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第30話 第一回迷宮市

百三十日目の朝、ラトナの広場には十六の屋台が並んだ。

スミの目で上空から見ると、なるほど、セラの心配がよくわかる。屋台は並んだが、客がいない。開場の鐘から半刻、広場を歩くのは出店者と、所在なげな野良犬が一匹だけだった。

屋台の陰で、セラが胃のあたりを押さえているのが見えた。その後ろには、腕組みの壮年の男。固太りの体に、岩みたいな渋面。あれが町長――セラの父、モンド氏だろう。娘の説得に判は押したが、顔のほうはまだ一文字も賛成していない、という面構えだった。

「ノア、焦るな。人出ってのは、湧くんじゃない。流れ込むんだ。最初の流れさえ作れば」

最初の流れは、街道の方からやってきた。

ギルドの臨時依頼を受けた冒険者たちだ。三人、五人、十人。警備の腕章を巻き、割引券を握り、屋台を冷やかし始める。武装した人間がうろつく市は、皮肉なもので、それだけで「安全な賑わい」に見える。

賑わいに見える場所には、人が寄る。

近郊の村の荷馬車が着いた。行商人が店を広げた。様子見をしていた町の婆さんたちが、ぞろぞろと出てきた。昼の鐘が鳴る頃、広場は――祭りになっていた。


「ヤクヨモギ、迷宮直送! 今朝採れだよ!」

リーゼの売り声が飛ぶ。薬草の屋台は行商人が箱ごと買っていき、モチが磨いた水晶細工は婆さんたちが「仏壇に」と買っていった。仏壇とは何かは知らないが、ありがたいものに供えるらしい。

隣の釜では、ミナが薬草茶を注いでいた。一杯銅貨一枚。例の「原価計算が先だ」と言った茶だ。原価は計算した。一杯あたり0.02DP、粗利九割五分。商品化までに百日かかった茶としては、悪くない数字だ。

「あったまる……」「香りがいいねえ」

湯気の向こうの広場の隅では、子供たちが棒切れを振り回して遊んでいた。聞くともなしに聞けば、「迷宮ごっこ」だという。

「ぼくが迷宮の主!」「ずるい、昨日もやった!」「じゃあじゃんけん!」

……いつの間にか、主役の取り合いになる側の役らしい。七ヶ月前、屋台の骨組みで遊んでいたあの子らの中で、迷宮は悪役から、なりたいものに変わっていた。

「ノア、いまのは帳簿に載らない収入だな」

「載せれば? 特記事項の欄に」

「……そうするか」

一番の人だかりは、バッソの鍛冶屋台だった。

「迷宮の地金を、わしが鍛えた包丁だ! 切れ味見てけ!」

売り物の包丁が藁束をすぱすぱ落とすたび、歓声が上がる。半製品卸しの初荷は、昼までに完売した。バッソは何十年ぶりかの大口仕事に、終始笑いっぱなしだった。

「次! 迷宮見学ツアー、出発しまーす! 怖くないコースです! 妊婦さんとお年寄りは手すりをどうぞ!」

ロイの先導で、見学客の列が迷宮へ向かう。はじめての迷宮コース、一巡り三十人。戻ってきた客たちの顔が、何よりの広告だった。

「すごかった……天井が、星で」

「スライムがお辞儀したのよ、お辞儀!」

「孫を連れてくりゃよかった」

視界の隅で、ログが沸騰していた。

【感情採取:+2.1】【+1.8】【+3.4】【+2.6】――感動、笑い、興奮、驚き。純度の高い金が、ひっきりなしに流れ込んでくる。

【本日感情採取累計:+214.8DP】

一日で、二百超え。淘汰戦の戦闘還元に匹敵する数字を、誰一人傷つけずに叩き出している。

「……ノア、見ろ。これが、感情経済の天井値だ」

「うん。……ねえ、マスター」

「なんだ」

「楽しい?」

一瞬、言葉に詰まった。

「……数字が、いい」

「ふぅん」

ノアはそれ以上聞かず、星空回廊へ流れていく客の列を、目を細めて眺めていた。


夕方、二つの来訪があった。

一つ目は、町長モンド氏だ。

渋面のまま一日広場を歩き回っていた町長は、店じまいの始まった夕刻、バッソの屋台の前で長いこと立ち止まっていた。

スミを近くの軒に止まらせると、今度は声が拾えた。

「……モンドよ。わしはな、今朝まで迷宮など信用しとらんかった」

「今は」

「今もしとらん。だがな」

バッソは、売上の銅貨を数える手を止めずに、顎で炉の方を指した。

「今朝、十年ぶりに弟子志願が来た。村の小僧だ。鍛冶で食えると思った、と抜かした。……十年だぞ、モンド。この町で『食える』なんて言葉、十年ぶりに聞いた」

それから親父は、山の方を指した。

「信用なんぞ、せんでいい。だが帳場と取引はせえ。ありゃあ、商売の筋は通す相手だ」

町長は何も言わず、広場を出ていった。

そして閉場の鐘の後、セラが入口前に駆けてきた。手に、認可状を握って。

「父が……月例開催、認めました。それと、これを」

認可状の隅に、几帳面な、しかし不慣れな筆跡で一行、書き足されていた。

『広場の使用料は取らん。その分、来月は屋台を増やせ』

「……不器用な御仁だな」

「ええ。誰に似たんだか」

セラは笑った。今日一日で、十八年分くらい働いた顔だった。


二つ目の来訪者には、誰も気づかなかった。

俺以外は。

午後のツアー客に、フードを被った小柄な少女が混じっていた。スミの目が拾ったのは、その歩き方だ。誰よりも軽く、足音がなく、そして――俺の仕掛けた謎解きの前で、一度も立ち止まらない。

宝箱の罠(子供だまし)を一瞥で見切り、隠し扉を見もせずに指でなぞり、初心者コースの仕掛けという仕掛けを、つまらなそうに素通りしていく。

その足が、初めて止まったのは、星空回廊だった。

フードの下から、少女は長いこと、天井の星を見上げていた。

隣のツアー客の子供が「おねえちゃんも、はじめて?」と話しかけ、少女がこくりと頷くのが見えた。

「すごいよね!」

「……うん。すごい」

その声だけは、偵察にも演技にも、聞こえなかった。

それから水鏡の間で立ち止まり、地脈の展望で手すりに顎を載せ、閉場までずっと、そこにいた。

閉場の鐘が鳴ると、少女は最後にもう一度だけ、星空回廊の方角を振り返った。それから何かを振り切るように、出口へ歩いた。

帰り際、彼女は出口の岩に、指で何かを書いた。燐光苔が、なぞられた跡だけ淡く光る。

『おもちゃじゃなくて おみせだった』

『ますます こわしたくなっちゃった』

そして少女は、入口の十歩先で、くるりと一回転して――消えた。

足跡だけを、残して。


その夜、系統の通知が鳴った。

【三五号迷宮より、決闘の申請が届いています】

【形式:任意決闘(淘汰戦規定の縮小適用)/条件:申請者の提示を確認してください】

提示された条件は、こうだった。

『かけきん:まけたほうは、かったほうの「いうこと」をひとつきく』

『きじつ:ふつかご』

『おまけ:はなのえ』

本当に花の絵が添付されていた。

「……ノア。系統の決闘契約で『言うことを一つ聞く』ってのは」

「文字通り。系統が強制力を持たせる。拒否権なし。……『迷宮ごと寄越せ』も『消えろ』も、一つのうち」

子供の遊びの口約束に、世界の根幹システムが判を押す。

罠の魔女の宣戦布告は、書式まで罠みたいな代物だった。


【迷宮経営日報 百三十日目】

残高:13,704.2DP(市の売上+感情採取で単日+737.9=開業以来最高)

特記:第一回迷宮市、成功。月例開催の認可(広場使用料免除)。鍛冶屋バッソの初荷完売。町長の渋面、わずかに緩む(目測)。

そして、罠の魔女ピアより正式な決闘申請。賭け金は「言うこと一つ」。

回答期限まで、あと一日。


(第30話・了)

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