第31話 硝子の遊戯場
「受けるの? 断るの?」
ノアの問いに、俺は地図で答えた。ラトナ周辺の勢力図。うちの領域は、サブコアの分だけ西へ伸びた。そして西の隣には、三五号――硝子の遊戯場が座っている。
「うちは成長する。成長すれば領域は広がる。広がれば、いずれ三五号と接触する。そして系統のルールでは、領域接触は」
「……強制開戦」
「そうだ。つまりピアとの衝突は、時期の問題でしかない。なら、条件を選べる今のうちに、選べる形でやる方が安い」
戦争と同じだ。避けられない取引なら、相手の言い値で買うな。こちらの書式で契約しろ。
俺は系統の返信欄に、対案を書き込んだ。
『一、形式は相互攻略戦。互いの迷宮に「旗」を置き、敵陣の旗に先に触れた側が勝者。
二、期限は二十四時間。時間切れは引き分け、賭けは流れ。
三、殺傷禁止。双方、相手方の配下を死亡させた時点で、させた側の即時敗北とする。
四、賭け金は提示どおり「言うこと一つ」。ただし双方向、内容は系統の禁則に従う』
「三番、ずいぶん思い切ったね。罠の魔女に『殺さない縛り』って、有利にならない?」
「逆だ。あいつは七戦全勝、全部無血だ。殺さない戦いは、向こうの庭だよ。……だが、うちの庭でもある」
うちも開業以来、客を一人も殺していない。捕獲と誘導と心理の設計なら、こちらにも九ヶ月分の蓄積がある。
それに、この条項には実利がある。負けても、誰も死なない。ガロも、ビスも、モチも。賭け金の「言うこと一つ」は重いが、命よりは軽い。
返信は、四半刻で来た。
『ぜんぶのむ! はやくはやく!』
花の絵が、二つに増えていた。
「……即答。条件、もうちょっと吹っかければよかったかな」
「やめておけ。即答ってのはな、ノア。条件を読んでないんじゃない。条件なんかどうでもいいって意味だ。あいつの目当ては賭け金じゃなく、勝負そのものだ」
「……それって、強い人の特徴」
「ああ。一番厄介な型だよ。損得で動く相手は損得で読めるが、楽しさで動く相手は、読みの物差しから違う」
こちらは賭け金が惜しい。向こうは惜しいものがない。スタートラインから、背負った重さが違うのだ。せめてもの救いは、こちらが守る側でもあり、攻める側でもあること。攻防一体の形式にしたのは、向こうの「楽しさ」をこちらの読み筋に引きずり込むためでもある。
百三十二日目の正午、系統が小さな回廊を繋いだ。
淘汰戦のそれより細い、決闘用の仮設通路。その中間点が、儀礼上の顔合わせの場になった。
俺は領域の縁まで出て、回廊の向こうを見た。
少女が、立っていた。
白金の髪を左右で結い、大きすぎるゴーグルを額に載せ、油染みのある作業着に、工具のベルトを三重に巻いている。背中には熊のぬいぐるみ――かと思ったら、ぬいぐるみの腹から螺子回しの柄が何本も生えていた。道具袋らしい。
足元には、手のひらサイズの人形が二体、行儀よく付き従っている。
「はじめまして! ピアです!」
少女は、ぺこりと頭を下げた。足元の人形たちも、揃ってぺこりと頭を下げた。主従そろって礼儀正しいことに、足音は三人とも、しなかった。
「四九号の管理者、ケイだ。……あんたが罠の魔女か。思ったより」
「ちいさい? わかい? かわいい?」
「礼儀正しい」
ピアは、ぱちぱちと目を瞬いた。
「……へんなひと。みんな、さいしょに『こども?』っていうのに」
「経歴七戦全勝の同業者を、見た目で値踏みする趣味はない。数字は嘘をつかないが、見た目は平気で嘘をつくんでな」
「…………」
ピアは俺をじーっと見て、それから、にんまり笑った。人形めいた無表情が、一瞬で子供の顔になった。
「きみ、こわすの、たのしみ」
「お手柔らかに頼む」
「てかげんは、しないよ。だって――」
少女はくるりと一回転して、回廊の向こうへ歩き出した。
「てかげんって、あいてを下に見てるってことだもん。わたし、きみのこと、下に見てないから」
……なるほど。これは七勝の貫禄だ。
開戦の銅鑼は、系統の通知音だった。
【決闘開始/制限時間:二十四時間】
うちの攻略隊は五名。隊長ガロ、射手ビス、斥候ノロシ、工作担当モチ、観測のスミ。防衛はネジと番号持ち全員、指揮は俺だ。
攻略隊が回廊を渡り、硝子の遊戯場に踏み込んだ。
スミの目を通して見た第一印象は――「綺麗」だった。
硝子の通路が、歯車の壁の間を縫って何層にも交差している。天井からは無数の振り子が揺れ、床は磨かれて、上下の区別を溶かすほど互いを映し込んでいた。光と反射と機構の、巨大な万華鏡。
「ガロ、定石通りだ。左手を壁に。歩数を数えろ。マーキングは三歩ごと」
「ガロ」
隊は手順通りに進んだ。手順通りに進んで――一時間後、最初に置いたマーキングの前に戻ってきた。
「……ガロ?」
「ガッ!?」
壁をなぞっていた左手は、一度も離していない。歩数は正しい。なのに、出発点にいる。
いや、それだけならまだいい。
ノロシが床を指差して、ひっ、と鳴いた。マーキングの石が――増えていた。三歩ごとに置いたはずの石が、目の前の通路に、一歩ごとにずらりと並んでいる。置いた覚えのない場所に、置いた覚えのある石が。
「落ち着け。数えろ。持参した石の残数と、置いた数を照合」
ビスが袋を検める。残数は正しい。つまり、並んでいる石の大半は偽物だ。誰かが、こちらのマーキング石と同じものを複製して、撒いている。
道標を消すのではなく、増やす。
消されれば人は警戒する。だが増やされると、人は自分の記憶の方を疑い始める。
ノロシが天井を指差して鳴いた。さっきと振り子の数が違う、と言っている。迷宮そのものが、歩いている間に組み変わっているのだ。歯車の音すら立てずに。
「スミ、上空図を――」
言いかけて、俺は凍りついた。
スミの視界の中で、攻略隊が二つに見えた。
本物のガロたちと、寸分違わぬ動きをする、もう一組のガロたち。鏡像だ。どこかの硝子が、視界そのものに鏡を差し込んでいる。どちらが本物か、観測係の俺が、もう分からない。
『どう? わたしのおにわ』
どこからともなく、ピアの声が降った。
『きみの目、そっちのカラスさんでしょ。さいしょに、それをこわすの。しきかんの目がしんじられなくなると、みんな、すーぐ折れちゃうから』
指揮官の目を、最初に潰す。
教科書通りの正攻法を、罠だけでやってのける。これが罠の魔女の「無血」の中身か。
「ノア」
「……うん」
「面白くなってきた、と言いたいところだが」
視界の隅で、もう一つの警報が点った。
【警報:当迷宮領域内に侵入者。第一層――反応、微小、多数】
うちの防衛網に、音もなく「何か」が入り込んでいた。スミの目が捉えたのは、一層の通路を行進する、手のひらサイズの人形の列。硝子の目をした、小さな小さな兵隊たちが――うちの罠を一つずつ、器用に分解しながら、奥へ向かっていた。
【決闘記録 経過二時間】
状況:攻略隊、敵迷宮一層で完全迷子(観測手段も汚染)。当方領域に人形部隊侵入、罠の無力化進行中。
特記:相手は強い。それも、こちらの強みを正確に潰しに来る型の強さだ。敵将は損得でなく「遊び」で動く――読み筋の物差しから、組み替える必要がある。……いいだろう。九ヶ月分の帳簿、全部出すぞ。
制限時間まで、残り二十二時間。
(第31話・了)




