第25話 検分
検分当日の朝礼は、軽い騒乱状態だった。
ガロは歩哨全員の槍の角度を直して回り、ネジは工房を整頓しすぎて逆に何がどこにあるか分からなくなり、ビスとノロシは「らいひん」という単語に浮き足立ち、モチは念入りに磨かれて、いつもの三割増しでつやつやしていた。
「落ち着け。お前らの仕事ぶりを、そのまま見せればいい。……いいか、検分というのはな、取り繕った現場を見抜くために来るんだ。一番の失点は、嘘くさい綺麗さだ。普段通りにやれ」
「ギャッ!」
返事だけは普段通りだった。まあ、初来賓だ。多少の浮つきは経費のうちだろう。
見学順路は、俺が三日かけて設計した。安全と、見せ場と、商品価値の説明効率。動線設計は、展示会ブースの基本だ。前世の展示会と違うのは、説明員がゴブリンなことくらいだった。
百三日目の午前、セラ・モンドは台帳と巻き尺を持って現れた。巻き尺を持参する来賓は、世界広しといえど彼女だけだと思う。
護衛はリーゼ党。先導はスミ。一行はまず、薬草床に入った。
「ここがヤクヨモギの床です! あたしたちが最初に来た時から、もう全然違うんですよ。畝が増えて、水路が通って――」
リーゼの解説は、案内人として悪くなかった。常連の言葉には、台本にない実感がある。
セラは畝にしゃがみ、葉を一枚摘んで光に透かし、巻き尺で畝の間隔を測り、台帳に書いた。
「……栽培密度、王都の薬草園の水準。湿度管理は、この水路と苔で? 誰の設計です?」
「うちの管理者です」とスミ。
「迷宮の主が、畑の畝幅を決めてるんですか」
「畝幅を決めない経営者に、収量は語れませんから」
「……記録します。『産地、優良。管理思想、異常』」
褒められているのか貶されているのか、判断に迷う記録だった。
薬草床の出口では、モチが待ち構えていた。白い丸が、ぺこり、と上半身を折る。
「これが噂の、お辞儀をするスライム……」
セラは数秒の沈黙ののち、台帳を小脇に挟み、両手でスカートの裾を摘んで、正式の礼を返した。
「ご丁寧に、どうも。ラトナのセラと申します」
ぷるり、とモチが震えた。リーゼ党が「セラさんが負けた」「何の勝負だよ」と騒ぎ、検分の空気が一段、柔らかくなった。礼には礼で返す人間を、うちの従業員はみんな好きになる。
二層の採掘現場では、セラの筆が初めて乱れた。
バケツリレーの列に入る前、ゴブリンたちが順々に天井へ指を突きつけ、「ギャッ(天井よし)」「ギャッ(足元よし)」と声を上げていく。それを欠け耳のホブゴブリンが、腕組みで監督している。
「……あれは、何の儀式ですか」
「指差し確認です。持ち場の安全を、目と声で確かめる手順です」
「魔物が」
「ええ」
「安全確認を」
「ええ。当迷宮の労働災害は、開業以来、敵襲由来を除けばゼロです」
セラは額を押さえ、それから観念したように書いた。
『この迷宮は、町のどの現場よりも現場が良い。悔しい』
工房では、ネジが直立不動で迎えた。セラは規格槍を一本取り、重心を確かめ、刃を見て、目の色を変えた。
「……均質。完全に均質です。これが量産品? 町の鍛冶屋が見たら泣きますよ。卸せます、これ。武具の項目、契約に足しましょう」
こきり! と工房長が胸を張った。あとで大盛りだな。
道中の警備に立ったビスとノロシも、その場で紹介した。セラは二体の名を聞くと律儀に台帳へ書き取り、「お名前が、あるんですね」と言った。
「ある。働き者には名前がつく職場なんでな、うちは」
最後の見せ場は、地脈の展望だった。
裂け目の縁に組んだ手すりの前に、セラを案内する。眼下二十メートル、世界の血流が、金とも青ともつかぬ光で滔々とうねっている。
セラ・モンドは、台帳を取り落とした。
慌てて拾いもせず、手すりを握って、ただ光の大河を見下ろしていた。数字の人の目から、数字が消えていた。
「……きれい」
ぽつりと、それだけ言った。
リーゼ党も、何度見たか分からないはずなのに、並んで黙って見ていた。ドガに至っては、また少し泣いていた。
「これが、地脈」セラの声は、いつもより少し幼かった。「この光が……町の下にも、流れてるんですか」
「流れてる。鉱山の坑道の、さらに深くをな」
「鉱山が死んだのに?」
「死んだのは鉱脈だ。山は生きてる。……うちが証人だ。枯れたと言われた迷宮が、この光に繋ぎ直したら、生き返った。町も、同じことができるはずだ」
セラは長いこと黙って、それから台帳を拾い上げ、表紙の埃を払った。
「……今の言葉、長老会でそのまま使います。使用料は、まけてください」
「営業文句は無料だ。持っていけ」
俺はその間、視界の隅のログに、妙な表示が流れたのに気づいていた。
【感情採取:+9.2DP】
単発で、9.2。
見間違いかと思った。普段の感情採取は、客一人一日で0.2か0.3の世界だ。それが一瞬で、その四十倍。
……後で検算だ。今は検分の途中だ。
事件は、帰路に起きた。
旧坑道の検分を終えて戻る途中、ノロシが、ぴたりと足を止めた。若草色の魔力をまとう斥候は、天井の一点を指差し、鋭く鳴いた。
直後、ガロが動いた。
「きゃっ……!?」
セラの体が横抱きに攫われ、三歩跳び退く。今しがた彼女が立っていた場所に、緩んだ岩塊が、立て続けに落ちた。古い区画の、点検網の隙間だった。
「……っ、申し訳ない。完全に、こちらの整備不良です」
セラは、ガロの腕の中で目を白黒させ――下ろされると、まず台帳を拾い、埃を払い、書いた。
『百三日目。検分中、落石。当方の被害なし。理由:迷宮の従業員に救われたため』
それから、彼女は息を一つ吐いて、付け足した。
『この記録を、町の誰が信じるだろうか。でも事実だ。事実は台帳に載せる』
「ガロ、ノロシ、よくやった。……減点は覚悟しています。整備不良は事実だ」
「ええ、減点です。安全保証条項の必要性が、身をもって理解できました。条項の文言、もっと厳しくしましょう。お互いのために」
転んでもただでは起きない。事故すら契約の精度に変える。つくづく、得難い取引相手だった。
調印は、夕刻、入口前の机で行われた。
羊皮紙二通。条文は十八条。俺はスミの嘴に細筆をくわえさせ……るのは無理があったので、領域の縁ぎりぎりに立って、敷居越しに自分の手で署名した。
『四九番迷宮 管理者 ケイ』
「ケイ様、ですね」
証人欄には、リーゼ党の四人が署名した。リーゼは三回書き損じ、ロイは妙に達筆で、ミナは几帳面に、ドガは羊皮紙に穴を開けかけた。迷宮と町の歴史的契約の証人欄としては、世界一しまらない四つの署名だった。だが、これでいい。最初の証人は、最初の客がいい。
セラは署名を見て、初めて、年相応の顔で笑った。
「ラトナの町は、本日より四九番迷宮の――いえ。ケイ様の迷宮の、取引相手です。よろしくお願いします」
「ああ。末永く、検算し合おう」
握手の代わりに、互いの台帳を軽く掲げ合った。たぶん世界で初めての、迷宮と町の調印式だった。
【迷宮経営日報 百三日目】
残高:23,602.8DP
特記:ラトナとの基本契約、調印(全十八条)。武具卸の追加合意。検分中に落石一件――ガロとノロシに特別賞与(大盛り三杯)。整備計画の前倒しを決定。
それと、検分中の感情採取に単発+9.2の異常値。明日、検算する。
第一回迷宮市まで、あと二七日。
(第25話・了)




