔はしていない。
「ねえ、マスター」
ノアの声は、いつもの平坦のままだった。
「負けたら、あなたは死ぬ。わたしは、勝者の備品になる。モチも、ガロも、ネジも、戦利品として吸収される」
「そうらしいな」
「……怖く、ないの」
「怖いさ」
即答すると、ノアは少し驚いた顔をした。
「数字は嘘をつかない。勝率の試算は何度やっても六割五分だ。三回に一回は、全員死ぬ。怖くない方がどうかしてる」
「なのに、逃げない」
「ああ」
俺は灰板の隅、九十日間書き続けた日報の山を見た。
残高2から始まった数字。モチの還元。ガロの欠け耳。ネジのヤスリ。リーゼの「また来ます」。週十四組の客足。銀貨四十枚の買取台帳。
「九十日かけて作った帳簿だ。一行だって、消させる気はない。――お前もだ、ノア。うちの帳簿から、勝手に消えるなよ」
ノアは、長いこと黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「……変なマスター」
「三回目だぞ、それ」
「数えてたんだ」
「……数えてない」
数えていた。十一日目と、初日のやつだ。
夜明け前、視界に通知が灯った。
【系統通知:第六三期 淘汰戦/開始まで、残り二十四時間】
【接続迷宮:三一号『蟲毒の穴』/観戦予約:一七件】
「観戦?」
「よそのマスターが、コアの繋がり越しに観る。……賭けの対象にも、なってると思う」
「倍率は」
「……たぶん、あなたが大穴」
「そうか。なら配当はでかいな」
「胴元は系統か。いい商売してやがる」
俺は灰板を引き寄せ、最後の日報を書いた。
【迷宮経営日報 八十九日目】
残高:412.6DP(戦時予備費として凍結)
恒常収入:+22.4/日(地脈三孔・客足・自己奉納・還元)
累計戦備投資:約七〇〇DP(兵員・規格槍三〇〇・弩一二・地形改造・崩落六箇所・囮資材)
戦力:ホブゴブリン一、コボルトマイスター一、変異スライム一、ゴブリン一九、鴉一。それと、社長兼参謀の俺。
特記:勝率試算六割五分。予備計画三系統、準備完了。
淘汰戦まで――あと、一日。
書き終えて、筆代わりの灰棒を置く。
九十日計画、最終日。
あとは、回収するだけだ。
(第9話・了)




