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第32話 心を折る部屋

防衛戦から片付ける。

「ネジ、人形部隊の現在位置は」

こきり、と工房長が盤面の駒を三つ動かした。一層の罠線はあらかた分解され、人形たちは二層の入口に達している。行進は静かで、丁寧で、一切の無駄がない。

「殺傷禁止だ。槍も弩も使うな。――投網と粘着苔で、拘束しろ」

対人形戦は、奇妙な戦いになった。

ガロ抜きの番号持ちたちが、投網を構えて待ち伏せる。人形たちは網を見ると、立ち止まり、首をかしげ――一体が自分から網に飛び込んで、網の目の寸法を「採寸」した。残りはその情報で、網の目をすり抜ける隊形に組み変わる。

「学習するのか、あれ」

こちらも応じる。ネジが網の目を二重にし、粘着苔の帯を床と壁の継ぎ目に隠す。人形は床を避けて壁を歩き、壁の苔に足を取られ、初めて三体が転がった。

【捕獲:人形×三】

転がった人形は、抵抗をやめて、きゅう、と手足を畳んだ。降参の姿勢まで愛らしい造形だった。敵ながら、仕事が丁寧すぎる。

「捕獲した個体は工房へ。ネジ、構造を見ろ。ただし壊すな――殺傷禁止の『傷』に、人形が入るかどうか分からん」

規約の穴は、踏まない。それが決闘の鉄則だ。

第二波は、もっと賢かった。

人形たちは粘着苔の帯の手前で停止し、一体が仲間の背を踏み台に壁の高所へ取り付いて、苔のない天井経由の迂回路を拓いた。淘汰戦の蟲の橋と同じ理屈を、十数体の小隊が、無言でやってのける。

「ネジ、天井に鳴子線。それと、通路の中程に『何もない区画』を作れ」

こきり?

「罠だらけの道に、一箇所だけ罠のない安全地帯があったら、どう見える?」

こきり! と工房長が膝を打った。

人形たちは天井の鳴子線を見切り、床に降り――そして「何もない区画」の手前で、初めて隊列ごと停止した。怪しすぎて、踏めないのだ。罠の不在こそ、罠師に対する最高の罠だった。

立ち往生した隊列を、番号持ちたちが左右から網で包む。

【捕獲:人形×七】

工房の隅には、手足を畳んだ捕虜たちが行儀よく並べられていった。ネジが毛布を掛けてやっていたが、見なかったことにする。


問題は、攻略側だった。

硝子の遊戯場の中で、ガロ隊は静かに削られていた。

体力ではない。心をだ。

左手の壁は信用できず、歩数は意味をなさず、スミの観測は鏡像に汚染されている。進んでいる実感が、どこにもない。一刻歩いて出発点。半刻進んで、さっき置いたはずのマーキングが目の前にある。

「ギャウ……」

ノロシの耳が、垂れ始めていた。斥候の本能が「分からない」を連発させられて、悲鳴を上げているのだ。ビスは弩を抱えたまま無口になり、モチの震えまで、心なしか湿っぽい。

ガロだけが、まだ折れていなかった。

隊長は懐から手順書の写し――ネジが木札に写した携行版を取り出し、隊の前で、一枚ずつ読み上げ始めた。読めない字を、絵を、指でなぞって。

「ガッ(天井よし)。ガッ(足元よし)。ガッ(退路……は、分からん。分からんが、隊列よし。全員いる)」

全員いる。

その一言で、ビスの背筋が少し戻り、ノロシの耳が半分立った。地形が信じられず、目が信じられず、それでも隣の奴が全員いる。それだけは、この硝子の国でも本物だった。

これが、心を折る部屋。

刃物一つ使わず、七人のマスターを降参させた魔女の庭。

そして、九ヶ月かけて「折れない芯」を仕込んできた、うちの現場だった。

『ねえねえ、まだ折れないの?』

天井のどこかから、楽しげな声が降る。

『みんなね、だいたい五じかんで折れるの。じぶんの目と、じぶんの足が、しんじられなくなるから。そうするとね、つよいひとほど、ぽっきりいくの』

「ガロ」

俺は、汚染されたスミの視界越しに、それでも呼びかけた。

「全隊、停止。前進をやめろ。座れ。飯にしろ」

『……ふぇ?』

ピアの声が、素っ頓狂に裏返った。

攻略隊は、迷宮のド真ん中で車座になり、携行食を齧り始めた。ガロが配り、ビスが齧り、ノロシが水筒を回す。五分前まで遭難しかけていた隊が、ただの昼休みの作業班に戻っていく。

『な、なんで休むの!? いま、いいところだったのに!』

「うちの就業規則だ。混乱したら、まず止まって飯。動けば動くほど深みに嵌まる状況ってのは、世の中に結構ある」

焦りは、罠の最高の餌だ。なら、餌を断つ。簡単な理屈だが、命懸けの最中に実行するには、九ヶ月分の「全員で終礼に出る」の積み重ねが要る。

『や、休むのなし! ずるい! 迷ってるときは、迷うのがれいぎでしょ!?』

「礼儀の定義が斬新だな。……ピア、あんたの迷宮は確かに見事だ。だから敬意を表して、ちゃんと味わわせてもらう。早飯の客に、フルコースの善し悪しは分からんだろう?」

『ふ、フルコース……』

声が、まんざらでもない響きに揺れた。作品を「味わう」と言われて怒れる作り手は、いない。交渉でも戦争でも、相手の誇りの在処を外さないこと。それが対話の基本だ。

そして、止まって初めて見えるものがある。

「ガロ。手元のマーキング石を、床に並べろ。これまで通った場所の記録を、時系列で全部だ」

俺は、汚染された視界を捨てた。スミの目も、地図もあてにならない。なら、信じられる数字だけで組み直す。歩数、曲がった回数、振り子の音の間隔、床の傾斜の体感。隊の五人が体で覚えてきた、生の計測値。

灰板に書き出して、二刻睨んだ。

歩数の列。曲がりの回数。床の傾斜の体感。そして、ノロシが律儀に数え続けていた、振り子の音の間隔。

数字の山は、最初はただの山だ。だが、並べ替え、差を取り、比を取ると、山の中から背骨が浮く。前世で不良品の発生周期を追い詰めたときと、同じ手触りだった。不規則に見える現象の裏には、たいてい、几帳面な原因が隠れている。

「ノロシの数えた振り子。打音の間隔が、ばらばらに聞こえて――合計すると、必ず三百六十で頭に戻ってる」

「三百六十?」

「歩数もだ。ガロ隊が『元の場所に戻された』ときの移動量、三回分を足すと、全部三百六十の倍数だ。偶然で三回は揃わない」

「……ノア。こいつは迷宮じゃない」

「え?」

「機械だ。それも、決まった周期で動く機械だ。通路の組み変えは無作為に見えて、全部が三百六十拍で一巡してる。つまりこの迷宮は――時計だ」

無作為に見える変化ほど、裏に正確な機構がある。ピアは罠の天才で、天才の作る機構は、美しく、正確で――だからこそ、周期から逃げられない。

「ガロ、次の行動を指示する。進むな。『待て』。振り子の音を数えて、三百六十の頭で、いま目の前にある左の通路に入れ。通路が向こうから、お前たちの所へ回ってくる」

『う、うそ。とまったまま……すすんでる!?』

ピアの声から、余裕の糖分が抜け始めた。

迷子の隊が、一歩も迷わず、時計の歯車を乗り継いでいく。動く迷宮は、周期さえ読めば、動く歩道と同じだ。

『……やるじゃん』

声が、低くなった。

『じゃあ、つぎは、ほんきの部屋』

攻略隊の前で、硝子の床が、音もなく裂けた。


【決闘記録 経過十一時間】

状況:防衛線、人形部隊を漸減中(捕獲二十一、罠の損耗は痛い)。攻略隊、敵迷宮の「周期」を解読し中層へ前進。

特記:敵迷宮の正体は精密機械。そして機械には必ず、設計者の癖が出る。――ピア、お前の癖は、もう三つ拾った。

制限時間まで、残り十三時間。


(第32話・了)

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