第27話 出血する資産
対策会議の灰板に、俺はまず事実を並べた。
「旧三一号領域。淘汰戦の戦利品だ。中身は、百年物の迷宮構造と、蟲毒を百年養った極太の地脈。資産価値は文句なしの優良物件。――問題は、立地だ」
歩いて十日の彼方。うちの本体とは、淘汰戦の回廊跡という細い接続で、辛うじて繋がっているだけ。
「そして系統の仕様で、領域の接続には維持費がかかる。距離に比例し、接続が細るほど割増になる。回廊跡は系統の臨時建造物だから、放っておけば自然に崩れていく。つまり――」
「維持費が、毎日上がっていく」とノア。
「現在、日次マイナス一一八・四。十日後には一四〇を超える見込み。そして推定四〇日後、回廊跡は完全に崩壊して、接続が切れる」
「切れたら、どうなるの」
「所有権ごと系統に回収。全損だ」
要するにうちは、毎日値上がりする保管料を払いながら、四十日後に消える倉庫を借りているわけだ。
「選択肢は三つ。一つ、損切り。今すぐ放棄すれば、出血は今日で止まる。二つ、現状維持。出血を呑んで、四十日後に全損。これは論外だから忘れろ。三つ――構造を変える」
「構造?」
「接続をやめて、現地に『核』を置く。本社と支社を細い廊下で繋ぐから金がかかるんだ。支社に支社の心臓を置けば、廊下は要らない」
ノアが、目を細めた。
「……それ、できるなら誰かがやってる。コアは迷宮に一つ。動かせない。増やせない。系統の大原則」
「その大原則とやらに、先月、例外を見たばかりだろう」
俺は、棚の記録結晶――蟲毒の核片を指した。
「グルムだ。奴はコアを体内に取り込んで、戦場まで持ってきた。つまりコアは『動かせない』んじゃない。『動かす方法が知られてない』だけだ。それと、系統の仕様書の文言だ。ノア、淘汰戦の吸収のとき、こうあったな。『契約、記録――の移転』。そして飛び地の項には『従属接続』。従属、という言葉がある以上、核には主従の概念が、仕様として最初から存在する」
「……主核と、従属核」
「サブコアだ。それを作る。損切りの判断は、開発の成否を見てからでも遅くない」
期待値も弾いてある。旧三一号の地脈が想定通りなら、回収後の収入は日次プラス六〇以上。開発費を呑んでも、半年で元が取れる。
「と、いうわけで工房長」
こきり、とネジが進み出た。
「研究班を立ち上げる。お前が班長だ。材料は核片と、地脈の根と、お前の腕。締切は――出血が傷になる前。ざっくり三十日だ」
念のため、損切りの判断基準も先に決めて、灰板の隅に書いた。
『開発費が四基分(11,200)を超えたら撤退。撤退時は飛び地を放棄し、出血を止める』
「……先に負け方を決めるの?」
「決める。研究ってのはな、熱が入るほど『あと少し』が無限に続く。だから冷えてる今のうちに、やめる線を引いておくんだ。線の内側でなら、全力で粘っていい」
材料の一部は町からも仕入れた。照会を受けたセラの返書には『水晶の屑と銀線ですね。手配します。何にお使いかは、聞かない方が良さそうなので聞きません』とあった。話の早さに、磨きがかかってきている。
研究は、初日から壁に当たった。
核片の構造は、ノアにも読めない箇所だらけだった。系統の根幹に近い技術は、管理精霊にすら開示されていない。
「この結び目……何かの回路だとは思う。でも、編み方の規則が、わからない」
俺とネジとノアが核片を囲んで三日唸った、その晩のことだ。
「――従属核の基礎は、主核の根の三つ編み」
ノアが、ふいに言った。
「地脈の流れに沿って三本取り、結び目に記録晶を噛ませる。主従の序列は編みの上下で決まって、逆編みは反逆と見なされて焼き切れる。だから、編み始めの一目だけは、絶対に……」
すらすらと、よどみなく。
そこまで言って、ノアは、自分の口を両手で押さえた。
「………」
「……続きは?」
「知らない」
「いま喋ってたのはどこの誰だ」
「知らないっ。勝手に、口が……! なに、いまの。わたし、こんなの、習ってない。覚えてない。なのに、知ってる」
硝子玉の瞳が、初めて見るほど揺れていた。記憶にない知識が、自分の中から出てくる。それは便利という言葉で済む話ではなくて、たぶん、怖い話だ。自分の中に、自分の知らない部屋があると知るのは。
「ノア」
「……っ」
「気味悪がるな、とは言わん。気味悪いだろうからな。ただ、これだけは先に言っておく」
俺は、いつもの帳簿の調子で言った。
「お前の中から何が出てこようと、その先に何の記憶が眠っていようと――お前はうちの管理精霊で、うちの帳簿の住人だ。それは変わらん。変える気もない。だから安心して、出てきた知識は全部うちの研究に使え。給料は弾む」
「……給料、もらってない」
「そうだったか。なら今夜から、日報にお前の欄を作る」
ノアは、しばらく黙っていた。
「……ねえ、マスター。わたし、記憶の欠けを、ずっと気にしてなかった」
ぽつり、ぽつりと、彼女は言った。
「からっぽの棚は、からっぽなだけ。何も入ってないなら、何も怖くない。そう思ってた。でも、違った。棚は、からっぽじゃなかった。鍵が、かかってただけだった」
小さな手のひらが、自分の胸の辺りを、所在なげに撫でる。
「鍵の向こうから、知らない知識が漏れてくる。三つ編みの目数なんて、わたし、習った覚えがない。なのに手が覚えてる。……それって、つまり。鍵の向こうのわたしは、いまのわたしじゃない誰か、ってこと。だったら――いまのわたしは、誰?」
百十日付き合ってきて、こいつがこんなに長く喋るのを、初めて聞いた。
「誰かって聞かれたらな」
俺は、帳簿をめくる手を止めずに答えた。
「うちの管理精霊で、毒舌の補佐役で、俺の袖を戦のたびに摘む奴で、ガラクタの綺麗なやつを集める癖があって、モチの還元レートを誰より正確に暗算する――ノアだ。鍵の向こうに何が入っていようと、こっち側の棚は、もう百十日分埋まってる。からっぽじゃない」
「………」
「中身が増えるのは、資産だ。怖がるな。棚卸しなら、手伝ってやる」
それから、押さえていた手を、ゆっくり下ろした。
「……三つ編みの、編み始めの一目。たぶん、わたし、手が覚えてる。やってみる」
「頼む。……無理はするな。お前の中の部屋は、お前のペースで開ければいい」
設計は、ノアの「手」とネジの腕で、一気に進んだ。
主核の根を三本、地脈の流れに沿って編む。結び目に記録晶を噛ませ、従属の序列を編み込む。理屈の上では、これで「小さな核」が一つ、主核の子として生まれる。
問題は、材料費だった。
「記録晶の精製と、根の補強材で……一基、二、八〇〇DP」
「言い値で通す。ただし、ネジ。試作は二基分の材料を仕入れろ」
こきり?
「一発で成功する前提の予算は、予算と呼ばない。失敗の分まで先に積んでおくのが、研究開発費だ」
【迷宮経営日報 百十日目】
残高:22,016.9DP(研究材料費−5,600/飛び地出血、累計−1,900突破)
特記:サブコア(従属核)開発、始動。班長ネジ、顧問ノア。ノアの中から出処不明の技術知識――本人動揺につき、日報に「ノアの欄」を新設(本日の業務:三つ編み理論の供述。給料:いちばん綺麗なガラクタ一つ)。
接続断まで、推定三七日。
新装開業まで、あと二〇日。
(第27話・了)




