第26話 感動の純度
検算は、夜通しかかった。
【感情採取:+9.2DP】
百三日目、セラが地脈を見下ろした、あの瞬間の単発値。比較のため、当日の他の記録を並べる。
【感情採取:+0.4DP】(リーゼ党、入場時の高揚)
【感情採取:+0.2DP】(セラ、坑道での驚き)
四十倍。同じ「感情採取」の名前で、四十倍の開きがある。
「ノア。感情採取の換算の仕組みは」
「感情の量に、一律のレートが掛かる。系統の公称では、そう」
「公称では、ね」
俺は過去ログを掘り始めた。百日分の日報を律儀に付けてきた甲斐があるというものだ。
あった。
二日目。リーゼ党が初めて来た日。【感情採取:+0.9DP(恐怖0.6/安堵0.2/感謝0.1)】――この内訳の「感謝0.1」。あの日、四人が浴びるほど発した恐怖が0.6で、出口で頭を下げた一瞬の感謝が0.1。発生量で言えば、恐怖は感謝の何百倍もあったはずだ。なのに、着金は六倍しか違わない。
四十日目。リーゼがナイフの返却に気づいた瞬間にも、小さなスパイクが残っていた。
「……量じゃない。質だ」
着金額は、量×純度。そして系統の表示は着金額しか出さないから、誰も内訳に気づかない。
「ノア、この仮説、系統の公称と矛盾するぞ。検証されてないのか」
「……たぶん、誰も。感情採取は『恐怖で稼ぐもの』だから。客を脅かせば確実に量が出る。みんな、それで満足してきた」
「量が出るから単価を見ない、か。薄利多売の沼だな」
業界の全員が、百年単位で、レート表を確かめずに商売をしてきたわけだ。笑える話だが、笑えない。前世でも、よくあった。「昔からこうだから」は、検算しない者の合言葉だ。
仮説は、実験で潰す。これも基本だ。
翌日、俺はリーゼ党に正規の依頼を出した。報酬は銀貨と薬草採取権。内容は「迷宮内で、こちらの指定する三つの体験をすること」。
「実験台ってことですか!?」
「人聞きが悪い。モニター調査だ。危険はない。気分を害したら即中止する」
コースは三つ作った。
A、恐怖。消灯した坑道を、物音つきで歩いてもらう。
B、安堵。その直後、暖かい灯りと白湯で迎える。
C、感動。仕上げに、地脈の展望へ案内する。
Aコースの演出はガロが担当した。闇の中で岩を擦り、唸り声を落とし、気配だけで追い詰める。本職の戦闘術の応用だ。効果は覿面で、リーゼは三歩で悲鳴を上げ、ロイはリーゼを盾にし、ミナは詠唱を噛み、ドガは目を閉じて歩くという新技を披露した。
途中、あまりの怯えっぷりに、演出側のガロが心配して灯りを点けかけたのはご愛敬だ。鬼役が客を気遣ってどうする。
Bコースの白湯は、ネジが鉄器で沸かした。震える手で椀を受け取った四人が、ひと口すすって全員同時に「はぁ……」と息を吐いた瞬間、ログが綺麗に跳ねた。恐怖の直後の安堵は、単体の安堵より値がいい。緩急は、それ自体が商品らしい。
結果は、一晩で出た。
【A・恐怖:採取量 大/着金+0.31】
【B・安堵:採取量 中/着金+0.74】
【C・感動:採取量 小/着金+11.6】
「……出たな」
恐怖は、量はあふれるほど出るのに、ほとんど金にならない。感動は、ほんのひと匙で、桁が変わる。レートに直せば、恐怖を一とすると、安堵が七、感動はおよそ八十。
ちなみにCの最高記録はドガだった。大盾の少年は地脈を見て、また静かに泣き、一人で+5.4を叩き出した。
「ドガ、お前は感受性の塊だな」
「す、すみません……」
「褒めてる。謝るな。むしろ毎週来てくれ」
幹部会議で、俺は灰板に大きく書いた。
『経営方針の転換:殺さない → 楽しませる』
「数字の根拠は、いま見せた通りだ。恐怖で稼ぐのは、世界中の迷宮がやってる薄利多売だ。うちはやらない。客を楽しませ、驚かせ、感動させて帰す。客単価は四十倍、しかも楽しんだ客は、また来る。リピートと口コミは、広告費ゼロだ」
「ギャッ!」
「具体的には、新装開業に向けて迷宮を改装する。安全な冒険区画、見せ場の動線、攻略の歯ごたえ。『攻略して楽しい迷宮』――目指すのは、また来たくなる迷宮だ」
ガロが手を挙げ……拳を挙げた。
「ガッ、ガロ(脅かす係は、もう要らないか)」
「要る。怖さは要るんだ、ガロ。安全な怖さってのは、最高の娯楽の材料だからな。Aコースの恐怖も、Bの安堵とセットなら倍率が跳ねた。お前の鬼の形相は、これからは演出部の主力だ」
「ガロ!?」
改装案は、その場で灰板二枚分出た。
燐光苔を天井一面に星座のように配した「星空回廊」。モチの分解で磨き上げた水鏡の間。ネジの工房を硝子越しに見学できる「ものづくり横丁」。ビスの的当て指南、ノロシの展望台、締めは地脈の大河。初心者向けには、危険のない「はじめての迷宮」コースを別動線で引く。
「肝は緩急だ。怖い、ほっとする、笑う、見惚れる。感情の段差が大きいほど、純度が跳ねる。設計図は俺が引く。施工は総出だ。開業は迷宮市の当日――残り二十四日で間に合わせる」
「ギャッ!」
やる気だけは満場一致だった。
ノアが、ふわりと俺の横に来た。
「……ねえ、マスター。一つ聞いていい」
「なんだ」
「楽しませる方が儲かるから、楽しませる。それは、わかった。……ほんとうに、それだけ?」
「それだけだ。数字の上の話だ」
「ふぅん」
ノアは、それ以上、何も言わなかった。
言わなかったのが、また妙に刺さった。あの「ふぅん」は、たぶん俺の帳簿には載らない何かを、勝手に検算している顔だった。
ところで、検証の過程で、もう一つ妙なものを拾ってしまった。
スミの定点観測網――町の上空からの見回りに、感情反応の地図を重ねてみたときだ。町外れの丘、あの古い祠の周辺にだけ、ぽつり、ぽつりと、高純度の反応が灯る。
セラが祈った時。婆さんたちが供え物をした時。子供が手毬唄を歌った時。
「ノア。祠は、うちの採取網の外だよな」
「外。領域から、ずっと遠い。……観測できるはずが、ない」
「だが、観測できてる」
祈りの純度は、感動よりさらに上に見えた。そして、その反応はうちの網ではなく――何か別のものを経由して、こちらに「漏れて」来ている。
山の下で眠る何かと、うちの迷宮は、どこかで繋がっている。
調査案件の「祠」の項目に、下線を引いた。これで三度目だ。
気のせいであってほしいが、観測のたびに、反応はわずかずつ鮮明になっている気がする。眠りが、浅くなっていくような。……考えすぎなら、それでいい。考えすぎでなかった場合に備えるのが、俺の仕事だ。
「マスター」
日報を締めかけた俺に、ノアが言った。
「ところで、飛び地の帳簿、最近見てる?」
「……いや。復興と契約で後回しにしてた。なんだ、その嫌な言い方は」
「見て」
言われるまま、旧三一号領域の収支を開く。
【接続維持費:−118.4DP/日(逓増中)】
「は?」
累計を見る。吸収からの二週間で、−1,400を超えていた。
うちの優良資産が、音もなく出血していた。
【迷宮経営日報 百六日目】
残高:23,705.5DP(感情実験の効果で日次収入が+31.2に上昇)
特記:感情採取の実測レート判明――恐怖一、安堵七、感動八十。経営方針を「楽しませる迷宮」へ転換、改装計画始動。祠周辺に観測不能のはずの高純度反応(調査案件)。
それと、飛び地が日次−118.4で出血中。明日、対策会議。
新装開業まで、あと二四日。
(第26話・了)




