第8話 偵察蟲
偵察を確認してからの二十五日間、俺は増産と増築に明け暮れた。日報から、要点だけ抜く。
【二十二日目】地脈第二孔、接続。恒常収入+9.6/日に倍増。
【二十六日目】ゴブリン六体を増員、総員九。採掘班と弩班に分離。
【三十一日目】ネジ改修型の弩、量産五丁目。ガロ、弩班の教練を開始。号令は鐘。
【三十九日目】ギルド経由の素材卸し、月次黒字化。客足、週平均九組。リーゼ党、銅級に昇格。
数字は順調に太っている。だが、敵の影も同じだけ濃くなっている。鴉の哨戒は、この二十五日で偵察蟲を四回見つけた。回を追うごとに、数が増えていた。
四十日目の朝は、リーゼ党の来訪から始まった。
革鎧が新調され、ミナの杖には飾り石が増えた。装備が育つのは、いい稼ぎの証拠だ。靴だけは、相変わらず最初のやつを履いているが。
リーゼは薬草床に入るなり、岩の上のそれに気づいて、固まった。
研ぎ直された、鉄のナイフ。傍らの岩肌に、燐光苔が淡く文字を描いている。
『おとしもの』
「……っ、わたしの! 初めて来た日になくしたやつ!」
リーゼはナイフを胸に抱え、それから苔文字に向かって、ぶんぶんと頭を下げた。
「ありがとうございます! しかも研いであるし! 柄も直ってるし!」
「迷宮が文字書いてる時点で、お前もうちょっと驚けよ……」
ロイの突っ込みはもっともだが、うちの常連は、これくらい肝が太い方が助かる。
――その時だった。
【警報:領域外周に多数の敵性反応。第一層入口へ侵入。個体数、推定六〇】
視界を切り替える。入口の陽光を背に、黒いものが、床を、壁を、天井を這って溢れ込んでくるところだった。
甲殻の蟲。小型は猫ほど、護衛らしい大型は犬ほど。前にも見た、あの偵察蟲の群れだ。
偵察にしては、多すぎる。これは「威力偵察」――殴って反応を測る、喧嘩腰の身体検査だ。
そして間の悪いことに、一層には客がいる。
「ガロ、弩班連れて一層へ。チビとのっぽは槍。ネジは工房を閉めて予備弦を持て。モチは俺と来い」
鐘を二度打つ。非常呼集。
「客を、死なせるな」
リーゼ党は薬草床で蟲の第一波と接触していた。
「な、なにこれ!? この迷宮、こんな魔物いなかった!」
「外から来た! 群れ蟲だ! ドガ、盾!」
ドガの大盾が小型蟲を弾く。だが数が違う。三方の壁から、黒い流れが薬草床に迫る。
俺は薬草床への通路の苔を、全力で明滅させた。矢印の形に。
「気づけ。……そっちだ、退路はそっちだ」
「っ、苔が光って――道!? 行こう、迷宮さんの言う通りに!」
「迷宮さんの言う通りって何!?」
言い合いながらも、四人は矢印に沿って駆けた。その退路の先、坑道の曲がり角から、ホブゴブリンの長躯が槍を構えて躍り出る。
「ガロッ!」
ガロの槍が、リーゼに飛びかかった大型蟲を横薙ぎに払い落とし、返す穂先で床に縫い止めた。続けて、暗がりから弩の斉射。ボルトが小型蟲を三匹まとめて壁に張り付ける。
「ゴブリンが……人間を、守った?」
ミナの呆然とした呟きは、戦場の喧騒に紛れた。
「リーゼ、ぼさっとすんな! 走りながら驚け!」
「は、はいっ! ……ありがと、ゴブリンさん!」
駆け抜けざまに礼を投げられたガロが、欠けた左耳をぴくりと動かして、ふん、と鼻を鳴らした。照れてる場合か、現場責任者。
戦闘は、込み入ったものにはならなかった。蟲どもの目的は殺戮ではなく観測だ。ひとしきり暴れ、こちらの応手を見ると、潮が引くように退き始めた。
「ガロ、深追いするな。……モチ、掃除だ」
退き際に残された蟲の死骸へ、モチがずるりと進む。黒い甲殻が、白い体に呑まれて消えていく。
【還元:+0.8DP】【還元:+0.7DP】
そして、俺は一つだけ注文をつけていた。
「一匹は、生け捕りにしろ」
生け捕った一匹は、大型の個体だった。ネジの投網と坑木の檻で組み伏せてある。
複眼が、ぎょろりと俺を見た。
瞬間――視界に、何かが流れ込んできた。
『――ほう』
声だった。粘りつくような、古い声。
『見ているな、新入り。こちらも、見ているぞ』
「……蟲毒のマスターか。覗き見とは、いい趣味だ」
『覗かれているのはお前よ。この子らの目は、すべて私の目。九十日も前から、ずっとな』
蟲の複眼の向こうに、映像が滲む。
暗い、巨大な縦穴。その壁面という壁面に、黒いものがびっしりと蠢いていた。一層、二層、三層――数えるほどに眩暈がする、蟲の海。
俺は、頭の中で目盛りを振った。縦穴の断面積、壁面の充填密度、目視できる層の数。工場の在庫を目視で棚卸しする要領で、桁を立てる。
――概算、三千。
『励めよ、新入り。よく肥えた迷宮ほど、よい餌になる。お前の配下も、お前のコアも、お前の九十日も、まとめて呑んでやろう』
「ご丁寧にどうも。……一つ、礼を言っておく」
『ほう?』
「いい偵察だった。――こっちもな」
複眼の光が、わずかに揺れた。
通信が切れ、蟲は檻の中で、糸が切れたように崩れて事切れた。用済みの端末は自壊する仕様らしい。趣味の悪い設計だ。
死骸は、ありがたく解析させてもらった。
【解析完了:葬甲蟲(兵隊種)/設計図登録】
敵ユニットの諸元が、目の前に並ぶ。装甲は見た目より薄く、関節膜が弱点。火を厭う。そして特性の欄に、答えがあった。
『死骸捕食:同族・他種を問わず死骸を摂食し、急速に分裂増殖する』
「……これだ」
十二連勝の種。
戦えば、死骸が出る。死骸が出れば、蟲が増える。つまり蟲毒の軍は、戦うほど太る。敵の抵抗そのものを兵站に変える、自走する飢餓だ。並の迷宮が半日で呑まれるわけだった。
「ノア。敵の強さの正体は、物量じゃない。物量を維持する『補給構造』だ」
「……つまり?」
「つまり、そこを断てば、ただの大食らいの群れになる。――おあつらえ向きに、うちには死骸を食う口がもう一つあるしな」
部屋の隅で、モチがぷるりと震えた。
夕刻、入口の岩の上に鴉を留まらせ、帰り支度のリーゼ党に声をかけた。
「――怪我はないか、常連諸君」
四人が、びくりと跳ねて鴉を見た。
「カラスが喋った!?」
「初めまして、と言っておこうか。当迷宮の、管理者だ」
リーゼの目が、皿になり、それから星になった。
「やっぱりいた!! 親切な迷宮の人!!」
「人かどうかはさておき、今日は客を巻き込んだ。詫びに今日の採取分は買い取り値の倍相当を床に出しておく。それと、頼みがある」
「な、なんなりと!」
「今日の蟲は、外から来た群れ蟲だ。ギルドには『迷宮の魔物と協力して撃退した』とだけ報告してくれ。……近いうちに、こちらから町に話を通す。あの受付の、台帳の正確な人にな」
「セラさんですね! わかりました!」
「魔物と協力って時点で十分やばい報告なんだよなあ……」
ロイのぼやきが、今日一番正しかった。
【迷宮経営日報 四十日目】
残高:268.4DP(前日比+24.1)
収入:地脈+9.6/自己奉納+2.0/モチ還元+5.2(蟲の死骸含む)/感情採取+3.8/戦闘還元+4.1
支出:維持費−1.0/飼料−1.1/弦・矢弾補充−2.6
特記:敵戦力、概算三千。兵隊蟲の設計図と弱点(関節膜・火・死骸捕食による増殖)を取得。敵の本質は物量ではなく補給構造と断定。リーゼ党には口止め済み(効力には期待しない)。
淘汰戦まで、あと五〇日。
灰板に、新しい題を書く。
『対蟲毒戦 防衛計画 第一版』
さて――九十日計画、最終フェーズだ。
(第8話・了)




