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第22話 決算

夜が明けても、光の逆流は続いていた。

回廊だった裂け目から、敗者の資産が流れ込んでくる。コアの間の水晶は一晩中、満腹の猫みたいに喉を鳴らし続け――九十一日目の朝、ようやく通知が打ち止めになった。

【吸収完了】

【DP残高:+二四、八〇〇】

【取得:設計図群一式(葬甲蟲系統二十七種/旧十二迷宮の登録設計図三百十一件)】

【取得:領域(旧三一号迷宮および回廊跡)】

ノアと二人、表示を眺めたまま、しばらく誰も口を利かなかった。

「……ノア。読み上げてくれ。現実か確認したい」

「残高、二万四千八百と二。内訳、グルムの百年の蓄えと、十二迷宮分の遺産。それと――遠すぎて管理できない、空っぽの巣がひとつ」

旧三一号領域。歩いて十日はかかる距離の飛び地だ。系統いわく『接続維持には中継核の設置が必要』。中継核なんて項目、カタログのどこにもない。

「……ないなら、作るしかないか。研究課題として記帳しておけ」

かくして当迷宮は、一晩で大陸辺境有数の資産家と、大陸辺境有数の不良債権を、同時に抱え込んだ。経営というのは、そういうものだ。


葬いは、岩山の前でやった。

祭壇代わりの灰板に、こう刻んだ。

『四番。十一番。当迷宮は両番号を永久に欠番とする。以後、何百年迷宮が続こうと、誰にもこの番号は振らない』

番号しか持たない二人だった。なら、その番号ごと、誰にも渡さなければいい。量産個体の墓標としては、これが俺に思いつく精一杯だった。

ガロが二人の槍を岩山に立て、全員で一礼して、それで終わりだ。湿っぽいのは、うちの社風じゃない。

ついでに、人事もやった。

吸収した蟲のうち、生き残りの工兵種が二体、契約移転でうちに転がり込んできたのだ。ガロは複雑きわまる顔をしたが、酸で岩を溶かす工兵など、土木部門には宝の山だ。

「昨日までの所属は問わない。働く奴は、誰でもうちの従業員だ」

「ギャ……」

「お前が直属上司だ、ガロ。仕込んでやれ」

欠け耳の隊長は、長いこと工兵蟲を睨んでいたが、最後には「ガッ」と顎をしゃくって、配置に就かせた。器が育ってきた証拠だった。


それから、論功行賞だ。

「チビ。前へ」

「ギャッ!?」

飛び跳ねて出てきた最年少に、俺は言った。

「夜行での一射、女王戦での複眼。射手としての働き、確かに見た。――名をやる。受けるか」

チビは、目を真ん丸にして、それから千切れるほど頷いた。

「お前は小さくて、よく刺さる。ビスだ。小さいネジと書いて、鋲螺子。工房長の弟分みたいなもんだろ」

【名付け成立:固有個体『ビス』/ゴブリン→ホブゴブリン(射手)へ進化】

光が弾け、小さな射手が一回り伸びる。それでもガロよりずっと小柄なままなのが、こいつの「個」らしかった。

「のっぽ。前へ」

「ギャウ!」

「高い所から、誰よりも先に危険を見つけるのがお前だ。見張りの名、ノロシ。狼煙のノロシだ」

【名付け成立:固有個体『ノロシ』/ゴブリン→ホブゴブリン(斥候)へ進化】

ひょろりとした体がさらに伸びて、本人は天井に頭をぶつけて悶絶していた。締まらない進化だが、まあ、うちらしい。

最後に俺は、肩に止まった黒い羽の相棒を見た。

「……お前は機材だと言ったな。消耗品だから、名前はつけないと」

かあ、と鴉が鳴く。

「撤回する。悪かった。お前の測量と伝令がなきゃ、夜行は組めなかった」

工具箱から、大工の墨壺が頭に浮かんだ。黒くて、線を引いて、仕事の基準を作る道具。

「スミだ。今日からお前は、うちの測量長」

【名付け成立:固有個体『スミ』/使い魔・鴉→識鴉へ進化】

羽が一段深い黒に艶めき、瞳に賢しげな銀が差した。スミは一声鳴いて、俺の頭を踏み台に飛び立った。態度まで進化しやがった。

ノアが、三体の魔力を順に透かし見て、目を細めた。

「ビスは山吹。ノロシは若草。スミは……銀灰。みんな、ちゃんと色が違う」

「そういうもんだろ。同じ規格から始まっても、だ」

モチには、吸収した在庫から極上のガラクタを山と積んだ。酸でひと回り縮んだ体は、それでも一晩中もりもりと食い続け、朝には九割がた丸さを取り戻していた。うちのエースは、燃費まで優秀だった。


九十三日目、迷宮の入口を開けた。

淘汰戦の間、系統に封鎖されていた入口だ。スミの目で外を見ると、なんと、雪の降り始めた入口前に、見覚えのある四人組が焚き火をして座り込んでいた。

「三日も閉まるなんて、絶対おかしいよ……あの迷宮、義理堅いもん……」

「リーゼ、もう帰ろうぜ。死んだんだよ、きっと中の人」

「死んでないもん!」

岩壁が開く音に、四人が弾かれたように立ち上がった。

入口の苔が、淡く文字を綴る。

『営業再開しました』

リーゼが、わっと泣き出した。ロイが空を仰ぎ、ミナが眼鏡を拭き、ドガが盾を取り落とした。

その日の夕方、丘の祠にはセラが来て、パンのかけらを倍に増やして供えていった。

「眠り神さま。迷宮、生きてました。……ありがとうございます」

礼を言われる筋合いは、たぶん祠にはない。ないはずだ。だが供え物が置かれた瞬間、スミの視界がまた、一瞬だけ揺れた。

……保留。調査案件は、貯まる一方だ。


夜、コアの間で、二つの報せが届いた。

一つ目は、ノアが系統の公開台帳から拾ってきた。

「四九号の領域評価が更新された。併合込みで、辺境第二位の規模。それで……西の観測網に、新規記録が立ってる。ヴェルガ帝国、迷宮台帳。分類――『要観察:急成長』」

帝国。迷宮を狩る、西の軍事大国。

「観察、ね。あちらさんの台帳に載るとは、出世したもんだ」

軽口で流したが、頭の帳簿には太字で記した。観察の次に来るのは、いつだって査察だ。

二つ目は、観戦窓の置き土産だった。最後まで残っていた一つが、消え際に短い通信を残していた。

『面白いものを見た。次の祭りで、また会おう。――観戦席の一人より』

署名なし。敵か、客か、それとも同業の挨拶か。

「ノア、発信元は辿れるか? ……ノア?」

返事がなかった。

振り向くと、ノアは部屋の隅で、吸収の済んだ三一号の核片――記録結晶の欠片を、手のひらに載せていた。

「ノア」

「――三一号、回収完了」

声は、ノアの声だった。だが、平坦さの質が、違った。温度のない、読み上げるような。

「総数調整、継続。……残り、四十七」

「……ノア?」

ぱちり、と。

ノアが瞬きをした。硝子玉の瞳に、いつもの色が戻る。

「? ……なに、マスター」

「今、何か言ったか」

「……? 何も。核片を、片付けようとしてただけ」

本人に、欠片ほどの自覚もない。

俺は何も言わず、頭の帳簿の調査欄に、四行目を書き足した。

1.7%の欠損。眠り神の祠。回収できない色。そして――残り、四十七。

この世界の仕様書には、まだ読んでいない頁が、だいぶ残っているらしい。


【迷宮経営日報 九十三日目】

残高:24,756.4DP(吸収+24,800/葬い・宴・雇用契約・諸経費−45.6)

資産:領域二(うち一つは管理不能の飛び地)、設計図群三百三十八件、一番弩(要修理)、従業員二十六名+測量長一羽

人事:ビス・ノロシ・スミ、名付け昇格。工兵種二体、中途採用。四番・十一番、永久欠番。

研究課題:中継核(サブコア)の開発/1.7%/祠/色/「残り四十七」

特記:次の淘汰戦は、未定。だが必ず来る。来る前に、町との契約と、防衛の再建と、それから――もう少しだけ、まともな職場環境を。

九十日前、ここには残高2と、俺しかいなかった。

迷宮経営、二期目に入る。


(第22話・了/第一章「赤字残高と九十日」完)

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