第7話 枯れた町
「販路と情報が要る」
十五日目の朝礼で、俺は宣言した。
迷宮の中の経営は、回り始めた。だが淘汰戦の軍備を本気で積むなら、迷宮の外――人間の経済と接続しない限り、成長の天井はすぐに来る。それに、敵情も、世間の相場も、何もかも情報が足りない。
問題は一つ。
「マスターは、領域の外に出られない」
「知ってる。だから、目と耳を買う」
カタログから選んだのは、これだ。
【使い魔・鴉:6.0DP/視聴覚共有/可聴域の発話が可能】
コアの前に、黒曜石みたいな羽艶の鴉が一羽、生まれ落ちた。賢そうな目で俺を見て、かあ、と一声鳴く。
ノアがそれを覗き込み、それから俺を見上げた。
「名前は?」
「つけない」
即答した。
「名付きは替えが利かない。こいつは敵地にも飛ばす偵察機材だ。消耗を前提にした装備に、名前はつけない」
「……ふぅん」
ノアは、それ以上何も言わなかった。
言わなかったのが、妙に刺さった。
鴉の視界は、思ったより快適だった。目を閉じれば、空がある。
山を二つ越えると、盆地の底に、町が見えた。
ラトナ。元・鉱山町。現在は――衰退町、としか言いようがなかった。
上空から見れば一目瞭然だ。町の北側に張り付いた選鉱場は錆の塊で、索道のワイヤーは途中で切れたまま。家々の三分の一は鎧戸が閉じきり、煙突に煙が立つ家を数えた方が早い。大通りには人がいるが、年寄りばかりで、歩く速さに「用事」がない。
市場に降りて、屋台の値札を見て回った。鴉が値札を覗き込むのは不審だろうが、追い払う気力のある店主も少ない。
塩、高い。鉄製品、高い。そして薬草――束で銀貨二枚。
鍛冶屋の前では、店主が暇を持て余して、火の入っていない炉を磨いていた。
「鉄が入らねえんだ。鉱山が死んでからこっち、棒鉄一本が昔の三倍よ。これじゃ鍬の修理代で新しい農具が買えちまう」
客のいない店先の独り言は、市場調査としては上等の生の声だった。需要は死んでいない。供給だけが死んでいる。どの棚を見ても、同じ結論が出る。
「ノア、聞こえてるか。薬草の相場、うちの一層のひと月分で、銀貨三百枚相当だ」
『……それは、儲かるの?』
「鉱山が止まった町の物価としては、異常に高い。つまり供給が死んでる。つまり――売り手にとっては、空白市場だ」
枯れたのは町じゃない。流通だ。
冒険者ギルドのラトナ支所は、大通りの角にあった。支所というより出張所。カウンターは一つ、職員は見たところ二人。
その軒先に、見覚えのある四人組がいた。リーゼ党だ。背負い袋から、見覚えのある薬草を山と出している。
「ヤクヨモギ十二束! 今週も四九番迷宮さんから!」
「さん付けすんなよ……」
カウンターの中の若い女が、薬草を一束取って、矯めつ眇めつした。亜麻色の髪をきっちり結って、袖口にはインクの染み。台帳をつける手が、止まらずによく動く。
「……いい品。葉の魔力含みが、王都の競りに出せる水準。四九番って、半年前に枯れたはずの?」
「それが生き返ってたんです! しかも親切な迷宮で!」
「親切な、迷宮」
「道案内してくれるし、落とし物は研いで返してくれるし、スライムがお辞儀します!」
受付の女は、リーゼの顔をまじまじと見て、それから手元の台帳を遡った。
「……ここ三週間で、四九番迷宮産の素材持ち込みが、ゼロから十二件。買取総額、銀貨四十枚。冗談で書ける数字じゃない、わね」
噂話を笑い飛ばさず、台帳で裏を取る。いい目だ。事務の正確な人間は、信用できる。
壁際の長椅子から、隠居らしい老人が口を挟んだ。
「よしときな、セラ嬢ちゃん。迷宮なんぞをあてにするようになっちゃあ、ラトナもいよいよ終いだ」
「終いにしないために、数字を見てるんです」
セラと呼ばれた受付嬢は、ぴしゃりと言って、台帳に何かを書き付けた。
『四九番迷宮、要調査。場合によっては町の議題に』
……こちらとしても、願ったりだ。調査なら、いくらでも受けて立つ。
夕暮れ、町外れの丘に、小さな祠を見つけた。
膝丈ほどの石の祠だ。相当に古い。彫られた文様は摩耗して読めず、苔に半ば埋もれて――しかし、参道だけは綺麗に掃き清められていた。
鴉を留まらせて観察していると、坂道を、セラが登ってきた。仕事帰りらしい。祠の前に屈み、布巾で祠を拭いて、パンのかけらを供える。
そして、歌うともなく、口ずさんだ。
「――ねむりがみさま、やまのした。ねむっておくれ、もうすこし」
子供の手毬唄の節だった。
「お祖母ちゃんの代わりに来てます。……ねえ、眠り神さま。町、結構まずいです。鉱山は死んだままだし、若い子はみんな出ていくし。でも、ちょっとだけ、いい話もあって」
セラは、山の方を――うちの迷宮のある山を、見上げた。
「枯れたはずの迷宮が、生き返ったんだそうです。親切な迷宮、なんだそうです。変ですよね。でも、変でもいいから、藁にもすがりたい気分で――」
その時だった。
鴉の視界が、ぶれた。
一瞬。耳鳴りに似た、深い、深い、寝息のような何か。
『……いまの、なに』
コア越しのノアの声も、強張っていた。
「こっちが聞きたい。……この祠、何を祀ってる?」
『わからない。でも、系統でも、迷宮でもない、古い何かが――下にいる。深く、深くで、眠ってる』
眠り神さま、やまのした。
童謡の文句を、俺は頭の帳簿の調査欄に、そのまま書き写した。1.7%、ノアの記憶、色付き魔力、それから――山の下で眠る、何か。
調査案件が、また一つ増えた。
帰投の前に、もう一度だけ町を旋回した。
夕餉の煙突は、数えるほど。家々の灯は、まばら。それでも市場の跡地では、子供が二人、棒切れで冒険者ごっこをしていた。
取り壊された屋台の骨組みを迷宮に見立てて、片方が冒険者で、片方が――迷宮の主、らしかった。迷宮役の子が、両手を振り上げて、けらけらと笑っていた。
悪役にしては、ずいぶんと楽しそうだった。
「ノア。決めたぞ」
『なにを』
「うちの迷宮の、五年後の絵だ。迷宮が資源を生む。冒険者が運ぶ。町が市を立てる。人が集まる。人が来れば、うちの感情採取と物販が伸びる。伸びた分を、また防衛と生産に投資する」
鉱山は、もう戻らない。だが。
「――迷宮は、鉱山の代わりになる」
『……できるの? そんなこと』
「できるかじゃない。やる。うちの商圏に、死なれちゃ困るんでな」
理屈は完璧に経営だ。それ以外の何かが混じっている気もしたが、決算には影響しないので、計上しないでおいた。
鴉が山に入った、その時だった。
眼下の岩場で、何かが動いた。
黒い甲殻。犬ほどの大きさの、蟲。岩陰にうずくまり、複眼でじっと、うちの山を――迷宮の入口の方角を、見ていた。
鴉と、複眼の目が合う。
蟲は、音もなく岩の隙間に消えた。
『マスター』
「ああ、見えた」
あれは野良じゃない。あの居ずまいは、任務を持った兵隊の伏せ方だ。
「……蟲毒の、偵察か」
九十日の期限は、向こうも数えている。当然だった。
【迷宮経営日報 十五日目】
残高:73.2DP(前日比+7.4)
収入:自己奉納+2.0/モチ還元+3.4/地脈+4.8/感情採取+2.2(客足、週六組に増)
支出:使い魔・鴉−6.0/維持費−1.0/飼料−0.5
特記:ラトナ商圏調査完了。薬草相場は供給崩壊で高止まり、空白市場と判断。ギルド受付セラ氏、当迷宮を「要調査」と記録(歓迎する)。町外れの祠に正体不明の「眠る何か」。敵性偵察を初確認。
淘汰戦まで、あと七五日。
(第7話・了)




